White Album 2/Script/3110

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1			三月半ば…
2			世間では、そろそろ降るのは雪ではなく、 桜の花びらへと変わっていっていた。
3			そう、もう雪は降らない。 …俺たちの分岐点を、あの時過ぎてしまったから。
4			………	.........
5	曜子	Youko	「寂しい、門出ね」
6			確かにそれは、 伝説を巻き起こしたピアニストの帰国にしては、 寂しい門出だった。
7	春希	Haruki	「あなたが仕組んだことじゃないですか。 …おかげで余計なことに煩わされずに済みますけど」
8			二月最後の日の、冬馬かずさの追加公演は、 大成功という表現では生温いくらいの絶賛を受けた。
9			そして、その騒動に拍車を掛けるように、 数日前、冬馬曜子オフィスは更なる電撃発表を行った。
10			『冬馬曜子　日本永住』と…
11			その発表は、コンサートの熱冷めやらぬマスコミに、 絶大なる“誤解”を与えることに成功した。
12			スポーツ紙や大衆週刊誌はこぞって 『冬馬かずさ　今後は日本を拠点に活動』と報道し、 誤解はとうとう世間にまで浸透した。
13			その流れは、コンサートのブルーレイ発売発表と絡み、 日本に、新たな冬馬家ブームを巻き起こした。
14			…それがただ、 冬馬かずさがこうして秘密裏に日本を去るための カモフラージュだったとは、一体誰が想像するだろう。
15			そして彼女が、 もう二度と帰国する意志がないということも、誰が…
16	曜子	Youko	「寂しいって言ったのは、 あの子のことじゃない。 …あなたの、門出のことよ」
17	春希	Haruki	「そんなの…当たり前じゃないですか」
18	曜子	Youko	「………」	"........."
19			曜子さんにまんまと騙されたマスコミは、 冬馬かずさ出国の日にも関わらず、 この広い空港に、一人も現れなかった。
20			だから、今日、俺たちを見送ってくれたのは、 曜子さんと、そして…
21			以上、一名。
22	春希	Haruki	「…誰も、来る訳ないじゃないですか」
23			平日の昼間に、職場の人たちが来てくれる訳がない。 …たとえ休日だとしても、保証なんかない。
24			友人たちだって、皆仕事を抱えてる。 ……もちろん、それだけが理由じゃないのはわかってる。
25			そして、家族や、それに近しい人たち。
26			………そんな人たちは、もう、いない。
27	曜子	Youko	「ごめんなさい…」
28	春希	Haruki	「…何のことですか」
29	曜子	Youko	「あなたの人生をめちゃくちゃに壊してしまって。 取り返しのつかない道を選ばせてしまって」
30	春希	Haruki	「いいんですよ…曜子さん」
31	曜子	Youko	「ギター君…」
32	春希	Haruki	「あいつが俺の側にいることで 幸せになってくれるなら。 隣にいるときだけでも笑ってくれるなら…」
33	曜子	Youko	「でも…あ」
34			曜子さんは、それでもまだ何か言いたそうだったけど、 俺がそれを制した理由を悟り、口を閉ざした。
35			カウンターから、あいつがこっちに戻ってきたから。
36	かずさ	Kazusa	「済ませてきた…搭乗手続き」
37	春希	Haruki	「そか。 それじゃ、行くか」
38			全ての準備が整ったところで、 俺は、伸びをするようにゆっくりと立ち上がる。
39			後は、飛行機に乗るだけ。
40			…この国を離れる手続きは、 残すところ、その一つだけになってしまった。
41	春希	Haruki	「今日は、お見送りありがとうございました。 …行ってきます」
42	曜子	Youko	「かずさを…任せたわよ」
43	かずさ	Kazusa	「なっ…」
44	春希	Haruki	「死力を尽くします。 …お母さん」
45	曜子	Youko	「よろしくね…春希君」
46			家族や、それに近しい人たち… そうだ、いなくなってなんかなかった。
47			だってここに、一人増えたんだから。 新しい家族が。
48			たとえ、今日限りの家族でも。 もう二度と会えないかもしれなくても。
49	かずさ	Kazusa	「は、春希…っ、 母さんも、ちょっとぉ」
50	春希	Haruki	「かずさ」
51	かずさ	Kazusa	「え…」
52	春希	Haruki	「俺、ゲートのところで待ってるから。 だから…遠慮なく甘えてから来い」
53			それでも俺たちは、二人だけじゃない幸せを噛みしめる。 世界が、ほんの少し大きくなった嬉しさを。
54			………	.........
55	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
56	曜子	Youko	「………」	"........."
57	かずさ	Kazusa	「今日はどう？　体調」
58	曜子	Youko	「絶好調ね。 春から幸先がいいわ。 四月から社長業に復帰するつもり」
59	かずさ	Kazusa	「…無茶、するなよ？」
60	曜子	Youko	「ま、ほどほどに生きるつもり」
61	かずさ	Kazusa	「薬、ちゃんと飲むんだぞ？ 定期的に診察受けるんだぞ？ 医者の言うこと、ちゃんと聞けよ？」
62	曜子	Youko	「…彼みたいなこと言うのね」
63	かずさ	Kazusa	「ウィーンの事務所の方は任せといて。 あたしは役に立たないけど、 春希が何もかもやってくれるから」
64	曜子	Youko	「あなたには最初から期待してないし、 彼には最初から心配してないわ」
65	かずさ	Kazusa	「ピアノ、続けるから。 …それで罪滅ぼしになる訳じゃないけど」
66	曜子	Youko	「贖罪のための演奏なんてつまんない。 やるならとことん色っぽく楽しみなさい。 …そうやって彼を幸せにしてあげなさい」
67	かずさ	Kazusa	「また、あたしのピアノ聴いてくれよ？」
68	曜子	Youko	「ええ、もちろん。 だからあなたは、どんどんＣＤ出しなさい」
69	かずさ	Kazusa	「………元気になったら、ウィーンに戻ってきてよ。 そしたら、目の前で聴かせるから」
70	曜子	Youko	「…そうね、それもいいわね」
71	かずさ	Kazusa	「絶対だぞ、約束だぞ。 あたし、一晩中でも、一週間でも弾くからな。 母さんの望む曲、全部弾いてみせるからな」
72	曜子	Youko	「夢のような話ね… わかった、その日まで生き長らえるわ」
73	かずさ	Kazusa	「あと、あと… ええと、その…」
74	曜子	Youko	「………」	"........."
75	かずさ	Kazusa	「だから、要するに… あ、あたしの言いたいことは…っ」
76	曜子	Youko	「………かずさ」
77	かずさ	Kazusa	「っ！ 母さん…ごめんなっ」
78	曜子	Youko	「娘の幸せを喜ばない母親はいない」
79	かずさ	Kazusa	「見捨てて、ごめんっ、 一緒にいられなくて、ごめんなさいっ！ ぅ、ぅぅ…ぁ」
80	曜子	Youko	「いいってば…お互いさま。 遠くの空の下でも、幸せに生きてくれればいい」
81	かずさ	Kazusa	「母さん…母さぁん…っ」
82	曜子	Youko	「吉報、待ってるわよ？」
83	かずさ	Kazusa	「コンサート？ コンクール？」
84	曜子	Youko	「…孫の顔、でもいいわよ？」
85	かずさ	Kazusa	「っ… ぁ、ぁは…あはは… う、うぅ…ぅぇぇ…っ」
86			………	.........
87	春希	Haruki	「………」	"........."
88	かずさ	Kazusa	「外、そんなに珍しいか？」
89	春希	Haruki	「別に… ただ、ぼうっとしてただけだよ」
90			飛行機の窓からは、殺風景な景色が広がる。
91			今までも何度か見た空港の風景。 …日本最後の景色としては、 少しばかり物足りなさを感じないでもない。
92	かずさ	Kazusa	「後悔、してるんだろ？ もう、この国の景色、見られなくなるかもしれないこと」
93	春希	Haruki	「してるよ。 何度同じ事を悔やんだか、もう数え切れない」
94	かずさ	Kazusa	「っ…ご、ごめん。 そんなの、あたしが聞いてどうすんだよ、なぁ？」
95	春希	Haruki	「………」	"........."
96	かずさ	Kazusa	「あたし、けど…それでもお前が… どうしても、お前が、欲しくって…さ」
97	春希	Haruki	「それでも、さ…」
98	かずさ	Kazusa	「え…」
99	春希	Haruki	「お前の、そういう言葉を聞けるなら、 何度後悔しても、いいかなって」
100	かずさ	Kazusa	「…今の、わざとかよ？ あたしにそういうこと言わせるために？」
101	春希	Haruki	「さあ、な」
102	かずさ	Kazusa	「…なんだよ、それ」
103			そうだ… 後悔なんか、何度してもいい。 どれだけ、思い出したっていいんだ。
104			だって俺は、雪菜を忘れたくない。 一生、忘れられる訳なんかないんだから。
105	春希	Haruki	「………」	"........."
106			窓の外の殺風景な景色が、 ゆっくりと動き出す。
107			この小さな島国から、 俺たちを、排除するために。
108			さよなら、雪菜…
109			この国は、雪菜の国だ。 そしてもう、俺の国じゃない。
110			だから二度と戻らない。
111			さよなら、永遠にさようなら、雪菜…
112			俺は、かずさの国へ行くよ。
113	春希	Haruki	「………あ」
114	かずさ	Kazusa	「…どうした？」
115	春希	Haruki	「忘れ物…」
116	かずさ	Kazusa	「え…でも」
117			飛行機が、徐々にスピードを上げて、 滑走路を滑り始めた。
118			搭乗したときに、とっくに手遅れだったけど、 もう、何をしても後戻りは効かなくなった。
119	春希	Haruki	「ああ…いいんだ。 捨て忘れた、だけだから」
120	かずさ	Kazusa	「そう…なのか？」
121			そして、俺の思い出した忘れ物も、 本当に些細で、取りに戻る必要のないもので。
122			荷物を運び出し、鍵を返したとき、 それだけは捨てるつもりで手に持っていたのを、 業者に渡し忘れていただけ。
123			多分今ごろは管理会社が見つけて、 ちょっと迷惑そうな態度で、適当に処分してるはず。
124	春希	Haruki	「いいんだよ…」
125			ちっぽけな、ギター一本…
126	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
127			だってもう、二度と弾かないから。 ギター君じゃ、ないから。
128			それだけは、かずさに求められても、 もう二度と手に取らないって決めたから。
129			雪菜に…捧げたものだから。
130	春希	Haruki	「………」	"........."
131			今までの雪菜の五年間と引き替えるには、 あまりにもちっぽけで、笑ってしまうくらい不釣り合いな、 下手くそな腕だったけど。
132			でも、雪菜はいつも喜んでくれた。
133			俺の拙いギターを、電話口で、目の前で、俺の肩で、 いつも噛みしめるように、堪能してくれた。
134	春希	Haruki	「………っ」
135			だから、これだけは… 本当に、これだけは…
136			雪菜との別れとともに、 俺の中で、永遠に眠らせて…
137	かずさ	Kazusa	「春希…」
138	春希	Haruki	「っ！？」
139			かずさの優しい声と温かい息が耳にかかり、 そして、目元に柔らかい布が押しつけられる。
140			その瞬間、気づいた。 …また、泣いていたことに。
141	春希	Haruki	「ぁ、ぁ…ぁれ？」
142	かずさ	Kazusa	「いいよ…隠さなくても」
143			ひょっとして、俺がずっと窓の外を向いていたのは、 自分でも気づかないうちに隠していたからなんだろうか。
144			だって、門出の涙じゃないから。 前向きな気持ちで流れたものじゃなかったから。
145	春希	Haruki	「違う…これ、は」
146	かずさ	Kazusa	「違わない。 それは、違わないんだよ」
147	春希	Haruki	「っ…ぁ、ぁぁ…ぁ」
148			だから… かずさにだけは、見せてはいけないものだって…
149	かずさ	Kazusa	「自分を責めてもいい。泣いてもいい。 後悔なんて、何度でもすればいいから」
150	春希	Haruki	「かずさ…ぁ」
151	かずさ	Kazusa	「だけど忘れるな… それはお前のせいじゃない」
152			かずさが、シートベルトに締めつけられた身体をよじり、 必死に俺の頬へと手を伸ばす。
153			抱きしめたいけれど、抱きしめられない…
154			そんなもどかしさが、 冷たくて硬い指先の震えから伝わってくる。
155	かずさ	Kazusa	「なぁ、春希、聞いてくれ…」
156			だからかずさは、言葉を紡ぐ。
157			本当は苦手なくせに。 俺を説得するなんて十年早いのに。
158	かずさ	Kazusa	「あたしはこの国で、三つの罪を犯した」
159	かずさ	Kazusa	「ひねくれ者のあたしと初めて親友になろうとしてくれた、 一度は確かに親友だった、大好きなあのコを、 世界で一番不幸な女の子にしてしまった罪」
160	かずさ	Kazusa	「ひねくれ者のあたしに初めて素直な気持ちをくれた、 あたしを素直な女の子にしてくれた、ずっとずっと 愛してたあなたを、世界で一番の罪人にしてしまった罪」
161	かずさ	Kazusa	「そして、そしてさ…」
162	かずさ	Kazusa	「こんなひねくれ者で、何もできなくて、 人を恨んだり妬んだりしかできない、大嫌いな女の子を、 世界で一番の幸せ者にしてしまった………重罪」
163	春希	Haruki	「かずさ…ぁ」
164			なのに今、ない知恵を絞って、 一世一代の大演説をぶち上げようとする。
165	かずさ	Kazusa	「そうさ、あたし今、世界一幸せだ…」
166			すべってるけど、 説得力なんかないけど。
167	かずさ	Kazusa	「みんなを不幸にして手に入れた幸せだけど、 それでも、心の底から浸ってる」
168			でも、かずさの真心が、 こんなにも心に染みる。
169	かずさ	Kazusa	「なぁ、春希…」
170	春希	Haruki	「ぅ、ぁ、ぁ…ぁぁぁ…」
171	かずさ	Kazusa	「あたしの今の悲しみや、辛さや、後ろめたさは、 どんな嬉しさや、楽しさや、前向きな気持ちでも 絶対に和らげることはできない」
172	かずさ	Kazusa	「けど、けどね、それはね…」
173	かずさ	Kazusa	「今のこの幸福感は、 どんな悲しみや、辛さや、後ろめたさでも 絶対に消すことはできないってことなんだよ」
174	春希	Haruki	「ぃ、ぅ…ぅ、ぅぅ…ぁ」
175	かずさ	Kazusa	「幸せだ、あたし幸せだよ、春希」
176	春希	Haruki	「かず、さ…っ」
177	かずさ	Kazusa	「やっと、お前の胸の中に帰ってこれたことが。 お前があたしのもとに帰ってきてくれたことが」
178	かずさ	Kazusa	「それが、こんなにも… この世に生を受けてから、一番幸せなんだよ」
179	春希	Haruki	「ぅぁぁぁぁ…ぁ、ぁぁ…っ、 ぃっ、ぅぁ、ぁぁ…か、かずさ…ぁっ」
180			かずさの言葉が、 俺をかずさへのいとおしさで溢れさせていく。
181			けれどそれは、 雪菜への想いを打ち消してくれるものじゃなくて…
182			三人でいた…
183			あの、危ういバランスの中で、 けれど最高に楽しくて、ドキドキした、 たった数日間の記憶を鮮明に思い出させる。
184			雪菜への気持ちまでも、 溢れさせていく。
185	春希	Haruki	「ぅ、ぅぁぁぁ…ああああっ… ひっ、あ、く…ひぐっ、ぐ、うぁぁ…」
186	かずさ	Kazusa	「春希…春希…っ、 ごめんな」
187			もう、止まらない。
188			かずさへの、溢れる気持ちが。 一生消えることのない甘みが。
189			雪菜への、溢れる気持ちが。 一生癒えることのない痛みが。
190	かずさ	Kazusa	「そして…ありがとう」
191	春希	Haruki	「ぁぁぁぁぁ…ぁ、く、ぁぁぁ…っ、 は、はぁ、はぁぁぁぁ…い、あ、あぁぁぁぁっ」
192			でも、片方だけは、これが最後だ。
193			でも、これが最後だ。 もう、絶対に最後だ。
194			次に陸を踏んだとき、 俺はもう、昔の恋人を想って泣きむせぶ、 弱い北原春希じゃなくなる。
195			まだ見ぬ地で、今の恋人を命がけで護り抜く、 そんな強い男になっているんだから。

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