White Album 2/Script/2030
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Speaker | Text | Comment | |||
---|---|---|---|---|---|
Line # | JP | EN | JP | EN | |
1 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
2 | ??? | ??? | 「………さん」 | ||
3 | 春希 | Haruki | 「ん…」 | ||
4 | ??? | ??? | 「北原さん、北原さんってば」 | ||
5 | 春希 | Haruki | 「ん…んぁ?」 | ||
6 | 孝宏 | Takahiro | 「こんなところで寝てると風邪ひくって。 客間に布団ひいてあるからそこで寝なよ」 | ||
7 | 春希 | Haruki | 「ごめん…寝てたんだ。 今何時?」 | ||
8 | 孝宏 | Takahiro | 「8時だけど…いつ戻ってきてたの? 夜中に一度出てったよね?」 | ||
9 | 春希 | Haruki | 「ああ…6時前かな? 新聞取りに出てきたお父さんに開けてもらって…」 | ||
10 | 孝宏 | Takahiro | 「朝飯できてるからって、母さんが。 今持ってくるから」 | ||
11 | 春希 | Haruki | 「いや、悪いよ… 勝手に押しかけたのに」 | ||
12 | 孝宏 | Takahiro | 「もう作っちゃったから、 食べない方が悪いことになるけど?」 | ||
13 | 春希 | Haruki | 「…すいません。 ありがたくいただきます」 | ||
14 | 俺がこの小木曽家に押しかけたのは、 昨夜の10時を過ぎた頃だった。 | ||||
15 | 門限になっても帰らない、居場所も連絡してこない 小木曽家の長女についての事情説明と協力要請に、 お父さんは渋い顔をして、お母さんは逆に恐縮した。 | ||||
16 | 春希 | Haruki | 「あ、それで雪菜から連絡は…」 | ||
17 | 孝宏 | Takahiro | 「いや、まだだけど」 | ||
18 | 春希 | Haruki | 「そう…」 | ||
19 | 孝宏 | Takahiro | 「ったく北原さんもさぁ… そこまで姉ちゃん甘やかすことないって」 | ||
20 | 春希 | Haruki | 「でも…きっかけ作ったの俺たちだし」 | ||
21 | 孝宏 | Takahiro | 「どうせ友達の家にでも転がり込んでんだよ。 で、こっちから連絡しても居留守使われてオシマイ。 そんなに一生懸命探したって無駄だって」 | ||
22 | 春希 | Haruki | 「無駄であることが最良の結果だから。 そうである可能性が一番高いってのは好材料だ」 | ||
23 | 孝宏 | Takahiro | 「…この調子じゃつけ上がるわ、姉ちゃんも。 そんなんじゃ北原さん一生苦労するぜ?」 | ||
24 | 春希 | Haruki | 「はは…」 | ||
25 | 俺の考えた“筋書き”はこうだった。 | ||||
26 | 来週の月曜に開催されるバレンタインコンサートに、 久々に参加エントリーしたのは、 『俺たち』武也と依緒と俺の悪ノリだった。 | ||||
27 | ブランクも久しい、しかも誕生日当日の イベントということで、事後承諾で参加を決められていた ボーカル担当は、俺たちの身勝手を怒り参加を拒否。 | ||||
28 | その後、何時間もかけた説得工作も不調のまま、 彼女の機嫌をますます悪くするだけで、 とうとう最後には一人飛び出して行ってしまった。 | ||||
29 | その後、まったく連絡が取れなくなってしまったことを 心配し、行き先の心当たりを聞くために、 小木曽家を訪れた、と。 | ||||
30 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「本当にごめんなさいね北原さん」 | ||
31 | 春希 | Haruki | 「いえ、こちらこそ… 早朝からお邪魔させてもらった上に朝食まで」 | ||
32 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「あの子ももう大人なんだから、 そんなに心配することも…」 | ||
33 | 春希 | Haruki | 「それでも、万が一ってこともありますから」 | ||
34 | 孝宏 | Takahiro | 「北原さん、父さんと同じくらい心配性だよな。 俺なんか、みんなほったらかしなのに」 | ||
35 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「あんたは心配しようにも、 いっつも鉄砲玉みたいに出ていったきりで、 探しようがないからじゃない」 | ||
36 | 孝宏 | Takahiro | 「大体、姉ちゃんが帰らないのって、 そのコンサートに出たくなくて拗ねてるだけだろ? だったら、こっちが諦めれば大人しく帰ってくるって」 | ||
37 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「でもせっかくエントリーしたのに。 みんなが楽しみにしてるんなら歌うくらい…」 | ||
38 | 春希 | Haruki | 「いえ、勝手に決めた『俺たち』が悪いんですから。 雪菜が嫌だって言うなら、もう出るつもりはないです。 …ただ、今はそのことを伝える手段もなくて」 | ||
39 | あの放送の後、部室に押しかけた俺たちに対して、 放送研の連中は気の毒なくらい平謝りした。 | ||||
40 | 出場を取り下げることも承諾した。 雪菜本人に直接謝ることも申し出てくれた。 | ||||
41 | ただ、俺たちの出場が本意じゃなかったってことは、 部員一同、心から残念がってた。 | ||||
42 | 少なくとも、彼らが雪菜の『あの歌』を 本気で待望してたってのだけは、実感した… | ||||
43 | つまり、俺たちだけじゃなく彼らまでもが、 たった一人の悪戯っ子の手のひらで 踊らされていたってことで… | ||||
44 | 依緒 | Io | 「あんた一体何がしたいのよ…?」 | ||
45 | 朋 | Tomo | 「なにって…?」 | ||
46 | 依緒 | Io | 「あんな風に雪菜を罠にはめて、苦しめて… 一体なにが目的なのかって聞いてるのよ!」 | ||
47 | 武也 | Takeya | 「お、おい、依緒。 いきなり喧嘩腰になんなよ。 それじゃまとまるもんも…」 | ||
48 | 朋 | Tomo | 「ん~、それって手段と目的を取り違えてません?」 | ||
49 | 武也 | Takeya | 「は、はぁ?」 | ||
50 | 朋 | Tomo | 「だって、わたしにとっては、 小木曽雪菜を泣かせることこそが目的そのものなんだし」 | ||
51 | 依緒 | Io | 「な…なに言ってんの、あんた…?」 | ||
52 | 朋 | Tomo | 「わたしのしたいことは、 小木曽雪菜を苦しめること。 徹底的に貶めること…って言ってますが」 | ||
53 | 依緒 | Io | 「い…いい加減にしろよこの○○○○!」 | ||
54 | 武也 | Takeya | 「…まとめる気ないのね、そっちも」 | ||
55 | 朋 | Tomo | 「だってさぁ…今の小木曽雪菜って、 全然、小木曽雪菜じゃなくないですか?」 | ||
56 | 春希 | Haruki | 「え…」 | ||
57 | 朋 | Tomo | 「あんなのに付属時代、 ずっと勝てなかったなんて認めたくないもの。 だから余計にムカついて」 | ||
58 | 依緒 | Io | 「もともと雪菜はあんたの敵なんかじゃない。 あんたみたいにドロドロの上昇志向なんかない、 普通の…ずっと普通を求めてる女の子だよ」 | ||
59 | 朋 | Tomo | 「だいたい、たった1曲歌うだけでなにビビってんの。 三年前はあんなに堂々と… 観客に媚びながら歌ってたくせに」 | ||
60 | 武也 | Takeya | 「…あれだってリハまではガチガチだったんだぜ?」 | ||
61 | 朋 | Tomo | 「あのステージのせいで、 わたしがどれだけ煮え湯飲まされたか… それまでの投票数は互角だったはずなのに」 | ||
62 | 依緒 | Io | 「昔とは違うんだよ。 今の雪菜は…」 | ||
63 | 朋 | Tomo | 「いつから歌わなくなったんでしたっけ? 前に同じ事聞きましたよね? わたし」 | ||
64 | 春希 | Haruki | 「柳原さん…?」 | ||
65 | 依緒 | Io | 「………付属を卒業してから。 それ以来、一度も歌ってるの見たことない」 | ||
66 | 朋 | Tomo | 「なんでそんなことになったんでしょうね… もしかしたら、そうなった理由の方が、 わたしなんかよりよっぽどタチ悪くありません?」 | ||
67 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
68 | 依緒 | Io | 「それは、それはさぁ…っ」 | ||
69 | 朋 | Tomo | 「嫌なら断ればいいんじゃないですか? どうやら放送研もビビっちゃったみたいだし。 多分、向こうが全部責任被ってくれるでしょ」 | ||
70 | 武也 | Takeya | 「断るのだって辛い思いするんだぞ? 雪菜ちゃん、歌えない自分を責めるんじゃないかな?」 | ||
71 | 朋 | Tomo | 「うん、そう思う」 | ||
72 | 依緒 | Io | 「な…んだって?」 | ||
73 | 朋 | Tomo | 「さっきも言ったじゃない。 わたしのしたいのは、小木曽雪菜を苦しめること、って」 | ||
74 | 武也 | Takeya | 「そこまで… そこまでなのかよ、お前…」 | ||
75 | 朋 | Tomo | 「わたしはね…自分の目的のためなら手段を選ばないの。 北原さんや飯塚さんなら、よくわかってるんじゃない?」 | ||
76 | 武也 | Takeya | 「っ…」 | ||
77 | 依緒 | Io | 「…あたしもう嫌。 コイツの顔、二度と見たくない」 | ||
78 | 朋 | Tomo | 「ま、とにかく、そんなわけだから。 他に用がないのなら帰らせてもらいますね。 …来週のイベントの打ち合わせもあるし~」 | ||
79 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
80 | 朋 | Tomo | 「それじゃあ… バレンタインコンサート、楽しみにしてますね?」 | ||
81 | 春希 | Haruki | 「なぁ、柳原さん… 最後に、もう一つだけ教えてくれ」 | ||
82 | 朋 | Tomo | 「なんですか?」 | ||
83 | 春希 | Haruki | 「本当に君は…雪菜が嫌いなだけなのか?」 | ||
84 | 朋 | Tomo | 「うん、嫌い」 | ||
85 | 春希 | Haruki | 「それは一面的にはそうだとは思うけどさ… ちょっとくらい、好きだったり、 気に入ったりとかしてないか? 本当は」 | ||
86 | 朋 | Tomo | 「………」 | "........."
| |
87 | 春希 | Haruki | 「だから雪菜のこと、歯痒く思ってるんじゃないのか? …自分の理想とかけ離れてる、今の雪菜が」 | ||
88 | 朋 | Tomo | 「…やっぱりねぇ。 彼女、まだあなたの影響受けてたんだ」 | ||
89 | 春希 | Haruki | 「どういう意味?」 | ||
90 | 朋 | Tomo | 「小木曽さんもね…わたしに歩み寄ろうとしてた。 『ちょっとだけ嫌いじゃなくなりかけてたのに』とか、 『話し合ってみようって思ってたのに』とかさぁ」 | ||
91 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
92 | 朋 | Tomo | 「涙ぽろぽろ零しながら、 そんな甘っちょろいこと言っちゃって… 痛快だったなぁ」 | ||
93 | 春希 | Haruki | 「そう…」 | ||
94 | 朋 | Tomo | 「そんなふうにさ… あなたの言うこと盲目的に信じちゃうから、 いっつも傷ついてるんだよね、彼女」 | ||
95 | 春希 | Haruki | 「それは…うん。 俺のせいだな。 なんとかしないとって思ってる」 | ||
96 | 朋 | Tomo | 「…ほんと彼氏も彼女も。 どっちもどうしようもないんだから」 | ||
97 | ……… | .........
| |||
98 | 春希 | Haruki | 「天野さんのお宅ですか? 私、峰城大学付属学園同窓会幹事の北原と申します。 尚さんはご在宅でしょうか?」 | ||
99 | 昨夜は一度、小木曽家を失礼し、 夜通しで、雪菜がいそうな場所を探し回った。 | ||||
100 | 春希 | Haruki | 「…天野さん? 久しぶり、E組の北原です。 覚えてるかな?」 | ||
101 | …と言っても、もともと夜遊びなんかしない雪菜のこと。 探し回る範囲もジャンルも限られていた。 | ||||
102 | 春希 | Haruki | 「実は今日電話したのは、 今度、うちらの代で同窓会の企画が上がってて。 で、俺がその代表幹事をやってるんだけど」 | ||
103 | 特にマークしたのが、深夜営業のカラオケボックス。 南末次から御宿あたりの十軒近くの全部屋を見て回った。 | ||||
104 | …店員にも客にも相当不審な目で見られたけど、 そんなことに臆してる場合じゃなかった。 | ||||
105 | 春希 | Haruki | 「ああ、日程はまだ決まってないんだ。 とりあえず今は招待状の送り先を確認してるところ」 | ||
106 | その他の数少ない心当たりも全て空振りに終わり、 疲れた足を引きずって、また小木曽家に戻ったのは、 ここを前線基地にしようという俺の横暴な計算から。 | ||||
107 | 春希 | Haruki | 「うん、そう。 最近は個人情報の取り扱いが厳しくってさ。 こういうのもなかなか難しいことになってる」 | ||
108 | まず狙ったのは、雪菜の今までの住所録。 付属、中学、小学校までの全ての個人情報集。 | ||||
109 | 春希 | Haruki | 「で、細かい連絡はいずれ、 A組のクラス幹事の小木曽さんから行くと思うから」 | ||
110 | そして、家族の情報網。 | ||||
111 | 親しかった友達とか、近所の知り合いとか、親戚とか、 雪菜が少しでも頼りそうな相手の特定。 | ||||
112 | 春希 | Haruki | 「覚えてるよね? 小木曽雪菜さん。 ………最近、彼女と連絡取ったこととかない?」 | ||
113 | それらをこうして一つ一つしらみ潰しにしていく。 …もちろん、こちらの事情などおくびにも出さずに。 | ||||
114 | 親との関係が良好な小木曽家だからこそ… | ||||
115 | ご近所や親戚筋からの信頼を勝ち得ている 小木曽家だからこそできる、厚かましい作戦。 | ||||
116 | こんな素直な環境で育ち、 あんな素直な女の子へと成長した雪菜。 | ||||
117 | …どうして俺は、 あんなにも素敵な彼女を苦しめてしまってるんだろう。 | ||||
118 | 春希 | Haruki | 「あ、池辺さんのお宅ですか? 私、峰城大学付属学園同窓会幹事の…」 | ||
119 | …なんて、今は後悔してる場合じゃない。 | ||||
120 | 一度壊したものは取り返しがつかないのなら、 これからの行いで積み上げていくしかないだろう? | ||||
121 | ……… | .........
| |||
122 | 依緒 | Io | 「とりあえず、政経の三年の心当たりには全部当たった。 …結局、空振りだったけどね」 | ||
123 | 春希 | Haruki | 「そっか…」 | ||
124 | こんな、砂漠で針を探すような作戦に、 わざわざ付き合ってくれる物好きが他にも二人。 | ||||
125 | 依緒は、俺と同じく まるでマンション販売のような電話攻勢で。 | ||||
126 | 大学に入ってからの雪菜の交友関係に絞って、 片っ端から洗ってもらってた。 | ||||
127 | 依緒 | Io | 「次はゼミ関係行ってみる。 それで駄目ならサークル関係」 | ||
128 | 春希 | Haruki | 「雪菜、サークルなんて入ってたっけ?」 | ||
129 | 依緒 | Io | 「しつこく勧誘があったところなら2、3心当たりがある。 ま、大抵はあたしが蹴散らしたから多分無関係だけど」 | ||
130 | 春希 | Haruki | 「…お前、マネージャーみたいだな」 | ||
131 | 依緒 | Io | 「雪菜を看板にしようとするサークル多かったからね。 ここ数年、本来の露払いが機能してなかったから 苦労したのなんの」 | ||
132 | 春希 | Haruki | 「………悪い」 | ||
133 | 依緒 | Io | 「これっきりだからね、そういうの。 後は本業のマネージャーに任せたからな?」 | ||
134 | 春希 | Haruki | 「タレントが任命してくれたらな」 | ||
135 | 依緒 | Io | 「まずは面接しろ。 じゃあな」 | ||
136 | ……… | .........
| |||
137 | 武也 | Takeya | 「とりあえず有海は一回りしたけど、 雪菜ちゃんらしきコはいなかった。 …まぁ、いても見つけられるかはわかんないけど」 | ||
138 | 春希 | Haruki | 「まぁ、それはそうだよな…」 | ||
139 | 武也 | Takeya | 「んじゃ、次は成田行ってみる」 | ||
140 | 春希 | Haruki | 「ごめんな。 多分、絶対にいないと思うけど…」 | ||
141 | で、武也は足を使った体力勝負で。 | ||||
142 | 俺が考えつく限りの雪菜がいそうな心当たりを、 行ける限り探し回ってもらっていた。 | ||||
143 | 武也 | Takeya | 「一億分の一でも可能性があるなら行くさ。 雪菜ちゃんのためだもんな」 | ||
144 | 春希 | Haruki | 「…ほんと、悪い」 | ||
145 | 武也 | Takeya | 「いいよ、ホワイトデーに返してもらう。 もちろん三倍返しでな」 | ||
146 | 春希 | Haruki | 「わかった、必ず返す。 …本気で依緒の説得に回るから」 | ||
147 | 武也 | Takeya | 「…それは恩返しとは言わん。 意趣返しと言うんだ」 | ||
148 | なぁ、雪菜… だからいい加減、帰って来いよ。 | ||||
149 | みんな、こんなに一生懸命探してくれてるぞ? 雪菜のこと守ろうって、頑張ってくれてるぞ? | ||||
150 | だから一人で苦しんでないで、 頼むから、皆を頼ってくれ。 | ||||
151 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
152 | ああ、そうだな… いい加減、セコく取り繕うのは卑怯だよな。 | ||||
153 | なぁ、雪菜… いい加減、帰って来いよ。 | ||||
154 | 俺、こんなに一生懸命探してるんだぞ? 雪菜のこと守ろうって、頑張ってるんだぞ? | ||||
155 | だから一人で苦しんでないで、 頼むから、俺を頼ってくれ。 俺だけを頼ってくれ。 | ||||
156 | 俺を…求めてくれよ。 | ||||
157 | ……… | .........
| |||
158 | …… | ......
| |||
159 | … | ...
| |||
160 | 春希 | Haruki | 「はい、はい…ありがとうございました。 それでは、失礼します」 | ||
161 | 春希 | Haruki | 「ふぅぅぅぅ~」 | ||
162 | 午前中から、かけた電話の件数はもう三桁を超えた。 もともと成果を期待できなかったローラー作戦は、 見事なまでに当初の予想通りの結果に落ち着きつつあった。 | ||||
163 | 住所録に載ってたクラスメイトの家には全部連絡した。 | ||||
164 | お母さんに教えてもらった友人、親戚筋にも 全部確認を取った。 | ||||
165 | その中には、俺たちが家族に内緒で世話になった、 北関東の温泉旅館の電話番号まで含まれてた。 | ||||
166 | …もちろんそこは、 雪菜の傷心旅行先ではなかったけれど。 | ||||
167 | 孝宏 | Takahiro | 「あれぇ? まだやってたの北原さん? もう夕方だぜ?」 | ||
168 | 春希 | Haruki | 「ああ…ごめん。 こんなに長居して…本当に迷惑かけてます」 | ||
169 | 孝宏 | Takahiro | 「いや、迷惑かけてるのウチの家族の方だし」 | ||
170 | 孝宏君に現実に引き戻され、ふと外を見ると、 いつの間にか陽はビルに隠れるほどまで下りていた。 | ||||
171 | 時計を見ると、そろそろ午後4時。 外回りの武也も、こっちに戻ってくる頃だった。 | ||||
172 | 孝宏 | Takahiro | 「ほんっとに姉ちゃんは…来年には卒業だってのに どうしてここまで子供っぽさが抜けきらないかな。 …ねぇ北原さん、本当にあの姉でいいの?」 | ||
173 | 春希 | Haruki | 「いや…どちらかと言うと、 雪菜でなくちゃ駄目だというか」 | ||
174 | 孝宏 | Takahiro | 「………は、はは」 | ||
175 | 春希 | Haruki | 「あ…いや、その…」 | ||
176 | 軽くあしらうつもりだったのに、 何だか言葉の選び方を間違えたっぽかった。 | ||||
177 | 家族にこんな青臭いこと言ったって、 思いっきり気まずくなるだけなのに… | ||||
178 | 孝宏 | Takahiro | 「よしわかった! そこまで姉ちゃんに騙されてる北原さんに免じて、 今から俺も手伝うよ!」 | ||
179 | 春希 | Haruki | 「…君、もうすぐ入試だろ」 | ||
180 | …とならないところが、 小木曽家の気楽なところというか。 父親を除いて。 | ||||
181 | 孝宏 | Takahiro | 「大丈夫だって! 今さらジタバタしたって始まらないし。 大船に乗ったつもりでドーンと構えてればさ」 | ||
182 | 春希 | Haruki | 「それは毎日の積み重ねがあって 初めて言える台詞だと思うけど…」 | ||
183 | 孝宏 | Takahiro | 「遠慮しないでいいって。 どうせ昼過ぎから全然進んでなかったんだし」 | ||
184 | 春希 | Haruki | 「よくないだろ全然」 | ||
185 | 孝宏 | Takahiro | 「いやほら、俺だって姉ちゃん心配だし。 …たとえ態度からしてとてもそうは見えないとしても」 | ||
186 | 春希 | Haruki | 「だいたい孝宏君、どうして学校行ってないんだよ? 今日、平日だろ?」 | ||
187 | 孝宏 | Takahiro | 「へ…?」 | ||
188 | 春希 | Haruki | 「そりゃ、今の時期は自主登校かもしれないけど、 君は仮にもクラス委員なんだから…」 | ||
189 | 孝宏 | Takahiro | 「………」 | "........."
| |
190 | 春希 | Haruki | 「どうした? 何か俺、変なこと言ったっけ?」 | ||
191 | 孝宏 | Takahiro | 「………今日、祝日だよ?」 | ||
192 | 春希 | Haruki | 「………え?」 | ||
193 | 孝宏 | Takahiro | 「建国記念の日じゃん。 授業なんてやってないよ。 肝心なところで抜けてるんだからなぁ北原さん」 | ||
194 | 春希 | Haruki | 「………………………祝日?」 | ||
195 | 孝宏 | Takahiro | 「…北原さん?」 | ||
196 | その瞬間… | ||||
197 | 俺は、あまりの迂闊さに、 自分を呪うことも、地団駄を踏むこともできず、 しばらくその場に立ちすくんでいたらしい。 | ||||
198 | 祝日… 大学も、そして付属も休みの日。 | ||||
199 | 普段なら一人でいられないはずの あの『思い出の場所』が… | ||||
200 | 今日はずっと、空いていたかもしれなかったなんて。 | ||||
201 | ……… | .........
| |||
202 | …… | ......
| |||
203 | … | ...
| |||
204 | 春希 | Haruki | 「っ…」 | ||
205 | なんて、こった… | ||||
206 | 春希 | Haruki | 「ごめん、遅くなった」 | ||
207 | 肝心なところで抜けてるにも程がある。 | ||||
208 | 雪菜 | Setsuna | 「………別に、呼んでないよ?」 | ||
209 | ずっと、ここにいたのに。 | ||||
210 | 雪菜はここにいるかもって、 最初に思い至っていたのに。 | ||||
211 | 春希 | Haruki | 「呼んでなくても駆けつけないといけなかった。 なんか、色々な意味で失格だ、俺…」 | ||
212 | 雪菜 | Setsuna | 「色々って、なに? 友達として? 彼氏として? それとも…ギター担当として?」 | ||
213 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
214 | 雪菜は、思ったほど動転してなかった。 | ||||
215 | いや、それとも、まる一日一人で悩み過ぎたせいで、 涙も苦悩も葛藤も、綺麗さっぱり消えてしまったのかも。 | ||||
216 | …ただ、表情から。 | ||||
217 | 雪菜 | Setsuna | 「三年ぶり、だね、ここ」 | ||
218 | 春希 | Haruki | 「うん…」 | ||
219 | 雪菜は、舞台の上にいた。 俺たちの、思い出の舞台に。 | ||||
220 | 雪菜 | Setsuna | 「ええと…こんにちは。 軽音楽同好会です」 | ||
221 | 舞台の前の方に腰掛け、 足を交互にぶらつかせ、天井を見上げ、 思い出に耽るように。 | ||||
222 | 雪菜 | Setsuna | 「今日は峰城大付属学園祭にようこそ。 皆さん、楽しんでますか?」 | ||
223 | 懐かしそうに目を閉じて… | ||||
224 | そして、こみ上げてくるものを抑え込むように、 時おり、歯を食いしばり。 | ||||
225 | 雪菜 | Setsuna | 「ええと…喋ること考えてなかったので、 ちょっとぎこちなくなると思いますがごめんなさい」 | ||
226 | 三年前の台詞を、そのままその唇に乗せて。 | ||||
227 | 雪菜 | Setsuna | 「もう、二度と歌うつもりなんてなかったので、 声が出ないかもしれないけど…許してくれますか?」 | ||
228 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
229 | そして、あの時から三年後の自分の現状を、 正直に告白した。 | ||||
230 | 雪菜 | Setsuna | 「どうして…こうなっちゃうんだろうね。 いつも、いつも…」 | ||
231 | 天井に向けられていた顔を足下に向け、 自らの揺れる脚をしばらく見つめ… | ||||
232 | 雪菜 | Setsuna | 「ねぇ、どうしよう? 春希くん、わたしはどうしたらいい?」 | ||
233 | そしてやっと… その顔を、俺へと向けてくれた。 | ||||
234 | ………目は、真っ赤だった。 | ||||
235 | 春希 | Haruki | 「怖い?」 | ||
236 | 雪菜 | Setsuna | 「うん」 | ||
237 | 春希 | Haruki | 「逃げたい?」 | ||
238 | 雪菜 | Setsuna | 「すごく」 | ||
239 | 春希 | Haruki | 「じゃあ、逃げる?」 | ||
240 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
241 | 春希 | Haruki | 「歌える?」 | ||
242 | 雪菜 | Setsuna | 「ううん…」 | ||
243 | 春希 | Haruki | 「じゃあ、歌わない?」 | ||
244 | 雪菜 | Setsuna | 「………っ」 | ||
245 | 春希 | Haruki | 「歌は、好き?」 | ||
246 | 雪菜 | Setsuna | 「ううん」 | ||
247 | 春希 | Haruki | 「じゃあ…嫌い?」 | ||
248 | 雪菜 | Setsuna | 「………………………ぅん」 | ||
249 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
250 | 都合の悪い質問には、 黙秘権を行使してた雪菜だったけど… | ||||
251 | 雪菜 | Setsuna | 「歌は、嫌いなの。 もう、二度と歌わない」 | ||
252 | 最後のその一つにだけは、 多分、きっと、はっきりと偽証した。 | ||||
253 | ……… | .........
| |||
254 | ゆっくりと、舞台の上に立ち上がり、 ゆっくりと、舞台の中央へと歩み寄る。 | ||||
255 | 雪菜 | Setsuna | 「ねぇ、春希くん」 | ||
256 | そこはかつて、雪菜も立っていた場所。 | ||||
257 | 雪菜 | Setsuna | 「わたしはね…」 | ||
258 | 観客の注目を一心に浴び、満面の笑顔で、 素人の手慰みを自信満々で披露した舞台。 | ||||
259 | 雪菜 | Setsuna | 「あなたを好きでい続けるために、 歌の方を嫌いになったの」 | ||
260 | 春希 | Haruki | 「っ…」 | ||
261 | そのMCは、三年間の、正と負が込められた、 俺の心の奥底にえぐり込む言葉の刃。 | ||||
262 | 雪菜 | Setsuna | 「もし歌えば、必ず、この学園祭のステージが… みんなで練習した毎日が、最後の24時間が蘇る」 | ||
263 | 懐かしそうに遠くを見つめながら、 辛そうに虚空を睨みつけながら。 | ||||
264 | 雪菜 | Setsuna | 「けれどね…わたしの記憶は、 その楽しかったところで止まってはくれないの」 | ||
265 | たった一人の観客に向けられた、 灼けるほど熱くて、灼けるほど冷たいメッセージ。 | ||||
266 | 雪菜 | Setsuna | 「お祭りのあとの、夜のこと。 あなたにも隠してた、醜い自分の正体のこと」 | ||
267 | 俺をおもんばかって出さなかった言葉じゃなく、 自分を取り繕うために出せなかった言葉。 | ||||
268 | 雪菜 | Setsuna | 「期末試験のこと、旅行のこと、コンクールのこと。 かずさと、春希くんと、わたしの三人で過ごした、 楽しかった『ふりをしてた』日のこと」 | ||
269 | けど、今日だからこそ、 どうしようもなく漏れ出てしまう。 | ||||
270 | 雪菜 | Setsuna | 「そして、あの… 三年前の、誕生パーティのこと」 | ||
271 | だって…今日は、2月11日。 | ||||
272 | あの、裏切りの日。 | ||||
273 | 雪菜 | Setsuna | 「必死で耳を塞いでも、目を閉じても… それでもまだ記憶は止まってくれなくて…」 | ||
274 | きっと雪菜の目に映るのは、あの日の雪。 雪菜の耳に聞こえるのは、あの日の俺の言い訳。 | ||||
275 | 雪菜 | Setsuna | 「卒業式のことが… 空港での、かずさとの別れのことが、 すごく鮮やかに蘇ってくる」 | ||
276 | 俺の、最低な告白。 俺の、かずさを呼ぶ声。 そして俺たちの…裏切りの証。 | ||||
277 | 雪菜 | Setsuna | 「そんなことばかり続けてたら、 わたし、あなたを嫌いになってしまうかも… 憎んでしまうかもしれなかったから…」 | ||
278 | 『かもしれない』どころじゃない。 | ||||
279 | そんな、憎まない方がおかしい、 単なる“事実”の羅列。 | ||||
280 | 雪菜 | Setsuna | 「だから、歌うのをやめた」 | ||
281 | そこから逃げるために雪菜が取った選択は、 自身のアイデンティティを崩壊させたに等しかった。 | ||||
282 | 雪菜 | Setsuna | 「一度やめたら、忘れるのは早かった。 メロディが頭に浮かばなくなった。 だから口からフレーズが零れることもなくなった」 | ||
283 | だってあの頃の雪菜は、歌と一緒に暮らしてた。 | ||||
284 | 雪菜 | Setsuna | 「ううん、寂しくなんかない。 だって、歌ってた時のことなんて覚えてないもの」 | ||
285 | 周囲から勝手に集まる、望まぬ視線に疲れたとき、 ただ一人カラオケボックスで、 思い切り発散せずにはいられなかったり。 | ||||
286 | 人を避けて屋上にいるときでも、 お気に入りのメロディが流れてきたら、 思わず口ずさまずにはいられなかったり。 | ||||
287 | 雪菜 | Setsuna | 「ねぇ、春希くん…」 | ||
288 | 春希 | Haruki | 「雪菜…」 | ||
289 | 雪菜 | Setsuna | 「わたし、頑張ったんだよ? あなたのために、必死で歌を嫌いになったんだよ?」 | ||
290 | 春希 | Haruki | 「ごめん…」 | ||
291 | 雪菜 | Setsuna | 「なのにあなたは、わたしに歌を思い出せって… もう一度、好きになれって言うの?」 | ||
292 | なのに今の雪菜は… | ||||
293 | 雪菜 | Setsuna | 「わたしがまた歌えるようになったその時… そこには、あなたのことを嫌いになってる わたしがいるかもしれないのに?」 | ||
294 | 歌うことを忘れて、 だから笑うことを忘れて… | ||||
295 | そして、人と触れあうことすらも忘れた。 | ||||
296 | 雪菜 | Setsuna | 「ねぇ、春希くん」 | ||
297 | 雪菜 | Setsuna | 「わたしはやっぱり、あなたのことが好き。 だから、あなたが好きなままのわたしでいたいんだよ」 | ||
298 | 雪菜 | Setsuna | 「だから…できないよ。 もう一度歌うことなんか、できないんだってば…」 | ||
299 | ……… | .........
| |||
300 | …… | ......
| |||
301 | 雪菜 | Setsuna | 「そう…春希くんから聞いてるんだ。 そう、ちょっと…色々あった」 | ||
302 | 雪菜 | Setsuna | 「昨夜は、一人でビジネスホテルに泊まってた。 連絡せずにごめんなさい」 | ||
303 | 雪菜 | Setsuna | 「うん、うん… ごめん、今日も帰らない」 | ||
304 | 雪菜 | Setsuna | 「ううん、大丈夫… 心配いらないから」 | ||
305 | 雪菜 | Setsuna | 「一番、安全なところにいる。 わたしが今、一番安心できるところにいるから」 | ||
306 | 雪菜 | Setsuna | 「だからお願い… しばらく、わたしをそっとしておいて」 | ||
307 | 雪菜 | Setsuna | 「…わかった。 今日はちゃんと電話繋がるようにしとく」 | ||
308 | 雪菜 | Setsuna | 「じゃあ、ね。 ごめんね、お母さん。 お父さんにも、ごめんなさいって」 | ||
309 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
310 | 雪菜 | Setsuna | 「大丈夫…」 | ||
311 | … | ...
| |||
312 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
313 | 雪菜 | Setsuna | 「大丈夫、 大丈夫…」 | ||
314 | 雪菜 | Setsuna | 「わたしは、大丈夫。 もう、迷わない」 | ||
315 | 雪菜 | Setsuna | 「今度、こそ…」 | ||
316 | 春希 | Haruki | 「っ…」 | ||
317 | 大丈夫… | ||||
318 | 俺の部屋へ来るかって呟いたら、 雪菜は、逡巡することもなくこくんと頷いた。 | ||||
319 | 冷え切った身体をシャワーで温めるよう促したら、 黙って浴室へと消えていった。 | ||||
320 | 『今日も帰らない』って、 家に連絡も入れていた。 | ||||
321 | 大丈夫、 大丈夫… | ||||
322 | 写真立てもDVDも、 もちろん、あの時の雑誌も、 全て引き出しの奥に押し込んだ。 | ||||
323 | もう、俺たちの間に三年前の記憶はない。 思い出の痕跡は、お互い全て消し去った。 | ||||
324 | だから大丈夫。 大丈夫、大丈夫だから… | ||||
325 | 今度こそ、今度こそ。 雪菜と、俺は… | ||||
326 | 春希 | Haruki | 「………なんて、な」 | ||
327 | そんなふうに、いくら無理やり盛り上げても、 大丈夫でなんか、あるわけがない。 | ||||
328 | そんなの、単なる二月前の再現だ。 あの時と同じ過ちへと通じる道だ。 | ||||
329 | 確かに今度こそ、雪菜は拒まないかもしれない。 | ||||
330 | あの、クリスマスの夜よりも先へ… 二人の朝へと辿り着くのかもしれない。 | ||||
331 | けれどそれは、信じ合って得られた結果じゃない。 何の憂いもない、心から爽やかな朝じゃない。 | ||||
332 | あの時と同じくらい重い気持ちを抱えたまま、 心の底から繋がれるわけなんかない。 | ||||
333 | 俺たちは、一度それを体験してるのに… どうして繰り返すことができるだろうか。 | ||||
334 | 決めたんだろ? 俺… 雪菜のこと、ずっと待つって。 | ||||
335 | 諦めるのを待つんじゃない。 決断するのを待つんだって。 | ||||
336 | 春希 | Haruki | 「よし…っ」 | ||
337 | ……… | .........
| |||
338 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
339 | 雪菜 | Setsuna | 「だいじょう…」 | ||
340 | 雪菜 | Setsuna | 「………ぇ?」 | ||
341 | 雪菜 | Setsuna | 「っ…春希、くん?」 | ||
342 | 春希 | Haruki | 「ん…お疲れさま。 お茶なら冷蔵庫にペットがあるから。 悪いけど勝手にやってて」 | ||
343 | 雪菜 | Setsuna | 「なに…してるの?」 | ||
344 | 春希 | Haruki | 「ん~?」 | ||
345 | 雪菜 | Setsuna | 「なにしてるのって…聞いてるの」 | ||
346 | とっくに暖房が効いていた部屋の中… 雪菜の声と身体は、震えてた。 | ||||
347 | 春希 | Haruki | 「コンサートまであと2日しかないから…」 | ||
348 | 雪菜 | Setsuna | 「春希くんっ!?」 | ||
349 | 俺を射抜く視線には、 困惑と、焦燥と、絶望が入り混じり、 けれど詰め寄ることもできず、雪菜は立ち尽くす。 | ||||
350 | 春希 | Haruki | 「あの時と比べても、さらにメンバー足りないし、 アコースティックバージョンに直すしかないな。 ボーカルと、ギター1本で聴かせられるように…」 | ||
351 | 雪菜 | Setsuna | 「わたし、歌わないよ!」 | ||
352 | 春希 | Haruki | 「そう…」 | ||
353 | 雪菜 | Setsuna | 「だから、今すぐ弾くのやめて! お願いだから…」 | ||
354 | さっきまで消え入りそうだった雪菜の声に、 強めの張りが戻っていく。 …怒りの感情とともに。 | ||||
355 | 雪菜 | Setsuna | 「どうして、どうしてなの…? なんで、そんな無駄なことするの?」 | ||
356 | 春希 | Haruki | 「無駄、かな?」 | ||
357 | 雪菜 | Setsuna | 「無駄に決まってるよ… だってわたし、歌わないんだよ? コンサートなんか、参加しないんだよ?」 | ||
358 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
359 | けど、その怒りはすぐに勢いを弱め、 『どうして?』って戸惑いの表情が、 俺の瞳の中を覗き込む。 | ||||
360 | 雪菜 | Setsuna | 「そんなことよりも、わたしたちには今、 もっと大切なことがあるよね?」 | ||
361 | バスタオル一枚で身体を覆っただけの雪菜が、 俺の前に、その白い膝をつく。 | ||||
362 | 胸のところを腕で覆ってはいるけれど、 その整った全身の輪郭が、俺の目の前に晒される。 | ||||
363 | 吐息が届くくらいの近い距離で、 雪菜の唇がゆっくり開き、そして… | ||||
364 | 雪菜 | Setsuna | 「わたし…いいんだよ?」 | ||
365 | 春希 | Haruki | 「っ…」 | ||
366 | 熱い吐息が、その決定的な言葉とともに、 俺の頬に触れた。 | ||||
367 | 吐息だけじゃない。 唇も、頬も、肩も…全身が湯上がりの火照りを隠せず、 その心地よさそうな体温を俺に届けてくる。 | ||||
368 | 雪菜 | Setsuna | 「今日は… 絶対に、拒んだりしないよ?」 | ||
369 | 蠱惑的な声と、 麻薬のような言葉とともに。 | ||||
370 | 雪菜 | Setsuna | 「今日だけは、わたしのこと信じて… お願い、春希くん」 | ||
371 | 春希 | Haruki | 「雪菜、俺…」 | ||
372 | 雪菜 | Setsuna | 「わたし、もう、大丈夫だから。 春希くんを傷つけたりしないから」 | ||
373 | 春希 | Haruki | 「そ…か」 | ||
374 | 雪菜 | Setsuna | 「うん、大丈夫… わたしは大丈夫だから」 | ||
375 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
376 | 雪菜 | Setsuna | 「春希、くん…」 | ||
377 | ギターの音が止むと、 まるで魔除けの効力が解けたかのように、 雪菜が、喜び勇んで俺の領域に入り込む。 | ||||
378 | 胸を隠していた手を俺の頬に伸ばし、 いとおしそうに撫でると、 その手に引き寄せられるように、顔を近づける。 | ||||
379 | ごく自然に、俺たちの影が一つに重なろうとして… | ||||
380 | 春希 | Haruki | 「…それって、大丈夫だって言えるのか?」 | ||
381 | 雪菜 | Setsuna | 「え…?」 | ||
382 | けれど俺は、雪菜に対し、 ふたたび呪縛の言葉を唱える。 | ||||
383 | 春希 | Haruki | 「大丈夫って、相手を気づかうための言葉だろ? どうして自分に言い聞かせる必要があるんだ?」 | ||
384 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
385 | だって、雪菜は嘘をついている。 | ||||
386 | 春希 | Haruki | 「本当に相手を求めてるんならさ… 自分が大丈夫かなんて、 そんなこと考えもしないだろ?」 | ||
387 | 雪菜 | Setsuna | 「春希、くん?」 | ||
388 | 俺の曖昧な反応を勝手に肯定と捉えたせいで、 馬脚を現してしまった。 | ||||
389 | 春希 | Haruki | 「俺だったらさ… 自分どころか、雪菜に対してすら 大丈夫だって言えないかも」 | ||
390 | 雪菜 | Setsuna | 「………っ」 | ||
391 | ここに至り、雪菜もやっと、 俺の態度の本当の意味を知る。 | ||||
392 | 俺が、今の雪菜を信じてないって。 | ||||
393 | 俺を想ったり気遣ったりする言葉は信じてるけれど、 自分を決めつけようとする言葉だけは信じてないって。 | ||||
394 | 雪菜 | Setsuna | 「そんなの…男の子の理屈だよ。 [R女の子^こっち]は[R男の子^そっち]より、たくさん勇気がいるんだよ」 | ||
395 | 春希 | Haruki | 「そんなに一生懸命覚悟する必要があるなら、 今は、いいよ」 | ||
396 | 雪菜 | Setsuna | 「春希くん…っ」 | ||
397 | だって、いくら俺にだってわかってしまう。 今の雪菜は、俺に逃げようとしてるって。 | ||||
398 | あの時、雪菜が俺の逃避に気づいた理由が、 今になってはっきりと理解できる。 | ||||
399 | 相手のことを想えば想うほど、 見えてきてしまうものなんだって。 | ||||
400 | 雪菜 | Setsuna | 「どうして…どうしてよ? 春希くん、わたしと、したくないの? わたしのこと、好きじゃないの…?」 | ||
401 | 春希 | Haruki | 「好きだよ…」 | ||
402 | だから俺は、雪菜を安心させるおまじないと… | ||||
403 | 春希 | Haruki | 「世界で二番目に、大好きだ」 | ||
404 | 雪菜 | Setsuna | 「え…」 | ||
405 | 雪菜を不安にさせる呪文を、同時に唱えた。 | ||||
406 | 雪菜 | Setsuna | 「二番…目?」 | ||
407 | 雪菜の紅潮してた顔が、 みるみる青ざめていく。 | ||||
408 | 雪菜 | Setsuna | 「それって、それって… わたし、やっぱり、かずさに…」 | ||
409 | 歌をやめてまで封印してた名前を、 いつしか呟いていく。 | ||||
410 | あんなことを言えばそうなるってわかってた。 いや、そうさせることこそが目的だった。 | ||||
411 | 雪菜 | Setsuna | 「わたし、わたし…どれだけ頑張っても、 いつまでもあなたのこと見続けてきても、 それでも、わたし、かずさには…っ」 | ||
412 | 春希 | Haruki | 「だって… 俺が世界で一番好きな人は、 俺の前で、楽しそうに歌う雪菜だから」 | ||
413 | 雪菜 | Setsuna | 「………ぁ、ぇ?」 | ||
414 | だって… | ||||
415 | 俺の思いの大きさを伝えるには、 これくらいのインパクトが必要だったから。 | ||||
416 | 春希 | Haruki | 「俺の下手くそなギターに、 勝手に乗っかって歌い出す雪菜が」 | ||
417 | 卑怯で、最低な言葉遊び。 | ||||
418 | 春希 | Haruki | 「カラオケ行ったら周りを無視して、 自分の歌いたい曲を5連続で入れて、 マイク絶対離さずに自己陶酔してる雪菜が」 | ||
419 | 武也に教わった、『高めのコ』を狙うための、 落としてから持ち上げる口説き方のテクニック。 | ||||
420 | 春希 | Haruki | 「一週間毎日だろうが、24時間連続だろうが、 どんなキツい練習でも平気で歌い続けてる雪菜が」 | ||
421 | 今の俺は、そんな俗にまみれた手段でも、 すがれるものなら何にだってすがってみせる。 | ||||
422 | 春希 | Haruki | 「リハーサルの時はガチガチだったくせに、 本番になったらノリノリで歌い上げて、 観客の大歓声に完璧な笑顔で応える雪菜が」 | ||
423 | だって… | ||||
424 | 春希 | Haruki | 「好きなんだ… 世界で一番」 | ||
425 | 雪菜 | Setsuna | 「っ…」 | ||
426 | そこまでしたって落とせるかどうか五分五分の、 最高に高めの女の子がターゲットなんだから。 | ||||
427 | 春希 | Haruki | 「俺だけじゃなく、武也も、依緒も… それに、もしかしたら、柳原朋も…」 | ||
428 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
429 | しかも身体だけじゃなく、心の底まで… 骨の髄までも墜とす必要があるから。 | ||||
430 | 春希 | Haruki | 「そういうわけで、その…ごめん。 今は俺…練習の方を優先させる」 | ||
431 | 今はまだ時期尚早。 だから、機が熟すまで待ち続ける。 | ||||
432 | 春希 | Haruki | 「眠かったら、ベッド使っていいから。 ちょっとうるさいかもしれないけど、我慢してな」 | ||
433 | ……… | .........
| |||
434 | …… | ......
| |||
435 | … | ...
| |||
436 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
437 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
438 | 雪菜 | Setsuna | 「…いつまで続けるの?」 | ||
439 | 春希 | Haruki | 「とりあえず、ノーミスで弾けるようになるまで。 …まだまだ道のりは長そうだ」 | ||
440 | 雪菜 | Setsuna | 「わたし、帰ろうかな」 | ||
441 | 春希 | Haruki | 「俺、送れないから。 悪いけど、タクシー呼んで」 | ||
442 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
443 | 練習を始めて一時間。 | ||||
444 | 雪菜は、ベッドの上で膝を抱え、虚ろな表情で、 ギターを弾き続ける俺をじっと見つめ続けてた。 | ||||
445 | 雪菜 | Setsuna | 「練習なんか、したって無駄だよ。 わたし、絶対に歌わないよ?」 | ||
446 | 春希 | Haruki | 「出るにしても出ないにしても、 せめて弾けるようにはなっておかないと」 | ||
447 | 雪菜 | Setsuna | 「歌わないって言ってるじゃない。 だから、出ないんだよわたしたち」 | ||
448 | 春希 | Haruki | 「そっか…」 | ||
449 | 雪菜は、決して俺のしていることを評価しない。 | ||||
450 | そして俺も、決して雪菜の主張を評価しない。 何事もなかったかのように軽く流す。 | ||||
451 | そんな不毛な会話を何度も繰り返し、 俺たちの二人きりの夜は、 お互い、触れあわないままに更けていく。 | ||||
452 | ……… | .........
| |||
453 | 雪菜 | Setsuna | 「ね、春希くん…」 | ||
454 | 春希 | Haruki | 「ん?」 | ||
455 | 次に雪菜が口を開いたのは、 またしても、ぴったり一時間後だった。 | ||||
456 | 雪菜 | Setsuna | 「もしかして、わたしが本当は歌いたがってるとか、 そんな馬鹿みたいなこと思ってる?」 | ||
457 | 春希 | Haruki | 「…わかんない。 今の雪菜が、どれだけ歌を嫌いになってるのか、 俺にはまだよくわかってない」 | ||
458 | 雪菜 | Setsuna | 「大嫌いなんだよ。 『WHITE ALBUM』も、 『SOUND OF DESTINY』も…」 | ||
459 | 春希 | Haruki | 「俺が弾いたときはちゃんと聴いてくれてただろ?」 | ||
460 | 雪菜 | Setsuna | 「春希くんのギターは好き」 | ||
461 | 春希 | Haruki | 「…ありがとう」 | ||
462 | その言い分は詭弁に近かったけど、 それもまた真実なんだろう。 | ||||
463 | 雪菜 | Setsuna | 「でも、この曲だけは駄目。 聴くだけで胸が苦しくなる。 涙がこぼれそうになる」 | ||
464 | 春希 | Haruki | 「そう、か…」 | ||
465 | 雪菜が好きだと思えば好き。 嫌いだと思えば嫌い。 | ||||
466 | 雪菜の世界には、それしかルールが存在しない。 でもそれは、当たり前のこと。 | ||||
467 | 雪菜 | Setsuna | 「だから、歌えるわけなんかない。 これだけは、絶対に…」 | ||
468 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
469 | 俺たちの、思い出の曲だから。 終わりの始まりの曲だから。 | ||||
470 | かずさが作った曲だから… | ||||
471 | ……… | .........
| |||
472 | 雪菜 | Setsuna | 「柳原さんのタチの悪い悪戯なんだよ? わたしたちに参加する義理なんか一つもないんだよ?」 | ||
473 | 春希 | Haruki | 「そう、だな」 | ||
474 | 雪菜 | Setsuna | 「なのに… どうしてあなたまで、彼女と同じこと言うの? わたしに歌えって言うの?」 | ||
475 | 春希 | Haruki | 「さっきも言っただろ。 歌ってる雪菜が好きだから」 | ||
476 | 雪菜 | Setsuna | 「歌わないわたしに価値はないって言うの? ただの素人の…延長線上ですらない 単なる趣味だったのに?」 | ||
477 | 春希 | Haruki | 「好きなんだからしょうがないだろ…」 | ||
478 | 雪菜 | Setsuna | 「理不尽なこと言わないでよ… そんな春希くん…嫌いになっちゃうよ?」 | ||
479 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
480 | 雪菜 | Setsuna | 「言ったよね? わたしが歌を思い出したら、 そうなってしまうかもって」 | ||
481 | 春希 | Haruki | 「うん…」 | ||
482 | 雪菜 | Setsuna | 「本当に…なってもいいの? あなたを、忘れちゃってもいいの?」 | ||
483 | 春希 | Haruki | 「そりゃ、悲しいけど。 ショックでかいけど。 もしかしたら、立ち直れないかもしれないけど」 | ||
484 | 雪菜 | Setsuna | 「なら…」 | ||
485 | 春希 | Haruki | 「それでも俺は、やっぱり雪菜に歌って欲しいなって…」 | ||
486 | 雪菜 | Setsuna | 「どうして…? そんなことが、あなたにとって どれだけ大事だって言うの?」 | ||
487 | 春希 | Haruki | 「俺にとって、じゃなくて… 雪菜にとって、大事だと思うから」 | ||
488 | 雪菜 | Setsuna | 「だから、わたしは…」 | ||
489 | 春希 | Haruki | 「なぁ、雪菜… 今の自分、本当に好きか?」 | ||
490 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
491 | 春希 | Haruki | 「俺のせいで歌わなくなって… そのせいで笑わなくなった自分のこと、 好きでいられてるか?」 | ||
492 | 雪菜 | Setsuna | 「………………」 | ||
493 | 春希 | Haruki | 「歌わない雪菜は、 本当に、本物の雪菜なのかな? 幸せな…雪菜なのかな?」 | ||
494 | あれ…? | ||||
495 | 雪菜 | Setsuna | 「わたしは…雪菜だよ」 | ||
496 | なんだよ、これ… | ||||
497 | 雪菜 | Setsuna | 「正真正銘、本物の小木曽雪菜だよ…っ」 | ||
498 | 俺、あの柳原朋と同じこと言ってるよ。 | ||||
499 | ……… | .........
| |||
500 | 雪菜 | Setsuna | 「もうやめようよ… こんな真夜中にギターなんて、 隣の部屋の人に迷惑だよ」 | ||
501 | 春希 | Haruki | 「隣の人、夜勤なんだ。 今はいないよ」 | ||
502 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
503 | 練習を再開する前、一度隣に挨拶に行ったら、 水曜休みの深夜勤だからって話で、 なるべく昼間に弾かないことを約束した。 | ||||
504 | そもそも雪菜のその指摘は正論なようでいて、 実は本人の気づかないところで穴だらけだった。 | ||||
505 | だって、この時間はいつも雪菜と電話してる。 毎日、ギターを奏でてる。 | ||||
506 | 雪菜 | Setsuna | 「時間切れだよ、もう。 今から頑張ったって間に合わないよ」 | ||
507 | 春希 | Haruki | 「24時間あれば十分だよ。経験上」 | ||
508 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
509 | あの学園祭の時も、 楽譜を受け取ったのは本番の一日前だった。 | ||||
510 | あの時に比べたら、 一度は弾けたことのある曲を思い出す程度のこと… | ||||
511 | 雪菜 | Setsuna | 「わたし、明日関係者に謝るから。 だから無理しなくていいんだよ。 春希くんが責任感じることなんて…」 | ||
512 | 春希 | Haruki | 「柳原さんが悪いんだろ? なら俺だけじゃなく、雪菜だって責任感じる必要ない」 | ||
513 | 雪菜 | Setsuna | 「そ、それは、そうなんだけど…」 | ||
514 | 春希 | Haruki | 「俺の勝手にさせておけばいいんだよ」 | ||
515 | 雪菜 | Setsuna | 「そんなの…春希くんに申し訳ないよ。 だって、無駄な努力になっちゃう」 | ||
516 | 春希 | Haruki | 「努力することそのものが俺の財産になる。 …だから、無駄なことなんかしてない」 | ||
517 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
518 | 感情的に俺を押し切ることは無理だと悟ったのか、 雪菜は、今度は理論的に訴えてきたけれど… | ||||
519 | それこそ雪菜にとって勝ち目のない戦いだった。 屁理屈勝負なら、俺が負ける要素はない。 | ||||
520 | ……… | .........
| |||
521 | 雪菜 | Setsuna | 「迷惑、かけちゃうのかな? コンサートのスタッフの人たちに」 | ||
522 | 春希 | Haruki | 「だから、雪菜のせいじゃないって」 | ||
523 | 雪菜 | Setsuna | 「パーソナリティの人、 わたしが出るって聞いて本当に嬉しそうだった… あんな下手な歌、何度もラジオにかけたりして…」 | ||
524 | 春希 | Haruki | 「ほとんど毎日流してたもんな」 | ||
525 | 雪菜 | Setsuna | 「わたしが出ないって言ったら… がっかりする人、他にもいるのかな?」 | ||
526 | 春希 | Haruki | 「そりゃ、結構いると思う。 雪菜が思ってるより知名度高いんだから、あの曲」 | ||
527 | 大学の敷地内にしか届かないマイナーな歌だけど、 だからこそ、身内びいき的な感覚で広まっていった。 | ||||
528 | 付属祭直前の、最後の通し練習の音源だった。 多分、本番を含めて一番出来のいい俺たちの演奏。 | ||||
529 | 研究室や、食堂や、生協や… キャンパスの色んなところで聴くたびに、 面映ゆくて、懐かしくて…そして、辛かったっけ。 | ||||
530 | 雪菜 | Setsuna | 「どうしよう… 困ったなぁ」 | ||
531 | 春希 | Haruki | 「雪菜が困ることなんかないだろ。 悪いのは、柳原…」 | ||
532 | 雪菜 | Setsuna | 「そんなことわかってるよ。 わかってるんだけど…」 | ||
533 | 春希 | Haruki | 「そう…」 | ||
534 | 雪菜 | Setsuna | 「大したことじゃないよね? みんな、すぐ忘れちゃうよね?」 | ||
535 | 春希 | Haruki | 「かもな」 | ||
536 | 雪菜 | Setsuna | 「コンサートだって、他にも沢山出るんだから、 一組くらい穴を開けちゃったって、 そんなに影響ないよね?」 | ||
537 | 春希 | Haruki | 「どうだろうな」 | ||
538 | 雪菜 | Setsuna | 「だってわたしたち、出たところでたった一曲だよ? 10分も変わらないんだもん。誰かがカバーできるよ」 | ||
539 | 春希 | Haruki | 「小さな、ことかもな」 | ||
540 | 雪菜 | Setsuna | 「だから、だから…」 | ||
541 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
542 | 雪菜 | Setsuna | 「どうしよう」 | ||
543 | 春希 | Haruki | 「ぷっ…」 | ||
544 | 雪菜 | Setsuna | 「な、何よ… 何がおかしいの…?」 | ||
545 | ほんの少し肩を震わせたのを、 雪菜は見逃さなかった。 | ||||
546 | 春希 | Haruki | 「いや… 小市民だなって」 | ||
547 | 雪菜 | Setsuna | 「酷いなぁ… なによそれ」 | ||
548 | 自分が笑われてるんだろうって。 笑われるようなことを言ってるんだろうって、 きっと、自覚してたから。 | ||||
549 | 春希 | Haruki | 「だってさ… 俺だけならともかく、 全然面識のない人たちにまで責任感じてさ」 | ||
550 | そして俺は、雪菜の想像通り、 少し愉快そうに、その態度の変化を感じ取る。 | ||||
551 | 雪菜 | Setsuna | 「感じるに決まってるじゃない。 もし、わたしたち目当てで来た人がいたら…」 | ||
552 | 雪菜が、だんだん弱気になってきたことを。 | ||||
553 | 春希 | Haruki | 「だから、絶対にいるって」 | ||
554 | 数時間前までのやぶれかぶれな態度がなりを潜め、 いつものお人好しの本性が顔を覗かせ始めたことを。 | ||||
555 | 雪菜 | Setsuna | 「もう… そういう不安になること言わないでよ」 | ||
556 | そして多分… 少し、落ち着いてきたことを。 | ||||
557 | 春希 | Haruki | 「そうやって、見たこともない人たちのこと気にしてたら、 いつまで経っても嫌なことから逃げられないぞ?」 | ||
558 | 雪菜 | Setsuna | 「ほんと… どうしてこうなっちゃうんだろうね」 | ||
559 | きっと子供の頃から『他人様に迷惑を掛けないこと』って、 あの厳格で善人なご両親に叩き込まれてきたんだろう。 | ||||
560 | だから、人の罪を自分の罪に置き換える。 自分の辛さを人の辛さと錯覚する。 | ||||
561 | 春希 | Haruki | 「でも俺… そんなふうに悩む雪菜のこと好きだよ。 お人好しで小市民な雪菜のことが好きだよ」 | ||
562 | 雪菜 | Setsuna | 「っ…も、もう… 嬉しくないよ、そんな好かれ方」 | ||
563 | 春希 | Haruki | 「そっか…本当に好きなんだけどな」 | ||
564 | 雪菜にとって、そんな自分の心が、 彼女を幸せにしてるかって言えば、多分違う。 | ||||
565 | だってその優しさがあったからこそ、 雪菜は俺のことで自滅した。 | ||||
566 | 俺に裏切られたのに、俺の背中を押してしまった。 | ||||
567 | だからこそ、そういう雪菜の優しい心を大切にしたい。 小さな、けれど強い責任感を大事にしたい。 | ||||
568 | ……… | .........
| |||
569 | 雪菜 | Setsuna | 「…少し、明けてきたね」 | ||
570 | 新聞配達のバイクの音が、 俺のギターの音に混ざってくる。 | ||||
571 | カーテンの向こうが、ほんのりと白い。 多分、今が一番冷え込む時間帯。 | ||||
572 | 春希 | Haruki | 「少し、眠ったら?」 | ||
573 | 雪菜 | Setsuna | 「ううん、いい」 | ||
574 | 春希 | Haruki | 「そう…」 | ||
575 | 結局、雪菜は俺を見つめ続けたまま 夜を明かしてしまった。 | ||||
576 | 雪菜 | Setsuna | 「あと…二日だね」 | ||
577 | 春希 | Haruki | 「…うん」 | ||
578 | 眠そうな表情も態度も見せず、 ただ俺に、俺だけに集中してた。 | ||||
579 | 雪菜 | Setsuna | 「ね、春希くん」 | ||
580 | 春希 | Haruki | 「ん?」 | ||
581 | 雪菜 | Setsuna | 「わたしは…どうすべきだと思う?」 | ||
582 | そして、相変わらず悩んだままだった。 | ||||
583 | 歌えない、歌いたくない、歌は嫌いって言っておいて、 それでも人の気持ちを考え、俺の気持ちを思いやり、 ずっと結論を出せないままでいた。 | ||||
584 | 春希 | Haruki | 「それは… 雪菜が決めるべきだと思う」 | ||
585 | 雪菜 | Setsuna | 「…何よ、それ。 さっきまで散々わたしの背中押してたくせに」 | ||
586 | 春希 | Haruki | 「俺は出たい。 …だって、そうすれば雪菜の歌が聴けるんだから」 | ||
587 | 雪菜 | Setsuna | 「ぇ…」 | ||
588 | 春希 | Haruki | 「でも、雪菜が出ないと言ったら出られない。 …俺たち、二人とも決断する必要があるってことだよ」 | ||
589 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
590 | けれど、やっぱり俺… | ||||
591 | 春希 | Haruki | 「もう少し、悩めばいいよ」 | ||
592 | そんなふうに優柔不断で、 損な性分な雪菜がやっぱり大好きだ。 | ||||
593 | 春希 | Haruki | 「今から本気で考えて、 逃げじゃなく、きちっと考え抜いて出した結論なら、 俺はもう、何も言わないから」 | ||
594 | 苦しいんだけど、逃げ出したいんだけど、 それでも逃げ出すのが申し訳ないって… | ||||
595 | そんなスケールの小さい葛藤を、 うじうじとストレスを抱え込む心を、 とてもいとおしいって、思う。 | ||||
596 | 春希 | Haruki | 「もし参加しないのなら、 一緒に謝りに行く」 | ||
597 | 雪菜 | Setsuna | 「そんなこと… 春希くんは悪くないのに」 | ||
598 | 春希 | Haruki | 「雪菜だって悪くない。 だから、一緒に責任を取ろう?」 | ||
599 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
600 | 春希 | Haruki | 「ギリギリまで待ってるから、俺。 雪菜の、悩んだ末での結論を、さ」 | ||
601 | 雪菜 | Setsuna | 「春希くん…」 | ||
602 | 春希 | Haruki | 「待ってるから、な?」 | ||
603 | そうだよ、 だから待つんだ、俺は… | ||||
604 | 雪菜が、何の憂いもなく俺に微笑んでくれる日を。 | ||||
605 | 何もかも忘れずに、何もかも認め合った上で、 それでももう一度、俺のことを許してくれる日を。 | ||||
606 | 俺の目の前で、適当な鼻歌を口ずさんでしまう、 俺のギターに、いつのまにかつられてしまう、 そんな無防備な雪菜とふたたび出逢える日を。 | ||||
607 | ……… | .........
| |||
608 | …… | ......
| |||
609 | … | ...
| |||
610 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
611 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
612 | 春希 | Haruki | 「すぅ…すぅぅ…」 | ||
613 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
614 | 雪菜 | Setsuna | 「ん~…」 | ||
615 | 雪菜 | Setsuna | 「すぅぅ…はぁぁぁぁ~」 | ||
616 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
|
Script Chart
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Introductory Chapter | ||||||
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1001 | 1008 | 1009 | 1010 | 1011 | 1012 | 1013 |
1002 | 1008_020 | 1009_020 | 1010_020 | 1011_020 | 1012_020 | |
1003 | 1008_030 | 1009_030 | 1010_030 | 1011_030 | 1012_030 | |
1004 | 1008_040 | 1010_040 | 1012_030_2 | |||
1005 | 1008_050 | 1010_050 | ||||
1006 | 1010_060 | |||||
1006_2 | 1010_070 | |||||
1007 |
Closing Chapter | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
Common | Setsuna | Koharu | Chiaki | Mari | ||||||
2001 | 2011 | 2020 | 2027 | 2301 | 2309 | 2316 | 2401 | 2408 | 2501 | 2510 |
2002 | 2012 | 2021 | 2028 | 2302 | 2310 | 2317 | 2402 | 2409 | 2502 | 2511 |
2003 | 2013 | 2022 | 2029 | 2303 | 2311 | 2318 | 2403 | 2410 | 2503 | 2512 |
2004 | 2014 | 2023 | 2030 | 2304 | 2312 | 2319 | 2404 | 2411 | 2504 | 2513 |
2005 | 2015 | 2024 | 2031 | 2305 | 2313 | 2320 | 2405 | 2412 | 2505 | 2514 |
2006 | 2016 | 2025 | 2032 | 2306 | 2314 | 2321 | 2406 | 2413 | 2506 | 2515 |
2007 | 2017 | 2026 | 2033 | 2307 | 2315 | 2322 | 2407 | 2507 | 2516 | |
2008 | 2018 | 2308 | 2508 | 2517 | ||||||
2009 | 2019 | 2509 | ||||||||
2010 | ||||||||||
Setsuna | Koharu | Chiaki | Mari | |||||||
2031_2 | 2312_2 | 2401_2 | 2504_2 | 2511_2 | ||||||
2031_3 | 2313_2 | 2402_2 | 2507_2 | 2513_2 | ||||||
2031_4 | 2313_3 | 2402_3 |
Coda | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
Common | Kazusa (True) | Setsuna (True) | Kazusa (Normal) | ||||||
3001 | 3008 | 3014_2 | 3020 | 3101 | 3107 | 3201 | 3207 | 3901 | 3907 |
3002 | 3009 | 3014_3 | 3021 | 3102 | 3108 | 3202 | 3208 | 3902 | 3908 |
3003 | 3010 | 3015 | 3022 | 3103 | 3109 | 3203 | 3209 | 3903 | 3909 |
3004 | 3011 | 3016 | 3023 | 3104 | 3110 | 3204 | 3210 | 3904 | |
3005 | 3012 | 3017 | 3024 | 3105 | 3111 | 3205 | 3211 | 3905 | |
3006 | 3013 | 3018 | 3106 | 3206 | 3906 | ||||
3007 | 3014 | 3019 | |||||||
Common | Setsuna (True) | Kazusa (Normal) | |||||||
3001_2 | 3210_2 | 3901_2 | 3906_2 | ||||||
3015_2 | 3902_2 | 3907_2 | |||||||
3902_3 | 3907_3 | ||||||||
3904_2 |
Mini After Story and Extra Episode | |||
---|---|---|---|
The Path Back to Happiness | The Path Forward to Happiness | Dear Mortal Enemy | |
6001 | 6101 | 4000 | 4005 |
6002 | 6102 | 4001 | 4006 |
6003 | 6103 | 4002 | 4007 |
6004 | 6104 | 4003 | 4008 |
6005 | 4004 | 4009 |
Novels | |||||
---|---|---|---|---|---|
The Snow Melts, And Until The Snow Falls | The Idol Who Forgot How to Sing | Twinkle Snow ~Reverie~ | After the Festival ~Setsuna's Thirty Minutes~ | His God, Her Savior | |
5000 | 5100 | 5200 | 5205 | 5300 | 5400 |
5001 | 5101 | 5201 | 5206 | 5301 | 5401 |
5002 | 5102 | 5202 | 5207 | 5302 | |
5003 | 5103 | 5203 | 5208 | 5303 | |
5004 | 5104 | 5204 | 5209 |
Short Stories | |||
---|---|---|---|
Princess Setsuna's Distress and Her Minister's Sinister Plan | Koharu Climate After the Passing of the Typhoon | This isn't the Season for White Album | Todokanai Koi, Todoita |
7000 | 7100 | 7200 | 7300 |