White Album 2/Script/3209

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	Speaker		Text		Comment
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1	男性スタッフ	Male Staff	「おはようございま～…って、あれ、先客だ」
2	女性スタッフ	Female Staff	「え～、でも確かにこっち１５時からって」
3	ディレクター	Director	「前が押してんのかな。 それより何でブースの中に寝袋が？」
4	女性スタッフ	Female Staff	「床にはレジャーシートが…」
5	男性スタッフ	Male Staff	「さっき休憩室に カセットコンロが置いてあるの見ましたよ」
6	ディレクター	Director	「消防法に引っかかるだろ、おい」
7	雪菜	Setsuna	「おはようございます～！ ごめんなさいもういらしてたんですね。 ちょっと後片づけしてて」
8	男性スタッフ	Male Staff	「あ、おはようございま～す」
9	女性スタッフ	Female Staff	「おはよございま～す」
10	ディレクター	Director	「小木曽ちゃん、どうなってんの今日の現場？」
11	雪菜	Setsuna	「あ、すいません山口さん。 日曜なのに急に予定入れちゃって… 何しろもう収録本番まで日がなくて」
12	ディレクター	Director	「いや、それはいいんだけどね… ここ、雰囲気がなんか変じゃない？」
13	雪菜	Setsuna	「そうですか？ でも、皆さんもよく使われますよね？　ここ」
14	ディレクター	Director	「先客は全然出ていく気配がないし。 …というかますます熱が入ってきてるような」
15	男性スタッフ	Male Staff	「いつからいるんだってくらいに お泊まり装備が充実してるし」
16	女性スタッフ	Female Staff	「それと、ほのかに漂うカレーの香り…」
17	雪菜	Setsuna	「あ～、実は彼女が…というか他数名も含めて 今回担当するアーティストさんなんですけど…」
18	ディレクター	Director	「え、でもあれどう聴いてもクラシックだろ？ それだと、俺たちの担当じゃ…」
19	女性スタッフ	Female Staff	「…？」
20	雪菜	Setsuna	「ええ、確かに今弾いてるのはそうなんですけど、 ピアノソロの収録はまた別のスタッフを呼んでまして…」
21	ディレクター	Director	「…ええと、やっぱりよくわかんないな。 最初からわかるように説明してくんない？」
22	雪菜	Setsuna	「ええ、ですからまず打ち合わせを…」
23	女性スタッフ	Female Staff	「っ、あ～！ 冬馬かずさ！」
24	ディレクター	Director	「へ…？」
25	男性スタッフ	Male Staff	「え？　嘘？　ん～？ ………あ本当だ」
26	雪菜	Setsuna	「ええ、まぁ… そういうことなんですけど」
27	ディレクター	Director	「あ～、あれ？ あの、この前来日した…冬馬曜子の娘？ なに、今度の仕事って彼女の収録？」
28	男性スタッフ	Male Staff	「あ～、言ってた言ってた。 雑誌の付録でミニアルバム作るって」
29	女性スタッフ	Female Staff	「それアルバムのおまけに雑誌が付くようなものじゃ？」
30	雪菜	Setsuna	「…すいませんそれ開桜社の担当には 言わないでくださいね」
31	男性スタッフ	Male Staff	「今、下手な芸能人より話題になってるでしょ彼女？ これまで営業がどれだけ声かけても反応しなかったのに、 それが突然向こうから売り込んできたって…」
32	ディレクター	Director	「実はそれ取ってきたの小木曽ちゃんってことかよ？ 営業立つ瀬ないなぁ…」
33	雪菜	Setsuna	「いえ、その………すいません」
34	女性スタッフ	Female Staff	「わ～、でもやっぱマジ綺麗… 普通に芸能人って言っても通用するよ」
35	ディレクター	Director	「まぁウチの広報も負けちゃいないのが厄介だけどな」
36	雪菜	Setsuna	「こ、こほん！ さてと、それじゃ打ち合わせ始めていいですか？ 色々ややこしいので順を追って説明します」
37	男性スタッフ	Male Staff	「あ、じゃあ彼女呼んできましょうか？」
38	雪菜	Setsuna	「ああ、いいです。 そこはわたしが代理を務めますから」
39	ディレクター	Director	「いや、でも… せっかくアーティストさんが目の前にいるんだから、 顔合わせくらいは…」
40	雪菜	Setsuna	「ごめんなさい。 彼女、結構人見知りするタイプでして。 それに…」
41	ディレクター	Director	「それに、何？」
42	雪菜	Setsuna	「今回のアーティストなら、ここにもいますから」
43			………	.........
44	かずさ	Kazusa	「ほら外した」
45	春希	Haruki	「わ、わかってる」
46	かずさ	Kazusa	「あ～あ、今度は ずれてくずれてく」
47	春希	Haruki	「そ、そっちが段々速くなってるんじゃ…」
48	かずさ	Kazusa	「腕前も言い訳も昔と変わってないな春希。 ほんっと、才能ないよお前」
49	春希	Haruki	「………」	"........."
50	かずさ	Kazusa	「なんだよ？ 本当のこと言われて怒ったか？」
51	春希	Haruki	「…かずさ」
52	かずさ	Kazusa	「ん～？」
53	春希	Haruki	「…もう一度、最初から」
54	かずさ	Kazusa	「はいはい、何度でも」
55			胸に染み入るほどの強烈なデジャヴに、 一瞬、指先が止まってしまった。
56			かずさの『昔と変わってない』って言葉を聞かなければ、 もしかしたら“冬馬”と呼びかけていたかもしれない。
57	かずさ	Kazusa	「お前、ブランクでまた下手になったなぁ」
58	春希	Haruki	「もうやめたはずだったんだよ…」
59	かずさ	Kazusa	「素人だってもっと上手く弾くぞ。 少なくとも初めて聴いたお前の音の方が上だった」
60	春希	Haruki	[F16「その素人以下のギターでわんわん泣いてた奴が…」]
61	かずさ	Kazusa	「さっさと弾けと言ったら弾け！ 余計なこと言ってる暇があったら指を動かせ！」
62	春希	Haruki	「わかってるって…」
63			聞こえたんだな… さすがはプロのピアニストの耳。
64	かずさ	Kazusa	「あと５日で ある程度聴けるようにしなくちゃならないんだ。 もう時間ないんだからな」
65	春希	Haruki	「そうだよ、時間ないんだよ。 なのに、どうしてこんな無茶言い出すんだよ」
66	かずさ	Kazusa	「無茶って？」
67	春希	Haruki	「三人の曲を…ミニアルバムに収録するなんて しかも新曲だなんて」
68	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
69			戦う前から勝利条件がものすごく厳しいことはわかってた。
70			けれど、かずさ自身に更にそのハードルを上げられるとは、 さすがに予測していなかったりして…
71	春希	Haruki	「お前一人でも危険な綱渡りだったのに、 俺と雪菜を乗せて自転車で渡ろうなんて、何考えて…」
72	かずさ	Kazusa	「あたしと一緒に舞台に上がるの、嫌か…？」
73			かずさが提示した、アルバムの収録候補曲。
74			そのリストの最後に書かれていた曲名は… いや、それは曲名ですらなく…
75			『タイトル未定』
76			歌　　小木曽雪菜 作詞　北原春希 作曲　冬馬かずさ
77			演奏　峰城大付属軽音楽同好会
78	春希	Haruki	「…無茶だけど、嫌じゃないよ。 いいよ、任せておけ」
79	かずさ	Kazusa	「あ…」
80			本当に… まるであの時の最後の一週間を過ごしているような 高揚感が全身を満たしている。
81	春希	Haruki	「五年前は、俺が無茶言ってお前がフォローしてくれた。 だから今度は、お前の無茶を俺が叶えるよ」
82	かずさ	Kazusa	「っ…春希」
83			五年前…
84			新曲を作り始めたのも、 かずさに色んな楽器を弾かせたのも、 そもそも、かずさを引き込んだのも。
85			何より、体裁すら整っていなかった同好会で、 無理やり学園祭のステージにエントリーしたのだって、 全ての元凶は俺で。
86	春希	Haruki	「…雪菜は今も昔も『やりたいやりたい』ばっかりで、 何も変わってないけどな」
87			だから今度は、俺がかずさを護る。 雪菜と一緒に、護る…
88	かずさ	Kazusa	「ふふ、そうだったな。 あいつ、あの時も適当なことばっかり言っててさ、 一人だけなんの苦労もしてなかったもんなぁ」
89			そんな、夢に描いていた…
90	春希	Haruki	「ああ、ただ状況を楽しんでるだけだった。 とりあえず好き勝手歌えたら何でもいいんだろうな」
91			苦しんで、もがいて、また間違えそうになって、 やっと辿り着いた、誰もが幸せを感じられる戦いに 勝利するために、俺は…
92	雪菜	Setsuna	「お待たせ～。 ごはん準備できたよ～」
93	かずさ	Kazusa	「………ぷっ」
94	春希	Haruki	「あはは…」
95	雪菜	Setsuna	「…なに？ どうして人の顔見て笑うのかなぁ？」
96	かずさ	Kazusa	「ん？　いや、あはは… 雪菜ってば、本当に可愛いよな～って」
97	春希	Haruki	「さすがはミス峰城大付属三連覇のアイドルだって、 二人で絶賛してたところだよ」
98	雪菜	Setsuna	「…何が言いたいのかさっぱりわからないけど、 二人してわたしを弄ってることだけはわかったよ」
99			全力を尽くすよ。
100			………	.........
101			……	......
102			…	...
103	雪菜	Setsuna	「ふあぁぁぁ～。 太陽が黄色いよ…」
104	春希	Haruki	「あまり大きな声でそういうこと言うと 色々と誤解を受けるから…」
105			ほぼ二日ぶりに太陽の下に踊り出た雪菜は、 向日葵のように、太陽に向かって大あくびをした。
106			月曜日… 合宿中の俺と雪菜に、 出勤と言う障害が立ちはだかる平日。
107			…まぁ、最初から想定してたことだし、 かずさは練習に専念できるので それほど大きな問題ではない。
108	雪菜	Setsuna	「さすがに二徹はこたえるね… こんなに弱々しい光なのに目を開けてられないよ」
109			唯一、俺達の睡眠時間を除けば…
110	春希	Haruki	「そう？　俺はまだ結構平気だけど」
111	雪菜	Setsuna	「…春希くんの今の仕事ぶりと、 これからの健康が心配だよ」
112	春希	Haruki	「大丈夫だって。まだ若いんだから」
113	雪菜	Setsuna	「そう言ってるウチに、 いつの間にかガタが来るんだよ～？ 今のうちからちゃんと労わっておかないと駄目だよ」
114	春希	Haruki	「ん…わかったよ。 来月から考えてみる」
115			聞き流しているふうな空返事とは裏腹に、 雪菜のその気遣いが心に染みていく。
116			いずれその手の心配は、俺自身じゃなくて、 俺以上に俺のことを労わってくれるひとに 全面的に任せられたらって…
117			三か月前までは、 そんな都合のいいこと考えてたんだっけ。
118	雪菜	Setsuna	「今日は何時に戻れる？」
119	春希	Haruki	「そうだな…初校を出さないといけないから、 ８時くらいまでは戻れないかも」
120			今となっては、身勝手すぎて とても口に出せる状況じゃなくなってしまったけど。
121	雪菜	Setsuna	「わたしは頑張って６時くらいかな。 午後から外回りして、そのまま[R合宿所^スタジオ]に戻るから」
122	春希	Haruki	「わかった。 …くれぐれも居眠りしないようにな」
123	雪菜	Setsuna	「約束だもんね。 わたしたちの勝手で 絶対に周りに迷惑かけないって」
124	春希	Haruki	「…できる限り、な。 既にかけまくってるところもあるし」
125	雪菜	Setsuna	「ふふ、そうだね。 それじゃ、行ってきます。 頑張ってね春希くん！」
126	春希	Haruki	「ああ…行ってきます。 また夜に」
127			あと５日。 お互い、全力で。
128			かずさの全力に応えようって、 お互い、誓い合う。
129			………	.........
130	浜田	Hamada	「馬鹿野郎！ そうやってギリギリまで粘るから こんな初歩的なミスを見逃すんだよ！」
131	春希	Haruki	「っ…すいません」
132			…なんて、誓い合った直後にもう、 全力がどうとか言う問題じゃない事態に直面する。
133	浜田	Hamada	「今さらデザイナー手配できると思ってんのか！ 締め切り今週末なんだぞ！？」
134	春希	Haruki	「…なんとかします」
135	浜田	Hamada	「どうやって！ やっぱりスリーブケースに戻すか？」
136	春希	Haruki	「いえ…それだけは」
137			けれど、それは自業自得… 浜田さんの指摘通り、 完全に俺の初歩的なポカミスだった。
138			ミニアルバムのジャケットデザイン発注忘れ…
139	浜田	Hamada	「じゃあどうするんだよ？ 言っておくが俺はこれ以上フォローできないぞ？ お前の暴走のせいでこんなことになったんだしな」
140	春希	Haruki	「はい…」
141			いくら雑誌付属のＣＤだからって、 冬馬かずさの日本デビューアルバムを、 スリーブケースに収めるなんて冗談じゃない。
142			…って、啖呵切った後のアクションを 何も取ってなかった。
143	浜田	Hamada	「はいじゃなくて、 どうするか具体策を聞いてるんだよ俺は。 つまり、締め切りまでに入稿する算段のことだ」
144	春希	Haruki	「それは…少し検討する時間をください」
145	浜田	Hamada	「今だからこそ敢えて言わせてもらうけど、 お前、最近調子に乗りすぎてたよな」
146	春希	Haruki	「………」	"........."
147			言葉もないとはまさにこのことで…
148	浜田	Hamada	「事前に相談もなしに全部事後報告で、 あげくの果てにこっちの忠告まで無視しやがって」
149	春希	Haruki	「…すいません」
150			確かに俺は、調子に乗ってた。
151			かずさのためだから、とか。 雪菜が一緒に頑張ってくれるから、とか。
152			そんな嬉しい責任感に突き動かされるあまりに、 三人のすぐ外にある日常を疎かにしてしまっていた。
153	浜田	Hamada	「…明日の朝、リカバリープランを聞く。 具体策が出なかったら無地のスリーブケースな。 ＣＤのラベルもロゴもなし」
154	春希	Haruki	「そんな…」
155	浜田	Hamada	「じゃあ発売日一週間延ばせって言うのか？ 凄いなお前、俺だって未だに言えねえよそんなこと」
156	春希	Haruki	「………っ」
157	浜田	Hamada	「下がっていい。 足掻けるもんなら明日まで足掻いてみろ」
158	春希	Haruki	「…ありがとうございます。 失礼します」
159			………	.........
160	木崎	Kizaki	「………」	"........."
161	鈴木	Suzuki	「………」	"........."
162	松岡	Matsuoka	「………」	"........."
163	浜田	Hamada	「………ふぅ。 っとに馬鹿野郎が」
164	木崎	Kizaki	「…浜田さん」
165	浜田	Hamada	「あ～、言いたいことはわかってるから何も言うな」
166	木崎	Kizaki	「いや、だからそうじゃなくて。 俺、フリーのデザイナー紹介できますよ？ 特急料金払えば今週中に間に合わせるかも」
167	鈴木	Suzuki	「あ、それともわたしやりましょうか？ そりゃ、プロみたいには行かないけど…」
168	松岡	Matsuoka	「あ、じゃあ俺が鈴木さんのフォローします。 グラフの締め切りさえ守れば文句ないですよね？」
169	浜田	Hamada	「駄目！　どれもこれも却下！ お前ら北原甘やかしすぎなんだよ」
170	木崎	Kizaki	「そりゃぁ、普段色々手伝ってもらってるし」
171	鈴木	Suzuki	「だってグラフのコだし」
172	松岡	Matsuoka	「唯一の後輩だし」
173	浜田	Hamada	「いいんだよ、ほっとけ。 たまにゃ挫折させといた方がいいんだ。 あいつ今までまっすぐ伸びすぎてたから」
174	木崎	Kizaki	「でも、真面目な奴ほど一度の挫折で ポッキリ行くことあるじゃないですか」
175	鈴木	Suzuki	「初めての大仕事だし、 思い入れも強かったからねぇ」
176	浜田	Hamada	「だから大丈夫なんだって。 ………抑えのデザインならもう上がってるから」
177	松岡	Matsuoka	「…はい？」
178	浜田	Hamada	「あとはタイトルとロゴさえ決まったら完成だ。 …あいつの拘りに沿わない出来かもしれんが、 そこまで文句は言わせない」
179	木崎	Kizaki	「浜田さん…」
180	浜田	Hamada	「ま、無駄になればいいけどな」
181	鈴木	Suzuki	「なにそれ？ やるときはやるじゃん浜田さん！」
182	松岡	Matsuoka	「さすが敬愛なる上司様！ でも、なら言ってあげればよかったのに」
183	浜田	Hamada	「木崎が言っただろ？　折れたら脆いかもって。 だから、こうやって少しずつ折って太くするんだよ」
184	木崎	Kizaki	「浜田さん…」
185	鈴木	Suzuki	「まさか麻理さんに指示されたりしてませんよね～？ なんて、あはは…」
186	浜田	Hamada	「馬鹿にすんな！ あいつに言われる前からちゃんと手を打ってたよ！」
187	松岡	Matsuoka	「言ってきたってのは当たりだったんだ…」
188			………	.........
189	春希	Haruki	「申し訳ないっ！ ジャケットのデザインがまだだった」
190	雪菜	Setsuna	「わたしも全然気づいてなかった。 ごめん、同罪」
191	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
192			と、スタジオの中で二人並んで土下座されて、 かずさは明らかに呆れムカついた表情をしていた。
193	春希	Haruki	「というわけで、 俺たち今夜はジャケットのデザインをするから。 ギターの練習遅れるけど、必ず間に合わせるから！」
194	雪菜	Setsuna	「あ、デザインって言ってもやるのわたしだから、 その、あまりセンスのいいものは無理だけど…」
195	春希	Haruki	「ついでに取り込んだ後加工するのは俺だから、 そこから更に素人っぽくなってしまうけど…」
196	雪菜	Setsuna	「で、でもいいよね？ その方が『わたしたちの』アルバムっぽくて！」
197	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
198	春希＆雪菜	Haruki & Setsuna	「…ごめんなさい。 それで勘弁してください」
199			傍らには、山と積まれた家電製品。 まだ梱包されたままの複合機にプリンタ用紙にインク。 それに、デザインソフトのパッケージ。
200			浜田さんに編集部を叩き出された後、 すぐに雪菜と連絡を取りあい、 閉店間際の家電店で急いで買い込んで来た。
201			…全部でいくらかかったかは思い出したくない。 何しろ会社の経費で落ちるかは思い切り微妙な線だし。
202	春希	Haruki	「というわけで、今夜のスケジュールだけど… まず俺が一時間でこれらの機材をセッティング」
203	雪菜	Setsuna	「その間にわたしがデザインを上げる。 …これはいつまでかかるかわからないけど、 一応、二時間を目処に」
204	春希	Haruki	「それからスキャナで取り込んで俺が加工。 その間、雪菜に今度はロゴのデザインをやってもらう」
205	雪菜	Setsuna	「それも上がったら最後に春希くんが合成して、 明日の朝までに完成」
206	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
207	春希	Haruki	「…希望的観測でしかないのはわかってるけど、 とりあえず怒りを収めてはもらえないだろうか？」
208			そうやって、モノと言葉を積み上げて、 どれだけ丁寧に説明しても、 かずさの表情は変わらなかった。
209			ずっと、気難しそうに腕を組み、 俺と雪菜を代わる代わる睨みつけ、 口を閉ざしたまま真一文字に結んでいる。
210			…怒って当然だ。 スケジュールを守れと厳しく言いつけた当人が、 あっという間に思い切り破ってしまったんだから。
211	かずさ	Kazusa	「…で？」
212			そしてかずさは、深い怒りを胸に秘め、 その重い口をやっと開いたかと思うと…
213	かずさ	Kazusa	「あたしは、何をするんだ？」
214	雪菜	Setsuna	「何を…って？」
215			やっぱり重々しく… けれど俺たちの虚を突く言葉を紡ぎ出した。
216	かずさ	Kazusa	「デザインが雪菜で、加工が春希で… それで、あたしは何をすればいいのかって 聞いてるんだよ」
217	春希	Haruki	「いや、お前の予定は変わらないぞ。 ひたすら練習…」
218	かずさ	Kazusa	「なんでお前ら二人でそんな楽しそうなことやってて、 あたしは練習してなくちゃならないんだよ！？」
219	雪菜	Setsuna	「かずさ？」
220			…けど、重々しかったのは口調だけだった。
221	かずさ	Kazusa	「ずるいぞお前ら！ 何度言わせるんだよ？ どうしてあたしだけ仲間外れに…」
222	春希	Haruki	「え？　え？」
223			かずさは確かに怒ってた。
224			けれど、その怒りの理由は、 俺たちが考えてたものとは少しばかり…
225	雪菜	Setsuna	「手伝うつもりなの…？」
226	かずさ	Kazusa	「当たり前だろおい！ あたしのアルバムなんだぞ？」
227			ていうか、かなり違っていたっぽかった。
228	春希	Haruki	「いや、けどお前はピアノを…」
229	かずさ	Kazusa	「弾くよ？　弾くけど絶対に手も口も出すからな？ 完成してもあたしが駄目って言ったら総没だからな？ 妥協、しないからな？」
230	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
231	かずさ	Kazusa	「…わかったら早くセッティングしろ。 もう本番まで時間ないんだよ」
232	春希	Haruki	「………」	"........."
233			いや、だから… こんなことに付き合ってないで練習してくれって…
234			………	.........
235	春希	Haruki	「あれ…このケーブルはどこに繋ぐんだ…？」
236	雪菜	Setsuna	「わ～、可愛い！ 凄い、これすっごく可愛いよかずさ！」
237	かずさ	Kazusa	「本人の前でそういうこと言うのやめろ… 雪菜はいっつもそうだ」
238	春希	Haruki	「え、ええと、これがこう来て、こうで…」
239			などと平静を装いセッティングを続けるものの、 全身から吹き出す冷や汗を止める術は、今の俺にはない。
240	雪菜	Setsuna	「いいものをいいって言っちゃいけないなら、 芸術なんて成立しなくない？」
241	かずさ	Kazusa	「そもそもそれ、スナップ写真だろ。 こんなものを雑誌に載せるセンスがおかしいよ」
242			かずさにチェックを頼もうと持ってきた初校の刷り出しを、 あろうことか雪菜に見つかってしまったのが 運の尽きだった…
243	雪菜	Setsuna	「それでも可愛くて綺麗で、けど切なくて、 すっごくいい表情してる。 この前のグラフの表紙よりもよっぽどよく撮れてるよ」
244	かずさ	Kazusa	「プロと素人の差もわからないなんて… 雪菜、お前のセンスやっぱり変だよ。 デザイン任せて大丈夫かな？」
245	雪菜	Setsuna	「ううん、わかるよわたし」
246	かずさ	Kazusa	「だって、こっちのカメラマンの方が素人なんだぞ？」
247	雪菜	Setsuna	「わかるのは腕じゃないよ… 二人のカメラマンの、[R被写体^かずさ]に対しての愛の深さの差」
248	春希	Haruki	「あ～っ！？」
249	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
250	雪菜	Setsuna	「素人カメラマンさん… かずさに対しての愛情、だだ漏れだもん」
251	かずさ	Kazusa	「そんなの…素人が見てわかるもんか」
252	雪菜	Setsuna	「素人かな、わたし？ このモデルとカメラマンのことに関しては、 マニアって言ってもいいくらいだと思ってるけど」
253	かずさ	Kazusa	「………っ」
254	春希	Haruki	「てゆうかお前らピアノ弾けよ！ デザイン描いてろよ！」
255			そうだった… 合宿と言えば、こうなるに決まってるよな…
256			どれだけ体力やスケジュールが限界に来てても、 夜が更けるとなんとなく遊んでしまう。
257			仲間同士でワイワイ騒いで、盛り上がって、 結局、全然はかどらないことなんてしょっちゅうで…
258	かずさ	Kazusa	「違うよ…」
259	雪菜	Setsuna	「ん…？」
260	かずさ	Kazusa	「やっぱり、雪菜の勘違いだよ」
261	雪菜	Setsuna	「そう…？」
262	かずさ	Kazusa	「だって、そんなに愛があるならさ… どうして二人きりの秘密を、他の女に全部話すんだよ」
263	春希	Haruki	「………っ」
264	かずさ	Kazusa	「どうして他の女に助けを求めるんだよ。 …なんで、助けがいるんだよ」
265	雪菜	Setsuna	「妬ましい？」
266	かずさ	Kazusa	「っ…」
267	雪菜	Setsuna	「頼られた他の女が、憎らしかった？ ひっぱたいてやりたかった？」
268	かずさ	Kazusa	「…もう、この話やめよう。 終わったことだろ」
269	雪菜	Setsuna	「わたしは、妬ましかったな。 …二人の秘密を聞かされたとき」
270	かずさ	Kazusa	「雪菜…」
271	雪菜	Setsuna	「彼に、こんなにも愛されてるあなたが、 心の底から、憎ったらしく感じたなぁ」
272	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
273	春希	Haruki	「………」	"........."
274			そして、合宿と言えば、こうなるに決まってる…
275			いつしか、気になる異性の話をし始めて、 大騒ぎしたり、しんみりと黙り込んだり…
276			………	.........
277			……	......
278			…	...
279	雪菜	Setsuna	「…ねぇ、春希くん。 突然、真っ暗になったみたいなんですけど」
280	春希	Haruki	「ごめん… ブレーカーが落ちたみたいだ」
281			どうやら蛸足配線がいけなかったらしい。
282			………	.........
283	雪菜	Setsuna	「こんな感じで…どうかな？」
284	春希	Haruki	「う～ん…」
285	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
286	雪菜	Setsuna	「…ごめん。 やっぱり没だね、これも」
287	春希	Haruki	「え？　あ、違うって！ 俺、別に悪いなんて一言も…」
288	雪菜	Setsuna	「うん、かずさも春希くんも一言もなかった。 …ピンと来なかったってことだよね」
289	春希	Haruki	「う…」
290	かずさ	Kazusa	「まぁ…」
291	雪菜	Setsuna	「さすがに８枚目ともなると反応でわかるよ。 …あ～あ、センスないなぁ、わたし」
292	春希	Haruki	「いや、そんなこと… むしろ見る方に目がないだけかも…」
293	雪菜	Setsuna	「あ～あ、ちょっと休ませて～。 カフェイン入れます～」
294			と、雪菜は大きく伸びをすると、 傍らに積んである缶コーヒーの一本に手を伸ばす。
295			もちろん、かずさの飲み物とはきっちり住み分けた 無糖のブラック。
296	雪菜	Setsuna	「今、何時？」
297	春希	Haruki	「３時…半くらい？」
298	雪菜	Setsuna	「そっかぁ… デザインに二時間なんて、夢のまた夢だったね…」
299	春希	Haruki	「いや、そんなことは…」
300			何しろ雪菜は、ちゃんと３０分に１枚ペースで きっちりデザイン画を上げてくる。
301			ただ、それに一枚もＯＫが出ないだけで。
302	雪菜	Setsuna	「春希くんの言う通り、 遊んでないでさっさと始めればよかったね…」
303	かずさ	Kazusa	「遊び道具を持ってきた春希が悪いんだ。 雪菜が気にすることなんかないって」
304	春希	Haruki	「あれは仕事の資料だ。 お前、ちゃんと目を通しとけよ」
305			雪菜の後悔は、かずさの言う通り的外れだった。 何しろ、真面目に作業を始めてからも、 もうそろそろ四時間になるんだから。
306			大体こういうのは、早く始めたからって 早く終わる保証なんかない。 一発で通るときも、百発でも通らないときもある。
307			ましてや今は、審査員が適当な素人しかいない上に、 誰もが『妥協』を許さないという厄介な現状で…
308	雪菜	Setsuna	「…よしっ、休憩終わり。 もうあと少し頑張るぞ～！」
309	春希	Haruki	「そんなに急がなくてもいいって。 少し眠ったらどうだ？」
310	雪菜	Setsuna	「でも…今日の朝がリミットなんだよね？ そろそろデザインだけでも決めないとまずいよ…」
311	春希	Haruki	「午前中ってことはさ、１２時までだから。 まだまだ余裕あるって」
312			それでもこの時間になると、誰もが焦りを感じ始める。
313			妥協という言葉を認めるわけにはいかない。
314			けれど、今自分たちが没にしたデザインが、 果たして駄目なのかどうかもわからない。
315			ただ、否定のための否定に… 負のスパイラルに陥ってる可能性もある。
316	雪菜	Setsuna	「大丈夫…本当に、あとほんの少しだから。 今度こそいい絵が浮かびそうな気がするんだ」
317			それでも雪菜は、あくまでもいつも通り…
318			明るく、優しく、一生懸命を演じきろうとする。
319			………	.........
320	雪菜	Setsuna	「………駄目。 これも駄目」
321	春希	Haruki	「自分で勝手に決めつけるなよ。 ほら、見せて」
322	雪菜	Setsuna	「嫌… 自分でも全然だってわかっちゃった。 こんなのＯＫ出るわけない」
323	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
324			更に二時間が経過した…
325			けれど、あれから追加で雪菜が描いたデザイン画は、 たったの二枚。
326			しかも今、その二枚目を、 とうとう公開することなく紙くずにしてしまったから、 実質的には一枚。
327	雪菜	Setsuna	「あ～あ… わたしって、こんなにセンスなかったんだ… なんだか、泣けてくる…」
328			もう間違いなかった。 俺たちが、ネガティブスパイラルに陥ってることは。
329	かずさ	Kazusa	「なぁ、今になって考えてみるとさ、 二番目のデザイン、良かったんじゃない？」
330	春希	Haruki	「………どれだっけ」
331	雪菜	Setsuna	「今さら言っても無駄だよ～。 み～んな破いて捨てちゃった～、あはは…」
332			まずい… 雪菜がもう限界にきてる。
333			これだともう、なにを考えても正解に辿り着かない。 …少なくとも、一度休まない限りは。
334			そして今の俺たちにとって、 一度休むということは、 二度と目覚めないということで…
335	春希	Haruki	「雪菜…今度こそ、少し休めって」
336			それがわかっていながら、 もう、こうするしかない。
337			このまま続けさせると、 明日以降の練習にも悪影響が出そうになってきた。
338	雪菜	Setsuna	「大丈夫…本当に、あとほんの少しだから。 今度こそいい絵が浮かびそうな気がするんだ」
339	春希	Haruki	「雪菜…」
340			二時間前とまったく同じ台詞というのもあったけど…
341			二時間前とまったく違う表情で告げられたことが、 雪菜の限界を示しているようだった。
342	雪菜	Setsuna	「あ、そうだ。 まだタイトルロゴ決まってなかったよね… 先にそっちやっちゃおっか」
343	春希	Haruki	「いいからもう…」
344	雪菜	Setsuna	「駄目だよ、朝までに決めないと。 なんかいいタイトル案ある人～」
345	春希	Haruki	「………」	"........."
346	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
347			その雪菜の問いかけに応えたのは、 惰性で奏でられているかずさのピアノだけだった。
348	雪菜	Setsuna	「真面目に考えようよ春希くん… 時間、ないんだよ？」
349	春希	Haruki	「もういいんだって。 これ以上、雪菜一人で抱え込まなくても…」
350	雪菜	Setsuna	「一人じゃないよ、三人だよ… みんなで、頑張るんだよ…」
351	春希	Haruki	「雪菜…」
352			ただ、焦りだけが皆に伝染していく。
353			それはもしかしたら、 悩むことそのものが馬鹿馬鹿しいことなのかもしれない。
354	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
355			浜田さんはああやって大げさに言ったけど、 実はもう手を回してくれていて、 明日会社に行ったら何もかも解決してたりとか…
356			そもそもＣＤジャケットなんかなくたって、 かずさの奏でる曲の価値が下がることなんかないって…
357	春希	Haruki	「っ…」
358			………何言ってんだ、俺。 それこそが、今まで否定してた妥協の極地じゃないか。
359			大したことないからって何か一つでも諦めたら、 全てが雪崩を打って押し流されるくらい、 俺たちは危険な橋を渡ってるはずじゃ…
360	かずさ	Kazusa	「なぁ…」
361			でも、だったらどうすれば…
362	かずさ	Kazusa	「ちょっと思いついたんだけど… ジャケットのデザインのことでさ」
363	春希	Haruki	「かずさ… 今はそっちの話じゃなくてさ」
364	かずさ	Kazusa	「あんまり色使わなくてさ… いや、全然使わなくてさ…」
365	雪菜	Setsuna	「まずはタイトル考えようよ。 デザインは置いといて」
366	かずさ	Kazusa	「もっと白く… というか、タイトル以外は真っ白でいいんじゃないか？」
367	春希	Haruki	「え…？」
368			その瞬間…
369	かずさ	Kazusa	「その方が…あたしたち、らしいだろ？ そう思わないか？」
370	雪菜	Setsuna	「真っ白…？」
371			ネタでも何でもなく、 俺と雪菜の頭の中まで真っ白になった。
372	かずさ	Kazusa	「ええっと… 最初に考えたんだけど、あまりにベタなんで、 ずっと黙ってたんだけどさ…」
373	春希	Haruki	「………」	"........."
374	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
375	かずさ	Kazusa	「お前たち…覚えてないかなぁ？ じゃあ第１ヒント。 あたしたちの…」
376	春希＆雪菜	Haruki & Setsuna	[S9「なんでそれ早く言わないんだよ！」 ][S9「なんでそれ早く言わないのよ！」]
377			俺たちの、出会いの曲…
378			『ＷＨＩＴＥ　ＡＬＢＵＭ』
379			そんなの、誰が忘れるものか。 人を馬鹿にするのもいい加減にしろよ…
380			………	.........
381			……	......
382			…	...
383	春希	Haruki	「うあっ…」
384	かずさ	Kazusa	「はい三度目～。 いい加減にしような～」
385	春希	Haruki	「お、お前がそうやってプレッシャーかけるから、 変に意識する羽目になるんだよ」
386	かずさ	Kazusa	「人に文句垂れる前に雪菜に謝ろうな～。 お前が前奏でミスってばっかなせいで、 ちっともボーカルの練習にならないぞ」
387	雪菜	Setsuna	「あ、わたしは練習しなくても大丈夫だよ。 この曲なら完璧にマスターしてるから、 ミスなんかするわけないし」
388	春希	Haruki	「ありがとう雪菜… 俺一人が足を引っ張ってるってことを強調してくれて」
389	雪菜	Setsuna	「え？」
390	かずさ	Kazusa	「っ…く、くく…」
391	ディレクター	Director	「………」	"........."
392	男性スタッフ	Male Staff	「あれ、山口さん？ まだ帰ってなかったんですか？」
393	ディレクター	Director	「ま～な」
394	男性スタッフ	Male Staff	「にしても、今度はノートパソコンにプリンター… お泊まり道具の次はオフィス用品ですか。 彼女たち、ここで生活するつもりなんですかね」
395	ディレクター	Director	[F16「彼と彼女たち、な…」]
396	男性スタッフ	Male Staff	「それはともかく、間に合いますかねぇ…」
397	ディレクター	Director	「知るかよ。まだ曲も完成してないのに、 判断できるわけないだろ」
398	男性スタッフ	Male Staff	「でもとりあえず仮歌で合わせてみたじゃないですか。 感触はどうでした？」
399	ディレクター	Director	「どうもこうも…バランスが悪すぎる。 プロとインディーズと素人が混ざってて訳わからん」
400	男性スタッフ	Male Staff	「いや、ま～、 とりあえずギターの彼は置いとくとして、 小木曽ちゃんは相当アリだと思ったんですけどね」
401	ディレクター	Director	「ん～…」
402	男性スタッフ	Male Staff	「確かに、歌だけで売るにはまだ足りないけど、 これに話題性がつけば今でも行けそうじゃありません？」
403	ディレクター	Director	「話題性って言うと？」
404	男性スタッフ	Male Staff	「ナイツレコード期待の新人広報と 天才二世ピアニストの美人ユニット 衝撃のデビュー！　とか」
405	ディレクター	Director	「…ベタベタだな」
406	男性スタッフ	Male Staff	「脇本さん辺り絶対に面白がりそうだけどなぁ。 今度ここに連れてこようかな」
407	ディレクター	Director	「やめとけ、無駄だ」
408	男性スタッフ	Male Staff	「え～、そうですかね。 小木曽ちゃんならいい線行くと思うけどなぁ」
409	ディレクター	Director	「だってあの二人、 ギターの彼の言うことしか聞きそうにないだろ」
410	男性スタッフ	Male Staff	「む…」
411	ディレクター	Director	「腕前に関係なく完全服従というか、 音楽性と違うところにベタ惚れというか…」
412	男性スタッフ	Male Staff	「………何者なんですかね、彼」
413	ディレクター	Director	「開桜社の新人クンだろ？ 名刺交換したじゃないか」
414	男性スタッフ	Male Staff	「いや、そういう意味でなく…」
415	ディレクター	Director	「誰も信じねぇよなぁ…こんな光景。 それこそワイドショーのレポーターでも」
416			………	.........
417	春希	Haruki	「ん…と」
418	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
419	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
420	春希	Haruki	「ええと…」
421	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
422	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
423	春希	Haruki	「………っ」
424	雪菜	Setsuna	「あ～、また消しちゃった」
425	かずさ	Kazusa	「何やってんだよ。 お前、さっきから全然進んでないじゃないか」
426	春希	Haruki	「ずっと左右から覗き込まれてて作詞なんかできるか！」
427			昼間、やっとタイトルロゴを入稿した。
428			浜田さんは驚いたようなほっとしたような表情で 『また随分と間に合わせなデザインだな』と苦笑した。
429	雪菜	Setsuna	「そんなこと言っても気になるよ。 わたしが歌う歌詞なんだし」
430	かずさ	Kazusa	「先に詞を作るって決めたのは春希の方だろ。 お前、あたしを待たせてるってわかってるか？」
431	春希	Haruki	「頼むから二人とも離れててくれ…気が散る」
432	雪菜	Setsuna	「ちょっと気分転換する？ わたし、コーヒー淹れてこようか？ あ、それともマッサージする？」
433	かずさ	Kazusa	「その程度で気が散るのは集中できてない証拠だ。 あたしなんか周りで戦争してても弾けるぞ」
434			夜、三人揃っての初リハーサル。
435			まだ曲は完成していないから、 仮歌として以前に三人で演奏した曲を披露した。
436			スタッフの指示は俺にばかり集中してたけど、 今はそんな些細なことを気にしてる場合じゃない。
437	かずさ	Kazusa	「それで完成の目処は？ 何時までにあたしの前に完成版を持って来れるんだ？」
438	雪菜	Setsuna	「そういえば、前の作詞の時はどのくらいかかったの？」
439	春希	Haruki	「………三か月」
440	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
441	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
442	春希	Haruki	「あ、あの時は詞なんか作ったことなかったし！ 締め切りだって決めてなかったし！ 何より採用されるかどうかもわかんなかったから…」
443	かずさ	Kazusa	「ミーティングやろうミーティング。 このまま春希一人で悩ませておくのは危険すぎる」
444	雪菜	Setsuna	「そうだよね。 三人寄れば知恵も出るし矢も折れないし[R姦^かしま]しいし いいこと尽くめだよ」
445	春希	Haruki	「いや、最後のは…」
446			そして深夜… 一日遅れで着手した、新曲の作詞。
447			締め切りは今月末。 しかし末日はかずさのコンサートの日だから、 できれば前日までに収録を済ませたい。
448			つまり、実質あと二日。 残ってる作業は作詞、作曲、練習、収録…
449			なんというタイトロープスケジュール…
450	雪菜	Setsuna	「まずテーマを明確にした方がよくない？ そうしないと考えが発散して 無駄に時間がかかっちゃうんじゃないかな」
451	春希	Haruki	「テーマって言われてもなぁ… 人類愛とか世界平和とか？」
452	かずさ	Kazusa	「なんでいきなりそんな上から目線なんだよ。 地球を救うチャリティーでも始めるつもりか」
453	雪菜	Setsuna	「えっと、今は時間もないし、 もうちょっと身近なことにした方がいいと思うな」
454	かずさ	Kazusa	「同感だな。 結局、自分の体験とか思想に根付いてないと、 薄っぺらいものになるから」
455	春希	Haruki	「それは…そうだな」
456	雪菜	Setsuna	「春希くんが普段感じてることとか… 日常のほんの些細なことでもいいからさ」
457	かずさ	Kazusa	「何かあるだろ… お前の乏しい人生経験の中でも一つや二つ」
458	春希	Haruki	「やかましいわ。 人間、平凡が一番なの」
459	雪菜	Setsuna	「最近、身近で起こった楽しいことや嬉しいこととかさ」
460	かずさ	Kazusa	「それとも逆に辛いこととか、悲しいこととか…」
461	春希	Haruki	「最近起こった辛いことって…お前…」
462	かずさ	Kazusa	「あ…」
463	雪菜	Setsuna	「あ…」
464	春希	Haruki	「………」	"........."
465	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
466	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
467			俺たちは、そこでなんとなく休憩を入れた。 誰もが無言だった…
468			………	.........
469	曜子	Youko	「………」	"........."
470	美代子	Miyoko	「一日で二曲は仕上げてます。 …ほとんど寝てないのに」
471	曜子	Youko	「ノってるときは寝る必要なんてないわよ。 わたしだって今でも十日間なら弾き続けられる。 …もう、やんないけどね」
472	美代子	Miyoko	「社長…」
473	曜子	Youko	「とにかく、コンサートの方は間に合いそうね。 問題はＣＤの方か…」
474	美代子	Miyoko	「そちらは… 今は作詞に時間がかかってるらしくて」
475	曜子	Youko	「ボーナストラックに一番時間かけてどうするんだか…」
476	美代子	Miyoko	「個人的にはコンサートに集中して欲しいんですけど」
477	曜子	Youko	「でも、その曲作りがあるからこそ、 かずさのモチベーションがここまで上がってる…」
478	美代子	Miyoko	「そこなんですよねぇ… これでもし新曲が出来なかったら、 コンサートまでガタガタになってしまいそうで」
479	曜子	Youko	「前例あるからねぇ…」
480	美代子	Miyoko	「結局、今はあの三人のやりたいように やらせるしかないってことですか」
481	曜子	Youko	「ほんと、我が娘ながら厄介なコね。 ちっとも思い通りに動いてくれない」
482	美代子	Miyoko	「社長が手を焼く程ってことは、 将来は社長より大物になるかもしれないですね」
483	曜子	Youko	「なってくれなくちゃ困るわよ。 もう、我が事務所唯一の商品になっちゃったんだから」
484	美代子	Miyoko	「………」	"........."
485	曜子	Youko	「さて、そろそろ戻りましょ。 ついでに薬もらいに病院寄ってくれる？」
486	美代子	Miyoko	「声、かけないんですか？ かずささんに」
487	曜子	Youko	「わたしがあの子なら怒鳴り散らすわね。 『今いいところなんだから邪魔するな』って…」
488			………	.........
489	雪菜	Setsuna	「そろそろ休憩しようよ、かずさ。 コーヒー淹れたから」
490	かずさ	Kazusa	「ん、サンキュ」
491	雪菜	Setsuna	「砂糖は控えめにしといたからね。 …四杯だけ」
492	かずさ	Kazusa	「（ずず）…にが」
493	雪菜	Setsuna	「だいぶ調子上げてきたね。 ピアノの素人が聴いても どんどん迫力が増してきてるのわかるよ」
494	かずさ	Kazusa	「まぁ、こっちの練習時間だけはたっぷりあるからな。 …新曲の方が遅れてるせいで」
495	雪菜	Setsuna	「あ、あはは…」
496	かずさ	Kazusa	「で、春希は？」
497	雪菜	Setsuna	「控え室でうんうん唸ってる。 とりあえず邪魔しないように一人にしとこ？」
498	かずさ	Kazusa	「まぁ、とっくにデッドライン破ってるからなぁ。 今さら頑張ったところで間に合うのやら…」
499	雪菜	Setsuna	「間に合うよ、絶対」
500	かずさ	Kazusa	「…雪菜は本当に春希のことを信頼してるんだな。 でも、今からじゃあたしの曲が間に合わないかも」
501	雪菜	Setsuna	「やだなぁ、そこも含めて信頼してるんだよ」
502	かずさ	Kazusa	「はぁ？　何を…」
503	雪菜	Setsuna	「だってわたし知ってるもん。 かずさは、春希くんのためなら限界を超えて頑張るって」
504	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
505	雪菜	Setsuna	「『届かない恋』の時も、 そうだったこと、知ってるもん」
506	かずさ	Kazusa	「そんなこと…ないって」
507	雪菜	Setsuna	「ううん、知ってるんだよ。 授業中もずっと作曲してて、 先生とやりあっちゃって…」
508	かずさ	Kazusa	「あれでも三日くらいかかったんだ。 限界超えても一日で間に合わせられる自信はないな」
509	雪菜	Setsuna	「彼のためだったってのは否定しないんだ…」
510			………	.........
511	かずさ	Kazusa	「（ずず）…やっぱ苦いってこれ」
512	雪菜	Setsuna	「…わかったよ、ほら、角砂糖。 あと一個だけだよ？」
513	かずさ	Kazusa	「さっすが。 雪菜愛してる」
514	雪菜	Setsuna	「もう…」
515	かずさ	Kazusa	「………（ずず）」
516	雪菜	Setsuna	「………（ずず）」
517	かずさ	Kazusa	「はぁぁ…」
518	雪菜	Setsuna	「ね…」
519	かずさ	Kazusa	「ん～？」
520	雪菜	Setsuna	「なんだかキャンプみたいだね」
521	かずさ	Kazusa	「真冬だけどな。 星どころか空も見えないけどな」
522	雪菜	Setsuna	「ほらぁ、そこは気分ってことで！ みんなで集まって、みんなでごはん食べて、 みんなでお喋りして、疲れたらみんなで寝て…」
523	かずさ	Kazusa	「寝てはいないけどな」
524	雪菜	Setsuna	「…こんな生活がずっと続けばいいのにな」
525	かずさ	Kazusa	「雪菜…？」
526	雪菜	Setsuna	「三人で一緒に暮らせたら楽しいだろうな。 ちょっと広めの家を借りてさ… ピアノも置ける大きなリビングがあるような」
527	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
528	雪菜	Setsuna	「家賃は心配しなくていいよ。 わたしと春希くん働いてるし、全然大丈夫。 それに食事だって、朝と夜はわたしが…」
529	かずさ	Kazusa	「馬鹿なこと言ってんなよ。 常識で考えろよ」
530	雪菜	Setsuna	「………別に夢見るくらいいいじゃん」
531	かずさ	Kazusa	「雪菜… お前、どこまであたしを甘やかすつもりなんだ？」
532	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
533	かずさ	Kazusa	「あたし、春希が好きだって言ったんだぞ？ お前が妬ましいって言ったんだぞ？」
534	雪菜	Setsuna	「言われたね…思いっきり」
535	かずさ	Kazusa	「お前は馬鹿だ。大馬鹿だ。 …こんな嫌な奴を、 まだ自分の側に置いておこうとするなんて」
536	雪菜	Setsuna	「馬鹿じゃないよ… わたしは最初から…５年前からそう言ってたよ」
537	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
538	雪菜	Setsuna	「三人がいいって… ずっと、このままでいたいって… あの頃からぶれてないよ？」
539	かずさ	Kazusa	「信じきれてないところも、 ずっと迷ってるところも含めて、な」
540	雪菜	Setsuna	「う…」
541	かずさ	Kazusa	「雪菜こそ、春希のために無理してるじゃないか。 本当は、我慢の限界とっくに超えてるんだろ？」
542	雪菜	Setsuna	「無理じゃない。 我慢なんかしてない」
543	かずさ	Kazusa	「意地っ張り」
544	雪菜	Setsuna	「意地でもない。これが今のわたし。 …かずさの知らない、あれから五年後のわたしだよ」
545	かずさ	Kazusa	「五年…か」
546	雪菜	Setsuna	「確かにさ… 昔のわたしは、今のわたしとは違った」
547	雪菜	Setsuna	「三人でいることを二人に求めておきながら、 自分は彼と二人になることを求めた。 …かずさのこと、出し抜いた」
548	かずさ	Kazusa	「そんな… 出し抜いたのは…」
549	雪菜	Setsuna	「でもね、今のわたしは、 みんなが幸せにならなくちゃ納得できない… あれから、そういうふうに育っちゃったんだよ」
550	かずさ	Kazusa	「みんな…って」
551	雪菜	Setsuna	「わたしも、春希くんも、かずさも…」
552	雪菜	Setsuna	「家族…お父さん、お母さん、孝宏…と、その彼女。 依緒も、武也君も、それから…まぁ、朋も。 もちろん、かずさのお母さんだって…」
553	かずさ	Kazusa	「お前…は」
554	雪菜	Setsuna	「何でも欲しがるわがままな女だと思う？ それとも、薄っぺらい偽善者だって思う？」
555	かずさ	Kazusa	「思わない。 そんなこと思うわけがない。 ただ…」
556	雪菜	Setsuna	「ただ？」
557	かずさ	Kazusa	「…強いなって。かなわないなって。 五年で、こんなに差がついちゃったんだなぁって」
558	雪菜	Setsuna	「強くなんかない。自立した女でもない。 彼に護られるのも、愛されるのも大好きな、 べったべたな女の子だよ、わたし」
559	かずさ	Kazusa	「だったら…」
560	雪菜	Setsuna	「ただ…色々とめんどくさい女になっちゃったんだよ。 それだけなんだ」
561	かずさ	Kazusa	「雪菜…」
562			………	.........
563	雪菜	Setsuna	「わたしはね、春希くんのことがだ～い好きだよ？ 悪いけど、かずさに負けてる気なんか全然ないんだ」
564	かずさ	Kazusa	「っ… そんなの、勝ち負けじゃないだろ」
565	雪菜	Setsuna	「けど、かずさのことも大好きだよ？ …春希くんを好きな気持ちに負けてないくらい、 大好きだよ？」
566	かずさ	Kazusa	「雪菜…」
567	雪菜	Setsuna	「春希くんは、自分を差し置いて、 自分の一番大切な人に尽くしてくれる…」
568	雪菜	Setsuna	「でも、わたしは彼とは違う。 自分も幸せにならなくちゃ嫌… けれど、一番大切な人だけを幸せにするのも違う…」
569	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
570	雪菜	Setsuna	「わたしを幸せにするにはね、 たくさんの人の幸せが必要なの。 …ほんっと、めんどくさいよね？」
571	かずさ	Kazusa	「…そう、だな」
572	雪菜	Setsuna	「呆れた？」
573	かずさ	Kazusa	「当たり前だ。 馬鹿だろ、お前」
574	雪菜	Setsuna	「うん、馬鹿だね。 ややこしい馬鹿」
575	かずさ	Kazusa	「もしかしたら、春希以上の馬鹿かもしれないな」
576	雪菜	Setsuna	「それは…ないと思うんだけど。 それって相当のお人好しってことになっちゃうよ？」
577	かずさ	Kazusa	「あいつのことをそうやって許せる時点で、 その通りだって言ってるみたいなもんだけどな」
578	雪菜	Setsuna	「む、むぅ… 自覚、少しだけならあるかも」
579	かずさ	Kazusa	「………なぁ、雪菜」
580	雪菜	Setsuna	「ん…？」
581	かずさ	Kazusa	「たとえどんなに馬鹿でも、 信じられないほどのお人よしでも… やっぱり、あたしはお前のことが妬ましい」
582	雪菜	Setsuna	「うん…」
583	かずさ	Kazusa	「けど… 今のあたしは、お前と戦うことはできない」
584	雪菜	Setsuna	「ありがと… 今はまだ、それだけで…」
585	かずさ	Kazusa	「だって今のあたしは、雪菜を愛してる」
586	雪菜	Setsuna	「っ…！？」
587	かずさ	Kazusa	「春希を愛する気持ちに、負けないくらい、な」
588	雪菜	Setsuna	「か、かずさ…かずさぁ…っ」
589	かずさ	Kazusa	「な～んだよ」
590	雪菜	Setsuna	「奇遇だね… それ、わたしも同じだよ」
591	かずさ	Kazusa	「さっき聞いたよ… 馬鹿な上に忘れっぽいんだな、雪菜は…」
592	雪菜	Setsuna	「う、うん…うんっ」
593			………	.........
594			……	......
595			…	...
596	春希	Haruki	「おい出来たぞっ！ やっと、やっと………れ？」
597			一日と半日遅れた北原春希入魂… かもしれない新曲の詞を書き連ねたノートを抱え、 スタジオの中に飛び込んだ瞬間…
598			二時間ぶりくらいに口から飛び出した声は、 途中でブースの中に吸い込まれて消えた。
599	かずさ	Kazusa	「ん…」
600	雪菜	Setsuna	「すぅ…んぅぅ」
601			そういえば…
602			作詞に集中してたせいで全然気づかなかったけど、 途中からピアノの音が消えていたかもしれない。
603			コンサートを二日後に控えて 練習に余念がないはずのかずさと、 そのかずさを夜通し監視しているはずの雪菜。
604			その二人が、手を握り合って、肩を寄せ合って、 まるっきり無防備で眠ってる。
605	春希	Haruki	「………」	"........."
606			大失態だ。
607			二つの大事なイベントを控え、もう今は、 一分一秒たりとも無駄にできないはずだった。
608			さらに、俺の失態も重なり、その一秒を 十秒分くらい頑張らないといけない領域にまで 到達してるはずだった。
609	かずさ	Kazusa	「んぅぅ…う」
610	雪菜	Setsuna	「ふぅ…ん」
611			でも、俺の口も足も、 今目の前にある光景に、 縫いつけられたように沈黙してしまう。
612			二人の寝顔が、あまりに安らかだから。 目覚めさせてしまうことが、 あまりに深い罪に思えてしまうから。
613			だから、ただ、手だけをゆっくりと動かし、 床に転がった毛布を 二人へと静かに掛けることしかできなかった。
614	春希	Haruki	「………っ」
615			俺のせいでずっと失われていたものを、 やっと取り返した嬉しさと…
616			なんだか自分だけ仲間外れにされたような 寂しさが混ざり合った、 そんなややこしい気持ちを胸に抱えたまま。
617			そして俺は、自分の寝袋だけを拾い上げ、 暖房の効いていない控え室へと向かう。
618			この神々しい光景は、俺には触れられないから。
619			俺が壊したものを自力で取り戻した二人に、 どんな顔をしていいのかわからないから。
620			………	.........
621			翌朝、『どうして起こしてくれなかったんだ！？』と 罵倒される確実な未来を夢見つつ、 俺は、ゆっくりと瞼を閉じた。
622			……	......
623			…	...
624	浜田	Hamada	「北原！ お～い、北原！」
625	春希	Haruki	「あ、はい…なんでしょうか？」
626	浜田	Hamada	「ん？　随分疲れてるみたいだな。 なんだか顔が黒いぞ？」
627	春希	Haruki	「ええ、油性だったから…」
628	浜田	Hamada	「はぁ？」
629			俺が二時間の睡眠から目覚めた時、 かずさはとっくに作曲に入っていて、 雪菜は目覚めのコーヒーを用意していてくれた。
630			二人は、勝手に寝てしまった俺を非難しなかったけど、 その代わり、何故か俺の顔を見てくすくす笑っていた。
631			その理由に思い当たったのは、 顔を洗うために洗面所の鏡を見た瞬間だった…
632	浜田	Hamada	「あ、それでさ、で、収録の方はどうなった？ 徹夜で張りついてる効果は出たか？」
633	春希	Haruki	「それならボーナストラック以外は終わりました。 けど…」
634	浜田	Hamada	「そうか、完成したか！」
635	春希	Haruki	「ええ、ピアノ曲の方は全部。 ですが…」
636	浜田	Hamada	「そっかそっか！ いやぁ、よかったな、ほっとしたよ！ それじゃもう延期はないな」
637	春希	Haruki	「はぁ…」
638			最近、俺のせいで色々と胃を痛めていただろう浜田さんは、 俺の『けど』や『ですが』以前までの台詞に 満面の笑みを見せた。
639	浜田	Hamada	「今回はまぁ、色々トラブって大変だったけど、 北原にとってはいい経験になったんじゃないか？」
640	春希	Haruki	「そうですね… こんなに早いうちから大きな仕事を任せてもらって、 浜田さんにも編集長にも感謝してます」
641	浜田	Hamada	「ま、恩はグラフ本誌の方で返してくれ。 お前がアンサンブルに取られてた間の仕事、 随分と溜まってるからな？」
642	春希	Haruki	「ええ、来月になったら…」
643			どうやら浜田さんの中では、 アンサンブル増刊号の件は すっかり終わったことのようだった。
644			…まぁ、俺もそう余計な騒動を避けるために、 恣意的な言い方をしてることは否定しないけど。
645	浜田	Hamada	「明日は追加公演だよな。 お前も行くのか？」
646	春希	Haruki	「ちょっとわかりません。 まだ残してる仕事があるから」
647	浜田	Hamada	「なんだよ薄情な奴だな。 ずっと張り付いてたんだろ？　しかも元同級生。 だいぶ思い入れが深まったんじゃないのか？」
648	春希	Haruki	「………仕事ですから」
649			今さら深まるような隙間なんかなかったし…
650	浜田	Hamada	「ま、いいか。とにかくお疲れ様。 今週末はゆっくり休んでいいぞ」
651	春希	Haruki	「ありがとうございます」
652			ここ最近では珍しく、 浜田さんは最初から最後まで上機嫌だった。
653			きっと、ボーナストラックが完成しなくても、 そのままＣＤが完成するって信じているんだろうな。
654			………明日は携帯の電源を落としておこう。
655			もしかかってくるとしたらきっと、 浜田さんの雷が何度落ちてもおかしくない程の ギリギリの戦いの真っ最中だろうから。
656			………	.........
657	男性スタッフ	Male Staff	「え…じゃあなに？ 今日の収録は中止？」
658	雪菜	Setsuna	「申し訳ありませんっ！ その…まだ曲が完成してなくて」
659	男性スタッフ	Male Staff	「嘘ぉ、勘弁してよ… 俺、今月そんな現場ばっかり」
660	ディレクター	Director	「収録中にスタジオの中で作曲とか… どこの緒方英二だよ」
661	女性スタッフ	Female Staff	「山口さんその喩え古くありません？」
662	ディレクター	Director	「いや、俺ＡＤになって初仕事があの人の現場でさぁ。 …初日で逃げ帰ろうかと思ったよ」
663	女性スタッフ	Female Staff	「やっぱり相当古いじゃないですか…」
664	男性スタッフ	Male Staff	「それで、次収録できるのいつなの？ 今月中死守って聞いてるけど、 ２月って明日で終わりだよ？」
665	ディレクター	Director	「今年がうるう年で良かったよねぇ… でなければバッドエンド確定だ」
666	雪菜	Setsuna	「明日…間違いなく明日には！ 皆さんにはお休みの予定のところ申し訳ありませんが、 もうあと一日だけ付き合ってくださいっ！」
667	ディレクター	Director	「明日なら…絶対間に合うの？」
668	雪菜	Setsuna	「はい！　必ず！ かずさに…冬馬さんに代わって約束します！」
669	女性スタッフ	Female Staff	「そりゃ、私たちは 今月いっぱい予定取ってあるからいいけど…」
670	男性スタッフ	Male Staff	「彼女…明日コンサートだよね？」
671			………	.........
672	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
673	雪菜	Setsuna	「…というわけで、収録スケジュールの変更はＯＫ。 明日の………２２時からってことで」
674	春希	Haruki	「うわぁ…」
675			タイトロープに切れ目が入った…
676	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
677	雪菜	Setsuna	「工場への納品は明後日の１０時だけど、 わたしたち以外の作業の都合も考えると、 実質、収録に使える時間は２時間程度…」
678	春希	Haruki	「それって、つまり…」
679	雪菜	Setsuna	「うん… 締め切りはリアルで二月いっぱい。 １秒でも三月に入ったらアウトだと思って」
680	春希	Haruki	「………」	"........."
681			冗談みたいに出来すぎたデッドラインに、 思わず笑みが込み上げ… るような不謹慎なことはしなかったけれど。
682			それでも、その笑うしかない状況は、 わかってはいたけれど、俺たちに重くのしかかる。
683	かずさ	Kazusa	「ふ～んふふ～ん♪ …あ、今のちょっといいかな」
684	春希	Haruki	「かずさ…」
685	かずさ	Kazusa	「ん～んん～…と。 ここで転調入れるか…」
686	春希	Haruki	「おい、聞いてんのかよかずさ！ 明日の予定のことだぞ？」
687	かずさ	Kazusa	「今あたしに話しかけるな。 忙しいんだこっちは」
688	春希	Haruki	「そんなこと言ってる場合じゃないだろ！ お前が一番関係あるんだぞ？」
689	かずさ	Kazusa	「へぇ、面白いこと言うなぁ春希。 あたしが今ここで“そんなこと言ってる”のは 誰のせいだと思う？」
690	春希	Haruki	「………」	"........."
691	かずさ	Kazusa	「お前が今朝起こしてくれないから２時間遅れ。 お前担当の詞がなかなかできなくて１０時間遅れ。 お前がロゴの発注を忘れて１２時間遅れ」
692	春希	Haruki	「………………」
693	かずさ	Kazusa	「しめてちょうど２４時間。 …お前が順調なら今ごろ収録は終わってただろうなぁ」
694	春希	Haruki	「………………………」
695	雪菜	Setsuna	「先、進めるね。 いいかな？」
696			雪菜は、俺がかずさに罵倒されまくる間、 止めようとか俺を庇おうとかいう態度を まったく見せなかった。
697			だって、見えているから。
698			俺を罵倒するかずさの、 とても悪戯っぽく、楽しげな笑顔が。
699	雪菜	Setsuna	「だから、みんなで最善を尽くそう？ 明日の２２時までに作曲を終わらせて、 完全に弾けるように練習して…」
700	春希	Haruki	「けど、かずさはコンサートが…」
701	雪菜	Setsuna	「１５時に会場入りだから… それまでには曲を仕上げてもらう。 できるよね、かずさ？」
702	かずさ	Kazusa	「できるじゃなくて、やるんだよ。 大丈夫だ、完成するまでは会場に行かないから」
703	春希	Haruki	「いや行けよ。 コンサートサボろうとすんな」
704	かずさ	Kazusa	「冗談だ。ちゃんと間に合わせるから。 …だからお前たちは、あたしがコンサートやってる間に、 ちゃんと新曲をマスターしておくんだ」
705	春希	Haruki	「え…」
706	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
707			それは、最後のスケジュールが提示された時に、 必ず至る結論のはずだった。
708	かずさ	Kazusa	「曲ができても、 お前が弾けなくちゃ意味がないだろ。 雪菜が歌えなければもっと意味がないよな」
709	かずさ	Kazusa	「だから、あたしが戻るまでずっと、 お前たちはここで練習してろ」
710	春希	Haruki	「それって…」
711			またしても俺は、 俺たちは…
712	かずさ	Kazusa	「あたしが戻ってくるまでに、 弾けるようになってないと承知しないからな」
713			かずさのコンサートに行くことはないんだって。
714	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
715			かずさのその言葉を、 雪菜は、冷静に受け止めてた。
716			彼女は、最初からその結論に気づいてた。 というか、その選択肢しかないことを知っていた。
717	春希	Haruki	「かずさ…」
718			いや、俺だって気づいてた。 ただ、気づくことから逃げていた。
719	かずさ	Kazusa	「あのときとは、違うよ…」
720	春希	Haruki	「っ…」
721			俺の数秒の沈黙に、 かずさは正しい答えを返した。
722			一月前のコンサート。
723			素人には聴き取れなかった。 評論家が悪い方に感じ取った。 かずさの、ほんの少しの乱れ。
724			俺が、会場に来なかったから。 俺と雪菜が、二人きりで過ごしてたから。
725	かずさ	Kazusa	「今は、その場にいなくても、 お前のことを感じられるから、さ」
726	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
727			けれど、今のかずさは、 雪菜の目の前でこんな問題発言をしてしまうほど、 全身に、自信をみなぎらせている。
728	かずさ	Kazusa	「だから明日は、間違いなく最高のコンサートになる。 お前たちは聴けなかったことを後で悔しがればいい」
729			リハーサルなんか、全然できてない。
730			前回と比べても、練習以外は明らかに準備不足。 しかも寝不足で、体力的にも精神力的にも問題は山積みで。
731			それなのに、この自信はなんだ…？
732	かずさ	Kazusa	「そんな心配そうな顔するな。 三人揃えばなんでもできるって言ったのはお前だろ？」
733	春希	Haruki	「かずさ…」
734	かずさ	Kazusa	「明日、会場にお前たちはいなくても、 あたしたちは三人で演奏してる。 …だから、なんでもできるんだよ」
735			この信頼は…なんなんだろう、な。
736	かずさ	Kazusa	「さぁ、夜が明けてきた。 そろそろ、ラストスパートかけないとな」

Script Chart

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