White Album 2/Script/3907
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Speaker | Text | Comment | |||
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Line # | JP | EN | JP | EN | |
1 | 春希 | Haruki | 「弁当、買ってきたぞ」 | ||
2 | かずさ | Kazusa | 「幕の内二つって…なんて面白みのない奴」 | ||
3 | 春希 | Haruki | 「しょうがないだろ、 他はほとんど売り切れだったんだから」 | ||
4 | かずさ | Kazusa | 「ほとんど売り切れってことは、少しはあったんだろ? せめて同じの二つじゃなくて、 二種類買ってくる気持ちの豊かさはないのかよ?」 | ||
5 | 春希 | Haruki | 「駅弁くらいどうだっていいだろ… どうせ大して美味くもないんだから」 | ||
6 | かずさ | Kazusa | 「駄目だ春希… お前、旅の醍醐味って奴を全然わかってない」 | ||
7 | 春希 | Haruki | 「そうか?」 | ||
8 | かずさ | Kazusa | 「違う種類の弁当をお互い覗き込んで、 相手のおかずを羨ましがったり、 交換したりしながら食べるのが楽しいんじゃないか」 | ||
9 | 春希 | Haruki | 「…今までのお前の態度のどこに そんな微笑ましい豊かさがあったんだよ?」 | ||
10 | かずさ | Kazusa | 「いいか? これはツアーじゃないんだぞ? 自分たちが楽しもうって自発的に考えなくちゃ、 楽しい旅なんかできないんだぞ?」 | ||
11 | 春希 | Haruki | 「そんなことはわかってるけどさ…」 | ||
12 | かずさ | Kazusa | 「…ま、買ってきたものは仕方ないけどさ。 次からは気をつけてくれよな」 | ||
13 | 春希 | Haruki | 「…わかったよ。 俺が悪かった」 | ||
14 | かずさ | Kazusa | 「それと、これ飲み物。 なかなか見つからなくてさ、 一番奥の売店まで探しに行ったよ」 | ||
15 | 春希 | Haruki | 「………なんで二つともM○Xコーヒーなんだよ?」 | ||
16 | かずさ | Kazusa | 「美味いからに決まってるだろ」 | ||
17 | 春希 | Haruki | 「楽しい旅をする気があるのか!? つかこんなものが弁当に合うか!」 | ||
18 | 昨夜約束した通り 俺たちは、空が明るくなったらすぐ出発… という訳にはいかなかった。 | ||||
19 | かずさがほとんど準備できていなかったのは当然としても、 俺の方も、いつもなら前日に済ませておくはずの旅支度が、 目覚めた時には何一つ終わっていなかった。 | ||||
20 | …眠るまで、愛しあうのに忙しかったから。 | ||||
21 | かずさ | Kazusa | 「なぁ、漬物やるからデザートよこせよ」 | ||
22 | 春希 | Haruki | 「血圧が心配だからいらない。 お前も血糖値を心配しろ」 | ||
23 | かずさ | Kazusa | 「あたしが少しでも楽しもうと工夫してるってのに お前って奴は…」 | ||
24 | 春希 | Haruki | 「あ、この煮物いける…」 | ||
25 | それだけでなく、 出発してから昼過ぎの今までも色々と無駄を重ねた。 | ||||
26 | 乗り換えのホームを探しているうちに、 一時間に一本の急行を逃してしまったり、 乗り継ぎ駅を間違えて、一駅戻ることになったり。 | ||||
27 | いつもの俺なら、出かける前に時刻表をチェックして、 最短の経路と乗り継ぎ時間で効率的に移動してたけど… | ||||
28 | 今日の俺たちは、そういう『効率』という言葉を 完全に頭の中から追い払っていた。 | ||||
29 | 『今日中に宿に着けばいい』 そう、二人で決めたから。 | ||||
30 | 時間はたっぷりある。 二人きりで過ごすこの旅に、決まった期限なんかない。 | ||||
31 | だって俺たちは… ずっと一緒にいるって約束したんだ。 | ||||
32 | コンサートが終わっても。 俺たちが一緒にいる理由がなくなっても、ずっと… | ||||
33 | ……… | .........
| |||
34 | 窓の外は、だいぶ建物が減ってくるにつれ、 畑や田んぼが広がる田園風景が増えてきた。 | ||||
35 | 南末次から、すでに三回電車を乗り継ぎ、 東京から脱出してそろそろ一時間… | ||||
36 | かずさ | Kazusa | 「冷凍ミカン食べる?」 | ||
37 | 春希 | Haruki | 「…この寒いのになんてもの買ってやがる」 | ||
38 | 駅の売店で懐かしのアイテムを取り扱ってたりする ローカル線の各駅停車は、ゆっくり走ってゆっくり停まり、 俺たちの、なんとなく決めた目的地に向かって進む。 | ||||
39 | かずさ | Kazusa | 「食べるの? 食べないの?」 | ||
40 | 春希 | Haruki | 「食べない。 今そんな冷たいもの食ったら腹こわすって」 | ||
41 | あらゆる意味で無計画な、衝動的な旅に対しての 高揚感、焦燥感、期待感、倦怠感。 | ||||
42 | そんな、様々に入り混じった複雑な感情を 心に秘めながら。 | ||||
43 | かずさ | Kazusa | 「じゃ、食べさせて」 | ||
44 | 春希 | Haruki | 「は…?」 | ||
45 | けれどかずさにそのことを悟らせないよう、 心から楽しそうに振舞ってみせる。 | ||||
46 | …だって、楽しいのは本当なんだから。 | ||||
47 | かずさ | Kazusa | 「春希が皮剥いて。 で、一房ずつ、あ~んって」 | ||
48 | 春希 | Haruki | 「そ…んなことできるか!」 | ||
49 | かずさ | Kazusa | 「チキンめ… これだから日本人は。 向こうじゃ電車の中で平気でキスしてるぞ?」 | ||
50 | 春希 | Haruki | 「別に照れてるんじゃないからな! この寒いのにそんな冷たいもの触れるかってことだよ。 食いたいなら自分でやれ自分で!」 | ||
51 | …と、俺が色々抱えるのとは対照的に、 かずさは、こんな衆人環視の中、 いつも以上に積極的だった。 | ||||
52 | かずさ | Kazusa | 「お前、指先が命のピアニストに あろうことか冷凍ミカン剥かせようってのか? これだから素人は…」 | ||
53 | 春希 | Haruki | 「…やっぱ指先冷やすのそんなに駄目なのか?」 | ||
54 | かずさ | Kazusa | 「いや、黄色くなるだろ」 | ||
55 | 春希 | Haruki | 「………………貸せ」 | ||
56 | そして、いつもと同様にワガママだった。 | ||||
57 | ……… | .........
| |||
58 | 春希 | Haruki | 「ほら、剥けたぞ」 | ||
59 | かずさ | Kazusa | 「『あ~ん』は?」 | ||
60 | 春希 | Haruki | 「食え」 | ||
61 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
62 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
63 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
64 | 春希 | Haruki | 「お前、久々に自己中モードだな…」 | ||
65 | かずさ | Kazusa | 「何が悪い」 | ||
66 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
67 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
68 | 春希 | Haruki | 「………ぁ~ん」 | ||
69 | かずさ | Kazusa | 「んむっ」 | ||
70 | 春希 | Haruki | 「っ…」 | ||
71 | まるで池の水面にエサを差し出した時のコイのように。 …なんて言うとかなり喩えが悪い気もするけど。 | ||||
72 | かずさ | Kazusa | 「ん、んぷ………んく」 | ||
73 | 春希 | Haruki | 「お、おい…」 | ||
74 | それでも、そんな表現が妥当と思えるくらい、 かずさは俺の指を、すごい勢いで咥えた。 | ||||
75 | かずさ | Kazusa | 「んむ、んく…冷た」 | ||
76 | 春希 | Haruki | 「だから言っただろ」 | ||
77 | かずさ | Kazusa | 「次」 | ||
78 | 春希 | Haruki | 「腹壊すぞ?」 | ||
79 | かずさ | Kazusa | 「黙って剥け。 お前は『あ~ん』だけ言ってればいいんだ」 | ||
80 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
81 | どんな羞恥プレイだ、これは… | ||||
82 | かずさ | Kazusa | 「早く、早く」 | ||
83 | 春希 | Haruki | 「あ、あ~ん…うわっ!?」 | ||
84 | かずさ | Kazusa | 「んっ、んく…ちゅぷ…あ、んむ…むぅ」 | ||
85 | …なんて、『あ~ん』ごときが羞恥だなどと 俺もどうやら相当に甘かったらしい。 | ||||
86 | かずさ | Kazusa | 「ちゅぅぅぅ…はぁ、あ、あむ…ん、ぷ…ぷぁ。 はぁ、はぁ、はぁ…もいっこ」 | ||
87 | 春希 | Haruki | 「………お前」 | ||
88 | わざとだこいつ…明らかに。 | ||||
89 | 目的は既に食べることではなく、 甘えることも、その全てではなくて… | ||||
90 | かずさ | Kazusa | 「春希、春希…早くぅ」 | ||
91 | 春希 | Haruki | 「………………あ~ん」 | ||
92 | かずさ | Kazusa | 「んぅぅぅっ、んむっ、ちゅぅぅ…ぷぁ… あ、んむ…れろ…はぁぁ、あ、んっ」 | ||
93 | 春希 | Haruki | 「あ、あ、あ…かずさぁ」 | ||
94 | かずさ | Kazusa | 「んぷっ」 | ||
95 | 春希 | Haruki | 「はぁぁぁっ… は~、は~、はぁぁぁぁ~」 | ||
96 | 俺に、羞恥心を抱かせること… それこそが、最大にして最凶の、かずさの悪戯。 | ||||
97 | かずさ | Kazusa | 「どうだ春希…? 悪くないだろ、こういうの」 | ||
98 | 春希 | Haruki | 「か、かずさ…」 | ||
99 | かずさ | Kazusa | 「今は、ここまでだけどさ… 後で、他のものも咥えてやるからな…?」 | ||
100 | 春希 | Haruki | 「~~~っ」 | ||
101 | かずさ | Kazusa | 「………もいっこ」 | ||
102 | キスしてる方がまだ恥ずかしくない… | ||||
103 | 周囲はきっと、この前の駅前の時以上に、 『やってらんね~』って目で見てるんだろうな。 | ||||
104 | 春希 | Haruki | 「あ~ん」 | ||
105 | かずさ | Kazusa | 「ん…れろ…あ、んむ…ちゅぱ、はぁぁ…あむっ、 ん、んぅ…じゅぷ…ん、んむぅ」 | ||
106 | 春希 | Haruki | 「…ぁ、ぁぁ…っ」 | ||
107 | いつも以上に積極的、どころの騒ぎじゃなかった。 | ||||
108 | かずさ | Kazusa | 「もいっこ」 | ||
109 | かずさは、こんな衆人環視の中、 とっくに全開になっていた… | ||||
110 | ……… | .........
| |||
111 | 曜子 | Youko | 「ありゃりゃんりゃん…」 | ||
112 | 美代子 | Miyoko | 「社長」 | ||
113 | 曜子 | Youko | 「これは…ちょっとだけマッズいかなぁ~?」 | ||
114 | 美代子 | Miyoko | 「社長…」 | ||
115 | 曜子 | Youko | 「あ、散らかってるからって 多分、空き巣とかじゃないわよ?」 | ||
116 | 美代子 | Miyoko | 「社長ってば…」 | ||
117 | 曜子 | Youko | 「わたしが察するに、 この部屋をここまで散らかしたのはかずさ自身…」 | ||
118 | 美代子 | Miyoko | 「社長! あなた知ってたんじゃないですか彼女の滞在先!」 | ||
119 | 曜子 | Youko | 「知らないわけないでしょぉ? 雇い主兼母親なんだから。 大体、ここ契約したのわたしだし」 | ||
120 | 美代子 | Miyoko | 「だ、だったら隠さないで教えてくださいよ! 私がどれだけ探し回ってたかわかってるんですか!?」 | ||
121 | 曜子 | Youko | 「それよりも美代ちゃん… この部屋の惨状を見て何か気づくことはない?」 | ||
122 | 美代子 | Miyoko | 「誤魔化さないでください。 いっつもそうやってなぁなぁで済まそうとする!」 | ||
123 | 曜子 | Youko | 「…いい所に目を付けたわね。 そう、散らかっているのは服だけ。 この押し入れタンスにあったものよ」 | ||
124 | 美代子 | Miyoko | 「で、誰と話してるつもりですか?」 | ||
125 | 曜子 | Youko | 「多分、急いで服を持ち出したのね。 あの子もわたしと同じで片づけるの苦手だし」 | ||
126 | 美代子 | Miyoko | 「はぁ…もういいです。 それで、つまりどういうことなんでしょうか?」 | ||
127 | 曜子 | Youko | 「つまりね… 今あの子の手元には、服があるってことよ。 それも、どうやら数日分の」 | ||
128 | 美代子 | Miyoko | 「………そこから先は想像したくないんですけど」 | ||
129 | 曜子 | Youko | 「これらのことから察するに… どうやらかずさは、旅に出てしまったようね」 | ||
130 | 美代子 | Miyoko | 「ほんっと人の意見聞いてくれないんだから…」 | ||
131 | 曜子 | Youko | 「話は変わるけど… 美代ちゃん、わたしこの前、 コンサート直前に男と逃げた話、したわよね?」 | ||
132 | 美代子 | Miyoko | 「は、はい。 けどそれが………え?」 | ||
133 | 曜子 | Youko | 「あの子ってやっぱり、 思いっきりわたしの娘…ってことなのかしらね?」 | ||
134 | 美代子 | Miyoko | 「やめてやめてやめて! や~め~て~!」 | ||
135 | 曜子 | Youko | 「お~いギター君~、 君はウチの娘をどうするつもりなんだ~? ちゃんと責任取る気あるんだろうな~?」 | ||
136 | ……… | .........
| |||
137 | 春希 | Haruki | 「かずさ」 | ||
138 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
139 | 春希 | Haruki | 「かずさ、かずさってば。 起きろ」 | ||
140 | かずさ | Kazusa | 「ん? ん~…」 | ||
141 | 喧嘩腰の昼食の時間も、 激しすぎるデザートの時間も、 少し甘めの雑談の時間も経て。 | ||||
142 | 最近、十分に寝転がってはいるけど睡眠不足がたたって 俺の肩に頭をもたれて居眠りしていたかずさを、 右手でつついて優しく起こす。 | ||||
143 | 春希 | Haruki | 「そろそろ目、覚ましとけ。 …俺の○ックスコーヒー飲むか?」 | ||
144 | どうして右手かというと、 ただ、左手はしっかり繋がれてたからってだけ。 | ||||
145 | かずさ | Kazusa | 「あ、あれ…もう着いた?」 | ||
146 | 春希 | Haruki | 「いや…まだあと一時間はかかる」 | ||
147 | かずさ | Kazusa | 「けど、もう夜…」 | ||
148 | 春希 | Haruki | 「トンネルだよ」 | ||
149 | かずさ | Kazusa | 「あ…」 | ||
150 | 目をしばたたかせ、 ゆっくりと車内の景色を視界に納めていき、 ついでに意識を覚醒させていく。 | ||||
151 | 窓の外は、かずさが夜と誤解するくらい真っ暗だったけど、 周期的に目に入るかすかな灯りが、 その景色が人口の建造物であることを示している。 | ||||
152 | 春希 | Haruki | 「今は…4時ちょい過ぎ。 まだ夕方だ」 | ||
153 | かずさ | Kazusa | 「ふあぁ…ならなんで起こしたんだよ。 せっかくいい夢見てたのに」 | ||
154 | 春希 | Haruki | 「そうか…いい夢ならよかった」 | ||
155 | 何度も『春希、春希』って寝言が聞こえてた… | ||||
156 | かずさ | Kazusa | 「わかってくれたならもうちょっと見させてくれ。 ついでに今度はお前の膝貸してくれ」 | ||
157 | 春希 | Haruki | 「駄目、起きろっての。 もうあと少しでトンネル抜けるから」 | ||
158 | かずさ | Kazusa | 「い~や~だ~。 こっちもあと少しだったんだ…あとちょっとで…」 | ||
159 | リアルの俺を目の前にして、 夢の俺を求めようとする態度も気に入らなかったけど。 | ||||
160 | というか、あとちょっとで何が起ころうとしてたんだ? | ||||
161 | 春希 | Haruki | 「どうして俺が今お前を起こしたのかわかんないのか? お前、川端康成とか読んだことないのか?」 | ||
162 | かずさ | Kazusa | 「誰だそれ…指揮者? 作曲家?」 | ||
163 | 春希 | Haruki | 「っ…黙って窓に貼りついてろ! そしてずっと外を見てろ!」 | ||
164 | かずさ | Kazusa | 「あ、こら! 何すんだ春希、冷たっ!」 | ||
165 | 春希 | Haruki | 「ほらもうすぐ出るぞ。 3…2…1…」 | ||
166 | かずさ | Kazusa | 「や~め~ろ~…っ!?」 | ||
167 | かずさ | Kazusa | 「………ぁ」 | ||
168 | 春希 | Haruki | 「ほら、な?」 | ||
169 | そこは、康成の言う『雪国』とは、 正確には違う場所ではあったけど… | ||||
170 | でもそこには、傾いた夕陽も、 空の青さも、木々の緑も、大地の土色もなく。 | ||||
171 | 白い空、白い木々、白い大地がそびえ… そして、厚い雲に隠された夕陽は、 存在そのものを否定されていた。 | ||||
172 | かずさ | Kazusa | 「雪、だ」 | ||
173 | 春希 | Haruki | 「ああ…」 | ||
174 | 雪、だった。 | ||||
175 | かずさ | Kazusa | 「真っ白、だ」 | ||
176 | 春希 | Haruki | 「うん…」 | ||
177 | 最後に二人で見たのは、 あのストラスブールの夜。 | ||||
178 | そして最初に見たのは、 あの、五年前の、クリスマスの… | ||||
179 | 二人じゃなく、三人の夜の… | ||||
180 | かずさ | Kazusa | 「『WHITE ALBUM』の…」 | ||
181 | 春希 | Haruki | 「白い、雪だ…」 | ||
182 | それは、あの時と同じで、 決して街に降り積もったものではなかったけれど。 | ||||
183 | ただ、あの時と同じだからこそ、 ぼうっと窓の外を見上げる俺たちには、 余計に懐かしく、嬉しく… | ||||
184 | そして、辛く、悲しく… | ||||
185 | かずさ | Kazusa | 「来たんだな、ここまで… 来ちゃったんだな、あたしたち」 | ||
186 | 春希 | Haruki | 「いや、まだだ… 駅を降りて、タクシーに乗って… 目的地に着くまでが、俺たちの旅だ」 | ||
187 | 来て、しまった。 | ||||
188 | そんな、かずさが思わず漏らした言葉に、 俺は、反論なんかできるわけがなかった。 | ||||
189 | 決めたのは、かずさ。 反対しなかったのは、俺。 | ||||
190 | 知らない土地じゃない。 それどころか、あまりにも挑発的で、 あまりにも短絡的な、俺たちの目的地。 | ||||
191 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
192 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
193 | さっきから俺の左手を離さなかったかずさの右手に、 ますます強い力がこもる。 | ||||
194 | 言葉を交わさずとも、 俺たちは、今の気持ちを交換しあう。 | ||||
195 | 『さっきまでのふざけあってた二人』とは違う、 今の俺たちの気持ちを。 | ||||
196 | 陽が昇ってる間は、 皆が見ている中では、 俺はまだ、常識人を『演じること』ができていた。 | ||||
197 | けれど陽が沈むにつれ、 俺たちの視界から人々が消えて行くにつれ、 今までの、正しい俺は沈んでいく。 | ||||
198 | そして、完全に陽が沈み、 世界にかずさと俺の二人だけが取り残されると… | ||||
199 | 後は、世界から背を向けた、本物の俺の登場、だ。 | ||||
200 | ……… | .........
| |||
201 | …… | ......
| |||
202 | … | ...
| |||
203 | 仲居 | Waitress | 「それでは お食事がお済みになりましたらまたお呼びください。 あと、露天風呂の方は朝の5時まで入れますので」 | ||
204 | 春希 | Haruki | 「は、はい」 | ||
205 | 仲居 | Waitress | 「では、ごゆっくりどうぞ」 | ||
206 | 春希 | Haruki | 「あ、ありがとうございま…す」 | ||
207 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
208 | 目の前で煮える鍋が、 いい匂いのする湯気を部屋にまき散らす。 | ||||
209 | 春希 | Haruki | 「食べよ…か」 | ||
210 | かずさ | Kazusa | 「あ、うん」 | ||
211 | 昼間に駅弁一つ食べただけの俺たちは、 この美味そうな匂いに、大いに胃腸を刺激されている。 | ||||
212 | …なのに、料理を目の前に硬直し、 なんとなく箸が付けられない。 | ||||
213 | 春希 | Haruki | 「変わってないな、料理」 | ||
214 | かずさ | Kazusa | 「うん…」 | ||
215 | そう、変わってない… | ||||
216 | 刺身に天ぷらに茶碗蒸し。 鍋に張られた薄味のダシの中で、 ぐつぐつと煮える鶏団子。 | ||||
217 | 俺たちは、この料理が美味いと知っている。 …もしかしたら、思い出補正もあるかもしれないけど。 | ||||
218 | 春希 | Haruki | 「それじゃ、その… い、いただきます」 | ||
219 | かずさ | Kazusa | 「…いただきます」 | ||
220 | 決めたのは、かずさ。 反対しなかったのは、俺。 | ||||
221 | 知らない土地じゃない。 それどころか、あまりにも挑発的で、 あまりにも短絡的な、俺たちの目的地。 | ||||
222 | そう、ここは五年前の… あのクリスマスの夜の、宿。 | ||||
223 | 春希 | Haruki | 「そうだ… ビール、飲むか?」 | ||
224 | かずさ | Kazusa | 「ん…じゃあ一杯だけ」 | ||
225 | 雪菜が予約した、あの宿。 俺たち三人の、思い出の場所。 | ||||
226 | 目もくらむような背徳、酷すぎる裏切り。 雪菜に対しての、最低最悪の行為。 | ||||
227 | けれど俺たちは、ここを外せなかった。 | ||||
228 | だってここは、この場所は… | ||||
229 | 春希 | Haruki | 「じゃあ…何に乾杯しようか?」 | ||
230 | かずさ | Kazusa | 「…二人に」 | ||
231 | 俺とかずさが、正しい二人でいられなくなった… 二人の恋が一度終わった場所… | ||||
232 | そして俺とかずさの『過ちの始まり』の場所だから。 | ||||
233 | 春希 | Haruki | 「うん…二人に」 | ||
234 | かずさ | Kazusa | 「乾杯」 | ||
235 | 春希 | Haruki | 「乾杯…」 | ||
236 | かずさ | Kazusa | 『あの時は、メリークリスマス、だったな』 | ||
237 | 春希 | Haruki | 『やってたことは忘年会だったけど、な』 | ||
238 | ……… | .........
| |||
239 | かずさ | Kazusa | 「やまないな、雪…」 | ||
240 | 春希 | Haruki | 「それが望みだったろ? 辺り一面の雪、空から降りてくる雪、 どっちも満載だ」 | ||
241 | 電車の中で見た白い景色は、 ここに到着するまでずっと続いてた。 | ||||
242 | 俺たちは、電車の窓から、タクシーの窓から、 そして旅館の窓からも、 ずっと、惚けたようにその深い雪を見つめ続ける。 | ||||
243 | 春希 | Haruki | 「もう一本、行くか?」 | ||
244 | かずさ | Kazusa | 「そうだな…もらうか」 | ||
245 | 春希 | Haruki | 「お前、ビールじゃ物足りないんじゃないか? 日本酒でも頼もうか?」 | ||
246 | かずさ | Kazusa | 「ブルーハワイ…ないよなぁ?」 | ||
247 | 春希 | Haruki | 「…季節と場所を考えろ」 | ||
248 | かずさ | Kazusa | 『あの時も、随分飲んだよなぁ』 | ||
249 | 春希 | Haruki | 『お前がシャンペンなんか持ち込むから』 | ||
250 | かずさ | Kazusa | 『みんな、ぐでんぐでんだった』 | ||
251 | 春希 | Haruki | 『でも…楽しかった』 | ||
252 | かずさ | Kazusa | 『そんなの…お前たちだけだ。 あたしは、あの時からとっくに苦しかった』 | ||
253 | 春希 | Haruki | 『………ごめん』 | ||
254 | ……… | .........
| |||
255 | かずさ | Kazusa | 「ふぅ…」 | ||
256 | 春希 | Haruki | 「もう、片づけてもらうか? 仲居さん呼んでいいか?」 | ||
257 | かずさ | Kazusa | 「その前に…もう少しだけこのままでいさせてくれ」 | ||
258 | 春希 | Haruki | 「ん…」 | ||
259 | 最初は差し向かいだった俺たちは、 酒と料理が尽きた頃には、 隣り合って身体を寄せていた。 | ||||
260 | なんて、今日は電車の中からずっと… いや、最近は朝から晩までずっとしてること。 | ||||
261 | 春希 | Haruki | 「な… 明日、どこ行こうか」 | ||
262 | かずさ | Kazusa | 「どこも行かない。 ずっとここにいる」 | ||
263 | 春希 | Haruki | 「わかった…」 | ||
264 | 即座に帰ってきた、旅先とは思えない行動予定。 | ||||
265 | けれど俺も当然のように、 その、俺たちのいつも通りの行動を受け入れる。 | ||||
266 | かずさ | Kazusa | 「チェックアウト…明後日だっけ?」 | ||
267 | 春希 | Haruki | 「さっき確認してきたけどさ、 延長、ぜんぜん平気だって。 何日でもどうぞって…」 | ||
268 | かずさ | Kazusa | 「大丈夫かよこの宿…」 | ||
269 | 春希 | Haruki | 「ま、観光地からは遠いし、スキー場へも微妙だし、 温泉目当ての客くらいしか来ないんじゃないのか?」 | ||
270 | かずさ | Kazusa | 「それ、ちっとも大丈夫だって言ってないだろ」 | ||
271 | 春希 | Haruki | 「だからこそ… 今の俺たちにとっては、かなり大丈夫だろ?」 | ||
272 | かずさ | Kazusa | 「………まぁな」 | ||
273 | 春希 | Haruki | 「何日でも、ここにいていいんだぞ…? 俺、一応その程度の貯金なら」 | ||
274 | かずさ | Kazusa | 「金のことであたしに見栄張ろうとするな。 お前が一番よく知ってるだろそんなこと」 | ||
275 | 春希 | Haruki | 「それでも、さ… 男ってのは、そういう見栄張りたがるもんなんだよ」 | ||
276 | かずさ | Kazusa | 「馬鹿馬鹿しい… お前一人くらい、あたしだって養える。 身の程を知れ」 | ||
277 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
278 | かずさ | Kazusa | 「そういう意味で… 言ったんじゃないからな」 | ||
279 | 春希 | Haruki | 「…ごめん。 言ってる意味、わかんないから」 | ||
280 | かずさ | Kazusa | 「そっか…」 | ||
281 | 春希 | Haruki | 「うん…」 | ||
282 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
283 | 俺の肩にかかっていたかずさの頭の重みがふっと消える。 | ||||
284 | 春希 | Haruki | 「温泉…入りに行くか?」 | ||
285 | かずさ | Kazusa | 「もうちょっとしたら…もうちょっと」 | ||
286 | 春希 | Haruki | 「ん、そっか…」 | ||
287 | かずさ | Kazusa | 「なぁ、春希…」 | ||
288 | 春希 | Haruki | 「なんだ?」 | ||
289 | かずさが俺を、斜め上から見上げてる。 | ||||
290 | それは、いつもの行動パターンに照らし合わせると、 あまりにもあからさまで、 あまりにも強引な展開で。 | ||||
291 | かずさ | Kazusa | 「今日、まだキスしてない」 | ||
292 | 春希 | Haruki | 「…だっけ?」 | ||
293 | そして、あまりにも予想と理想に近いおねだりだった。 | ||||
294 | かずさ | Kazusa | 「朝、慌ただしく旅支度して、 昼はずっと電車で移動してて、 夜は…今のところ、ご飯食べただけ」 | ||
295 | 春希 | Haruki | 「そういえば…そうだな」 | ||
296 | かずさ | Kazusa | 「ずっと…キスしてない」 | ||
297 | 春希 | Haruki | 「…悪かった」 | ||
298 | かずさ | Kazusa | 「うん、お前が悪い…ん、んぅ…ちゅ、ぷ」 | ||
299 | 春希 | Haruki | 「ん…は、あぁ…」 | ||
300 | かずさ | Kazusa | 「ん、んぅ…春希、春希… は、あぁ…んぅぅ…ちゅ、ぷぁ、ぁ…」 | ||
301 | かずさ | Kazusa | 『五年前、さ…』 | ||
302 | 春希 | Haruki | 『ん…?』 | ||
303 | かずさ | Kazusa | 『ここで誓ったのにな…永遠の友情。 なのに結局、壊してしまったな』 | ||
304 | 春希 | Haruki | 『俺が悪いんだ』 | ||
305 | かずさ | Kazusa | 『一人で抱え込まないでくれよ…春希。 お前がそう言ったからって、 あたしの罪、軽くなる訳じゃないんだぞ?』 | ||
306 | 春希 | Haruki | 『かずさ…』 | ||
307 | そんなふうに俺たちは、 口では、他愛もない言葉でお茶を濁し… | ||||
308 | けれど視線を交わすだけで、 もう一つの、本当の会話を成立させる。 | ||||
309 | 咎人たちの、とても口には出せない、 辛く、痛く…そして悦びにまみれた心の触れ合いを。 | ||||
310 | ……… | .........
| |||
311 | かずさ | Kazusa | 「あっ…」 | ||
312 | 春希 | Haruki | 「どうした?」 | ||
313 | かずさ | Kazusa | 「まだ…こぼれてくる」 | ||
314 | 春希 | Haruki | 「そ、そうか…」 | ||
315 | 抱きあった後、色々な後始末をするために もう一度二人で露天風呂へ行ったのは、 もう、午前三時を過ぎた頃だった。 | ||||
316 | 当然のように、男湯にも女湯にも誰もいなくて、 駄目元で声をかけてみたら、 かずさはおずおずと男湯へと移動してきた。 | ||||
317 | かずさ | Kazusa | 「うぁぁ…なんかすごい異物感。 次、トイレ行くのが怖い」 | ||
318 | 春希 | Haruki | 「えっと…洗おうか? 中まで」 | ||
319 | かずさ | Kazusa | 「ほんっと、変態め。 今度は指入れるつもりか」 | ||
320 | 春希 | Haruki | 「…今まで入れたものに比べたら一番ノーマルな気も」 | ||
321 | かずさ | Kazusa | 「あ~、もう思い出させないでくれっ。 あまりにも恥ずかしくてのぼせそうになる」 | ||
322 | そして、そんなふうに俺を責めながらも、 俺の側にぴったりと寄り添うことをやめる気配はない。 | ||||
323 | 濡れた髪と火照った頬が俺の首筋と肩に触れ、 心から繋がってるって幸福感を伝えてくれている。 | ||||
324 | かずさは今、本当に嬉しいんだって。 …きっと、五年前と比べても。 | ||||
325 | かずさ | Kazusa | 「…けど、いい湯だな」 | ||
326 | 春希 | Haruki | 「少し熱いけどな」 | ||
327 | あの時、触れ合ってたのは背中だけだった。 そして心は、全て雪菜を介しての繋がりだった。 | ||||
328 | そう、無理やり決めていた。 | ||||
329 | かずさ | Kazusa | 「それに、いい景色だな」 | ||
330 | 春希 | Haruki | 「真っ暗だけどな」 | ||
331 | 雪菜の右手は俺の左手に。 雪菜の左手はかずさの右手に。 そんなふうに、三人の友情を形成してた。 | ||||
332 | 俺の右手と、かずさの左手は、 外に開かれたままだった。 | ||||
333 | かずさ | Kazusa | 「眺めてるだけで、飽きないな」 | ||
334 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
335 | けれど今、俺の右手とかずさの左手だけが、 こうして固く繋がれている。 | ||||
336 | かずさは五年前に右手を雪菜から離し、 そして俺の左手は… | ||||
337 | かずさ | Kazusa | 「もう、帰りたくないかも…」 | ||
338 | 雪菜 | Setsuna | 『こんなにいいお湯と、こんなにいい景色だよ? もっと楽しもうよ』 | ||
339 | 雪菜 | Setsuna | 『どれだけ見ても、飽きないよね…』 | ||
340 | 雪菜 | Setsuna | 『あ~あ、ほんと最高。 もう帰りたくないなぁ』 | ||
341 | かずさは、気づいてるんだろうか。 | ||||
342 | 今、自分の口から漏れた言葉が全部、 五年前、俺たち以外のもう一人が言った台詞の 焼き直しなんだって。 | ||||
343 | 春希 | Haruki | 「帰るなんて誰も言ってないだろ…」 | ||
344 | かずさ | Kazusa | 「春希…」 | ||
345 | 春希 | Haruki | 「そんな先のこと、今はまだ考えなくていい。 俺たち、今日着いたばかりなんだぞ?」 | ||
346 | かずさ | Kazusa | 「ん…」 | ||
347 | だからって、そのことを指摘できるほど 空気を読めない俺じゃなく。 | ||||
348 | だからって、笑顔で肯くことができるほど、 簡単に割り切れる俺でもなくて、 不器用に突っ込みを入れるしかなかった。 | ||||
349 | 春希 | Haruki | 「温泉入って、美味しい料理食べて、雪見て…」 | ||
350 | かずさ | Kazusa | 「寝て、起きたら、春希にまた変なことされて…」 | ||
351 | 春希 | Haruki | 「起きてすぐは危険なんじゃないか? してる最中に仲居さんが入ってきたら…」 | ||
352 | かずさ | Kazusa | 「気にするのはそこなのかよ…」 | ||
353 | 春希 | Haruki | 「朝飯食べて、朝風呂行ってからにしよう? 確か10時から、また[R露天風呂^ここ]開いてるよな?」 | ||
354 | かずさ | Kazusa | 「お風呂行ってる間に 布団片づけられたりしないかな?」 | ||
355 | 春希 | Haruki | 「俺が言っておくよ。 昼間も使うからそのままにしといてって。 ついでに夜まで入って来ないでくれって」 | ||
356 | かずさ | Kazusa | 「…なんてあからさまな。 あたしたちが何してるか絶対にバレるぞ?」 | ||
357 | 春希 | Haruki | 「恥ずかしがることないだろ? 俺たちがそういうことするのは、 いけなくなんかない」 | ||
358 | かずさ | Kazusa | 「………う、うん」 | ||
359 | それは、俺が今まで生きてきた世界に対しての、 あまりにも酷い詭弁だったけれど… | ||||
360 | その台詞を、思ったよりも滑らかに口に出せた俺は、 もう、その世界の住人じゃないのかもしれなかった。 | ||||
361 | かずさ | Kazusa | 「明日も明後日も、ずっと雪だといいな」 | ||
362 | 春希 | Haruki | 「そうだな… 窓から何も見えないくらい、 白い雪で覆い尽くされるのもいいな」 | ||
363 | かずさ | Kazusa | 「雪に閉じ込められるのも悪くないな。 電車も車も、何もかも止まっちゃってさ」 | ||
364 | 春希 | Haruki | 「自然には逆らえないよな。 仕方ないから、しばらくここにいるか」 | ||
365 | かずさ | Kazusa | 「あたしは構わないけどさ…いつまで?」 | ||
366 | 春希 | Haruki | 「そりゃ…春が来るまでだろ」 | ||
367 | かずさ | Kazusa | 「あはは…まるで氷河期だな。 で、数か月ぶりにやっと脱出できたと思ったら、 日本中、凍りついてたりして」 | ||
368 | 春希 | Haruki | 「いいじゃん、地球温暖化の抑制になる」 | ||
369 | かずさ | Kazusa | 「そういうレベルの話かぁ? ふふ…あはは…馬鹿馬鹿しい」 | ||
370 | 春希 | Haruki | 「ほんと、馬鹿馬鹿しい、な」 | ||
371 | そんな馬鹿馬鹿しいことが実現したらって、 俺は、少しだけ本気で思っていた。 | ||||
372 | 世界がずっと雪に閉ざされて… 雪解けなんか、ずっと訪れなくて。 | ||||
373 | だから俺たちは『仕方なし』に、 ずっと一緒の時を過ごす。 | ||||
374 | そんな、終わらない白い世界。 二人だけの、閉ざされた世界が、 あったら、いいのにな…って。 | ||||
375 | そんなことを本気で願えるくらい、 今の俺たちは、互いを求め合っていた。 | ||||
376 | かずさ | Kazusa | 「…少し、眠くなってきたかな?」 | ||
377 | 春希 | Haruki | 「もし眠ったら、部屋まで運んでやるよ」 | ||
378 | かずさ | Kazusa | 「運んでもいいけど… あたしの裸、見るなよ?」 | ||
379 | 春希 | Haruki | 「何言ってんだ、今さら」 | ||
380 | 相変わらず、口では適当なことを言い合いながらも、 肩を抱く腕にも、握り合う手にも、 互いの必死さが伝わるくらい、力を込める俺たち。 | ||||
381 | 絶対に離さないって、 態度だけで示しあう俺たち。 | ||||
382 | だって、一度でも手を離したら、 その瞬間に全て終わってしまうって… | ||||
383 | そんな錯覚のはずの思いが、 ずっと、頭から離れてくれないから。 | ||||
384 | ……… | .........
| |||
385 | …… | ......
| |||
386 | … | ...
| |||
387 | かずさ | Kazusa | 「はぁっ、はぁっ、はぁ………ぁ、ぁ…」 | ||
388 | 春希 | Haruki | 「は、あ、あぁ…ん、んぅ…」 | ||
389 | かずさ | Kazusa | 「ひぅっ…あ、あぁ…や、ぁ…は、春希… ちょっと………休ませてくれ」 | ||
390 | 春希 | Haruki | 「あ…」 | ||
391 | と、かずさは胸を大きく上下させ、荒い息を吐きつつ… | ||||
392 | けれど、未だにその胸にむしゃぶりつく俺を、 優しく抱きとめた。 | ||||
393 | かずさ | Kazusa | 「お前…底なしだな。 朝からもう、何度したか覚えてないぞ」 | ||
394 | 春希 | Haruki | 「かずさ、だから… だから俺、全然止まらなくて」 | ||
395 | かずさ | Kazusa | 「…そういう、感じさせること軽々しく言うな。 今度はあたしがすぐに我慢できなくなるだろ」 | ||
396 | 春希 | Haruki | 「かずさ…」 | ||
397 | かずさの胸に顔を埋め、 その先端を口に含み、 舌先で愛撫して、唇で吸って。 | ||||
398 | かずさの体温で温まり、 かずさの匂いで恍惚となり、 かずさの鼓動で、心を落ち着かせていく。 | ||||
399 | かずさ | Kazusa | 「あ~あ、お前ので全身ドロドロだ… 上も下も後ろも、全部使われた…」 | ||
400 | 春希 | Haruki | 「だってお前、 どこでも感じてくれるようになったから…」 | ||
401 | かずさ | Kazusa | 「あ、あ~…今、何時かな」 | ||
402 | 春希 | Haruki | 「昼間だろ」 | ||
403 | かずさ | Kazusa | 「なんて大ざっぱな…」 | ||
404 | 春希 | Haruki | 「何時何分とか、そんなの知る必要あるのか?」 | ||
405 | かずさ | Kazusa | 「いや、全然」 | ||
406 | 春希 | Haruki | 「なんだよ、それ」 | ||
407 | かずさ | Kazusa | 「うるさいな~、春希は」 | ||
408 | 自分の胸に抱えた俺の頭をぽふぽふ叩きながら、 色々なことを誤魔化すかずさ。 | ||||
409 | 俺たちのどちらが旺盛なのかと問われたら、 正直、俺にはいい勝負に思えるし。 | ||||
410 | かずさ | Kazusa | 「はぁぁぁぁ~… にしても、今日も昼間からよく降るな。 本当に埋もれてしまいそうだ」 | ||
411 | 春希 | Haruki | 「ん…」 | ||
412 | 二人、重なりながら、 窓の外の、相変わらず止まない雪を見上げる。 | ||||
413 | あの厚く黒い雲から生まれ出たとは思えない、 白くまっさらな粉雪。 | ||||
414 | 空は暗く、地面は明るく、その景色はまるで色を変えず、 だから、今が昼間ということしかわからないくらい 時間の感覚が奪われる。 | ||||
415 | かずさ | Kazusa | 「次のコンサートまで、 あと一週間、だな」 | ||
416 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
417 | かずさ | Kazusa | 「もう、今から練習再開しても、 人に聴かせるレベルには程遠いだろうなぁ」 | ||
418 | 春希 | Haruki | 「ん…」 | ||
419 | かずさ | Kazusa | 「またヘマしたら、週刊誌とか喜ぶだろうな。 ヒロインからヒールへと、華麗な転身ってやつだな」 | ||
420 | 春希 | Haruki | 「ん…んぅ」 | ||
421 | かずさ | Kazusa | 「ま、別に、いいけどな。 あいつらに気に入られたくて ピアノやってる訳じゃないし」 | ||
422 | 春希 | Haruki | 「んぅぅ…ちゅ…ん」 | ||
423 | かずさ | Kazusa | 「………っ」 | ||
424 | 春希 | Haruki | 「んぅぅ…んく…ちゅ、れろ」 | ||
425 | かずさ | Kazusa | 「は………春希ぃっ」 | ||
426 | 春希 | Haruki | 「ん…んん………なに?」 | ||
427 | かずさ | Kazusa | 「人が話してるのに、 いつまでもおっぱい吸ってんなよ!」 | ||
428 | 春希 | Haruki | 「…何か問題あったか? ん、んぷ…ちゅぷ、ん、むぅ」 | ||
429 | かずさ | Kazusa | 「そ、そんなの…あぁんっ、 あ、あっ…も、もうっ、 そ、それが人の話を聞く態度かぁ?」 | ||
430 | 春希 | Haruki | 「だって…」 | ||
431 | 聞きたくもない話題だったから… | ||||
432 | かずさ | Kazusa | 「お前、ほんと、おっぱい吸うの大好きだな。 終わったあと、いっつもそうしてるし」 | ||
433 | 春希 | Haruki | 「かずさのだから、大好きなんだ…」 | ||
434 | かずさ | Kazusa | 「お前、あたしのこと、 おかあさんと勘違いしてないか? 言っとくが、まだミルクは出ないぞ?」 | ||
435 | 春希 | Haruki | 「母親なんかであるわけないだろ… かずさは、ただの、俺のかずさだ」 | ||
436 | かずさ | Kazusa | 「春希…?」 | ||
437 | 春希 | Haruki | 「だいたいさ… 母親のおっぱいなんて想像したくもない。 そんなもの欲しがる奴なんかいるのか?」 | ||
438 | かずさ | Kazusa | 「お前…」 | ||
439 | 春希 | Haruki | 「別に、人の価値観を否定するつもりはないけど、 なんか、ピンと来ないな」 | ||
440 | かずさ | Kazusa | 「春希だって、子供の頃は 母親のおっぱい吸って育ったんだろ?」 | ||
441 | 春希 | Haruki | 「だと思うけど、 育つにつれて、そんな記憶 綺麗さっぱり消えてったな」 | ||
442 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
443 | 春希 | Haruki | 「わかんない。 勝手に消えたのか、無理やり消したのか…」 | ||
444 | なんでだろ… | ||||
445 | かずさは、俺の母親じゃないのに。 そんなこと、心の底から理解してるのに。 | ||||
446 | なんでこんな、 肉親に話すような、生っぽい話をしてるんだろ、俺… | ||||
447 | かずさ | Kazusa | 「わかったよ…なら好きにしろ」 | ||
448 | 春希 | Haruki | 「かずさ…?」 | ||
449 | かずさ | Kazusa | 「あたしのおっぱいが伸びるまでしゃぶり尽くせばいい。 どうせお前にしか、見せも触らせもしないんだ。 だから、形が崩れても困るのはお前だけだ」 | ||
450 | 春希 | Haruki | 「お、い…」 | ||
451 | そんな、俺の戸惑いを察知したのか、 かずさが、自分の胸を掴み、俺の顔に押しつける。 | ||||
452 | それはまるで、子供に乳を与える母親の… って、俺にはそんなイメージ湧かないんだった。 | ||||
453 | かずさ | Kazusa | 「ほらほら、もっとちゅ~ちゅ~しないのか? お前の大好きな、あたしのおっぱいだぞ?」 | ||
454 | 春希 | Haruki | 「け、けど… なんかそう身も蓋もないこと言われると…」 | ||
455 | かずさ | Kazusa | 「じゃあ、勝手にしろ」 | ||
456 | 春希 | Haruki | 「………ああ、勝手にする。 ん…ちゅ、んぅ」 | ||
457 | かずさ | Kazusa | 「っ…馬鹿」 | ||
458 | かずさにからかわれるのが悔しかったのか、 ただ、自分の欲望を誤魔化すことができなかったのか… | ||||
459 | 春希 | Haruki | 「は、んぷ…ちゅぅ…ちゅぅぅ…はぁ、あむ…」 | ||
460 | 結局俺は、イメージが湧かないはずなのに、 まるで赤子のように、ただひたすらかずさの乳房を吸う。 | ||||
461 | かずさ | Kazusa | 「はぁっ、ぁ、ぁぁぁ… ん、ん~っ」 | ||
462 | そしてかずさは… 母親とは思えない、はしたない声を上げた。 | ||||
463 | 春希 | Haruki | 「はぁ、あ、んむ…んぷ… はぁぁ、かずさ…は、あぁ…」 | ||
464 | かずさ | Kazusa | 「ぅ、んっ…あ、あぁ…春希ぃ。 あ、そこ…ふぅぅんっ、ん、んぅぅ…」 | ||
465 | 春希 | Haruki | 「今は…何も考えないでくれ。 ん、んく…は、ぁ」 | ||
466 | かずさ | Kazusa | 「ひぅぅんっ、ん、んぅ………ぇ?」 | ||
467 | 春希 | Haruki | 「コンサートのこととか、周囲のこととか… 帰ったときのことなんか、考えるなよっ」 | ||
468 | かずさ | Kazusa | 「春、希?」 | ||
469 | それは、随分前に流れたはずの、 かずさの独り言に対する、遅すぎる反応。 | ||||
470 | 春希 | Haruki | 「ここには、俺とお前しかいないんだ。 他に、何もない世界なんだよ」 | ||
471 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
472 | かずさに、そして俺に言い聞かせる言葉。 | ||||
473 | 春希 | Haruki | 「だから、かずさは何も考えないで… ただ、俺を抱いててくれればいいんだ。 俺に、抱かれてくれてれば…」 | ||
474 | かずさ | Kazusa | 「っ…は、ぁぁ…ぁんっ」 | ||
475 | 言葉とともに、乳首を歯と唇で責め立てて、 俺の言葉を、かずさの身体に染み込ませる。 | ||||
476 | 春希 | Haruki | 「ん、くぷ…あ、あむ… そうすればさ…あ、ぁぁ… 何もかも、うまく行くから」 | ||
477 | かずさ | Kazusa | 「ひ、ひぁぁっ、ぁ… は、春希…ひっ、ぃぁ、ぁぁぁ…」 | ||
478 | かずさに信じ込ませることで、 俺自身が信じられるようになるために。 | ||||
479 | 春希 | Haruki | 「人生なんて、簡単なもんだって… 気がついたら全部解決してるから… はぁぁ、ん、んむっ」 | ||
480 | かずさ | Kazusa | 「ん、んっ…ん~っ!」 | ||
481 | 今の俺にはもう、『こうすれば上手く行く』とか、 『俺が何とかする』って言葉は、出てこない。 | ||||
482 | けどそんなの、当然と言えば当然だ… | ||||
483 | 今の俺は、自分自身を守ることすら ロクに出来ないんだから。 | ||||
484 | かずさ | Kazusa | 「は、春希っ…うぁぁ、ぁぁ…っ」 | ||
485 | 春希 | Haruki | 「なに…?」 | ||
486 | どれだけ言い含めても。 抱きしめて、忘れさせようとしても。 | ||||
487 | そうやって、どこまでも逃避しようとも、 ほんの先の未来への不安が止められない。 | ||||
488 | かずさじゃなくて、俺の方が… | ||||
489 | かずさ | Kazusa | 「あ、あたしさぁ…もう…っ」 | ||
490 | 会社も人間関係も全て切り落としたこれからの俺は、 これからも俺のままでいられるんだろうか。 | ||||
491 | 春希 | Haruki | 「…休もうって言ったのは、かずさの方だぞ?」 | ||
492 | かずさは、コンサートに間に合うんだろうか? 間に合ったとして、ちゃんと弾けるんだろうか? | ||||
493 | かずさ | Kazusa | 「そ、そんなの…っ、 何時間も、前のことじゃないかぁ」 | ||
494 | 春希 | Haruki | 「…あれから、そんなに経ったっけ?」 | ||
495 | …かずさは、これからもピアノを続けるんだろうか? それとも、俺と一緒にずっと逃げてくれるんだろうか? | ||||
496 | かずさ | Kazusa | 「今のあたしたちに… 時間の経過なんて、意味あるのか?」 | ||
497 | そして、もしかずさが後者の未来を選んでくれたとしたら、 そのとき俺は、かずさにどうやって応えれば… | ||||
498 | 春希 | Haruki | 「………うん、ないな。 ん、んぷ…あ、あむ…んくっ」 | ||
499 | かずさ | Kazusa | 「あっ、あっ、ああああああっ! うぁぁぁんっ、ん、んく…あぁ、ぁぁぁ…っ」 | ||
500 | 考えても、結論なんか出るわけがない。 そして、考えたくなんかない。 | ||||
501 | だから俺は、胸の奥から湧き出てくる そんな不安を押し潰すために、 かずさで、胸の奥をいっぱいにする。 | ||||
502 | ……… | .........
| |||
503 | …… | ......
| |||
504 | … | ...
| |||
505 | 仲居 | Waitress | 「お客さんたち退屈じゃないです? この雪でどこにも出かけられなくて」 | ||
506 | 春希 | Haruki | 「いえ全然。 俺たち、この雪そのものを見に来たんで」 | ||
507 | 仲居 | Waitress | 「あらま珍しい。 この辺りじゃどこだってこんな景色なのにねぇ」 | ||
508 | 春希 | Haruki | 「どこにでもあるようなところが良かったんです。 …って、ちょっと失礼ですね、すいません」 | ||
509 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
510 | 仲居さんと俺が世間話をする間も、かずさは俯きながら、 そこはかとなく居心地の悪さを醸し出していた。 | ||||
511 | 相手が温厚な一般人だろうがマスコミだろうが、 相変わらず、その人見知りの激しさは直りそうにない。 | ||||
512 | …おかげで二人きりになった後の内向的な激しさが、 ますます際立っていくことになる訳だけど。 | ||||
513 | 仲居 | Waitress | 「あ、そうそう、さっきみんなと話してたんですけどね、 ほら、あれですよねあれ」 | ||
514 | 春希 | Haruki | 「あれですか…」 | ||
515 | それは、どこかの誰かのお母さんがよく使う指示語で、 大抵は、『あれ』が何を指しているのか、 さっぱりわからない類のもので。 | ||||
516 | 仲居 | Waitress | 「こちらのお嬢さん。 ほんと、びっくりするほど綺麗じゃないですか。 でね、どこかで見たような気がしてねぇ」 | ||
517 | かずさ | Kazusa | 「っ…!?」 | ||
518 | 春希 | Haruki | 「あ、あ~! あれでしょあれ、ほら、なんだっけ…」 | ||
519 | 仲居 | Waitress | 「そうそう! えっと、ほら、ピアノの人で、 この前、コンサートやってた!」 | ||
520 | 春希 | Haruki | 「ああ、そうそうあの人! 来日してから言われまくりなんですよこいつ」 | ||
521 | かずさ | Kazusa | 「え…」 | ||
522 | だからこそ、こういう危険な会話になると、 その曖昧さが逆に十分なカムフラージュになる。 | ||||
523 | 春希 | Haruki | 「なんか今みたいに眼鏡外して髪下ろすと そっくりに見えるって… 俺からしてみれば全然似てないんだけど」 | ||
524 | 仲居 | Waitress | 「そりゃ、お兄さんはいつも側で見てるから。 細かい違いまですっかりわかってなさるんでしょ」 | ||
525 | 春希 | Haruki | 「正直、比べるのも失礼と思うんですけどね。 …だってこいつ、あんな芸能人より よっぽど美人でしょ?」 | ||
526 | かずさ | Kazusa | 「なっ…」 | ||
527 | 仲居 | Waitress | 「ええ、本当ですねぇ。 比べ物にならないくらい」 | ||
528 | 春希 | Haruki | 「…なんて上手いな~おばさん。 さっきまでそっくりだって言ってたくせに」 | ||
529 | 仲居 | Waitress | 「ウチのお湯に浸かったせいで、 ますますお綺麗になられたんですよ。 お肌なんて真っ白で、まるで雪のようで」 | ||
530 | かずさ | Kazusa | 「ちょ、ちょっと…やめ…」 | ||
531 | 仲居 | Waitress | 「あらあらごめんなさい見立て違いでした。 ちょっとのぼせたみたいですねぇ。 いつの間にか桜の花みたいになっちゃいました」 | ||
532 | かずさ | Kazusa | 「っ…」 | ||
533 | 春希 | Haruki | 「あはは、そんなにからかってあげないでよ。 ただでさえ引っ込み思案なんだから」 | ||
534 | 仲居 | Waitress | 「まぁまぁこんなにお綺麗なのに控えめなお嬢さんで。 ほんとお兄さんが羨ましい」 | ||
535 | 春希 | Haruki | 「でしょう? ………俺たち、もうすぐ結婚するんです」 | ||
536 | かずさ | Kazusa | 「っ!? は、春希…?」 | ||
537 | 仲居 | Waitress | 「あらあらぁ、それはおめでとうございます。 ほんと、とてもお似合いですよ。 お兄さんもね、よく見ればいい男だし」 | ||
538 | 春希 | Haruki | 「なにその俺に対してだけ取ってつけたような誉め言葉」 | ||
539 | 仲居 | Waitress | 「ま、それはともかく、奥さんもおめでとうございます。 末永く幸せになってくださいね?」 | ||
540 | かずさ | Kazusa | 「お、お、お………奥…っ」 | ||
541 | 春希 | Haruki | 「…落ち着けよ」 | ||
542 | 仲居 | Waitress | 「…桜の花がとうとう茹だっちゃいましたねぇ」 | ||
543 | ……… | .........
| |||
544 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
545 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
546 | かずさ | Kazusa | 「お、お前… 一体なんであんなこと…」 | ||
547 | 春希 | Haruki | 「あんなこと…って?」 | ||
548 | かずさ | Kazusa | 「どこで結婚しようってんだよ、あたしたち。 …二人の夢の中でかよ」 | ||
549 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
550 | かずさ | Kazusa | 「あたしのこと誤魔化すにしてもやり過ぎだろ。 お前…すっごい嘘つくんだなぁ…」 | ||
551 | 春希 | Haruki | 「………っ」 | ||
552 | かずさ | Kazusa | 「…春希?」 | ||
553 | 迂闊だった… | ||||
554 | 二人でいられることの幸せに、 頭が完全に麻痺していたのかもしれない。 | ||||
555 | 春希 | Haruki | 「かずさ」 | ||
556 | かずさ | Kazusa | 「え?」 | ||
557 | きっともう、宿の中で噂になってる。 雑誌に載ってる写真と本物を見比べられてる。 | ||||
558 | 俺の必死のすり替えに、 仲居さんは乗ってくれてたけど、 その視線はずっとかずさの顔から離れなかった。 | ||||
559 | 春希 | Haruki | 「明日の朝、発とう」 | ||
560 | かずさ | Kazusa | 「ぁ…」 | ||
561 | 気づいてる。 多分、いや絶対、かずさの正体に辿り着いてる。 | ||||
562 | ぴったりと閉じていたはずの二人だけの世界に… とうとう、ひとすじの亀裂が入った。 | ||||
563 | ……… | .........
| |||
564 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
565 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
566 | 夜になっても、雪は止まなかった。 それどころか、昼間以上に吹雪いてきた。 | ||||
567 | 窓の外を、粉雪が真横に飛び回る。 | ||||
568 | 真っ暗な部屋の中、その白い粒だけが浮かび上がり、 かずさの肌を、髪を、瞳をほのかに照らす。 | ||||
569 | かずさ | Kazusa | 「明日…」 | ||
570 | 春希 | Haruki | 「ん…?」 | ||
571 | 闇の中、もう一つ新たに照らされたのは、 ゆっくりと動き始めた、かずさの濡れた唇。 | ||||
572 | かずさ | Kazusa | 「帰る、のか? 東京に」 | ||
573 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
574 | 夕食の間、俺たちはずっと無言だった。 | ||||
575 | 酒も飲まず、身体も寄せ合わず、 せっかくのご馳走の味も全然わからずに、 ただ黙々と口に運ぶだけの30分だった。 | ||||
576 | けれど… 仲居さんが食事を片づけ、布団を敷いてくれた直後、 そんな二人のたがが劇的に外れた。 | ||||
577 | 昨夜よりも、今朝よりも強く、激しく、 獣のような声を上げ、全身を絡め、互いを傷つけ… | ||||
578 | 何度も何度も、奥に吐き出して、 かずさが少しの間気を失って… それでやっと、二人の間に再びの静けさが訪れた。 | ||||
579 | かずさ | Kazusa | 「仕方ない、よな」 | ||
580 | たった一日で、かずさの正体が割れてしまったことが、 俺たちを追い詰めた。 | ||||
581 | 明日になれば、事務所に捕捉されるかもしれない。 曜子さんの部下に、無理やり連れ戻されるかもしれない。 | ||||
582 | いや、それならまだいい方で、 もし、先に情報を掴むのが、俺の同業者だったとしたら… | ||||
583 | かずさ | Kazusa | 「春希もそろそろ仕事に戻らないといけないもんな。 …あたしのためだけに、一週間も使ってくれたんだし」 | ||
584 | もう、かずさを部屋の外にも出せない。 | ||||
585 | かずさを見る、宿の人の視線の意味が、 彼らの声を潜めた会話の内容が、 フロントで鳴る電話の呼び出し音が恐ろしい。 | ||||
586 | 俺の疑心を、ますます煽り立てる。 | ||||
587 | 俺たちの世界にできた裂け目が、 徐々に拡っていく感覚に囚われる。 | ||||
588 | かずさ | Kazusa | 「そうだよな、これ以上ワガママなんか言えないよな。 …あたしだって、しなきゃいけないこと、あるしな」 | ||
589 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
590 | そろそろ、限界かもしれなかった。 | ||||
591 | もう、俺たちが二人きりでいられる場所は、 どこを探しても見つからないのかもしれなかった。 | ||||
592 | 日本の中にも、そして心の中にも。 | ||||
593 | かずさ | Kazusa | 「もう、戻らないとな。 あたしはピアノに。 そしてお前は…」 | ||
594 | だったら、俺は… | ||||
595 | 春希 | Haruki | 「嫌だ…」 | ||
596 | かずさ | Kazusa | 「春希…」 | ||
597 | 潔く、諦めとともに予想通りの結末を迎えるなんて、 やっぱり、できるわけがなかった。 | ||||
598 | 春希 | Haruki | 「何言ってんだよかずさ… 俺たち、帰るわけなんかないだろ。 だってお前、帰りたくないって言ったじゃないか」 | ||
599 | かずさ | Kazusa | 「嬉しいよ。 そう言い続けてくれるの、本当に嬉しいんだよ、春希。 でもお前…」 | ||
600 | 春希 | Haruki | 「誰にも邪魔させない。 俺とかずさのこと、誰にも…」 | ||
601 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
602 | その先の言葉を聞きたくなかったのか、 俺は、かずさを遮るように否定する。 | ||||
603 | 春希 | Haruki | 「北へ行こう…ここよりもっと北へ」 | ||
604 | かずさ | Kazusa | 「北…?」 | ||
605 | 春希 | Haruki | 「もっと山奥の、もっとひなびた温泉とか… いや、逆に都会の方が目立たないかも」 | ||
606 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
607 | 春希 | Haruki | 「そうだ、その手があったよな… この際だから思い切って札幌なんてどうかな? あっちの雪はここより綺麗だぞ、きっと」 | ||
608 | かずさ | Kazusa | 「なぁ、春希…」 | ||
609 | 春希 | Haruki | 「うん…でもとりあえず行動指針はできた。 明日は始発で移動しよう? 目が覚めたら、すぐにチェックアウトして…」 | ||
610 | かずさ | Kazusa | 「春希…」 | ||
611 | 春希 | Haruki | 「そうと決まったら、今日はもう休んだ方がいい。 寝ておかないと明日キツいぞ?」 | ||
612 | かずさ | Kazusa | 「春希っ」 | ||
613 | 春希 | Haruki | 「かずさ…?」 | ||
614 | かずさが、俺の胸に顔を押しつけてきた。 | ||||
615 | かずさ | Kazusa | 「っ…ぅ、ぅぅ…っ」 | ||
616 | 今までよりも強い力でしがみつくと、 熱くて冷たいしずくが、俺の胸を濡らす。 | ||||
617 | 春希 | Haruki | 「そんなに心配しなくても大丈夫だ… 絶対に、なんとかなるから」 | ||
618 | 両手の指が、俺の肩にぎゅっと食い込む。 | ||||
619 | かずさ | Kazusa | 「お前…お前、さ…」 | ||
620 | その、ピアニストらしい力強い指先から、 全身の震えが伝わってくる。 | ||||
621 | 不安が、伝わってくる。 | ||||
622 | 春希 | Haruki | 「幸せになれるから、俺たち… 俺が、お前を幸せにするから」 | ||
623 | かずさ | Kazusa | 「………っ」 | ||
624 | 春希 | Haruki | 「だから、泣くなよ… 悲しむことなんか、何もないだろ」 | ||
625 | だから俺は、かずさを包み込み、その髪を撫で、 ゆっくりと、安心を伝えていく。 | ||||
626 | 震えが止まるまで、不安が消え去るまで、 …俺たちの、夜明けを迎えるまで。 | ||||
627 | かずさ | Kazusa | 「幸せに…してくれるのか?」 | ||
628 | 春希 | Haruki | 「ああ、約束する。 いつかきっと、必ず…」 | ||
629 | かずさ | Kazusa | 「いつかじゃ嫌だ…」 | ||
630 | 春希 | Haruki | 「え…」 | ||
631 | かずさ | Kazusa | 「今すぐだ… 今すぐ、ほんの少しでいいから、 あたしを幸せにしてくれよ」 | ||
632 | 春希 | Haruki | 「どうすれば…いいんだ?」 | ||
633 | 胸にしがみつくかずさの目尻を指で撫で、 涙を隠すため、俺から背けてる顔を覗き込む。 | ||||
634 | かずさの身体は、まだ震えが止まっていなかったけど、 それでも、そんなワガママが言えるようになったのは いい兆候だった。 | ||||
635 | かずさ | Kazusa | 「もう一度…さっきの言葉、言ってくれ」 | ||
636 | 春希 | Haruki | 「さっきの…って?」 | ||
637 | かずさ | Kazusa | 「ほら、旅館の人に言った、あの…」 | ||
638 | 春希 | Haruki | 「あ…」 | ||
639 | かずさ | Kazusa | 「頼むよ… 嘘でもいいから、もう一度だけ聞かせて欲しいんだよ…」 | ||
640 | 春希 | Haruki | 「嘘なんか…言ってない」 | ||
641 | かずさ | Kazusa | 「ぇ…」 | ||
642 | 春希 | Haruki | 「結婚しよう、俺たち。 これからは、ずっと一緒にいるんだ」 | ||
643 | かずさ | Kazusa | 「………春希っ」 | ||
644 | せっかく落ち着いたかと思ったのに、 また、元の木阿弥だった。 | ||||
645 | かずさの指が、思いっきり俺の肩に食い込み、 全身がぶるりと震え、 胸に涙がぽろぽろと落ちていく。 | ||||
646 | 春希 | Haruki | 「嘘なんかであるもんか… 誰が離れるもんか…」 | ||
647 | かずさ | Kazusa | 「春希…お前、お前…っ」 | ||
648 | けれど今度は、不安は伝わってこない。 | ||||
649 | 春希 | Haruki | 「あの時の…五年前の二の舞は、もう嫌だよ…っ」 | ||
650 | かずさ | Kazusa | 「あたしも…あたしもっ!」 | ||
651 | それは悲しみとは違う、 むしろ正反対の感情に突き動かされた 想いの発露だった。 | ||||
652 | 春希 | Haruki | 「かずさ…もう離さない」 | ||
653 | かずさ | Kazusa | 「う、うん…離すなよ。 今夜だけは、ずっとあたしを捕まえててくれ」 | ||
654 | 春希 | Haruki | 「今夜だけじゃない…これからずっとだ。 だって俺たち、約束、したんだから」 | ||
655 | かずさ | Kazusa | 「あたし…お前の妻…なんだよな? 北原かずさ…なんだよな?」 | ||
656 | 春希 | Haruki | 「明日の宿帳には、そう書くんだぞ? もう、偽名なんて名乗る必要ないからな」 | ||
657 | かずさ | Kazusa | 「誓うのか? あたしを妻にするって、誓うのか、春希?」 | ||
658 | 春希 | Haruki | 「ああ… 健やかなるときも、病めるときも…」 | ||
659 | かずさ | Kazusa | 「喜びのときも、悲しみのときも?」 | ||
660 | 春希 | Haruki | 「富めるときも、貧しいときも」 | ||
661 | かずさ | Kazusa | 「これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け…」 | ||
662 | 春希 | Haruki | 「その命ある限り、 真心を尽くすことを、ここに誓います…」 | ||
663 | かずさ | Kazusa | 「ああ…春希、春希…っ」 | ||
664 | 春希 | Haruki | 「あぁ…かずさ…っ、 ん、んぅ…は、あぁ」 | ||
665 | 滅茶苦茶に抱き合い、 滅茶苦茶に唇を重ねる。 | ||||
666 | 二つ並べた布団を転がり、 自分が上になり、相手が上になり、 でも、どんなに動いても唇は離れず。 | ||||
667 | かずさ | Kazusa | 「は、春…んむぅぅっ、ん、ん~っ、 は、あ、あぁぁ…もっと、もっとぉ」 | ||
668 | 春希 | Haruki | 「ああ…もっと…は、んむ…んぷ、ぁ… かずさ…あ、あぁ…ぁぁぁ…」 | ||
669 | ドレスもない。タキシードもない。 立会人もいないから、指輪の交換もない。 | ||||
670 | それどころか俺たちには、 祝福してくれる人たちなんか一人もいない。 | ||||
671 | かずさ | Kazusa | 「ん、んぅぅ…は、あ、あっ、 は、春希、お願い、ねぇ…あ、あぁぁ…んっ」 | ||
672 | けれど今、俺たちは二人きり… | ||||
673 | 互いの誓いの言葉にのっとり、 夫婦の儀式を、執り行う。 | ||||
674 | ……… | .........
| |||
675 | …… | ......
| |||
676 | … | ...
| |||
677 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
678 | 春希 | Haruki | 「んぅ…」 | ||
679 | 仲居 | Waitress | 「おはようございます」 | ||
680 | 春希 | Haruki | 「ぇ…?」 | ||
681 | 仲居 | Waitress | 「おはようございます。 あの、朝食のご用意させていただいてよろしいですか?」 | ||
682 | 春希 | Haruki | 「え? あ、ああ…ちょっと待ってください!」 | ||
683 | 目を開いた瞬間、窓の外から入り込むまぶしい光に、 一瞬目がくらむ。 | ||||
684 | そして同時に、今日は外が晴れていること、 そして俺が寝坊したことを悟る。 | ||||
685 | 春希 | Haruki | 「おい、かずさ、起きろ。 とりあえず服着ろ」 | ||
686 | 朝食よりも前に… また、仲居さんに詮索されるよりも前に、 宿を出て行くはずだったのに。 | ||||
687 | それどころか、 冬の朝に、陽が昇りきるまで目覚めないなんて、 疲れていたのか、気が緩んだのか… | ||||
688 | 春希 | Haruki | 「あれ…?」 | ||
689 | それとも… | ||||
690 | 春希 | Haruki | 「かずさ…?」 | ||
691 | 隣に感じるべき体温を、 いつの間にか見失っていたせいか。 | ||||
692 | ……… | .........
| |||
693 | 春希 | Haruki | 「っ…っ…はぁっ」 | ||
694 | 昨夜まで降り続けた深い雪に足を取られ、 俺の、駆け足のつもりの歩みは、遅々として進まない。 | ||||
695 | 気ばかりは、こんなに焦ってるのに、 いや、焦っているからこそ、手足がついてこない。 | ||||
696 | 仲居 | Waitress | 『ああ、お連れ様でしたら 散歩に出かけるとおっしゃって…』 | ||
697 | あの出不精のかずさが… | ||||
698 | しかも外に出ることを、 俺に止められていたにもかかわらず。 | ||||
699 | 春希 | Haruki | 「かずさ…かずさっ!」 | ||
700 | 旅館の人たちは、その時の俺の反応を心配して、 警察を呼ぼうかと申し出てくれたけど、 俺はその余計なお世話を全力で拒絶した。 | ||||
701 | だって、ただ朝早く散歩に出かけただけ。 | ||||
702 | いつまでも起きない寝ぼすけな俺に呆れて、 一人で朝の空気を堪能しようとしただけ。 | ||||
703 | だから、しばらくしたらすぐに戻ってきて、 外の綺麗な雪景色を興奮気味に語ってくれるに違いない。 | ||||
704 | ………こんなに慌てる必要なんか、ないんだ。 | ||||
705 | 春希 | Haruki | 「はぁっ、はぁっ、はぁぁっ… かずさ…かずさ………返事しろぉぉ!」 | ||
706 | …そんなはずはない。 何が『そんな』なのかもわからないけれど、 それでも、そんなはずはないんだ。 | ||||
707 | だって俺たちは、約束をしたんだ。 永遠に結ばれるって、誓ったんだ。 | ||||
708 | 辛いことも、悲しいことも、苦しいことも… 何もかも昨夜、解決したはずなんだ。 | ||||
709 | 俺たち二人の未来には、 彩り豊かな人生が広がっているはずなんだ。 | ||||
710 | だから、だから… | ||||
711 | 春希 | Haruki | 「かずさぁぁぁっ!」 | ||
712 | 俺の元から、もういなくならないでくれ… | ||||
713 | ……… | .........
| |||
714 | …… | ......
| |||
715 | … | ...
| |||
716 | 春希 | Haruki | 「あ…」 | ||
717 | かずさ | Kazusa | 「春希…」 | ||
718 | 見つけた… | ||||
719 | 元々、手がかりが何もない訳じゃなかった。 だって、雪の上にはたった一つの足跡がずっと続いてた。 | ||||
720 | 雪道を抜けて、脇道の山道に入って、 10分ほど登り続けたその先に、 いきなり平原が開き… | ||||
721 | 春希 | Haruki | 「かずさ…」 | ||
722 | その、朝陽を浴びて輝く雪の絨毯の上… 絵画のモチーフさながらに、中央に佇む長い黒髪の女。 | ||||
723 | かずさ | Kazusa | 「おはよ… とうとう、雪、止んじゃったな」 | ||
724 | ほんのちょっとバツの悪そうな表情を浮かべ、 けれど、俺の視線をまっすぐに受け止めた。 | ||||
725 | 春希 | Haruki | 「は、はは…はははっ… は、はぁっ、はぁぁぁぁ~」 | ||
726 | その、数時間ぶりの懐かしい顔を見た瞬間… 俺は、全身の力を失い、雪の上に倒れそうになる。 | ||||
727 | かずさ | Kazusa | 「なんだよお前… その、『死ぬほど心配したんだぞ』みたいな顔は」 | ||
728 | 春希 | Haruki | 「死ぬほど心配したんだよ… お前、俺を殺す気か?」 | ||
729 | かずさ | Kazusa | 「ちょっと散歩に出たくらいで どうしてそこまで心配するんだよ? 過保護にも程があるだろ」 | ||
730 | 春希 | Haruki | 「そ、それは…だから…っ」 | ||
731 | かずさ | Kazusa | 「…まさかお前、 あたしが深く思い詰めてるんじゃないかとか、 そんな見当外れなこと考えてたのか?」 | ||
732 | 春希 | Haruki | 「違うって!」 | ||
733 | かずさ | Kazusa | 「怪しいもんだなぁ… そんなに足ガクガク震わせて、 今にも地べたにへたり込みそうじゃないか」 | ||
734 | かずさが、意地悪く微笑みながら、 ゆっくりと俺に近づいてくる。 | ||||
735 | 春希 | Haruki | 「そんなことないって! 別になんでもないから近づくな!」 | ||
736 | かずさ | Kazusa | 「お前が追いかけてきたんだろう? なのに近づくなってのは変な話じゃないか?」 | ||
737 | 春希 | Haruki | 「だからぁ、俺は朝飯の時間だから呼びに来ただけだ。 変なこと言うな」 | ||
738 | そして俺は、そんなかずさの悪戯心を かえって刺激してしまうくらいうろたえて、 かずさが近づくのを避けようとする。 | ||||
739 | …思わずこぼれてしまった涙を見られないために。 | ||||
740 | かずさ | Kazusa | 「なぁなぁ春希、こっち向けよ… ほら、ちゃんとあたしの顔、まっすぐ見てみろよ」 | ||
741 | 春希 | Haruki | 「お、お前…いい加減に…っ」 | ||
742 | かずさ | Kazusa | 「えいっ」 | ||
743 | 春希 | Haruki | 「うわっ!?」 | ||
744 | …と、逆ギレとともにかずさをにらみつけようとした瞬間、 くだらない意地を張り続けた俺に、天からの罰がくだる。 | ||||
745 | かずさ | Kazusa | 「やっぱ、直接触ると冷たいな… 雪合戦、できるな…」 | ||
746 | 春希 | Haruki | 「か、かずさ…?」 | ||
747 | かずさという、庭を駆け回ったりはしないけど、 実は心の中で喜んでいる、犬の手によって。 | ||||
748 | かずさ | Kazusa | 「えい、えいっ」 | ||
749 | 春希 | Haruki | 「わ、こ、こ、こらっ! お前は…この野郎っ!」 | ||
750 | かずさ | Kazusa | 「ひゃっ!? あ、このぉ、服の中に入ってったじゃないか! ひどいぞ春希!」 | ||
751 | 春希 | Haruki | 「俺は最初から酷い目に遭ってるんだよ! 全然釣り合い取れてないだろ!」 | ||
752 | かずさ | Kazusa | 「そんなの知るか! 浴衣のままで追いかけてくるお前が悪いんじゃないか」 | ||
753 | 春希 | Haruki | 「そんなこと言ったって…言ったってなぁ、 心配だったんだからしょうがないじゃないか!」 | ||
754 | かずさ | Kazusa | 「だからぁ、どうして心配するんだよ! さっきからそれを答えてないだろ春希」 | ||
755 | 春希 | Haruki | 「うるさい! うるさいっ! あ~うるさいっ!」 | ||
756 | あの時…ってのがいつだか忘れたけれど。 | ||||
757 | でも、あの時みたいに、 俺たちは、スイッチが入ってしまった。 | ||||
758 | ちょっとした非現実な日々に、 非現実なイベントが重なって、 特におかしくもないのに、俺たちは笑いあう。 | ||||
759 | 今の俺たちが抱えている気持ちが嬉しさだと信じて、 気持ちを、雪に込めてぶつけあい… | ||||
760 | いつしか肉弾戦へと移り、 そのまま抱き合い、雪の上を転げ回る。 | ||||
761 | ……… | .........
| |||
762 | かずさ | Kazusa | 「はぁっ、はぁっ、はぁっ… あ~、朝から余計な運動した」 | ||
763 | 春希 | Haruki | 「お前が仕掛けてきたんだろうが…」 | ||
764 | かずさ | Kazusa | 「なんかあったかくなって来たよ… 雪の上に寝転がってるってのになぁ」 | ||
765 | 春希 | Haruki | 「それはコートまで着込んでるお前だけだ。 俺は今にも凍え死にそうだ」 | ||
766 | かずさ | Kazusa | 「…じゃ、そろそろ戻るか?」 | ||
767 | 春希 | Haruki | 「…ん、もうちょっと」 | ||
768 | かずさ | Kazusa | 「ふふ…」 | ||
769 | 春希 | Haruki | 「笑うな」 | ||
770 | 雪の上に仰向けになり、 朝陽を眺め。 | ||||
771 | 手と手をしっかりと繋いで、 互いの体温と、冷え切った指先を感じあう。 | ||||
772 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
773 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
774 | この、二人以外誰もいない世界で、 お互いの存在をしっかり確かめあう。 | ||||
775 | かずさ | Kazusa | 「なぁ、春希」 | ||
776 | 春希 | Haruki | 「ん~…?」 | ||
777 | かずさ | Kazusa | 「本当に、本当に… これからも、一緒にいてくれるのか?」 | ||
778 | 春希 | Haruki | 「…ああ」 | ||
779 | 昨夜、誓いを立てた俺たちだから、 だから俺は、もうその答えに躊躇わない。 | ||||
780 | かずさ | Kazusa | 「あたしが行くところに、 ずっと、ついてきてくれるのか…?」 | ||
781 | 春希 | Haruki | 「どこへ、でも」 | ||
782 | 俺の手を握るかずさの手が、 ぎゅっと、強く握り込まれる。 | ||||
783 | かずさ | Kazusa | 「もっと北にでも… それとも、このまま海外にでも」 | ||
784 | 春希 | Haruki | 「お前が望むなら。 だって俺たちは、もう…」 | ||
785 | かずさ | Kazusa | 「このまま………地獄にでも?」 | ||
786 | 春希 | Haruki | 「ああ、どこまでも一緒だ」 | ||
787 | かずさ | Kazusa | 「春希…」 | ||
788 | 春希 | Haruki | 「かずさ…」 | ||
789 | かずさが、ゆっくりとこちらに顔を向ける。 | ||||
790 | その、雪と同化したように白い肌と、 混ざり合うのを拒絶するような漆黒の髪と瞳が、 相変わらず、透き通るような美しさを醸し出す。 | ||||
791 | そしてかずさは、その造形に似合った声を… 透き通る声を使って、俺に、その言葉を告げた。 | ||||
792 | かずさ | Kazusa | 「なんてな…お断りだ。 あたしはお前と一緒には行けない」 |
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Introductory Chapter | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
1001 | 1008 | 1009 | 1010 | 1011 | 1012 | 1013 |
1002 | 1008_020 | 1009_020 | 1010_020 | 1011_020 | 1012_020 | |
1003 | 1008_030 | 1009_030 | 1010_030 | 1011_030 | 1012_030 | |
1004 | 1008_040 | 1010_040 | 1012_030_2 | |||
1005 | 1008_050 | 1010_050 | ||||
1006 | 1010_060 | |||||
1006_2 | 1010_070 | |||||
1007 |
Closing Chapter | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
Common | Setsuna | Koharu | Chiaki | Mari | ||||||
2001 | 2011 | 2020 | 2027 | 2301 | 2309 | 2316 | 2401 | 2408 | 2501 | 2510 |
2002 | 2012 | 2021 | 2028 | 2302 | 2310 | 2317 | 2402 | 2409 | 2502 | 2511 |
2003 | 2013 | 2022 | 2029 | 2303 | 2311 | 2318 | 2403 | 2410 | 2503 | 2512 |
2004 | 2014 | 2023 | 2030 | 2304 | 2312 | 2319 | 2404 | 2411 | 2504 | 2513 |
2005 | 2015 | 2024 | 2031 | 2305 | 2313 | 2320 | 2405 | 2412 | 2505 | 2514 |
2006 | 2016 | 2025 | 2032 | 2306 | 2314 | 2321 | 2406 | 2413 | 2506 | 2515 |
2007 | 2017 | 2026 | 2033 | 2307 | 2315 | 2322 | 2407 | 2507 | 2516 | |
2008 | 2018 | 2308 | 2508 | 2517 | ||||||
2009 | 2019 | 2509 | ||||||||
2010 | ||||||||||
Setsuna | Koharu | Chiaki | Mari | |||||||
2031_2 | 2312_2 | 2401_2 | 2504_2 | 2511_2 | ||||||
2031_3 | 2313_2 | 2402_2 | 2507_2 | 2513_2 | ||||||
2031_4 | 2313_3 | 2402_3 |
Coda | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
Common | Kazusa (True) | Setsuna (True) | Kazusa (Normal) | ||||||
3001 | 3008 | 3014_2 | 3020 | 3101 | 3107 | 3201 | 3207 | 3901 | 3907 |
3002 | 3009 | 3014_3 | 3021 | 3102 | 3108 | 3202 | 3208 | 3902 | 3908 |
3003 | 3010 | 3015 | 3022 | 3103 | 3109 | 3203 | 3209 | 3903 | 3909 |
3004 | 3011 | 3016 | 3023 | 3104 | 3110 | 3204 | 3210 | 3904 | |
3005 | 3012 | 3017 | 3024 | 3105 | 3111 | 3205 | 3211 | 3905 | |
3006 | 3013 | 3018 | 3106 | 3206 | 3906 | ||||
3007 | 3014 | 3019 | |||||||
Common | Setsuna (True) | Kazusa (Normal) | |||||||
3001_2 | 3210_2 | 3901_2 | 3906_2 | ||||||
3015_2 | 3902_2 | 3907_2 | |||||||
3902_3 | 3907_3 | ||||||||
3904_2 |
Mini After Story and Extra Episode | |||
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The Path Back to Happiness | The Path Forward to Happiness | Dear Mortal Enemy | |
6001 | 6101 | 4000 | 4005 |
6002 | 6102 | 4001 | 4006 |
6003 | 6103 | 4002 | 4007 |
6004 | 6104 | 4003 | 4008 |
6005 | 4004 | 4009 |
Novels | |||||
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The Snow Melts, And Until The Snow Falls | The Idol Who Forgot How to Sing | Twinkle Snow ~Reverie~ | After the Festival ~Setsuna's Thirty Minutes~ | His God, Her Savior | |
5000 | 5100 | 5200 | 5205 | 5300 | 5400 |
5001 | 5101 | 5201 | 5206 | 5301 | 5401 |
5002 | 5102 | 5202 | 5207 | 5302 | |
5003 | 5103 | 5203 | 5208 | 5303 | |
5004 | 5104 | 5204 | 5209 |
Short Stories | |||
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Princess Setsuna's Distress and Her Minister's Sinister Plan | Koharu Climate After the Passing of the Typhoon | This isn't the Season for White Album | Todokanai Koi, Todoita |
7000 | 7100 | 7200 | 7300 |