White Album 2/Script/2513
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Speaker | Text | Comment | |||
---|---|---|---|---|---|
Line # | JP | EN | JP | EN | |
1 | 春希 | Haruki | 「…あ」 | ||
2 | 店員 | Clerk | 「いらっしゃいませ…あ、 いつもありがとうございます!」 | ||
3 | 地下の食料品街を抜け、 ショッピングモールをしばらく歩き… | ||||
4 | 春希 | Haruki | 「…覚えてたんですか?」 | ||
5 | 店員 | Clerk | 「ええ。一度お買いあげいただいたお客様のお顔は 絶対に忘れませんから」 | ||
6 | 春希 | Haruki | 「そりゃ、どうも…」 | ||
7 | 店員 | Clerk | 「本日は何をお探しですか? また何時間でもお付き合いしますよ?」 | ||
8 | 春希 | Haruki | 「い、いや、ええと、その…」 | ||
9 | 店員 | Clerk | 「…では、ごゆっくりお選びください。 何かありましたらいつでも声をかけてくださいね?」 | ||
10 | 春希 | Haruki | 「…ありがとうございます」 | ||
11 | 2月14日。 | ||||
12 | もう、ショッピングモールのバレンタインセールも、 最後の追い込みへと突入していた午後三時。 | ||||
13 | 俺はまた、馬鹿の一つ覚えみたいに、 この店へと辿り着く。 | ||||
14 | ……… | .........
| |||
15 | 前に来た時は、2時間迷った。 | ||||
16 | 『何を贈れば喜んでくれるか』だけでなく、 『何を贈れば当たり障りがないか』って… | ||||
17 | “彼女”との距離が遠ざかるのが怖くて、 けれど近寄りすぎることに罪悪感があって… | ||||
18 | どっちかに決めないとって、一人堂々巡りしてた。 | ||||
19 | そして今、二人の距離は、あの時よりも遙かに遠ざかり、 もう、支えきれないくらいの重い罪悪感に支配され、 それでもやってきてしまった、彼女の誕生日。 | ||||
20 | 今の俺は、彼女に何を贈ればいいんだろうか。 | ||||
21 | そもそも、彼女に贈り物をすることが、 正しいことなんだろうか。 | ||||
22 | 今度の迷いは… どの行動を選択しても、晴れることはなさそうだった。 | ||||
23 | ……… | .........
| |||
24 | 春希 | Haruki | 「っ…」 | ||
25 | 今日も、寒かった。 今年一番の冷え込みだって、天気予報で言ってた。 | ||||
26 | …『今日も』って、 いつの年の、いつの日と比較してるんだろうな、俺は。 | ||||
27 | 携帯の時計を見ると、 もう、午後4時をほんの少し過ぎていた。 | ||||
28 | 結局、一時間以上も迷った末の戦利品をポケットに、 俺は、駅の改札へと向かう。 | ||||
29 | けれど… | ||||
30 | 『ウエストバージニア航空206便。 日本時間18時成田空港着予定』 | ||||
31 | 麻理さんらしい、簡素で、 事実だけしか書かれていないメール。 | ||||
32 | …ついでにこっちの都合を気にしないところなんかも、 彼女らしかったり。 | ||||
33 | 届いたのは、ほとんどこの便の出発直前の時間。 | ||||
34 | たぶん空港でずっとキャンセル待ちしてて… だからギリギリまで到着時刻が確定しなかったんだろう。 | ||||
35 | 彼女はそこまでして、 たった一日を日本で過ごすために戻ってくる。 | ||||
36 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
37 | ……… | .........
| |||
38 | 雪菜との約束が午後5時。 そして、飛行機が到着するのが午後6時。 | ||||
39 | なんでこんな嫌な符合を見せてしまうんだろうな。 | ||||
40 | 麻理さんの到着が、せめて二時間早ければ… 雪菜との約束が、せめて二時間遅ければ… | ||||
41 | けれどそれは、あの時だって。 | ||||
42 | 人生最大の過ちを犯したあの日と、 まったく同じ選択肢が、俺の目の前に転がってる。 | ||||
43 | なぁ、雪菜… | ||||
44 | どうして俺たちって、 いつもこうなんだろうな… | ||||
45 | ……… | .........
| |||
46 | …… | ......
| |||
47 | … | ...
| |||
48 | 春希 | Haruki | 「…待った?」 | ||
49 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
50 | 春希 | Haruki | 「雪菜?」 | ||
51 | 雪菜 | Setsuna | 「っ…あ、そ、その… わたしも今、来たところだから」 | ||
52 | 春希 | Haruki | 「そ、そう…」 | ||
53 | 雪菜 | Setsuna | 「ご、ごめんね? いきなりなんか変な反応しちゃって」 | ||
54 | 春希 | Haruki | 「いや…俺もだから。 会うの久しぶりで、 最初、なんて声かければいいかわからなくてさ」 | ||
55 | 雪菜 | Setsuna | 「それもあるけど… わたしのは、ちょっとだけ違ってて」 | ||
56 | 春希 | Haruki | 「…違うって?」 | ||
57 | 雪菜 | Setsuna | 「なんとなく、来てくれないんじゃないかって… さっきからずっと、そんな嫌なこと想像しちゃってて」 | ||
58 | 春希 | Haruki | 「え…」 | ||
59 | 雪菜 | Setsuna | 「おかしいよね…ちゃんと約束したのに。 なんだろわたし、イタい子だなぁ。 あは、あはは…」 | ||
60 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
61 | 『すいません、遅れます』 | ||||
62 | 『帰国、お疲れさまです』 | ||||
63 | 『6時到着ということですけど、 前のメールでも言った通り、5時から先約があります。 こちらも、どうしても外せない約束なんです』 | ||||
64 | 『8時くらいに合流できると思います。 会社か部屋か、どちらにいるかメールください。 麻理さんのいるところに直接向かいます』 | ||||
65 | 『時間取れなくて、本当にごめんなさい。 でも、必ず会いに行きます』 | ||||
66 | 麻理さん… | ||||
67 | 迎えに行けなくて、ごめんなさい。 待たせてしまって、本当にごめんなさい。 | ||||
68 | でも俺、雪菜と話すって決めたんです。 あなたに全てを打ち明ける前に、 その全てに決着をつけるって決めたんです。 | ||||
69 | だから… | ||||
70 | せめて今は、雪菜との約束を守ろうって。 何よりも優先しようって、思ったんです。 | ||||
71 | 例えその先に、辛い時しかなかったとしても。 悲しい事実しか待ってなかったとしても。 | ||||
72 | いえ、だからこそ、雪菜から逃げることだけは… | ||||
73 | 三年前の非道を繰り返すわけにはいかないんです。 | ||||
74 | 麻理 | Mari | 「………」 | "........."
| |
75 | 麻理 | Mari | 「二時間待ち…か」 | ||
76 | 麻理 | Mari | 「あ…鈴木? うん、私」 | ||
77 | 麻理 | Mari | 「え? あ、ああ…実は、時差ないの。 今はこっちも午後6時」 | ||
78 | 麻理 | Mari | 「ん………ここ、成田だから」 | ||
79 | 麻理 | Mari | 「いや、その… 細かいことはそっち戻ってから説明するから。 とりあえず至急で頼み事聞いてくれない?」 | ||
80 | 麻理 | Mari | 「編集長、来てるわよね今日? うん…悪いけどスケジュール確保しといて。 風岡が戻ってるって言えば待っててくれるでしょ」 | ||
81 | 麻理 | Mari | 「そうね………念のため、9時から」 | ||
82 | 雪菜の父 | Setsuna's Father | 「さ、北原君」 | ||
83 | 春希 | Haruki | 「あ、いえ、今日はお酒は…」 | ||
84 | 雪菜の父 | Setsuna's Father | 「まぁ乾杯だけでも、ほら」 | ||
85 | 春希 | Haruki | 「は、はぁ…ありがとうございます」 | ||
86 | 孝宏 | Takahiro | 「父さん、次、こっちね~」 | ||
87 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「さっきまで受験勉強がどうとか言ってたのにねぇ…」 | ||
88 | 孝宏 | Takahiro | 「お祝いなんだからちゃんと顔出せって言ったのは 母さんだろ…あ、勝手にコーラ注ぐなよ!」 | ||
89 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「孝宏は顔出すだけでいいの。 乾杯したらすぐ部屋に戻りなさい」 | ||
90 | 孝宏 | Takahiro | 「無理やり呼んどいたりいきなり追い返したり、 それでも受験生の親かよ…」 | ||
91 | 春希 | Haruki | 「あはは…」 | ||
92 | 雪菜 | Setsuna | 「あ、あの…春希くん」 | ||
93 | 春希 | Haruki | 「ん?」 | ||
94 | 雪菜 | Setsuna | 「ご、ごめんね…」 | ||
95 | 春希 | Haruki | 「何が?」 | ||
96 | 賑やかなテーブルに不似合いな蚊の鳴くような小声と、 弱々しく肩をつつく指の持ち主は、 俺の隣で縮こまってる本日の主役のものだった。 | ||||
97 | 雪菜 | Setsuna | 「こんなはずじゃなかったの… 本当に、ただ、二人で会うだけのつもりだったの」 | ||
98 | 春希 | Haruki | 「わかってるって」 | ||
99 | 雪菜 | Setsuna | 「そしたら今日はパーティやるから外出は駄目だって。 で、いつの間にかこんなことになっちゃって…」 | ||
100 | 春希 | Haruki | 「だから、わかってるから」 | ||
101 | 雪菜が『今から家に来てくれないかな?』 って口にしたとき… | ||||
102 | いや、それ以前に待ち合わせ場所を 最寄りの駅にした時点で、予想の範囲だった。 | ||||
103 | 雪菜 | Setsuna | 「日にち、ずらした方がよかったよね。 本当に、その、何て謝ったらいいか…」 | ||
104 | 春希 | Haruki | 「雪菜」 | ||
105 | 雪菜 | Setsuna | 「っ…は、はい…?」 | ||
106 | 春希 | Haruki | 「誕生日、おめでとう」 | ||
107 | 雪菜 | Setsuna | 「あ…」 | ||
108 | 俺が、ポケットからちっぽけな紙包みを取り出すと、 雪菜の瞳が見開かれ、見る見る紅く染まっていく。 | ||||
109 | …俺は、そんな雪菜の反応を、 微笑ましく、そして息苦しく受け止める。 | ||||
110 | そう… これは、三年前に辿るべきだったはずの道。 | ||||
111 | もしもあの日、プレゼントを買ったのが、 今日みたいに時間ギリギリだったなら。 | ||||
112 | 冬馬曜子に、俺のこと『ギター君』だって 見破られたりしなければ。 | ||||
113 | そして何より… 俺が、ずっと雪菜だけを想い続けていたならば… | ||||
114 | 孝宏 | Takahiro | 「それじゃ乾杯しよっか。 えっと………北原さん音頭お願いできる?」 | ||
115 | 雪菜 | Setsuna | 「え? ちょっと… お客さんにそんなこと…」 | ||
116 | 春希 | Haruki | 「いいよ。 俺でよければ」 | ||
117 | 雪菜 | Setsuna | 「え…」 | ||
118 | あの時俺はこうして、 小木曽家の人たちに囲まれて、 穏やかな時を過ごしていたのに。 | ||||
119 | もどかしかった雪菜との距離も、 ゆっくり、ゆっくり縮まっていったかもしれなかったのに。 | ||||
120 | 春希 | Haruki | 「それじゃ改めて… 誕生日おめでとう、雪菜。 乾杯」 | ||
121 | 小木曽家の人々 | Ogiso Residence People | 「かんぱ~い」 | ||
122 | 麻理 | Mari | 「や、ただいま…」 | ||
123 | 鈴木 | Suzuki | 「あ、麻理さんお帰りなさい~」 | ||
124 | 松岡 | Matsuoka | 「お疲れさま~っす」 | ||
125 | 浜田 | Hamada | 「風岡? あれ、確かお前、今月一杯は向こうだって…」 | ||
126 | 麻理 | Mari | 「休み取れたんでちょっと帰ってきた。 …明日朝イチの便でとんぼ帰りだけど」 | ||
127 | 浜田 | Hamada | 「…何しに来たんだ一体?」 | ||
128 | 麻理 | Mari | 「ん~…何と言うか、 些細かつ重要な用件を片づけるため?」 | ||
129 | 浜田 | Hamada | 「なんだそりゃ? 『本作ってる人間が妙な日本語使うな』って、 自分の口うるさい部下に叱られるぞ」 | ||
130 | 麻理 | Mari | 「部下、か…」 | ||
131 | 鈴木 | Suzuki | 「あ、せっかく早く着いたんですから、 今から編集長に声かけてきたらどうです? 確か今夜は他に会議とかなかったはずですよ」 | ||
132 | 麻理 | Mari | 「あ、いや… 私の方がまだ… [F16結論出てないんで」] | ||
133 | 鈴木 | Suzuki | 「結論?」 | ||
134 | 麻理 | Mari | 「持ち帰ってきた仕事が片づいてないって意味!」 | ||
135 | 雪菜 | Setsuna | 「ふぅぅぅぅ~」 | ||
136 | 春希 | Haruki | 「ほら、掴まって」 | ||
137 | 雪菜 | Setsuna | 「ごめんねぇ… わたし、なんだか調子に乗っちゃって」 | ||
138 | 春希 | Haruki | 「いいんだよ、今日はどれだけ羽目を外しても。 だって、雪菜のための日なんだから」 | ||
139 | 今日の雪菜は、よく飲んだ。 | ||||
140 | 雪菜 | Setsuna | 「ありがと…春希くん」 | ||
141 | そして、屈託なく笑った。 | ||||
142 | 春希 | Haruki | 「ほら、座って。 …水、持ってこようか?」 | ||
143 | 雪菜 | Setsuna | 「ううん、いい。 大丈夫だから」 | ||
144 | 食べて、飲んで、はしゃいで… そして、あっという間に酔い潰れた。 | ||||
145 | けれど、誰も彼女を止めようとはしなかった。 | ||||
146 | だって、祝ってくれた人も思わず笑顔にさせてくれる、 主賓にふさわしい振る舞いだったから。 | ||||
147 | 雪菜 | Setsuna | 「ん…ふぅ。 あ~、楽しかったぁ」 | ||
148 | 春希 | Haruki | 「うん」 | ||
149 | ベッドに腰掛けて、熱い吐息をつく雪菜は、 まだパーティの余韻に浸っているみたいだった。 | ||||
150 | 目を閉じ、少し前の楽しい時間を反芻するように、 その濡れた唇を小さく動かし、何かを呟いている。 | ||||
151 | それはもしかしたら、 ここ数年ずっと聴くことのなかった、 彼女の歌だったのかもしれない。 | ||||
152 | 雪菜 | Setsuna | 「試験も終わって、進級も決まって… 誕生日、みんなにお祝いしてもらって」 | ||
153 | 春希 | Haruki | 「ん…よかったな」 | ||
154 | 雪菜 | Setsuna | 「春希くんに、お祝いしてもらって」 | ||
155 | 春希 | Haruki | 「俺は…そんな大したこと」 | ||
156 | 雪菜 | Setsuna | 「ありがとう、春希くん」 | ||
157 | 雪菜の指が、自分の耳たぶを撫でる。 | ||||
158 | 春希 | Haruki | 「…さっきも同じこと言ってたぞ」 | ||
159 | 雪菜 | Setsuna | 「何度でも言うよ… ありがとう、春希くん」 | ||
160 | …正確には、そこについている、 俺が送ったイヤリングに。 | ||||
161 | 春希 | Haruki | 「…っ」 | ||
162 | そんな、儚くも色っぽい雪菜が眩しくて、 思わず彼女の顔から目をそらし、部屋の中を見回す。 | ||||
163 | 雪菜の部屋に入るのは、三年ぶりだった。 | ||||
164 | 以前と変わらない、 女の子らしいけど、華美すぎない。 けれどシンプル過ぎもしない… | ||||
165 | 野暮ったくも、尖ってもいない、 そんな『ちょうど良さ』で満たされた空間。 | ||||
166 | ちょっとだけ野暮ったさがあるとすれば、 やっぱり三年前もここに鎮座してた、このコタツ… | ||||
167 | 三人で勉強して、色々な話で盛り上がった、 あの時の空気が、まだここには残ってる。 | ||||
168 | 初めてここに上がったときに、 いきなり雪菜の手料理をご馳走になったっけ。 | ||||
169 | とびっきりじゃなかったけれど、 しっかり基本通りだった、その料理の腕は… | ||||
170 | 今日のパーティの席上で、 飛躍的に上達していることが証明された。 | ||||
171 | 雪菜 | Setsuna | 「変わってないでしょ?」 | ||
172 | 春希 | Haruki | 「…そう、だな」 | ||
173 | そんなふうに、温かいノスタルジーに浸ることが… | ||||
174 | 雪菜 | Setsuna | 「だって、わたしが変わってないんだもん」 | ||
175 | 春希 | Haruki | 「え…」 | ||
176 | 今の俺たちに、許されるはずなんかなかった。 | ||||
177 | 雪菜 | Setsuna | 「三年前から、止まったままなんだもん」 | ||
178 | 春希 | Haruki | 「雪菜…」 | ||
179 | 雪菜 | Setsuna | 「だから、部屋の中だって変わるわけがないよね。 模様替えなんか、できるはずがないよね」 | ||
180 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
181 | 雪菜 | Setsuna | 「………ごめん。 何言ってるんだろ、わたし」 | ||
182 | 春希 | Haruki | 「いや…」 | ||
183 | 雪菜 | Setsuna | 「ごめんなさい… またやっちゃった。 今までの二時間、たった数秒で壊しちゃった」 | ||
184 | 春希 | Haruki | 「気にしてないから俺は。 だからお願いだ。雪菜も忘れて」 | ||
185 | 雪菜 | Setsuna | 「っ…」 | ||
186 | 酔ってたせいなのか、 酔ってたからこそなのか… | ||||
187 | そうして、また雪菜は、一瞬で自滅する。 | ||||
188 | 自分の言葉に傷つき、 自分の態度に、さらに傷つき。 | ||||
189 | さっきまでの明るくて賑やかな自分が、 仮初めのものでしかなかったことを露呈してしまう。 | ||||
190 | 麻理 | Mari | 「………」 | "........."
| |
191 | 松岡 | Matsuoka | 「…?」 | ||
192 | 鈴木 | Suzuki | 「っ!」 | ||
193 | 麻理 | Mari | 「~っ」 | ||
194 | 浜田 | Hamada | 「な、なぁ風岡」 | ||
195 | 麻理 | Mari | 「なに?」 | ||
196 | 浜田 | Hamada | 「お前、さっきから貧乏ゆすりくらいしかしてないけど、 持ち帰ってきた仕事ってのは?」 | ||
197 | 麻理 | Mari | 「…帰ってくるなり仕事、仕事って。 慣れない海外生活に疲れて帰国してきた同僚を 少しは労ろうかという気持ちはないのあんたは」 | ||
198 | 浜田 | Hamada | 「いや、仕事仕事言ってるのはいつも…」 | ||
199 | 鈴木 | Suzuki | 「あ、あの、麻理さん? そろそろ9時なんだけど…」 | ||
200 | 麻理 | Mari | 「それがなに?」 | ||
201 | 鈴木 | Suzuki | 「ええと、それが何と言われても、 編集長との打ち合わせの時間…」 | ||
202 | 麻理 | Mari | 「待たせとけばいいのよ。 どうせ今日はこの後何の予定もないんでしょ?」 | ||
203 | 鈴木 | Suzuki | 「け、けど上司ですよ?」 | ||
204 | 麻理 | Mari | 「だから、それがなんなの? こっちは忙しいの!」 | ||
205 | 松岡 | Matsuoka | [F16「何というパワーバランス」] | ||
206 | 浜田 | Hamada | [F16「だってウチの編集会議の日程調整って、 ][F16まず風岡の空いてる時間帯を探すんだぜ?」] | ||
207 | 松岡 | Matsuoka | [F16「こんなんで四月から大丈夫なんですかね。 ][F16だって…」] | ||
208 | 鈴木 | Suzuki | 「まぁ待たせてもいいですけど、 自分で遅れるって連絡入れてくださいよ? 後でわたしが怒られるの嫌ですからね?」 | ||
209 | 麻理 | Mari | 「わかってるわよ。 まったくもう、久しぶりだってのに皆冷たいんだから」 | ||
210 | 鈴木 | Suzuki | [F16「ただ恐れおののいてるだけなんですけど…」] | ||
211 | 麻理 | Mari | 「………」 | "........."
| |
212 | 雪菜 | Setsuna | 「今日は、来てくれて本当にありがとう」 | ||
213 | 春希 | Haruki | 「だから、別に俺は…」 | ||
214 | 雪菜 | Setsuna | 「わたしの誕生日、祝ってくれてありがとう」 | ||
215 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
216 | 今日の雪菜は、ありがとうがインフレを起こしてる。 | ||||
217 | 肩を貸してくれてありがとう。 プレゼントをくれてありがとう。 | ||||
218 | 来てくれてありがとう。 誕生日を祝ってくれてありがとう。 特に意味はないけど、ありがとう… | ||||
219 | 春希 | Haruki | 「今まで祝えなくてごめん」 | ||
220 | 雪菜 | Setsuna | 「あ…」 | ||
221 | だけど、違う。 | ||||
222 | 春希 | Haruki | 「雪菜の一番大切な日に、 いつも一緒にいられなくてごめん」 | ||
223 | 糾弾されるべき所を逆に感謝されたって、 どう返事していいのかわからない。 | ||||
224 | 春希 | Haruki | 「三年前の、あの日… 来られなくて、ごめん」 | ||
225 | 雪菜 | Setsuna | 「春希、くん…」 | ||
226 | 春希 | Haruki | 「絶対行くって言ったのに。 どれだけ遅くなっても、必ず顔だけは出すって…」 | ||
227 | 雪菜 | Setsuna | 「いいよ、もう。 だって今日、ちゃんとこうして償ってくれた。 あの日を、再現してくれた」 | ||
228 | あの日こそ、俺が初めて雪菜を裏切った、 一番長くて、一番酷い一日だったから。 | ||||
229 | 雪菜 | Setsuna | 「お父さんがいて、お母さんがいて、孝宏がいて」 | ||
230 | あの日の裏切りが、次々と裏切りの連鎖を呼んで、 雪菜に、辛く悲しいだけの三年間を押しつけた、 俺たちの崩壊の一歩目だったから。 | ||||
231 | 雪菜 | Setsuna | 「そして春希くん…みんなが揃って、 わたしの誕生日を祝ってくれたから」 | ||
232 | 春希 | Haruki | 「雪菜、俺…」 | ||
233 | この程度のことで、 許されるはずなんかないのに。 | ||||
234 | 春希 | Haruki | 「だって俺… あの時、俺は…」 | ||
235 | 雪菜 | Setsuna | 「…なんてね。 あの日の再現なんて、嘘」 | ||
236 | 春希 | Haruki | 「え…」 | ||
237 | 雪菜 | Setsuna | 「わたし、ずっと嘘ついてたの」 | ||
238 | 春希 | Haruki | 「それって、どういう…」 | ||
239 | あの日、嘘をついてたのは、俺なのに。 | ||||
240 | なぜか、罪の告白を始めたのは、 俺じゃなかった。 | ||||
241 | 雪菜 | Setsuna | 「三年前のあの日、ここに家族なんかいなかった。 春希くんを待ってたのは、わたし一人だった」 | ||
242 | 春希 | Haruki | 「………え?」 | ||
243 | いや、それは罪なんかじゃなく… | ||||
244 | 雪菜 | Setsuna | 「家族はみんな北海道に旅行に行っちゃってた。 友達も、誰も呼んでなかった。 …わたし一人で、あなたをずっと待ってた」 | ||
245 | 春希 | Haruki | 「せつ、な?」 | ||
246 | 雪菜 | Setsuna | 「パーティなんだから、サプライズがいるよね? だから春希くんには、家族と一緒だって嘘ついて、 で、のこのこやってきたらわたし一人でびっくり…って」 | ||
247 | それは、今となってはあまりに意味のない、 そして、今思い返せばあまりに重すぎる… | ||||
248 | 雪菜 | Setsuna | 「ううん…本当はそんなんじゃない。 ただ、覚悟ができてなかったんだ。 …春希くんに、そのことを前もって話す覚悟だけが」 | ||
249 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
250 | 待てよ、待ってくれよ… | ||||
251 | あの時俺は、『みんな一緒』だと思ってたから… | ||||
252 | だからこそ、その調和を乱すかずさに怒りを覚え、 あいつのことを追いかけたのに。 | ||||
253 | 二人きりで過ごせないのなら、 三人が一緒にいるべきだって信じて。 | ||||
254 | そして、あんなことに… | ||||
255 | 雪菜 | Setsuna | 「あ~あ、どうして喋っちゃったんだろう、わたし…」 | ||
256 | あの日俺は、雪菜と二人きりを望んでた。 雪菜を、求めてた。 | ||||
257 | 求める理由にどんな裏があろうとも、 その想いだけは誰が何と言おうと本気だった。 | ||||
258 | 雪菜 | Setsuna | 「なんでこんな… 春希くんにとっては、今さらどうでもいいのにね」 | ||
259 | もし、そのサプライズがサプライズじゃなかったら… | ||||
260 | たとえ、パーティまでの時間がどんなに余ってても、 ちょっとした気まぐれなんて起こす理由がなかった。 | ||||
261 | 一目散に雪菜の所に駆けつけて、それで、 雪菜を、力いっぱい抱きしめて… | ||||
262 | 雪菜 | Setsuna | 「ごめんなさい。 今言ったこと、忘れて。 …今日、わたしの話すこと、一言も覚えていないで」 | ||
263 | 春希 | Haruki | 「………っ」 | ||
264 | マナーモードにしていた俺の携帯が、 ポケットの中で揺れている。 | ||||
265 | けれど今は、それを手に取ることはできなかった。 できるわけが、なかった。 | ||||
266 | 麻理 | Mari | 「………」 | "........."
| |
267 | 麻理 | Mari | 「………っ!」 | ||
268 | 鈴木 | Suzuki | 「ひぃっ!?」 | ||
269 | 松岡 | Matsuoka | 「うわぁっ!?」 | ||
270 | 麻理 | Mari | 「は~…はぁぁ…はぁぁぁぁ…っ」 | ||
271 | 浜田 | Hamada | 「か、風岡? どうしたんだ一体?」 | ||
272 | 麻理 | Mari | 「………虫がいたのよ。 でも安心して。ちゃんと踏み潰したから」 | ||
273 | 浜田 | Hamada | 「そ、そう… それはよかったね…」 | ||
274 | 麻理 | Mari | 「…コーヒー買ってくる」 | ||
275 | 浜田 | Hamada | 「ご、ごゆっくり…」 | ||
276 | 浜田 | Hamada | 「っ…」 | ||
277 | 松岡 | Matsuoka | 「…虫なんかいた?」 | ||
278 | 鈴木 | Suzuki | 「麻理さんがいたって言うならいたんでしょ。 …ものすごく悪い居所に」 | ||
279 | ……… | .........
| |||
280 | 雪菜 | Setsuna | 「ごめんね」 | ||
281 | 春希 | Haruki | 「だから、今日は謝らなくていいんだって」 | ||
282 | 5度目の着信が、切れた… | ||||
283 | 雪菜 | Setsuna | 「今日まで会わなくて、ごめんね」 | ||
284 | 春希 | Haruki | 「忙しかったんだから仕方ないって」 | ||
285 | 雪菜 | Setsuna | 「そんなわけないって、気づいてるくせに」 | ||
286 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
287 | でも俺は、 今の雪菜から目を離す訳にはいかなかった。 | ||||
288 | 握ったその手を、放す訳にはいかなかった。 | ||||
289 | 雪菜 | Setsuna | 「逃げてたって… 春希くんの話を聞くのが怖くてずっと逃げてたって、 わかってるくせに」 | ||
290 | つまりそれは… 雪菜だって『わかってるくせに』だったってこと。 | ||||
291 | 雪菜 | Setsuna | 「今日なら、春希くんは『大事な話』ができない。 きっと、その優しさで飲み込んでしまう。 …そんな酷い計算があったんだよ」 | ||
292 | 俺の『大事な話』の内容を。 俺の、つけようとしていた『決着』の意味を。 | ||||
293 | 雪菜 | Setsuna | 「だからわたし、今日、春希くんに会うことにした。 一年に一度しか通用しない手ってわかってたけど、 今のわたしには、こうするしかなかったの」 | ||
294 | ちゃんとわかってるのに、 俺がはっきり口に出すまでは、 自分は何もわかってないって言ってもいい。 | ||||
295 | 雪菜は、そんな社会のルールにしがみついてる。 | ||||
296 | 雪菜 | Setsuna | 「あはは…これからは年一回しか会えないかもね。 次は来年の今日まで…織姫と彦星みたい」 | ||
297 | 春希 | Haruki | 「雪菜…」 | ||
298 | 雪菜 | Setsuna | 「一年間、ずっと彦星から逃げ続ける織姫… ふふ、みっともないね。心の底からみじめだね…っ」 | ||
299 | 春希 | Haruki | 「いいよもう… 雪菜の言う通り、今日はめでたい日だろ? そんなふうに、自分を責める日じゃないだろ?」 | ||
300 | 雪菜 | Setsuna | 「自分で春希くんを突き放しておいて、 なのにあなたが離れていこうとするのを 認められないなんて…」 | ||
301 | 春希 | Haruki | 「いいってば…」 | ||
302 | 雪菜 | Setsuna | 「そんなのないよ、最低だよ、わたし…」 | ||
303 | 違うよ。 | ||||
304 | どう考えたって、 最低なのは俺の方じゃないか… | ||||
305 | 春希 | Haruki | 「誕生日おめでとう、雪菜。 今日は、それだけでいいだろ?」 | ||
306 | なんて、そんな当然のことを言っても、 雪菜は絶対に、認めてくれないから。 | ||||
307 | 雪菜 | Setsuna | 「ごめんなさい、ごめんなさぁい… う、ぅ…うぁぁ、ぃぁぁぁぁ…っ」 | ||
308 | だったら俺は、 今日の雪菜は、本物の雪菜じゃないって… | ||||
309 | 酒が見せた哀しい幻影だって、 そう、思い込むしかない。 | ||||
310 | ……… | .........
| |||
311 | …… | ......
| |||
312 | … | ...
| |||
313 | 麻理 | Mari | 「………」 | "........."
| |
314 | 鈴木 | Suzuki | 「あの、麻理さん…」 | ||
315 | 麻理 | Mari | 「…なに?」 | ||
316 | 鈴木 | Suzuki | 「編集長から。 席まで来るようにって」 | ||
317 | 麻理 | Mari | 「そう」 | ||
318 | 鈴木 | Suzuki | 「もう帰るから、今すぐにって」 | ||
319 | 麻理 | Mari | 「…部下の都合も考えずに さっさと帰る上司ってどうなのかしらね」 | ||
320 | 鈴木 | Suzuki | 「12時ですよ? 今」 | ||
321 | 麻理 | Mari | 「そう… もう、そんな時間なんだ」 | ||
322 | 鈴木 | Suzuki | 「………」 | "........."
| |
323 | 麻理 | Mari | 「はぁ…そうか。 もう、日が変わるのか。 そっか、そっかぁ…」 | ||
324 | 鈴木 | Suzuki | 「麻理さん…」 | ||
325 | 麻理 | Mari | 「すぐ行くから安心して。 …色々と嫌な思いさせて悪かったわね」 | ||
326 | 鈴木 | Suzuki | 「いえ、それはいいんですけど… あの、もしかして」 | ||
327 | 麻理 | Mari | 「ん?」 | ||
328 | 鈴木 | Suzuki | 「麻理さん… あの話、断るつもりだったとか?」 | ||
329 | 麻理 | Mari | 「………まさか」 | ||
330 | 鈴木 | Suzuki | 「本当に、ですか?」 | ||
331 | 麻理 | Mari | 「ずっと希望を出し続けてたのは私の方だし」 | ||
332 | 鈴木 | Suzuki | 「それは…確かにそうなんですけど。 でも今の麻理さん…」 | ||
333 | 麻理 | Mari | 「そうだよ… 何を迷ってたんだ、私は。 本当に、馬鹿みたいだ」 | ||
334 | 鈴木 | Suzuki | 「………」 | "........."
| |
335 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「ごめんなさいねぇ。 こんな時間まで引き留めてしまって」 | ||
336 | 春希 | Haruki | 「いえ、こちらこそ… 夜分遅くまで失礼しました」 | ||
337 | 孝宏 | Takahiro | 「はしゃぎ過ぎなんだよ姉ちゃん… 彼氏放置で酔い潰れて寝ちまうなんて」 | ||
338 | 春希 | Haruki | 「そんなことないよ。 さっきまでずっと話をしてた。 ただ、試験終わったばかりで疲れてたんじゃないかな」 | ||
339 | 雪菜が、真っ赤に泣き腫らした目を閉じて、 静かな寝息を立て始めて、それから数十分後… | ||||
340 | 俺はようやく、絡みついていた雪菜の手をほどくと、 彼女の部屋の、そして小木曽の家の外に出た。 | ||||
341 | だって雪菜の手が、 眠って力を失うまで、強く握られていたから。 | ||||
342 | 眠って俺の手を求めなくなるまで、 放したくなかったから。 | ||||
343 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「あ、それと、これおリンゴ。 一人暮らしだとビタミン足りなくなるからね」 | ||
344 | 春希 | Haruki | 「…ありがたくいただきます」 | ||
345 | 確か、青森の親戚…だったっけ。 | ||||
346 | 一人暮らしとか、ビタミン云々とか、 三年前、雪菜も同じこと言ってたっけ。 | ||||
347 | こういうのが親子なんだって、 なんとなく頬が緩む。 | ||||
348 | 春希 | Haruki | 「それじゃ、失礼します。 おやすみなさい」 | ||
349 | 孝宏 | Takahiro | 「またね、北原さん。 今度は俺の合格祝いに呼ぶからさ」 | ||
350 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「来年の雪菜の誕生日より 早ければいいんだけどねぇ」 | ||
351 | 孝宏 | Takahiro | 「そういう親の無神経な態度が、 子供のやる気を削ぐってわかってる? もし浪人したら母さんの責任重大だぞ」 | ||
352 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「推薦取れなかったのはあんたの責任重大だけどね」 | ||
353 | 春希 | Haruki | 「………っ」 | ||
354 | 思わず笑顔と泣き顔を同時に作りそうになって、 慌てて背中を向け、歩き出す。 | ||||
355 | 閑静な住宅地の空は、 凍りついたような冷たく澄んだ空気のおかげか、 いくつもの星が煌めいていた。 | ||||
356 | 三年前のあの時は、雪だった。 ぬかるんだ心に足をとられ、つまづいた。 | ||||
357 | もう、日付は変わっていた。 もうすぐ終電もなくなろうとしていた。 | ||||
358 | でも、まだ麻理さんの出発の時刻には、 数時間の猶予がある。 | ||||
359 | 約束の時間には間に合わなかったけれど、 それどころか、数時間も遅刻してしまったけれど、 まだ今は、俺たちの、いつもの待ち合わせ時間。 | ||||
360 | 謝って、土下座して、 麻理さんの望む償いを全て受け入れ許しを請うしかない… けれどそうすれば許してもらえると思える時間。 | ||||
361 | …でも、どう話せばいいんだろう。 雪菜に別れを告げられなかった俺のことを。 | ||||
362 | 結局、何の進展もなかった。 | ||||
363 | 『大事な話』はできなかった。 『決着』をつけることもできなかった。 | ||||
364 | ただわかったのは、 雪菜が『大事な話』の内容に気づいていること。 『決着』を望んでいないこと。 | ||||
365 | そして今の俺が、胸を張って麻理さんの前に立てる 『全ての覚悟を決めた男』になっていないこと。 | ||||
366 | 春希 | Haruki | 「…あれ」 | ||
367 | 麻理さんは… | ||||
368 | 何度も、俺に連絡を取ろうと、 多分、一生懸命だったはずの麻理さんは… | ||||
369 | 今度は俺が、何度コールを鳴らしても、 通話口に出ることはなかった。 | ||||
370 | ……… | .........
| |||
371 | …… | ......
| |||
372 | … | ...
| |||
373 | 部屋番号を押して、インターフォンを鳴らしても、 けれど俺の望んだ反応は戻ってこない。 | ||||
374 | エントランスの自動ドアは、冷たく閉じられたまま、 俺がこの建物に入ろうとするのを拒絶してる。 | ||||
375 | 編集部は、珍しくもぬけの殻だった。 | ||||
376 | だから、果たして麻理さんがそこに来ていたのか、 今はどこにいるのか、教えてくれる人はいなかった。 | ||||
377 | ただ、彼女が一度は[R編集部^このばしょ]に来たんじゃないかって、 そう思わせる、ほんの僅かな痕跡が残っていた。 | ||||
378 | キャビネットが、少しへこんでいた。 ちょうど、ヒールの爪先で蹴飛ばした程度に… | ||||
379 | 出張前には、こんな傷はなかった。 | ||||
380 | 二度、三度、四度、五度… | ||||
381 | 麻理さんの部屋番号を何度押しても、スピーカーから、 俺の待ち望む不機嫌な声は聞こえてこなかった。 | ||||
382 | もしかして、空港に戻ってしまったんだろうか。 そして、近くのホテルにでも泊まって、 もう、明日の出発に備えてしまっているんだろうか。 | ||||
383 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
384 | なんて、ただ逡巡していたって始まらない、か。 | ||||
385 | 麻理さんの許可ももらってないのに、 この鍵を使うのは気が引けるけど… | ||||
386 | でも、部屋の中に誰もいないことを確かめないと。 | ||||
387 | いや、そんな義務感とか言い訳とかじゃなく。 …麻理さんを、探さないと。 | ||||
388 | 今日のうちに、会わないと。 | ||||
389 | でないと、手遅れになってしまいそうな… | ||||
390 | 何が、とか具体的には言えないけれど、 そんな、胸騒ぎがした。 | ||||
391 | ……… | .........
| |||
392 | 春希 | Haruki | 「麻理さん…?」 | ||
393 | ドアチェーンは、かかっていなかった。 | ||||
394 | 春希 | Haruki | 「麻理さん? いないんですか?」 | ||
395 | そして、部屋から灯りは漏れてこなかった。 | ||||
396 | やっぱり、ここにもいない… | ||||
397 | 春希 | Haruki | 「っ!?」 | ||
398 | と、電気のスイッチを捻った瞬間、 そこに広がる信じられない光景に、言葉を失った。 | ||||
399 | 二週間前、一緒に旅支度をして… そして、出ていく前にきちんと掃除したはずの部屋が、 今は、あの時の面影もない。 | ||||
400 | 床一面にばら蒔かれてるのは、 それこそ部屋の中にあったもの全てじゃないだろうか。 | ||||
401 | 服も、下着も、本も、小物も… | ||||
402 | それどころか、それらを収納してあったはずの 本棚やカラーボックス、ドレッサーまで。 | ||||
403 | しかもそれらは倒れ、砕け、割れ、散らばり… 足の踏み場もない… | ||||
404 | これじゃ、危険すぎて歩くことすらままならない。 | ||||
405 | 春希 | Haruki | 「麻理さん…? 麻理さん!」 | ||
406 | あまりの部屋の惨状に真っ白になっていた頭が、 だんだん思考能力を取り戻すにつれて、 今度は深刻な想像が頭をよぎる。 | ||||
407 | もしかして、空き巣…? | ||||
408 | 麻理さんが長いこと部屋を空けている隙に、 何者かが忍び込み… | ||||
409 | もしも、そんな現場に、 麻理さんが何も知らず帰ってきたとしたら…? | ||||
410 | 春希 | Haruki | 「麻理さん! 麻理さ………あ」 | ||
411 | なんて、思い描いた最悪の可能性は、 しかし幸いなことに、すぐ打ち消された。 | ||||
412 | 春希 | Haruki | 「麻理、さん…」 | ||
413 | 麻理 | Mari | 「………」 | "........."
| |
414 | 部屋の隅… | ||||
415 | キッチンのカウンターの下に膝を抱えて座り込む、 いつもより小さく見える人を見つけた瞬間。 | ||||
416 | そして、その人の外見をくまなく眺め、 身体も服も、傷を負っていなかったとわかった瞬間。 | ||||
417 | 春希 | Haruki | 「麻理さん… これは一体…?」 | ||
418 | 麻理 | Mari | 「………」 | "........."
| |
419 | 電気が点いた瞬間、 俺が来たことがわかってたはずだった。 | ||||
420 | なのに麻理さんは、多分ずっと同じ姿勢のまま、 反応すらしなかった。 | ||||
421 | 春希 | Haruki | 「立てます、か?」 | ||
422 | 麻理 | Mari | 「………」 | "........."
| |
423 | 床に散らばる陶器やガラスの破片を慎重に避け、 麻理さんのところへとたどり着き、 へたり込んだままの彼女に手を差し伸べる。 | ||||
424 | それでも麻理さんは、 やっぱり、俺の言葉など聞こえていないようだった。 | ||||
425 | つまりそれは、 この部屋の状況に、 俺と同じで頭が真っ白になっていたか… | ||||
426 | あるいは。 | ||||
427 | この部屋の状況を作り出したのが、 誰あろう、麻理さんその人だったのか。 | ||||
428 | 春希 | Haruki | 「どうしたんですか、これ…」 | ||
429 | 麻理 | Mari | 「どうして来なかったんだよ北原…」 | ||
430 | 春希 | Haruki | 「え…」 | ||
431 | 麻理 | Mari | 「8時には会えるって言ったのに、 今までなにしてたんだよ…」 | ||
432 | 春希 | Haruki | 「よかった…」 | ||
433 | 麻理 | Mari | 「何がよかっただ! これのどこがよかったんだ!?」 | ||
434 | 春希 | Haruki | 「麻理さんが、無事で…」 | ||
435 | その言葉と、その言葉を発したときの態度から、 部屋を荒らした犯人が目の前にいるってわかったから。 | ||||
436 | 麻理 | Mari | 「無事? 無事だって!? 今更のこのこやってきて何言ってるんだお前は!」 | ||
437 | 春希 | Haruki | 「すいません…」 | ||
438 | 麻理 | Mari | 「質問に対する答えがまだだ… 今までどこで何してた? 私をほったらかしにして、電話も全部無視して」 | ||
439 | 『どうしたんですか、これ…』 | ||||
440 | 先に質問をしたのは俺の方だったけど。 答えがまだなのはお互い様だったけど。 | ||||
441 | 麻理 | Mari | 「会社の金じゃないんだぞ、 自費で帰ってきたんだぞ… 今度は10万どころの騒ぎじゃなかったんだぞ…っ」 | ||
442 | 春希 | Haruki | 「はい…」 | ||
443 | 麻理 | Mari | 「お前は私にいくら貢がせれば気が済むんだよ!」 | ||
444 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
445 | 初めてのときの、診療費、薬代、エステ代。 そして今度の交通費。 | ||||
446 | 麻理さんが俺のためにつぎ込んだ費用は、 確かに尋常な額じゃなかった。 | ||||
447 | 麻理 | Mari | 「どうしてお前は、私をそんなに軽く扱うんだ… 私がもう、お前だけのものだとでも思ってるのか?」 | ||
448 | 春希 | Haruki | 「そんなこと…思ってません。 思えるわけがないです」 | ||
449 | 麻理 | Mari | 「なら答えろ! 私との約束よりも大切な用事って、一体なんなんだよ…」 | ||
450 | 春希 | Haruki | 「誕生日、でした」 | ||
451 | 麻理 | Mari | 「ぇ…」 | ||
452 | もう、『決着をつけるまで』なんて、 そんなおためごかしで隠し続けるなんてできない。 | ||||
453 | 春希 | Haruki | 「三年前のバンドのボーカルの… 冬馬じゃない、もう一人の女の子の…」 | ||
454 | そこまで俺を重く受け止めてくれる麻理さんだから、 もう、先送りはできない。 | ||||
455 | 春希 | Haruki | 「俺にとって、麻理さんと同じくらい大切な人の」 | ||
456 | たとえそれが、どんな結果を導き出したとしても。 | ||||
457 | 麻理 | Mari | 「………」 | "........."
| |
458 | 今まで話せなかった分、 一度堰を切ってしまってからは早かった。 | ||||
459 | クリスマスの夜、 過ちの夜、 そして、初めての夜… | ||||
460 | 何度も言おうとしたけれど、 けれどその時は話せなかった言葉が、 今は、流れるように口をついて出る。 | ||||
461 | 俺が最初にユニットに引き入れたのは、 こともあろうにミス峰城付属の女の子だったこと。 | ||||
462 | その人気と注目度の高さとは裏腹に、 ありえないほど気さくな彼女と、 あっという間に馴染んでいったこと。 | ||||
463 | 学園祭のステージが終わった夜… 俺が気持ちを確かめ合ったのは、 かずさじゃなく、彼女だったこと。 | ||||
464 | 泊まりがけで旅行に行った時、 かずさだけじゃなく、彼女も側にいたこと。 | ||||
465 | その頃、周囲に公認だったのは、 かずさと俺じゃなく、彼女と俺だったことも。 | ||||
466 | かずさとのことで彼女を裏切り、 それからも、ずっと沢山のことを抱え、 お互い引きずったままだってこと。 | ||||
467 | そして、あのクリスマスの夜… | ||||
468 | 麻理 | Mari | 「っ!?」 | ||
469 | 麻理さんのもとに訪れたのは、 彼女と別れた直後だったこと。 | ||||
470 | 彼女とのすれ違いが辛すぎたからこそ、 麻理さんに傾倒していったこと。 | ||||
471 | つまり、俺が麻理さんに求めていたのは、 彼女との傷に、痛みをなくすこと… | ||||
472 | 彼女がいたから。 彼女が好きだから。 | ||||
473 | だから、麻理さんのことを好きになったこと… | ||||
474 | ……… | .........
| |||
475 | 麻理 | Mari | 「は、はは…」 | ||
476 | 春希 | Haruki | 「ごめん、なさい」 | ||
477 | 俺が全てを話し終わると、 麻理さんは、笑った。 | ||||
478 | 麻理 | Mari | 「ははは…はははははっ」 | ||
479 | いつもの、心からの憧憬を抱く 頼もしい笑顔とは違う。 | ||||
480 | 麻理 | Mari | 「はははははっ、あははははは…」 | ||
481 | ベッドでふざけ合ったときの、 思わず抱きしめずにはいられない、 満たされた笑顔とも違う。 | ||||
482 | 麻理 | Mari | 「はははははははは…何だそれ?」 | ||
483 | だから、そんな適当な笑顔は、 ほんの一瞬で跡形もなく消えてしまう。 | ||||
484 | 麻理 | Mari | 「彼女とギクシャクしてたから、 元気づけてもらいたくて私を口説いたって?」 | ||
485 | 春希 | Haruki | 「最初のきっかけはそうだったかもしれません。 けど…」 | ||
486 | 麻理 | Mari | 「彼女がさせてくれないから、 ちょっと強引に行けばコロっと引っかかりそうな、 男いなそうな年上女にちょっかいかけてみたって?」 | ||
487 | 春希 | Haruki | 「麻理さん…」 | ||
488 | 『今は、それだけじゃないんです』という 言い訳めいた言葉は、 十分に余裕を持って撃ち落とされた。 | ||||
489 | 仕事の時、締め切りに間に合わなかった理由を 撃ち落とす時の、いつもの厳しい上司のように。 | ||||
490 | 麻理 | Mari | 「そんな心にもない愛の言葉に私が翻弄されるのを、 ずっと笑いをこらえて眺めてたって?」 | ||
491 | 春希 | Haruki | 「そんなこと…そんなこと俺は…」 | ||
492 | 麻理 | Mari | 「やっぱり私は代用品なんじゃないか!」 | ||
493 | 春希 | Haruki | 「っ!?」 | ||
494 | 俺の顔のすぐ横をグラスが飛び、背後の壁にぶつかると、 派手な音とともに欠片が飛び散る。 | ||||
495 | 麻理 | Mari | 「冬馬かずさに似てるって言ったのも、 似てるけどそんなこと関係ないって抱きしめたのも…」 | ||
496 | 白い壁に、ワインの赤が染みていく。 …麻理さんは、飲んでいた。 | ||||
497 | 麻理 | Mari | 「みんな、本命の彼女を隠すための カモフラージュだったんだな…っ」 | ||
498 | 春希 | Haruki | 「違います…違うんです。 最後まで話を聞いて…麻理さん」 | ||
499 | 麻理 | Mari | 「聞く耳なんか持つかぁっ!」 | ||
500 | 春希 | Haruki | 「っ…」 | ||
501 | 今度は、ワインの瓶が砕けた。 | ||||
502 | 壁の赤い染みはますます拡がり、 もう、拭っても元に戻らないほど染まってしまった。 | ||||
503 | ガラスの破片と赤ワインが床一面にばら撒かれ、 部屋中を甘いアルコールの匂いで埋め尽くす。 | ||||
504 | 麻理 | Mari | 「なんてことだ… こんな面白いサーカスは初めてだ」 | ||
505 | 春希 | Haruki | 「麻理さん…っ」 | ||
506 | 彼女の怒りは、予想通りだった。 | ||||
507 | 麻理 | Mari | 「ここまで笑わせてくれるピエロなんか見たことない。 まさしく天才芸人だよ」 | ||
508 | 春希 | Haruki | 「落ち着いて…お願いだから。 俺、本当にあなたのこと…」 | ||
509 | 麻理 | Mari | 「ただ一つの問題は… ピエロ本人が全然笑えないことだがなぁ!」 | ||
510 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
511 | けれど… | ||||
512 | 彼女の激情は、予想のはるか上を行っていた。 | ||||
513 | 麻理 | Mari | 「は、ははは…あははははっ… や~まいったまいった。 ここまでコケにされたのは生まれて初めてだ」 | ||
514 | 春希 | Haruki | 「違う…違います」 | ||
515 | 麻理 | Mari | 「何が違うって言うんだ!? 人のこと慰み物にしておいて!」 | ||
516 | 麻理さんのあまりの冷たい熱さに、 自分の犯した罪の重さを改めて思い知る。 | ||||
517 | …ほんの数時間前に感じた痛みと同じか、 それ以上の激痛が、胸に突き刺さる。 | ||||
518 | 春希 | Haruki | 「もうやめてください麻理さん… これ以上やると、部屋も、物も、あなたも傷つくから…」 | ||
519 | けど、ずっと打ちひしがれてる訳にはいかない。 | ||||
520 | 俺の思いは、確かに迷走してしまった。 いや、止まってしまっていた。 | ||||
521 | 心の行き場をなくし、近くの優しさにすがりつき、 無理やり俺に向けさせようとした。 | ||||
522 | あろうことか、そんな強引な欲望が、 彼女の果てしない優しさにより報われてしまい、 前にも後ろにも進めないまま、時間だけが過ぎていった。 | ||||
523 | 心地良い停滞に、溺れた。 | ||||
524 | 春希 | Haruki | 「傷つけるのは俺だけにしてください。 今まで一緒に暮らしてきたモノにまで当たらないで…」 | ||
525 | けれど今は、 間違いなく収束しつつあるんだから。 | ||||
526 | 時間と言葉と、情熱をかけてぶつかりあっていけば、 絶対に解決の糸口は見つかるはずだから。 | ||||
527 | だから、今なら… | ||||
528 | 麻理 | Mari | 「あ~、いいんだよ…」 | ||
529 | 春希 | Haruki | 「麻理、さん?」 | ||
530 | そんな、俺の焦燥なんか何処吹く風みたいに、 麻理さんがゆっくり立ち上がる。 | ||||
531 | 麻理 | Mari | 「もう、いらないから。 持って行かないから」 | ||
532 | 春希 | Haruki | 「持って…?」 | ||
533 | さっきまでの激しさは一瞬で覚め、 皮肉めいた口の端と、乾いた声が、 俺の背中を悪い意味で撫でる。 | ||||
534 | 麻理 | Mari | 「本当にタイミングよかったよ、北原…」 | ||
535 | 乾いた声が紡ぎ出す意味不明の言葉も、 得体の知れない不安を掻き立てていく。 | ||||
536 | 麻理 | Mari | 「私もさ、本当は少しだけ良心が咎めてたんだ。 …お前はそれを知ってて、 私の罪の意識を軽くしてくれようとしたんだな?」 | ||
537 | いや、得体の知れない、じゃない。 | ||||
538 | 麻理 | Mari | 「いやぁ、本当によく気のつく奴だ。 きっと上司の教育が良かったんだなぁ」 | ||
539 | 春希 | Haruki | 「何を…言ってるんです?」 | ||
540 | 俺は、この感覚を知っている。 いつか味わったことがある。 | ||||
541 | いつかって? それは確か… | ||||
542 | 麻理 | Mari | 「…知ってたんだろ? 私がアメリカ支局に異動するって」 | ||
543 | 春希 | Haruki | 「………………ぁ、ぁぁ」 | ||
544 | 麻理 | Mari | 「だから後腐れないように、 何もかもぶち壊してくれたんだろう? 気を使わせて悪かったなぁ、はは、ははは」 | ||
545 | 三年前の、あの時の… | ||||
546 | ……… | .........
| |||
547 | 編集長 | Editor-in-chief | 「たった半日だけ帰国してくるなんて、 相変わらず忙しないな、風岡」 | ||
548 | 麻理 | Mari | 「…お気に入りのコートを取りに来ました。 向こうは寒いので」 | ||
549 | 編集長 | Editor-in-chief | 「部屋は見つかったか?」 | ||
550 | 麻理 | Mari | 「いえ…これから探します」 | ||
551 | 編集長 | Editor-in-chief | 「そうか」 | ||
552 | 麻理 | Mari | 「………」 | "........."
| |
553 | 編集長 | Editor-in-chief | 「メールの件、正気じゃないよな?」 | ||
554 | 麻理 | Mari | 「…『本気じゃないよな』と 聞いて欲しかったんですけど」 | ||
555 | 編集長 | Editor-in-chief | 「俺は今まで、 風岡には自由にやらせてきたつもりだ」 | ||
556 | 麻理 | Mari | 「ありがとうございます。 おっしゃる通り、のびのびやらせてもらってます」 | ||
557 | 編集長 | Editor-in-chief | 「開桜グラフも、ほぼ全権を与えてるし、 お前がやりやすいように若手だけでチームを組ませた。 フォローはベテランのフリーランスに任せてな」 | ||
558 | 麻理 | Mari | 「はい」 | ||
559 | 編集長 | Editor-in-chief | 「お前が他の部の仕事に手を出しても黙認してきた。 …クレームも全部潰してきた」 | ||
560 | 麻理 | Mari | 「わかっています。 私が好き勝手に働けるのも、編集長のおかげです」 | ||
561 | 編集長 | Editor-in-chief | 「今回の出向も、 お前の希望を最大限叶えた形のものだと 思ってたんだがな」 | ||
562 | 麻理 | Mari | 「………」 | "........."
| |
563 | 編集長 | Editor-in-chief | 「風岡、俺はな… 自分の後継は、お前しかいないと思ってる。 まぁ、まだまだ先の話だが」 | ||
564 | 麻理 | Mari | 「ありがとうございます」 | ||
565 | 編集長 | Editor-in-chief | 「今回、手放すのだって苦渋の決断だった。 けれど、お前が何年も前から希望してたから…」 | ||
566 | 麻理 | Mari | 「ええ」 | ||
567 | 編集長 | Editor-in-chief | 「もし断るということになれば、 今回ばかりはさすがに庇いきれないぞ」 | ||
568 | 麻理 | Mari | 「…わかってます」 | ||
569 | 編集長 | Editor-in-chief | 「今後、俺の裁量で風岡にワガママをさせられなくなる。 グラフからは外されるかもしれん」 | ||
570 | 麻理 | Mari | 「当然だと思います」 | ||
571 | 編集長 | Editor-in-chief | 「ま、お前のことだから、 いずれは実力で這い上がっていくだろうが、 それでも今以上のスピードで上がっていくことは難しい」 | ||
572 | 麻理 | Mari | 「それも、わかってます」 | ||
573 | 編集長 | Editor-in-chief | 「それでも…いいんだな?」 | ||
574 | 麻理 | Mari | 「………」 | "........."
| |
575 | 編集長 | Editor-in-chief | 「悪いが、そんなに考える時間はない。 何しろ、もしお前が断るとなったら、 至急、代わりの要員を手配しないと…」 | ||
576 | 麻理 | Mari | 「編集長…」 | ||
577 | 編集長 | Editor-in-chief | 「ん?」 | ||
578 | 麻理 | Mari | 「覚悟しておいてくださいね」 | ||
579 | 編集長 | Editor-in-chief | 「…何をだ?」 | ||
580 | 麻理 | Mari | 「今度、私が日本に帰ってきたら、 その椅子に座ることになりますから…」 | ||
581 | ……… | .........
| |||
582 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
583 | 麻理 | Mari | 「どうやって話そうか少し悩んでたんだ… ホント、肩の荷が下りたよ」 | ||
584 | 春希 | Haruki | 「アメリカ…?」 | ||
585 | KAIOHSHA USA INC. | ||||
586 | 開桜社の出版物の翻訳、出版、ライセンス管理等、 ただ雑誌や本を作るに留まらない多岐な業務を抱える、 開桜社最大の海外拠点。 | ||||
587 | 本社、ニューヨーク… | ||||
588 | 麻理 | Mari | 「何しろ会社の人事だから断れるはずもないし、 そもそも希望通りだから断る理由もないし、 …実は結構前から決まってたし、な」 | ||
589 | 春希 | Haruki | 「最近の出張…」 | ||
590 | 麻理 | Mari | 「そう、赴任のための準備期間。 もう住むところも見つけたし、 オフィスに私の席もある」 | ||
591 | 麻理 | Mari | 『ニューヨークとかロスとか、とにかく色々回って、 帰りがけにグァムで友達と合流してそこからバカンス。 こっちに帰ってくるのは来年の5日くらい』 | ||
592 | 春希 | Haruki | 「っ…」 | ||
593 | あの時、から… | ||||
594 | 俺が、麻理さんを意識し始めた… けれど麻理さんは、まだ俺を意識していなかった、 あの、クリスマスの頃から、もう…? | ||||
595 | 麻理 | Mari | 「正式には四月からだけど、 もう実質的に向こうの仕事の方がメインになってる。 …最近、記事書いてないだろ?」 | ||
596 | 春になれば別れるしかないって知ってて、 なのに俺を、受け入れた…? | ||||
597 | 麻理 | Mari | 「ま、そんなわけだ。 今まで黙ってて悪かったな」 | ||
598 | 何を…何を… | ||||
599 | 麻理 | Mari | 「…なんて、謝るのもおかしな話だよな。 隠し事をしてたのはお互い様だしな」 | ||
600 | 何を、言ってるんだ、この人は…? | ||||
601 | 麻理 | Mari | 「あ~あ…何もかもぶちまけたら、 正直、どうでも良くなってきたよ…」 | ||
602 | 異動のことをずっと黙ったまま、 俺に抱かれた…? | ||||
603 | 麻理 | Mari | 「何怒ってたんだろうな、私も。 ほんの数日間、若い男に遊んでもらっただけなのにな。 …考えようによっては、幸運だったのにな」 | ||
604 | 俺と離ればなれになるって…俺を捨てるって… | ||||
605 | 麻理 | Mari | 「わかったよ、北原… お前の、最後の求めに応じてやる。 …これ以上ないくらい、後腐れなく別れてやるよ」 | ||
606 | 『また』俺を捨てるってわかってて… | ||||
607 | 麻理 | Mari | 「だから、出て行け。 そして、もう二度と私の前に顔を出すな」 | ||
608 | 俺と、寝たって言うのか? | ||||
609 | 麻理 | Mari | 「…早く出てけ」 | ||
610 | 俺を、俺を… | ||||
611 | 麻理 | Mari | 「出てけよ!」 | ||
612 | 俺を…裏切った? | ||||
613 | 『あの時』と、同じように? | ||||
614 | 春希 | Haruki | 「っ…」 | ||
615 | 『あいつ』と…同じように? | ||||
616 | 麻理 | Mari | 「な、なんだ…よ」 | ||
617 | 麻理さんの顔を、正面からまっすぐに見つめる。 | ||||
618 | 麻理 | Mari | 「私は出ていけと言ったんだ。 出口はあっちだ」 | ||
619 | ワインにほんのり染まった頬と同じ色の瞳が、 俺から逸れていった。 | ||||
620 | 麻理 | Mari | 「あっちだって言ってるだろう!?」 | ||
621 | 右手は出口を指差しながら、 左手で必死に目をこすり続ける。 | ||||
622 | 麻理 | Mari | 「ち、近寄るな! 私の側に来ようとするな! い…今の私の顔を見るなぁっ!」 | ||
623 | 手の下に覆われた顔は、薄い化粧が崩れ、 目尻から頬骨にかけて、 はっきりと水の流れた筋ができてしまっている。 | ||||
624 | いくら隠したところで、 そんな涙の跡、もうとっくに見つけてる。 | ||||
625 | 春希 | Haruki | 「麻理さ…」 | ||
626 | 麻理 | Mari | 「近寄るなって言っただろ!」 | ||
627 | いつの間にか、麻理さんの手の届く範囲にまで 近づいていた。 | ||||
628 | 俺の手が、麻理さんを抱きしめられるところにまで… | ||||
629 | 春希 | Haruki | 「麻理さん、俺…」 | ||
630 | 麻理 | Mari | 「何度言えばわかるんだ!」 | ||
631 | 春希 | Haruki | 「俺、は…」 | ||
632 | 麻理 | Mari | 「いい加減にしろ! なに考えてるんだお前は!?」 | ||
633 | 春希 | Haruki | 「それは、それは… こっちの、台詞ですよ…っ」 | ||
634 | 麻理 | Mari | 「な、に…?」 | ||
635 | 四発目は、直前で止まった。 俺が、止めた。 | ||||
636 | 春希 | Haruki | 「どうして…」 | ||
637 | 麻理 | Mari | 「北原…?」 | ||
638 | その手を払いのけ、 両手で、今度は麻理さんの肩をがっちりと掴む。 | ||||
639 | 春希 | Haruki | 「どうして… 俺の前からいなくなろうとするんですか…っ!」 | ||
640 | 麻理 | Mari | 「え…え?」 | ||
641 | 麻理さんの目が、今度は戸惑いに揺れる。 | ||||
642 | 春希 | Haruki | 「どうして俺に一言の相談もなく? どうして、どうして…っ」 | ||
643 | 麻理 | Mari | 「何、を」 | ||
644 | けれど俺には今、麻理さんが見えていない。 だから、触れて確かめるしかない。 | ||||
645 | 春希 | Haruki | 「俺ってその程度なんですか? あなたにとって、そんなもんだったんですか!?」 | ||
646 | 麻理 | Mari | 「何を、言ってる…」 | ||
647 | 体が寒い。 まるで屋外にいるかのように。 | ||||
648 | まるで、雪が降っているかのように。 | ||||
649 | 春希 | Haruki | 「答えて…っ!」 | ||
650 | 麻理 | Mari | 「っ…」 | ||
651 | だから俺は…麻理さんを抱きしめる。 | ||||
652 | どこへも逃げていかないように。 彼女の温かさを全て感じられるように。 | ||||
653 | 春希 | Haruki | 「っ…ぅ、ぅぅ…っ」 | ||
654 | 麻理 | Mari | 「なんなんだ… 何、してるんだ、北原…」 | ||
655 | 春希 | Haruki | 「ま、麻理さん… ぃ、ぃぅ…ぅ、ぅぅ…く、ぁ…っ」 | ||
656 | 酷いことしてるって、わかってる。 | ||||
657 | 麻理 | Mari | 「お前が私を騙してたんだろう? お前が私を捨てようとしてたんだろう?」 | ||
658 | 春希 | Haruki | 「ぁ、ぅぁ…ぅ、ぅぅ…ぃ、ぅぅ…」 | ||
659 | そして多分… これからもっと酷いことをするってことも。 | ||||
660 | 麻理 | Mari | 「惑わせて、弄んで、犯して… 身体にも心にもお前を刻みつけておいて… なのに、逃げるんだろう?」 | ||
661 | 春希 | Haruki | 「ぃ…嫌、だ… そんなの…ぅ、ぅぅ…」 | ||
662 | けれど、止まらない。 | ||||
663 | 麻理 | Mari | 「なのに、なのに…」 | ||
664 | 春希 | Haruki | 「ぅぁぁぁぁ…ぁ、ぁぃぁぁぁ…っ」 | ||
665 | 抱きしめる腕に、ますます力がこもる。 もう離さないとばかりに、全身を縛りつける。 | ||||
666 | 麻理 | Mari | 「どうして…お前が泣くんだよ」 | ||
667 | 麻理さんは… | ||||
668 | 俺を罵倒しながらも、 その腕を振りほどこうとする努力さえしなかった。 | ||||
669 | ……… | .........
| |||
670 | 麻理 | Mari | 「………」 | "........."
| |
671 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
672 | 麻理 | Mari | 「帰れよ」 | ||
673 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
674 | 麻理 | Mari | 「彼女のところに、帰れって言ってるんだ」 | ||
675 | 春希 | Haruki | 「部屋…片づけないと」 | ||
676 | 麻理 | Mari | 「ふん…」 | ||
677 | 終わったあと、麻理さんを安全地帯に… つまり俺たちが抱き合っていた場所に座らせて、 俺は黙々とガラスの破片を拾う。 | ||||
678 | 部屋の全ての電灯をつけて、反射してる光を逃さず、 ベッドの下まで舐めるように探す。 | ||||
679 | これが終わったら、今度はワインの始末。 壁と床を雑巾で拭き取り、洗剤で汚れと匂いを消す。 | ||||
680 | その次は、散らかった家財道具の整理。 服や、本屋、小物を元あった場所へと… | ||||
681 | 麻理 | Mari | 「そんなに綺麗にする必要はない。 どうせ私はもうすぐこの部屋から出て行くんだから」 | ||
682 | 春希 | Haruki | 「っ…」 | ||
683 | そんな俺の現実逃避を、 麻理さんはしっかり見破っていた。 | ||||
684 | 麻理 | Mari | 「アメリカに、行くんだから…」 | ||
685 | 春希 | Haruki | 「麻理さん…」 | ||
686 | ぼうっと床に座ったまま、 終わったあとの乱れた服装のまま。 | ||||
687 | 下着も着けず、 なかから溢れ出る俺の精液も床に零れるまま… | ||||
688 | けれど瞳だけは、強く暗い光をたたえ、 ずっと目をそらしたままの俺を射抜く。 | ||||
689 | 麻理 | Mari | 「仕事は私を裏切らない。 ずっと私だけを愛してくれる。 …お前とは違う」 | ||
690 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
691 | 俺の裏切りを、糾弾する。 | ||||
692 | 麻理 | Mari | 「私は私の道を行く。 だからお前も自分の道を行け」 | ||
693 | 俺の、道… | ||||
694 | 何かを信じてる訳じゃない。 | ||||
695 | ただ、雪菜から逃げ、麻理さんも追えず、 来た方向すらわからないまま闇の中を進む道…? | ||||
696 | 麻理 | Mari | 「じゃあな、北原。 私はお前が…お前のこと…」 | ||
697 | 春希 | Haruki | 「俺の…こと?」 | ||
698 | 麻理 | Mari | 「………ま、ちょっとだけ幸せだったよ。 それだけは認めてやる」 | ||
699 | そんなあやふやな道の先に、 俺の求める未来なんて、あるのかな… |
Script Chart
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Introductory Chapter | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
1001 | 1008 | 1009 | 1010 | 1011 | 1012 | 1013 |
1002 | 1008_020 | 1009_020 | 1010_020 | 1011_020 | 1012_020 | |
1003 | 1008_030 | 1009_030 | 1010_030 | 1011_030 | 1012_030 | |
1004 | 1008_040 | 1010_040 | 1012_030_2 | |||
1005 | 1008_050 | 1010_050 | ||||
1006 | 1010_060 | |||||
1006_2 | 1010_070 | |||||
1007 |
Closing Chapter | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
Common | Setsuna | Koharu | Chiaki | Mari | ||||||
2001 | 2011 | 2020 | 2027 | 2301 | 2309 | 2316 | 2401 | 2408 | 2501 | 2510 |
2002 | 2012 | 2021 | 2028 | 2302 | 2310 | 2317 | 2402 | 2409 | 2502 | 2511 |
2003 | 2013 | 2022 | 2029 | 2303 | 2311 | 2318 | 2403 | 2410 | 2503 | 2512 |
2004 | 2014 | 2023 | 2030 | 2304 | 2312 | 2319 | 2404 | 2411 | 2504 | 2513 |
2005 | 2015 | 2024 | 2031 | 2305 | 2313 | 2320 | 2405 | 2412 | 2505 | 2514 |
2006 | 2016 | 2025 | 2032 | 2306 | 2314 | 2321 | 2406 | 2413 | 2506 | 2515 |
2007 | 2017 | 2026 | 2033 | 2307 | 2315 | 2322 | 2407 | 2507 | 2516 | |
2008 | 2018 | 2308 | 2508 | 2517 | ||||||
2009 | 2019 | 2509 | ||||||||
2010 | ||||||||||
Setsuna | Koharu | Chiaki | Mari | |||||||
2031_2 | 2312_2 | 2401_2 | 2504_2 | 2511_2 | ||||||
2031_3 | 2313_2 | 2402_2 | 2507_2 | 2513_2 | ||||||
2031_4 | 2313_3 | 2402_3 |
Coda | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
Common | Kazusa (True) | Setsuna (True) | Kazusa (Normal) | ||||||
3001 | 3008 | 3014_2 | 3020 | 3101 | 3107 | 3201 | 3207 | 3901 | 3907 |
3002 | 3009 | 3014_3 | 3021 | 3102 | 3108 | 3202 | 3208 | 3902 | 3908 |
3003 | 3010 | 3015 | 3022 | 3103 | 3109 | 3203 | 3209 | 3903 | 3909 |
3004 | 3011 | 3016 | 3023 | 3104 | 3110 | 3204 | 3210 | 3904 | |
3005 | 3012 | 3017 | 3024 | 3105 | 3111 | 3205 | 3211 | 3905 | |
3006 | 3013 | 3018 | 3106 | 3206 | 3906 | ||||
3007 | 3014 | 3019 | |||||||
Common | Setsuna (True) | Kazusa (Normal) | |||||||
3001_2 | 3210_2 | 3901_2 | 3906_2 | ||||||
3015_2 | 3902_2 | 3907_2 | |||||||
3902_3 | 3907_3 | ||||||||
3904_2 |
Mini After Story and Extra Episode | |||
---|---|---|---|
The Path Back to Happiness | The Path Forward to Happiness | Dear Mortal Enemy | |
6001 | 6101 | 4000 | 4005 |
6002 | 6102 | 4001 | 4006 |
6003 | 6103 | 4002 | 4007 |
6004 | 6104 | 4003 | 4008 |
6005 | 4004 | 4009 |
Novels | |||||
---|---|---|---|---|---|
The Snow Melts, And Until The Snow Falls | The Idol Who Forgot How to Sing | Twinkle Snow ~Reverie~ | After the Festival ~Setsuna's Thirty Minutes~ | His God, Her Savior | |
5000 | 5100 | 5200 | 5205 | 5300 | 5400 |
5001 | 5101 | 5201 | 5206 | 5301 | 5401 |
5002 | 5102 | 5202 | 5207 | 5302 | |
5003 | 5103 | 5203 | 5208 | 5303 | |
5004 | 5104 | 5204 | 5209 |
Short Stories | |||
---|---|---|---|
Princess Setsuna's Distress and Her Minister's Sinister Plan | Koharu Climate After the Passing of the Typhoon | This isn't the Season for White Album | Todokanai Koi, Todoita |
7000 | 7100 | 7200 | 7300 |