Clannad:SEEN6800/5

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<6470> *
// 渚は、この部屋から外の風景を眺めたまま、卒業した。
<6471> *
// …制服も着ず、見送られもせず。
<6472> *
// 桜が咲き始める頃…
<6473> *
// ようやく、渚の熱は下がり、落ち着きをみせた。
<6474> *
// 起き上がって、家の中のこともするようになった。
<6475> \{渚} *
// \{渚}「制服です」
<6476> *
// 渚はビニールの袋に入った制服を手に持って、俺の前に立っていた。
<6477> \{渚} *
// \{渚}「クリーニングから戻ってきました」
<6478> \{渚} *
// \{渚}「もう着ることはないですけど、大切に保管しておきたいと思います」
<6479> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ…」
<6480> *
// それを床に広げて、丁寧に折り畳み始める。
<6481> *
// もう、着ることはできないのだろうか。
<6482> *
// 少しだけでもいい。
<6483> *
// あの頃に戻ることはできないのだろうか。
<6484> *
// やり残してきたことを、やり遂げることはできないのだろうか。
<6485> *
// ふと、なんの脈略もなしに…俺は春原の顔を思い出していた。
<6486> *
// 学生時代、寮生活をしていた春原は、卒業後、実家に戻った。
<6487> *
// 田舎はどこだか忘れたが、東北のほうだったと思う。
<6488> *
// とにかく遠い場所だ。
<6489> *
// 日々に追い立てられ、お互い連絡を取ることすらままならなかった。
<6490> *
// 学生時代のあいつしか俺は知らなかったけど…
<6491> *
// 学生服を着て、馬鹿をやっているあいつしか知らなかったけど…
<6492> *
// でも、あいつなら、どんな無茶だって一緒にやってくれるはずだった。
<6493> *
// 夜を待ち、渚が風呂に入るのを見計らって、押し入れを開く。
<6494> *
// 奥深くから学生時代の名簿を引っぱり出してきて、春原の実家の電話番号を探した。
<6495> *
// 見つけると、電話を引っ張ってきて、すぐさまダイヤルをプッシュした。
<6496> \{声} *
// \{声}『はい、春原です』
<6497> *
// 母親の声。
<6498> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「あの、\m{A}と申しますが、陽平さんはご在宅でしょうか」
<6499> \{声} *
// \{声}『どちら様ですか？』
<6500> *
// 何かの勧誘と思われているのだろうか。
<6501> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「学生の頃の同級生です。\m{A}と言ってもらえれば、わかると思います」
<6502> \{声} *
// \{声}『ええと…陽平は寮生活をしてまして、家にはおりません』
<6503> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「寮？」
<6504> *
// 一瞬、一年前の懐かしい春原の部屋が思い出された。
<6505> \{声} *
// \{声}『会社の寮です』
<6506> *
// 当然だった。あの場所はもう、俺の過ごした春原の部屋ではなく…見知らぬ男子学生の部屋となっているはずだった。
<6507> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「…でしたら、そちらの連絡先を教えていただけますか」
<6508> \{声} *
// \{声}『はい…よろしいでしょうか？』
<6509> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「お願いします」
<6510> .........
// ………。
<6511> *
// 受話器を置いて、今メモした電話番号をプッシュする。
<6512> \{声} *
// \{声}『はい、さつき寮です』
<6513> *
// 中年女性の声。
<6514> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「\m{A}と申しますが、春原陽平さんをお願いしたいんですが」
<6515> \{声} *
// \{声}『はい、少々お待ちください』
<6516> .........
// ………。
<6517> \{声} *
// \{声}『はい、代わりました』
<6518> *
// 少し作った声。
<6519> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「春原か、俺だ。\m{A}だ」
<6520> \{Sunohara} "Eh...\m{A}? Are you serious?" 
// \{春原}『えっ…\m{A}？  マジかよっ？』
<6521> *
// 一瞬で、あの頃の声に戻る。時間なんて関係ない。
<6522> \{\m{B}} 
// \{\m{B}}「ああ。元気か」
<6523> \{春原} *
// \{春原}『元気だけどさ…なんか理不尽なことが多いんだよ。聞いてくれよ、おまえならわかってくれるはずだ』
<6524> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ、今度ゆっくり聞いてやるからな、今は俺の話を聞け」
<6525> \{Sunohara} *
// \{春原}『ちっ、卒業しても主導権はそっちかよ』
<6526> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「いいじゃないか、よしみって奴でよ」
<6527> \{Sunohara} "So, what?"
// \{春原}『で、なんだ』
<6528> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「卒業式をやりたいんだ」
<6529> \{Sunohara} "Ha...?"
// \{春原}『は…？』
<6530> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「知ってるだろ、渚がこの春で卒業したんだ」
<6531> \{春原} *
// \{春原}『ああ、渚ちゃんか。おまえら、まだ付き合ってんのか。すげぇじゃん』
<6532> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「んなこたぁどうでもいいんだよ、馬鹿。話を聞け」
<6533> *
// 調子が戻ってくる。するすると罵声が飛び出す。
<6534> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「この一年間、あいつは友達もいない学校でひとり頑張ったんだ」
<6535> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「でも、やっぱり卒業式には出られなかった」
<6536> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「それは寂しすぎるだろ」
<6537> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「だから、あの日の俺たちで、卒業式をしたいんだ」
<6538> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「たった一ヶ月だったけど、俺たちは誰よりもあいつと親しく時間を過ごした奴らだからさ」
<6539> \{Sunohara} "........."
// \{春原}『………』
<6540> \{\m{B}} "Zero, Sunohara."
// \{\m{B}}「頼む、春原」
<6541> \{Sunohara} "........."
// \{春原}『………』
<6542> \{Sunohara} *
// \{春原}『今、研修中だからさ…』
<6543> \{Sunohara} *
// \{春原}『そんなことしてたら、クビになっちまうよ…』
<6544> \{\m{B}} "Hard, huh?"
// \{\m{B}}「悪いなっ」
<6545> \{Sunohara} *
// \{春原}『クビになれってかッ！』
<6546> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「一日ぐらい居なくなったって、クビになんねぇよ」
<6547> \{Sunohara} *
// \{春原}『なるんだよっ』
<6548> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「融通が利かねぇ奴だなぁ」
<6549> \{Sunohara} *
// \{春原}『融通が利かないのは僕じゃなくて、会社だっ』
<6550> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「なんとかなんないか？」
<6551> \{Sunohara} *
// \{春原}『そりゃあ、休みが合えばいいけどさ…』
<6552> \{Sunohara} *
// \{春原}『それでも日帰りで往復だろ…？  辛いなぁ』
<6553> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「頑張れ、俺のために」
<6554> \{Sunohara} *
// \{春原}『渚ちゃんのためにだろっ』
<6555> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「どっちも一緒だ」
<6556> \{Sunohara} *
// \{春原}『じゃあさ、一日だけ休みを取ってみる。けど、いつになるかわかんないからな』
<6557> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ、こっちが合わせるよ」
<6558> \{Sunohara} *
// \{春原}『じゃ、次はこっちから連絡する』
<6559> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「いや、そっちからはやめてくれ」
<6560> \{Sunohara} "Why?"
// \{春原}『どうして』
<6561> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「渚が電話に出る可能性があるから」
<6562> \{春原} "........."
// \{春原}『………』
<6563> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「渚が出ちまったらさ、何か企んでるのがばれるだろ？」
<6564> \{春原} "........."
// \{春原}『………』
<6565> \{\m{B}} 
// \{\m{B}}「もしもし？」
<6566> \{Sunohara} *
// \{春原}『おまえさ…』
<6567> \{Sunohara} *
// \{春原}『もしかして…渚ちゃんと同棲してんのか…』
<6568> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ、言ってなかったか」
<6569> \{Sunohara} *
// \{春原}『おまえと話すの、一年ぶりなんですけど』
<6570> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「いや、悪い、それどころじゃなくてさぁ」
<6571> \{Sunohara} *
// \{春原}『てめぇ、ひとりだけ幸せそうですねぇ！』
<6572> \{\m{B}} "Hard, huh?"
// \{\m{B}}「悪いなっ」
<6573> \{Sunohara"} *
// \{春原}『クビをかけてまで、そっちに行く気がだんだん失せてきたんですけど』
<6574> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「失せても来い」
<6575> \{Sunohara} *
// \{春原}『僕、最高にいい奴ですねぇ！』
<6576> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「だから、おまえに頼んでんじゃん」
<6577> \{Sunohara} "........."
// \{春原}『………』
<6578> \{Sunohara} "Tch...I understand."
// \{春原}『ちっ…わかったよ』
<6579> \{Sunohara} *
// \{春原}『この時間なら、捕まるから、またかけてこい』
<6580> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ、そうする」
<6581> \{Sunohara} "See you."
// \{春原}『じゃあな』
<6582> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「おう」
<6583> *
// 受話器を置く。
<6584> *
// あの頃の馬鹿をやっていた感覚が戻っていた。
<6585> *
// 卒業式だって、なんだって、やれる気がした。
<6586> So.
// そう。
<6587> *
// 俺たちは、寄せ集めのチームでバスケ部にも勝ったし、廃部だった演劇部も創立者祭を目指して再建することができた。
<6588> *
// あの頃の俺たちに戻れば、なんだってできるんだ。
<6589> Thus...
// そして…
<6590> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「渚、次の日曜、デートしよう」
<6591> *
// しばらく経った日の夜、俺はそう誘った。
<6592> \{Nagisa} "Yes. Let's."
// \{渚}「はい。しましょう」
<6593> \{Nagisa} *
// \{渚}「どこにいきますか」
<6594> \{\m{B}} "It's a secret."
// \{\m{B}}「内緒だ」
<6595> \{Nagisa} *
// \{渚}「どうしてですか。教えてほしいです」
<6596> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「秘密」
<6597> \{Nagisa} *
// \{渚}「気になります」
<6598> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「別に騙そうとか、そういうんじゃないからさ」
<6599> *
// ただ、純粋に驚いて、喜んでほしかった。
<6600> *
// その顔を隣で見たかった。
<6601> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「きっと、いい思い出になるからさ。だから、楽しみに待っててくれよ」
<6602> \{Nagisa} *
// \{渚}「そこまで言うんでしたら、わかりました。何も訊かずに待ってます」
<6603> *
// そして明日は約束の日。
<6604> \{\m{B}} "Hey, Nagisa..."
// \{\m{B}}「あのさ、渚…」
<6605> \{Nagisa} "Yes?"
// \{渚}「はい」
<6606> \{\m{B}} "About tomorrow's date..."
// \{\m{B}}「明日のデートはさ…」
<6607> \{Nagisa} "Yes?"
// \{渚}「はい」
<6608> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「制服でしたいんだ」
<6609> \{Nagisa} "Eh...?"
// \{渚}「え…？」
<6610> \{\m{B}} "No good?"
// \{\m{B}}「ダメか？」
<6611> \{Nagisa} *
// \{渚}「制服って、学生服でしょうか？」
<6612> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ、いつも渚が着てたやつだよ」
<6613> \{Naisa} *
// \{渚}「それは恥ずかしいです…」
<6614> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「少し前までは着てたじゃん」
<6615> \{Nagisa} *
// \{渚}「そうですけど…」
<6616> \{Nagisa} *
// \{渚}「でも、もう卒業しました」
<6617> \{Nagisa} *
// \{渚}「ですから、嘘をついてることになります」
<6618> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「大丈夫だよ。今はまだ春休みなんだから」
<6619> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「４月になって、入学式や始業式があって、今年度の学業がスタートするんだ」
<6620> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「だから、今は誰も学生じゃない」
<6621> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「誰も迷惑しないんだ」
<6622> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ふたりだけ、一日だけ、学生に戻ろう」
<6623> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「な」
<6624> \{Nagisa} *
// \{渚}「でも、近所の人とかに見られたら、すごく恥ずかしいです」
<6625> \{Nagisa} *
// \{渚}「わたし、いろんな方に卒業おめでとうって言ってもらいました」
<6626> \{Nagisa} *
// \{渚}「そのわたしが制服着て歩いてたら、とてもヘンな子だと思われます」
<6627> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「朝早いから大丈夫だよ」
<6628> \{Nagisa} *
// \{渚}「帰りは遅いです」
<6629> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「なら、着替えを持っていってもいいよ。向こうで着替えて帰ってくればいい」
<6630> \{Nagisa} *
// \{渚}「見つからないでしょうか…」
<6631> \{\m{B}} "Yeah, probably."
// \{\m{B}}「ああ、たぶんな」
<6632> \{Nagisa} *
// \{渚}「どきどきします」
<6633> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「そういうのも面白いじゃないか」
<6634> \{Nagisa} *
// \{渚}「かもしれないですけど…」
<6635> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「で、どうなんだ。一緒に制服着てくれるのか？」
<6636> \{Nagisa} "No..." 
// \{渚}「うーん…」
<6637> *
// しばらく考えた後…
<6638> \{Nagisa} *
// \{渚}「\m{B}くんが、そうしてほしいのなら、そうします」
<6639> *
// 結局、そう答えてくれた。
<6640> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「そっか。じゃ、決まり」
<6641> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「朝になって、やっぱやめる、とか言うなよ？」
<6642> \{Nagisa} "Yes, don't call me names.
// \{渚}「はい、言いません」
<6643> \{渚} *
// \{渚}「けど、やっぱりどきどきします…」
<6644> *
// その日は朝から雲一つない晴天だった。
<6645> *
// そして皆の休みがひとつに集まった一日。
<6646> *
// 奇跡の一日だった。
<6647> \{渚} *
// \{渚}「おはようございます」
<6648> *
// 背中から声。
<6649> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「おはよう」
<6650> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「もう少し寝てれば良かったのに」
<6651> \{渚} *
// \{渚}「いえ、なんだか興奮して、寝つけませんでした」
<6652> \{渚} *
// \{渚}「やっぱり、制服を着て外を歩くというのはどきどきします」
<6653> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「おまえなんかいいよ。卒業したの、一ヶ月前だろ」
<6654> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「俺は一年前だぜ？  アホみたいだ」
<6655> \{渚} *
// \{渚}「\m{B}くん、まだまだ若いです。まだまだ似合います」
<6656> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「まぁな。おまえは、結構な歳だもんな」
<6657> \{渚} *
// \{渚}「\m{B}くん…わたしのこと嫌いですか」
<6658> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「大好きだぞ」
<6659> \{渚} *
// \{渚}「あ、ありがとうございます…」
<6660> \{渚} *
// \{渚}「………」
<6661> \{渚} *
// \{渚}「あっ、今、ごまかされそうでしたっ」
<6662> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「何がだよ」
<6663> \{渚} *
// \{渚}「ひとつ年上なだけなのに、結構な歳とか言わないでほしいです」
<6664> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「でも、俺まだ十代だぞ。おまえは？」
<6665> \{渚} *
// \{渚}「え…」
<6666> \{渚} *
// \{渚}「二十代ですけど…」
<6667> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「そういうことだ」
<6668> \{渚} *
// \{渚}「\m{B}くん、わたしに制服着てほしくないみたいですっ」
<6669> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「うそ、うそ。おまえ、若いってば」
<6670> \{渚} *
// \{渚}「いいです。どうせおばさんです」
<6671> \{渚} *
// \{渚}「今日はヘンな趣味の女の子として、\m{B}くんにべったりくっついています」
<6672> \{渚} *
// \{渚}「もう、腕とかも組んでしまいます」
<6673> *
// とても素敵な仕返しだった。
<6674> *
// 軽く朝食を取った後、俺たちはそれぞれ支度にかかる。
<6675> *
// 制服に着替えて現れた渚の姿は、とても見慣れたものだった。
<6676> *
// けど、俺はそうでないらしく、渚は俺の姿を見るなり笑い出した。
<6677> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「なに！？  そんなに、おかしいか！？」
<6678> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「くそぅ、いつのまに俺はそんなに老けていたんだ…」
<6679> \{渚} *
// \{渚}「そんなことないです」
<6680> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「むちゃくちゃ笑ってるじゃないかっ」
<6681> \{渚} *
// \{渚}「二年前の\m{B}くんだからです」
<6682> \{渚} *
// \{渚}「そのままだからです」
<6683> *
// 目の端には涙まで浮かべていた。
<6684> \{渚} *
// \{渚}「出会った頃の、あのままの\m{B}くんだからです」
<6685> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「なんだ、そっか…」
<6686> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「じゃあ、自然なんだな」
<6687> \{渚} *
// \{渚}「自然すぎます」
<6688> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「しかしなぁ…今更ながら、この格好で並んで歩くのは抵抗あるな…」
<6689> \{渚} *
// \{渚}「とてもヘンなふたりです」
<6690> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「見つからないようにいこうな」
<6691> \{渚} *
// \{渚}「はい、絶対にそうしたいです」
<6692> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「じゃ、出かけるぞ」
<6693> \{渚} *
// \{渚}「はいっ」
<6694> *
// 家を出てからは、渚じゃないが、どきどきしっぱなしだった。
<6695> *
// 辺りをずっと気にしながら歩いた。
<6696> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「補導なんかされたら、笑い事じゃ済まないよな…」
<6697> \{渚} *
// \{渚}「春休みですから、補導はされないと思います」
<6698> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「そうだよな…健全な春休みの少年少女だよな」
<6699> \{渚} *
// \{渚}「だといいです」
<6700> \{渚} *
// \{渚}「この方向って…」
<6701> \{渚} *
// \{渚}「学校です」
<6702> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「だな」
<6703> \{渚} *
// \{渚}「学校に向かってるんですか？」
<6704> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ」
<6705> *
// 俺は頷いた。
<6706> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「意外なデートスポットなんだ」
<6707> \{渚} *
// \{渚}「本当ですか。信じられないです」
<6708> \{渚} *
// \{渚}「先生に見つかったら、怒られてしまいそうです」
<6709> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「大丈夫だって」
<6710> \{渚} *
// \{渚}「すごいです。満開です」
<6711> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ、すげぇ綺麗だな」
<6712> *
// 桜の立ち並ぶ坂を並んで登っていく。
<6713> \{渚} *
// \{渚}「これをわたしに見せるためだったんですか。ありがとうございます」
<6714> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「違う。こんなの序の口だ」
<6715> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ほら」
<6716> *
// 見上げると、眩しい陽の光が俺たちの目を眩ませた。
<6717> *
// 手をかざし、陽をさえぎる。
<6718> *
// すると、見えた。
<6719> *
// 俺たちを待つ、人たちが。
<6720> \{春原} *
// \{春原}「よぅ、久しぶり」
<6721> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「誰だ、おまえ」
<6722> \{春原} *
// \{春原}「おまえね、久しぶりの再会でそれはないだろ」
<6723> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「まさか、春原か」
<6724> \{春原} *
// \{春原}「当然だ」
<6725> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「うわーーーはっはっはっはっ！」
<6726> *
// 大笑いしてやる。
<6727> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「なんつー髪の色してんだよっ」
<6728> \{春原} *
// \{春原}「これが普通の色だろっ」
<6729> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「おまえには似合わねぇよ。よしよし、後でキンキンに染めてやるからな」
<6730> \{春原} *
// \{春原}「会社、クビになるよっ！」
<6731> *
// そして、その後ろにも知った顔が並んでいた。
<6732> *
// 仁科や、杉坂、皆が制服を着て、待ち構えていた。
<6733> \{智代} *
// \{智代}「久しぶりだな」
<6734> \{杏} *
// \{杏}「元気してた？」
<6735> \{椋} *
// \{椋}「ご無沙汰してます」
<6736> \{芽衣} *
// \{芽衣}「やっほー、渚さん」
<6737> \{渚} *
// \{渚}「みなさん…」
<6738> *
// 渚が一歩前に出た。
<6739> \{渚} *
// \{渚}「今日は、どうしましたか」
<6740> *
// 渚はまだ気づいていない。
<6741> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「卒業式だよ、古河渚とその親友一同のな」
<6742> \{渚} *
// \{渚}「え…？」
<6743> \{声} *
// \{声}「じゃ、始めるかな」
<6744> *
// 一番奥にいた人物…
<6745> *
// 幸村が静かに言った。
<6746> \{幸村} *
// \{幸村}「これより、古河渚とその親友一同、その卒業式を行います」
<6747> *
// 吹く風の中、よく通る声で開式が告げられた。
<6748> *
// 俺たちは、校舎に向かって、横一列に並んで立っていた。
<6749> \{幸村} *
// \{幸村}「校歌斉唱」
<6750> *
// 皆で校歌を歌った。
<6751> *
// 誰もが、自分の卒業式で歌ったよりも高く高く歌った。
<6752> *
// どこまでも、どこまでも響き渡った。
<6753> *
// そして、渚ひとりの、卒業証書授与。
<6754> \{幸村} *
// \{幸村}「…古河渚」
<6755> *
// 名が呼ばれる。
<6756> \{渚} *
// \{渚}「はい」
<6757> *
// 返事をして、幸村の元に歩いていく。
<6758> *
// 差し出される卒業証書。
<6759> *
// それを受け取った後、俺たちを振り返った渚の顔は、とても晴れ晴れしいものだった。
<6760> *
// 皆が拍手する。
<6761> *
// それがやむと、渚はそっと胸に手を当てた。
<6762> *
// そして、ゆっくりと口を開く。
<6763> *
// 語り始める。
<6764> *
// それは、送辞のない答辞だった。
<6765> \{渚} *
// \{渚}「この学校での生活…」
<6766> \{渚} *
// \{渚}「辛いこと、たくさんありました」
<6767> \{渚} *
// \{渚}「わたしはただでさえ、引っ込み思案で、友達を作るのが下手で…」
<6768> \{渚} *
// \{渚}「それでも２年が終わる頃には…やっと輪に入れてくれる友達ができて…」
<6769> \{渚} *
// \{渚}「３年になったらもっと仲良くなれるかなって、そう思ってました」
<6770> \{渚} *
// \{渚}「でも次の一年は、ほとんど学校を欠席してしまいました…」
<6771> \{渚} *
// \{渚}「次に登校できたのは、始業式から二週間が過ぎた日でした」
<6772> \{渚} *
// \{渚}「もう、新しいクラスでは、わたしはひとりきりだと思いました」
<6773> \{渚} *
// \{渚}「時間の流れで、変わらないものはなくて…」
<6774> \{渚} *
// \{渚}「それを知ったら、もう動けませんでした」
<6775> \{渚} *
// \{渚}「だから、この坂の下で、立ちつくしてました」
<6776> \{渚} *
// \{渚}「そして…」
<6777> \{渚} *
// \{渚}「その背を押してくれたのが、\m{B}くんでした」
<6778> \{渚} *
// \{渚}「その日から、毎日…坂の下で悩んで立ちつくしていたわたしの背を押してくれました」
<6779> \{渚} *
// \{渚}「変わっていくなら、新しい何かを見つけるまでだって」
<6780> \{渚} *
// \{渚}「そう叱咤してくれました」
<6781> \{渚} *
// \{渚}「それからの一ヶ月、わたしは春原さん、仁科さん、杉坂さん、幸村先生…」
<6782> \{渚} *
// \{渚}「そして、もっと影でいろんな人に支えられて、演劇部を作りました」
<6783> \{渚} *
// \{渚}「絶対にひとりではできなかったことです」
<6784> \{渚} *
// \{渚}「バスケットボール部のみなさんとも試合をしました」
<6785> \{渚} *
// \{渚}「勝てたのは、みんながひとつになれたからだと思います」
<6786> \{渚} *
// \{渚}「短い時間でも、力を合わせれば、そんなすごいことができること…知りました」
<6787> \{渚} *
// \{渚}「そうして創立者祭の発表会に向けてがんばりました」
<6788> \{渚} *
// \{渚}「舞台の上では泣いてしまいましたけど…」
<6789> \{渚} *
// \{渚}「劇を最後までやり遂げることができました」
<6790> \{渚} *
// \{渚}「初めて、ひとつの目標に向けてがんばって、そして達成できたんです」
<6791> \{渚} *
// \{渚}「こんなわたしでも…」
<6792> \{渚} *
// \{渚}「たくさんの人に支えられて」
<6793> \{渚} *
// \{渚}「でも、それからはまた、体の調子を崩して…」
<6794> \{渚} *
// \{渚}「ずっと家で寝てました」
<6795> \{渚} *
// \{渚}「二学期、三学期と…家族に支えられ、そして、\m{B}くんと一緒に…」
<6796> \{渚} *
// \{渚}「春を迎えました」
<6797> \{渚} *
// \{渚}「みんなが卒業して、幸村先生も退職されて…」
<6798> \{渚} *
// \{渚}「本当にまた、ひとりきりになってしまいました」
<6799> \{渚} *
// \{渚}「それでも、もう一年、わたしはがんばってみようという気になりました」
<6800> \{渚} *
// \{渚}「わたしは強くなりたかったんです」
<6801> \{渚} *
// \{渚}「わたしは、体は弱いですけど…それでも強く生きたかったんです」
<6802> \{渚} *
// \{渚}「そして、そんな勇気をくださったのが、ここに居るみなさんです」
<6803> \{渚} *
// \{渚}「ひとりきりの一年間は辛かったです」
<6804> \{渚} *
// \{渚}「わたしは、二歳年下のクラスメイトたちとはまったく住む世界が違う人間でした」
<6805> \{渚} *
// \{渚}「班分けの時はいつもひとり残ってました」
<6806> \{渚} *
// \{渚}「球技大会では、運動音痴だから、クラスメイトに迷惑かけてばっかりでした」
<6807> \{渚} *
// \{渚}「創立者祭もひとりで、回って見ました」
<6808> \{渚} *
// \{渚}「この一年間は、ほとんどひとりきりでした…」
<6809> \{渚} *
// \{渚}「それでも…」
<6810> \{渚} *
// \{渚}「それでもやっぱり、わたしは…」
<6811> \{渚} *
// \{渚}「それでもやっぱりわたしは…」
<6812> \{渚} *
// \{渚}「二度とない、この学校生活を、かけがえなく思います」
<6813> \{渚} *
// \{渚}「一度は嫌いになってしまった学校です…」
<6814> \{渚} *
// \{渚}「卒業するのに五年もかかりました…」
<6815> \{渚} *
// \{渚}「ひとりで残る学校は寂しかったです」
<6816> \{渚} *
// \{渚}「でも今は、大好きです」
<6817> \{渚} *
// \{渚}「最後には…」
<6818> \{渚} *
// \{渚}「がんばれたわたしが、過ごした場所だからです」
<6819> \{渚} *
// \{渚}「………」
<6820> \{幸村} *
// \{幸村}「ふむ…」
<6821> \{幸村} *
// \{幸村}「卒業…\pおめでとう」
<6822> *
// 幸村の静かな祝辞。
<6823> *
// 渚の長い、長い学校生活が…\wait{1000}今、終わった。
<6824> *
// 同時に、堰を切ったかのように、渚の目から涙がこぼれ始めた。
<6825> \{渚} *
// \{渚}「ありがとう…ございます」
<6826> *
// 伏せた顔の下で、それだけを言った後、泣き始めた。
<6827> *
// 一年ぶりに見る涙。
<6828> *
// それは辛いからじゃなくて、嬉しいからだ。
<6829> *
// 思う存分泣けばいいと思った。
<6830> *
// 振り返ると、門のすぐ近くにオッサンと早苗さんの姿があった。
<6831> *
// その隣には、美佐枝さんと伊吹先生の姿も。
<6832> *
// 渚の視界にはずっと入っていたのだろう。
<6833> \{幸村} *
// \{幸村}「以上…\p閉式します」
<6834> *
// 四人が校門の脇に立ち、拍手をして迎えてくれる。
<6835> \{秋生} *
// \{秋生}「おめでとよ」
<6836> \{早苗} *
// \{早苗}「卒業おめでとうございます」
<6837> \{伊吹} *
// \{伊吹}「渚ちゃん、おめでとう」
<6838> \{美佐枝} *
// \{美佐枝}「おふたりさん、おめでとー」
<6839> *
// その隣には、美佐枝さんの姿も。
<6840> *
// 渚の視界にはずっと入っていたのだろう。
<6841> \{幸村} *
// \{幸村}「以上…\p閉式します」
<6842> *
// オッサン、早苗さん、美佐枝さんが校門の脇に立ち、拍手をして迎えてくれる。
<6843> \{秋生} *
// \{秋生}「おめでとよ」
<6844> \{早苗} *
// \{早苗}「卒業おめでとうございます」
<6845> \{美佐枝} *
// \{美佐枝}「おふたりさん、おめでとー」
<6846> *
// その隣には、伊吹先生の姿も。
<6847> *
// 渚の視界にはずっと入っていたのだろう。
<6848> \{幸村} *
// \{幸村}「以上…\p閉式します」
<6849> *
// オッサン、早苗さん、伊吹先生が校門の脇に立ち、拍手をして迎えてくれる。
<6850> \{秋生} *
// \{秋生}「おめでとよ」
<6851> \{早苗} *
// \{早苗}「卒業おめでとうございます」
<6852> \{伊吹} *
// \{伊吹}「渚ちゃん、おめでとう」
<6853> *
// 渚の視界にはずっと入っていたのだろう。
<6854> \{幸村} *
// \{幸村}「以上…\p閉式します」
<6855> *
// オッサンと、早苗さんが校門の脇に立ち、拍手をして迎えてくれる。
<6856> \{秋生} *
// \{秋生}「おめでとよ」
<6857> \{早苗} *
// \{早苗}「卒業おめでとうございます」
<6858> *
// その中、制服姿の俺たちは校門をくぐる。
<6859> *
// 俺が一年前に、卒業した場所。
<6860> *
// 渚もそれを振り返る。もう二度と、くぐらない門。
<6861> \{渚} *
// \{渚}「ありがとうございました」
<6862> *
// そう最後に渚は言った。
<6863> *
// これからはどんな道を俺たちは歩いていくのだろうか。
<6864> *
// ただ、ひとつ確かなこと。
<6865> *
// それは、俺たちはずっと同じ道をいく、ということ。
<6866> *
// 渚が俺の手を握った。
<6867> \{渚} *
// \{渚}「手をつないで、帰りましょう」
<6868> *
// それは、いつか、俺たちが叶えようとしていた夢のひとつだ。
<6869> *
// 制服姿で、手を繋いで歩く。
<6870> *
// それを揶揄する連中も、あの時描いた光景の通りだ。
<6871> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ」
<6872> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「俺、こいつと一緒になる…」
<6873> *
// どんな気持ちで今、俺はいるのだろうか。
<6874> *
// 自分でもよくわからなかった。
<6875> *
// 感情に揺らぎはない。
<6876> *
// まるで紙に書かれた文字を読んでいるような気分だった。
<6877> \{親父} *
// \{親父}「ほぅ…」
<6878> *
// 親父は感嘆のため息を漏らした。
<6879> \{親父} *
// \{親父}「そうか…それはめでたい」
<6880> \{親父} *
// \{親父}「…おめでとう」
<6881> \{渚} *
// \{渚}「ありがとうございます」
<6882> *
// 渚がひとりで頭を下げた。
<6883> \{親父} *
// \{親父}「ええと、渚さんと言ったっけか」
<6884> \{渚} *
// \{渚}「はい、渚です」
<6885> \{親父} *
// \{親父}「\m{B}くんをよろしく」
<6886> \{渚} *
// \{渚}「こちらこそ、です」
<6887> \{渚} *
// \{渚}「至らない点多々ありますが…それでも精一杯がんばります」
<6888> \{親父} *
// \{親父}「お幸せに」
<6889> \{渚} *
// \{渚}「はい」
<6890> \{渚} *
// \{渚}「その…」
<6891> \{渚} *
// \{渚}「お義父さんも…がんばってください」
<6892> \{親父} *
// \{親父}「こっちはのんきなもんだよ」
<6893> \{渚} *
// \{渚}「何か欲しいものがあれば、言ってください」
<6894> \{親父} *
// \{親父}「大丈夫。ありがとう」
<6895> \{親父} *
// \{親父}「………」
<6896> *
// 話は終わったようだった。
<6897> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「時間だ。いこう」
<6898> \{渚} *
// \{渚}「はい…」
<6899> \{渚} *
// \{渚}「それでは、お義父さん、また来ます」
<6900> \{親父} *
// \{親父}「ああ…」
<6901> *
// 痰が喉に絡んだような、枯れた声。
<6902> *
// それが哀れみを誘った。
<6903> *
// しばらく渚と親父は見つめ合っていた。
<6904> \{渚} *
// \{渚}「それでは…」
<6905> *
// 未練を振りきるように背を向けた。
<6906> \{渚} *
// \{渚}「これからはもっとたくさん、会いにきましょう」
<6907> *
// 渚が俺に言った。
<6908> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「………」
<6909> \{渚} *
// \{渚}「\m{B}くん？」
<6910> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ、そうだな…」
<6911> *
// そう、今日からは、あいつは渚の義理の父なのだ。
<6912> *
// 深い繋がりが出来てしまった。
<6913> \{渚} *
// \{渚}「どうしましたか、\m{B}くん」
<6914> *
// 俺の伏せた顔を覗き込む渚。
<6915> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「いや、なんでもないよ」
<6916> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「さ、いこうか」
<6917> *
// 渚の手を取って、握る。
<6918> *
// その指に金属の冷たい感触。
<6919> *
// 結婚指輪が光っていた。
<6920> *
// 帰りに、俺と渚は役所に寄り、婚姻届けを提出した。
<6921> *
// …\m{A}渚。
<6922> *
// それが、今日からの渚の本名だった。
<6923> \{渚} *
// \{渚}「しばらくは気をつけてないと、古河って書いてしまいそうです」
<6924> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「だろうな」
<6925> \{渚} *
// \{渚}「\m{A}渚…\m{A}渚…\m{A}渚…」
<6926> *
// だからだろうか。ずっと、口の中で小さく繰り返していた。
<6927> \{渚} *
// \{渚}「\m{A}って名字、男らしいです」
<6928> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「それは、俺の名字だからだろ？」
<6929> \{渚} *
// \{渚}「そうですか？  古河は女性っぽいです」
<6930> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「それはおまえの名字だからだ」
<6931> \{渚} *
// \{渚}「そうでしょうか…」
<6932> \{渚} *
// \{渚}「でも、やっぱり\m{A}渚って名前だと強くなれた気がします」
<6933> \{渚} *
// \{渚}「なんだか…守られてる気がします」
<6934> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「………」
<6935> *
// 俺は目から鱗が落ちた気分だった。
<6936> *
// そういう決まりだから、としか考えていなかった。
<6937> *
// でも、渚の言葉で実感できた。
<6938> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「おまえさ、よくそんな恥ずかしいこと言えるよな」
<6939> \{渚} *
// \{渚}「昔に言ってました、\m{B}くん」
<6940> \{渚} *
// \{渚}「自分を転げさせるぐらい恥ずかしいこと言えって」
<6941> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「だっけか？」
<6942> \{渚} *
// \{渚}「そうです。言ってました」
<6943> \{渚} *
// \{渚}「だから言います」
<6944> \{渚} *
// \{渚}「わたしは今、世界で一番、幸せな女の子です」
<6945> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ぐあっ…」
<6946> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「マジ、恥ずかしい…」
<6947> \{渚} *
// \{渚}「\m{B}くん」
<6948> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「あん？」
<6949> \{渚} *
// \{渚}「ふたりで、幸せになりましょう」
<6950> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「あ、ああ…」
<6951> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「任せとけ」
<6952> \{渚} *
// \{渚}「はいっ」
<6953> \{渚} *
// \{渚}「提出してきました」
<6954> *
// 古河家への報告。
<6955> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「これからはお義父さんと呼ばしてもらうからな」
<6956> *
// そう言うと、オッサンは両腕で自分の体を抱いた。
<6957> \{秋生} *
// \{秋生}「いま、ぞくぞくって来たぞっ、やめてくれ、縁起でもねぇ！」
<6958> *
// とんでもない言われようだった。
<6959> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「だって、実際、義理の父なんだぜ？」
<6960> \{秋生} *
// \{秋生}「おまえがそう言うんだったら、息子と呼ぶぞ、息子よっ」
<6961> *
// こっちも、ぞくぞくっと来た。
<6962> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「さぶーっ、やめてくれ、お義父さん！」
<6963> \{秋生} *
// \{秋生}「ぐあぁあああーーっ！  やめてくれ、息子よぉ！」
<6964> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ぐあああああぁーーっ！  やめろ、お義父さん！」
<6965> \{秋生} *
// \{秋生}「ぐはあああああぁーーっ！」
<6966> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「のおおぉぉぉぉーーっ！」
<6967> *
// 気づくと、ふたりで床を転げ回っていた。
<6968> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（アホなふたりだ…）
<6969> \{早苗} *
// \{早苗}「わたしも入っていいですか？」
<6970> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「早苗さんは、さぶくならないっしょ？」
<6971> \{早苗} *
// \{早苗}「呼んでみてください」
<6972> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「お義母さん」
<6973> \{早苗} *
// \{早苗}「はいっ」
<6974> *
// いつも通りだった。
<6975> *
// その日の晩は、古河家でささやかなお祝いをしてもらった。
<6976> *
// テーブルには出前で取った寿司の特上。それをつまみにオッサンはひとりでビールの缶を空けていく。
<6977> \{秋生} *
// \{秋生}「で、式はいつ挙げるんだよ」
<6978> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「金が貯まってから」
<6979> \{秋生} *
// \{秋生}「かぁっ、なんでこんな貧乏な奴と結婚しちまったんだよっ」
<6980> \{渚} *
// \{渚}「好きだからです」
<6981> \{秋生} *
// \{秋生}「正直に答えるなっ、父さん悲しくなるだろっ」
<6982> \{早苗} *
// \{早苗}「秋生さんも人のこと言えませんよ」
<6983> \{秋生} *
// \{秋生}「あん？  なにがだよ…」
<6984> \{早苗} *
// \{早苗}「秋生さんも、ぜんぜんお金なかったですよ」
<6985> \{秋生} *
// \{秋生}「う…」
<6986> \{早苗} *
// \{早苗}「借金して、この家を買って、お金を返すのに毎日必死でした」
<6987> \{早苗} *
// \{早苗}「結婚式も２年も後のことでした」
<6988> \{秋生} *
// \{秋生}「そうだったっけか…」
<6989> \{早苗} *
// \{早苗}「でも、わたしは幸せでしたよ」
<6990> \{早苗} *
// \{早苗}「秋生さんといつも一緒にいられましたから」
<6991> \{秋生} *
// \{秋生}「さ、早苗…」
<6992> \{秋生} *
// \{秋生}「てめぇら、邪魔だ」
<6993> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「俺たちのお祝いじゃなかったのかよ…」
<6994> \{早苗} *
// \{早苗}「つまり、わたしが言いたかったのは、好きな人と一緒にいるのが一番、ということです」
<6995> \{渚} *
// \{渚}「はい。なら、\m{B}くんです」
<6996> \{秋生} *
// \{秋生}「くそぅ…なんだか、ムカツクんだよな…」
<6997> \{秋生} *
// \{秋生}「どうして、こんな奴をウチの娘は好きになったんだ？」
<6998> *
// 本当に祝ってくれてるのだろうか…。
<6999> \{早苗} *
// \{早苗}「秋生さん、今日はおめでたい日ですよっ」
<7000> \{秋生} *
// \{秋生}「んあ？  ああ、そうか…そうだったな…」
<7001> \{秋生} *
// \{秋生}「じゃ、かんぱーーーいっ！」
<7002> \{秋生} *
// \{秋生}「よし、王様ゲームでもするかっ」
<7003> *
// しません。
<7004> *
// アパートに帰りついたのは深夜だった。
<7005> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ただいま」
<7006> \{渚} *
// \{渚}「ただいまです」
<7007> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「………」
<7008> *
// 何一つ変わらない部屋だったけど、今日からは違う気がした。
<7009> *
// 渚も同じことを思っているのだろうか、なかなか上がろうとしない。
<7010> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「どうした」
<7011> \{渚} *
// \{渚}「今日からまた、新しいスタートです」
<7012> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「そうだな」
<7013> \{渚} *
// \{渚}「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
<7014> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「こちらこそ」
<7015> *
// 土間で頭を下げ合うふたりがおかしい。
<7016> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「さ、上がろう」
<7017> \{渚} *
// \{渚}「はい」
<7018> *
// ふたりだけの場所。
<7019> *
// 俺たちの家に。
<7020> *
// 風呂上がりの渚が、布団を敷いて就寝準備をしている。
<7021> *
// その後ろ姿を見ながら俺はぼぅーっと考え事をしていた。
<7022> *
// これからやるべきことや、いろいろなこと。
<7023> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（そういや…）
<7024> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（今日って新婚初夜じゃん…）
<7025> *
// いきなりそんなことに思い当たる。
<7026> *
// そして、目の前には渚の揺れる尻。
<7027> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（これからやるべきこと…）
<7028> *
// 急に下半身が疼きだす。
<7029> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ぐあーっ！」
<7030> *
// 俺は床を転げ回った。
<7031> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（こんなめでたく喜ばしい日に、なんつーエッチなことを考えてんだ、俺はぁっ！）
<7032> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（いや、でも、それが普通なのかもっ…）
<7033> \{渚} *
// \{渚}「どうしましたか、\m{B}くん？」
<7034> *
// 渚が膝を擦らせて寄ってくる。
<7035> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「い、いや…明日から仕事だなぁって思って」
<7036> \{渚} *
// \{渚}「悲鳴あげるほど嫌なんですか？」
<7037> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「いや、それほどでもない…オーバーだったな…」
<7038> \{渚} *
// \{渚}「がんばってください。\m{B}くん、一家の大黒柱です」
<7039> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「あ、ああ…」
<7040> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（でも、俺たち付き合ってからどれだけ経ってるんだよ…）
<7041> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（つーか、俺たち、夫婦じゃんかよっ）
<7042> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（時間なんて問題ないぞ…）
<7043> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（ままごとじゃねぇんだから…）
<7044> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（これからは、そうしたいときにしてもいいんじゃないのか…）
<7045> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（ああ、でも、こいつ…そういうこと奥手だし…失望されたらどうしよう…）
<7046> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（いや、前にそういうことは嫌いじゃないって言ってたじゃん…）
<7047> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（でも、そういうことって、ちゃんとこいつ、理解してんのか…？）
<7048> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（してなくて、そん時になって引かれたらどうしよう…）
<7049> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（俺はあそこを晒したまま、がーーん、とうなだれるのだろうか…）
<7050> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（そんなの嫌すぎる…）
<7051> \{渚} *
// \{渚}「わたしも早くお仕事探して、がんばりますから」
<7052> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「………」
<7053> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「え…？」
<7054> *
// 渚の一言で、俺の思考が寸断されていた。
<7055> \{渚} *
// \{渚}「お仕事です。わたしひとり、遊んでるわけにもいかないです」
<7056> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「いや、いいんだよ。家に居てくれれば」
<7057> \{渚} *
// \{渚}「それは…\m{B}くん、ひとりでがんばってることになります」
<7058> \{渚} *
// \{渚}「わたしもがんばりたいです」
<7059> \{渚} *
// \{渚}「もちろん、家のこともおろそかにしないです」
<7060> \{渚} *
// \{渚}「ちゃんと、夕方には帰ってきて、ご飯作って待ってます」
<7061> \{渚} *
// \{渚}「お洗濯もして、掃除もします」
<7062> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「いや、もちろん俺も手伝うけどさ…」
<7063> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「えっと…」
<7064> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（こいつは融通が利かないからな…）
<7065> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（なんて言っていいものか…）
<7066> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「でもさ…しばらくは休んでおけよ。調子だって、戻ってはないだろ？」
<7067> \{渚} *
// \{渚}「いえ、今は元気です」
<7068> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「今はそうでもさ…いつ、また調子崩すか…」
<7069> *
// 言ってから、俺はしまったと思った。
<7070> \{渚} *
// \{渚}「あの、わたしは…」
<7071> \{渚} *
// \{渚}「自分の体が弱いからって、いつでも弱い自分でいたくないです」
<7072> \{渚} *
// \{渚}「いつ調子が悪くなるか、その時のことを考えて怯えていたくはないです」
<7073> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ、悪い…そうだったな…」
<7074> *
// 俺の言ったことは、渚を弱い者扱いしたも同然だった。だからそう詫びた。
<7075> \{渚} *
// \{渚}「いえ、すみません。わたしのほうこそ、きつく言ってしまって…」
<7076> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「いや…」
<7077> \{渚} *
// \{渚}「\m{B}くん」
<7078> \{渚} *
// \{渚}「わたし、お仕事、探していいですか」
<7079> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ」
<7080> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「でもな、決める時は俺に相談しろよ」
<7081> \{渚} *
// \{渚}「はい、そうさせてもらいます」
<7082> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ふぅ…」
<7083> *
// 俺は渚が敷いた布団の上に転がった。
<7084> \{渚} *
// \{渚}「\m{B}くん」
<7085> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「あん？」
<7086> \{渚} *
// \{渚}「わがままでごめんなさい、です」
<7087> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「いや、ぜんぜん」
<7088> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「おまえは、どんな女の子よりも謙虚だと思うよ」
<7089> \{渚} *
// \{渚}「そうでしょうか…」
<7090> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ。だって、なにひとつ贅沢言わないしな」
<7091> \{渚} *
// \{渚}「別に…何も欲しくないです」
<7092> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「それを謙虚だって言うんだよ」
<7093> \{渚} *
// \{渚}「そうなんでしょうか…」
<7094> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「じゃあさ、こうしよう」
<7095> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「おまえが仕事を始めてさ、もう少し余裕が出来たらさ…」
<7096> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「服とか買って、おしゃれしてくれよ」
<7097> \{渚} *
// \{渚}「今はまだ欲しくないです」
<7098> \{渚} *
// \{渚}「それよりももっと、いるものがあると思います」
<7099> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「そりゃわかってる。けどな、そういうことも大切だと思うぞ」
<7100> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「俺だって、おまえがもっとさ、おしゃれして可愛くなってくれれば、それだけで嬉しい」
<7101> \{渚} *
// \{渚}「え…」
<7102> \{渚} *
// \{渚}「わたしって、そんなにおしゃれじゃない服、着てますか…」
<7103> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「いや、そういう意味じゃなくてさ…」
<7104> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「なんつーのかな、新鮮味？」
<7105> \{渚} *
// \{渚}「そうですね…新鮮味はないかもしれないです」
<7106> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「な、いいだろ。そういう楽しみを少しは作ってみてもさ」
<7107> \{渚} *
// \{渚}「\m{B}くんがそうしてほしいって言うのなら…わたしも少しはそうしたい気持ちあります」
<7108> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「おっ、そうか。じゃあ、決定だ。いいな」
<7109> \{渚} *
// \{渚}「はい」
<7110> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「そうやってさ…おまえ、女の子なんだから、もっとわがまま言えよ」
<7111> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「そんなのわがままですらないからさ」
<7112> \{渚} *
// \{渚}「はい」
<7113> \{渚} *
// \{渚}「じゃあ…」
<7114> \{渚} *
// \{渚}「もうひとつ我がまま言っていいですか」
<7115> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ、どんとこい」
<7116> \{渚} *
// \{渚}「今日は…」
<7117> \{渚} *
// \{渚}「ひとつのお布団で寝ていいですか」
<7118> *
// ぼぅーっと、天井を見上げていた。
<7119> *
// ひとつの布団の端と端に俺と渚は寝ていた。
<7120> *
// わずかに腕が触れている。
<7121> \{渚} *
// \{渚}「夫婦みたいです」
<7122> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「いや、夫婦なんだってば」
<7123> \{渚} *
// \{渚}「あ、そうでした…えへへ」
<7124> *
// 嬉しそうだった。
<7125> *
// 渚はただ、そんな関係を意識したかっただけなのだろう。
<7126> *
// それ以上に深い意味はないようだった。
<7127> *
// だから俺も、緊張もせず、その手をぎゅっと握った。
<7128> *
// 渚も握り返してくれた。
<7129> \{渚} *
// \{渚}「あの日から、一年がんばりました」
<7130> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「そうだな…」
<7131> \{渚} *
// \{渚}「一年前、\m{B}くん、言いました」
<7132> \{渚} *
// \{渚}「一年がんばったら、何にも負けないぐらい強くなれるって」
<7133> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ」
<7134> \{渚} *
// \{渚}「わたし、強くなれた気がします」
<7135> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ、なったと思う」
<7136> \{渚} *
// \{渚}「でもまだまだです」
<7137> \{渚} *
// \{渚}「まだまだこれからです」
<7138> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ…そうだな」
<7139> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「この先、いろんなことがあるんだろうな。大変なこと、辛いこと、悲しいこと」
<7140> \{渚} *
// \{渚}「\m{B}くんと一緒なら、立ち向かっていけます」
<7141> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ、ふたりで行こうな」
<7142> \{渚} *
// \{渚}「はい」
<7143> *
// 本当に、渚は強くなった。
<7144> *
// 二年前の、出会った頃…
<7145> *
// 思い出されるのは渚の不安に沈む顔だけだった。
<7146> \{渚} *
// \{渚}「なに、笑ってるんですか」
<7147> *
// 渚がこっちを見ていた。
<7148> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「いや…」
<7149> *
// それは俺も同じだろうか。
<7150> *
// あの日の俺は滑稽だっただろうか。
<7151> *
// 自分ではよくわからなかった。
<7152> \{渚} *
// \{渚}「それでは、おやすみなさいです」
<7153> *
// 渚が上を向いて、目を閉じた。
<7154> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ、おやすみ」
<7155> *
// 俺も目を閉じた。
<7156> \{渚} *
// \{渚}「話があります」
<7157> *
// 次の日、夕飯時に渚は話を切りだした。
<7158> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「お、なんだ、言ってみろ」
<7159> \{渚} *
// \{渚}「今日、昼間に仁科さんに電話しました」
<7160> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「仁科に？  また、どうして」
<7161> \{渚} *
// \{渚}「先日の卒業式の時に、電話番号を教えてくれたんです」
<7162> \{渚} *
// \{渚}「隣に\m{B}くんも居ました」
<7163> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「だっけか。よく覚えてねぇけど」
<7164> \{渚} *
// \{渚}「用なんてなくてもいいから、かけて欲しいって言ってくれました」
<7165> \{渚} *
// \{渚}「だから、電話してみました」
<7166> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ」
<7167> \{渚} *
// \{渚}「結構長話になってしまいました。すみません」
<7168> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「いや、いいよ」
<7169> \{渚} *
// \{渚}「仁科さん、音楽の学校に入るために勉強中だそうです」
<7170> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「へぇ、浪人してたのか…」
<7171> \{渚} *
// \{渚}「それで、お金も貯めないといけないらしくて、アルバイトを始めるんだそうです」
<7172> \{渚} *
// \{渚}「来月からオープンする、新しくできたファミリーレストランでです」
<7173> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ふぅん」
<7174> \{渚} *
// \{渚}「一緒にどうですか、って誘われました」
<7175> \{渚} *
// \{渚}「わたしもお仕事探してましたから、ちょうどいい機会だと思いました」
<7176> \{渚} *
// \{渚}「わたし、やってみたいです」
<7177> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「まぁ、待て、落ち着け」
<7178> \{渚} *
// \{渚}「はい」
<7179> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「つまり、ウェイトレスってことだよな」
<7180> \{渚} *
// \{渚}「はい、そうです」
<7181> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（ウェイトレスってことは、立ち仕事か…）
<7182> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（辛そうだな…）
<7183> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「おまえ、バイト初めてだよな」
<7184> \{渚} *
// \{渚}「はい」
<7185> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「言っとくけど、想像以上に辛いぞ」
<7186> \{渚} *
// \{渚}「はい、覚悟してます」
<7187> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「先輩にいじめられるかもしれないぞ」
<7188> \{渚} *
// \{渚}「バイトはみんな新規募集ですから、先輩はいないです」
<7189> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「なら、上司だ。上司にセクハラされるかもしれないぞ」
<7190> \{渚} *
// \{渚}「そんな、お客さんがたくさん居るところでしないです」
<7191> \{渚} *
// \{渚}「それに仁科さんも居ますし」
<7192> \{渚} *
// \{渚}「もちろん頼るなんてことはしないですけど、いざという時には協力しあえます」
<7193> *
// 確かに。知り合いがひとりもいないような職場に送り出すよりかは、ずっと安心できる。
<7194> \{渚} *
// \{渚}「心配してくれるのはありがたいです。でも、このぐらいのことは普通だと思いますから」
<7195> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「そうか…そうだよな」
<7196> *
// これ以上心配するのも、渚に体の弱い子という烙印を押すようでためらわれた。
<7197> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「わかった。俺は許可するよ」
<7198> \{渚} *
// \{渚}「ありがとうございます」
<7199> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「でもな、いちお、オッサンや早苗さんにも相談してからな」
<7200> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「やっぱりそういうことは筋だと思うから」
<7201> \{渚} *
// \{渚}「はい、構いません」
<7202> *
// 風呂から上がってから、タオルを頭に巻いた格好で、電話のダイヤルをプッシュする。
<7203> *
// 渚も隣にいて、成りゆきを見守っている。
<7204> *
// プルルル…ガチャ。
<7205> \{声} *
// \{声}『あいよ、古河だけども』
<7206> *
// オッサンが出た。
<7207> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「俺、\m{A}だけど」
<7208> \{秋生} *
// \{秋生}『おぅ、息子よ、どうした』
<7209> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ぐぁっ！」
<7210> *
// ガチャン！
<7211> *
// 思わず切ってしまっていた。
<7212> \{渚} *
// \{渚}「\m{B}くん、どうしましたか」
<7213> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「あ、いや…なんか電話の調子悪いみたい」
<7214> \{渚} *
// \{渚}「そうですか」
<7215> *
// かけ直す。
<7216> *
// プルルル…ガチャ。
<7217> \{秋生} *
// \{秋生}『あい、古河だ』
<7218> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「\m{A}っす、お義父さん」
<7219> \{秋生} *
// \{秋生}『ぐおおぉーっ！』
<7220> *
// ガチャン！
<7221> *
// …切られてしまった。
<7222> \{渚} *
// \{渚}「\m{B}くん、どうしましたか」
<7223> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「あ、いや…もう一度かけるな」
<7224> *
// プルルル…ガチャ。
<7225> \{秋生} *
// \{秋生}『あい、おまえのお義父さんだ』
<7226> *
// ガチャンッ！
<7227> *
// ふたり、同時に切った。
<7228> \{渚} *
// \{渚}「………」
<7229> *
// 渚が不思議そうにこっちを見ている。
<7230> *
// またかけ直す。
<7231> *
// プルルル…ガチャ。
<7232> \{秋生} *
// \{秋生}『古河だよ…』
<7233> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「あんた、自分で言っておいて、切るんじゃない」
<7234> \{秋生} *
// \{秋生}『ああ、今のは自爆だったな。冗談がすぎた』
<7235> *
// いや、冗談ではなく本当なのだけど…。
<7236> *
// それを言うとまた切られそうだったので黙っておく。
<7237> \{秋生} *
// \{秋生}『で、なんだ。子供でも産まれたか』
<7238> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「飛躍しすぎだ」
<7239> \{秋生} *
// \{秋生}『ちっ、なら、なんだ』
<7240> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「渚がバイトを始めるんだけど、いいかな」
<7241> \{秋生} *
// \{秋生}『バイトぉぅ！？』
<7242> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ、バイトだ。しかもウェイトレスだ」
<7243> \{秋生} *
// \{秋生}『ウェイトレスぅぅ！？』
<7244> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「しかも今日の晩ご飯はほっけだった」
<7245> \{秋生} *
// \{秋生}『ほっけぇぇ！？』
<7246> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「代打福王」
<7247> \{秋生} *
// \{秋生}『福王ぅぅぅっ！？』
<7248> *
// なんでも驚くらしい。
<7249> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「というわけで、早苗さんにも伝えておいてくれ。じゃあ」
<7250> \{秋生} *
// \{秋生}『こら、待てっ。今、ドラマの濡れ場に夢中で、なんにも聞いてなかった！』
<7251> *
// 反射的に言葉を返していただけらしい。
<7252> \{秋生} *
// \{秋生}『早苗に代わるから、そっちに詳しく話してくれっ』
<7253> \{秋生} *
// \{秋生}『おい、早苗っ、福王はどうかと思うぞっ、それだけは言っておけ』
<7254> *
// しばらく待つ。
<7255> \{早苗} *
// \{早苗}『もしもし、早苗です』
<7256> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「こんばんは、\m{A}っす」
<7257> \{早苗} *
// \{早苗}『\m{A}は渚の姓でもあるんですよ、\m{B}さん』
<7258> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ、そうっすね。\m{B}っす」
<7259> \{早苗} *
// \{早苗}『はい。なんでしょう、\m{B}さん』
<7260> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「渚がバイトを始めるんです。俺はやりたいようにやらせようって思ってます」
<7261> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「いいですよね」
<7262> \{早苗} *
// \{早苗}『どんなお仕事ですか？』
<7263> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「新しくできたファミレスです。そこのウェイトレスです」
<7264> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「それに知り合いも一緒に働くらしいですよ」
<7265> \{早苗} *
// \{早苗}『そうなんですか。それは安心ですね』
<7266> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ですよね。だから、いいと思うんです」
<7267> \{早苗} *
// \{早苗}『はい、わたしもいいと思います』
<7268> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「じゃ、了承ということで」
<7269> \{早苗} *
// \{早苗}『はい』
<7270> *
// 俺は振り返って、渚に指でＯＫサインを作って見せた。
<7271> \{渚} *
// \{渚}「あ…」
<7272> *
// 渚の顔が色めきたつ。
<7273> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「それじゃ、失礼します」
<7274> \{早苗} *
// \{早苗}『はい、おやすみなさい』
<7275> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「おやすみなさい」
<7276> *
// がちゃん。
<7277> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「問題なかったよ」
<7278> \{渚} *
// \{渚}「よかったです」
<7279> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「つーわけで、頑張れよな」
<7280> \{渚} *
// \{渚}「はい、がんばります」
<7281> \{渚} *
// \{渚}「早速、明日、仁科さんに電話してみます」
<7282> *
// 今日は、いつものように二人分の布団が敷かれた。
<7283> *
// 少し…というか、かなり寂しい。
<7284> *
// 夫婦気分を満喫するのは、もうお終いなのだろうか。
<7285> *
// かといって、俺からあんなことは言い出せないし…。
<7286> \{渚} *
// \{渚}「どうしましたか、\m{B}くん」
<7287> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「え…あ、ああ」
<7288> *
// 急に話しかけられて戸惑う。
<7289> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「えっと…早いけど寝るか」
<7290> \{渚} *
// \{渚}「はい」
<7291> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「………」
<7292> *
// じっと見上げる天井。
<7293> *
// 俺は、新しくできるファミリーレストランの場所をその暗闇に思い描いていた。
<7294> *
// あの場所はよく知っている。
<7295> *
// 学生の頃、通学路として毎日通っていた道だ。
<7296> *
// あの閑散とした場所にファミレスが建つというのだ。
<7297> *
// いや、来月開店ということは、すでにその建物は存在しているのだ。
<7298> *
// 長いことあの場所を通っていなかったから、知らなかった。
<7299> *
// だから、その場所に建つファミレスなど、想像もできなかった。
<7300> *
// 町の姿が変わっていく。
<7301> *
// 人の力で変えていく。
<7302> *
// 自分たちのために。
<7303> *
// 俺もその一端を担っているのだ。
<7304> *
// それはいいことなのか、悪いことなのかわからない。
<7305> *
// 別に動物や木や森を慈しんでいるわけじゃない。
<7306> *
// 思い出の町が変わっていく。
<7307> *
// それだけが、なぜか許せないのだ。
<7308> \{渚} *
// \{渚}「起きてますか、\m{B}くん」
<7309> *
// 渚の声がして、我に返る。
<7310> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「あ？  ああ…」
<7311> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「どうした」
<7312> \{渚} *
// \{渚}「そっち、行っていいですか」
<7313> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「え？」
<7314> \{渚} *
// \{渚}「やっぱり寂しかったです」
<7315> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「あ、ああ…」
<7316> \{渚} *
// \{渚}「本当に行っていいですか？」
<7317> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ、もちろん」
<7318> *
// 渚は自分の布団から、俺の布団へと潜ったままで移動した。
<7319> \{渚} *
// \{渚}「落ち着きます。えへへ」
<7320> *
// 俺の肩に自分の肩を押し当ててそう笑った。
<7321> *
// そして、こいつも弱かったあの頃から変わっていく。
<7322> *
// 今、俺自身が恐れているのかもしれない。
<7323> *
// 今、俺があの日の坂の下に立ち尽くしているのかもしれない。
<7324> *
// 遠く、不確かな未来を見上げて怯えてるのかもしれない。
<7325> *
// 渚の首の下に腕を回し、ぐっと抱きしめた。
<7326> *
// その首筋に鼻を押し当てる。
<7327> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「なぁ、渚…」
<7328> \{渚} *
// \{渚}「はい…」
<7329> *
// …ずっと俺のそばで、俺のことを見ていてくれよ…。
<7330> *
// 言いたかったけど、言えなかった。
<7331> *
// 今だけは、どうしてか言えなかった。
<7332> *
// それを口にすることで、その願いを抗いようもない圧倒的な力に押し流されてしまいそうで。
<7333> *
// 代わりに、その首筋にキスをした。
<7334> *
// そうして、自分と渚をこの場所に繋ぎ止めたかった。
<7335> *
// この古びたアパートの一室に。
<7336> \{渚} *
// \{渚}「どうしましたか、\m{B}くん」
<7337> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「いや…」
<7338> \{渚} *
// \{渚}「今日も、仁科さんに電話しました」
<7339> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ」
<7340> \{渚} *
// \{渚}「そうしたら、その後、ファミリーレストランの店長の方に連絡取ってもらえました」
<7341> \{渚} *
// \{渚}「明日、面接してくれます。行ってきていいですか」
<7342> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ、もちろん」
<7343> \{渚} *
// \{渚}「では、昼間は家、空けます」
<7344> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「気にせず行ってこいよ」
<7345> \{渚} *
// \{渚}「はい」
<7346> *
// 渚は嬉しそうだった。そんなに働きたかったのだろうか。
<7347> *
// いや、働きたい、というより、ただ自分も何かを頑張っていたい。それだけなのだろう。
<7348> *
// 新しい職場か…。
<7349> *
// そういや、ファミレスのバイトって、若い男も多いだろうな…。
<7350> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「む…」
<7351> \{渚} *
// \{渚}「どうしましたか」
<7352> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「あのさ、ひとつだけ気をつけてほしいんだけど…」
<7353> \{渚} *
// \{渚}「はい」
<7354> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「おまえは実際、新卒の女の子なんだからさ…言い寄ってくる男も多いと思うけどさ」
<7355> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「絶対に、若い男とふたりきりになったりするんじゃないぞ」
<7356> \{渚} *
// \{渚}「はい、それはわかってます」
<7357> \{渚} *
// \{渚}「それに、これ、見せたら大丈夫だと思います」
<7358> *
// 手のひらを開いて、薬指に填められた指輪を見せた。
<7359> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ま、そうだろうけどさ…」
<7360> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「それでも、おまえ、可愛いからさ…心配だよ、俺は」
<7361> \{渚} *
// \{渚}「そんなことないですから、大丈夫です」
<7362> *
// いや、そんなことあるから心配なんだけどな…。
<7363> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「店長とかさ、信用できる人間かどうかとか、ちゃんと見極めろよ」
<7364> \{渚} *
// \{渚}「はい」
<7365> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「それと、仁科とも今度話をさせてくれ。いろいろ聞いておきたいしさ」
<7366> \{渚} *
// \{渚}「はい」
<7367> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「後は…」
<7368> *
// ああ、まただ。心配しすぎだ、俺は…。
<7369> \{渚} *
// \{渚}「後は、なんでしょうか」
<7370> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「いや、もういい」
<7371> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「後は、無理しないように。それだけだ」
<7372> \{渚} *
// \{渚}「はい」
<7373> *
// その後、バイトの件はとんとん拍子で話が決まり、来月頭からオープンスタッフとして働くことになった。
<7374> *
// 時間は朝の８時から午後４時までのローテーションに入るとのことだった。
<7375> *
// その辺りは主婦、ということで融通が利くらしい。
<7376> *
// 新卒で配偶者あり、という履歴は、かなり驚かれたらしいが、それである程度の予防線を張れた気がして安心できた。
<7377> *
// 逆にそのことでまた、あらぬ噂を立てられないとも限らなかったが…。
<7378> \{渚} *
// \{渚}「それではいってきます」
<7379> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ、俺もいってきます」
<7380> *
// 振り返る部屋は無人。
<7381> *
// 今日からは、こうして、ふたりで家を出る。
<7382> \{渚} *
// \{渚}「なんだか、二年前を思い出します」
<7383> \{渚} *
// \{渚}「ふたりで、登校してました」
<7384> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「そうだったな…毎日遅刻だったけどな」
<7385> \{渚} *
// \{渚}「今はふたりとも、もう学生じゃないです」
<7386> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「フリーターだな」
<7387> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「春原は研修中で…」
<7388> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「仁科は音楽の学校に入るために浪人中…」
<7389> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「もう、みんな高校生じゃないんだよな…」
<7390> \{渚} *
// \{渚}「はい、みんな、新しい道を歩き始めています」
<7391> \{渚} *
// \{渚}「わたしも負けないように、張りきっていってきますっ」
<7392> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ、頑張ってこい」
<7393> \{渚} *
// \{渚}「それでは」
<7394> *
// 手を振って、逆方向へと歩いていく。
<7395> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「………」
<7396> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（…心配だなぁ）
<7397> *
// しばらく見送っていた。
<7398> \{渚} *
// \{渚}「おかえりなさい、です」
<7399> *
// 帰ってくると、渚は台所に立って、夕飯の支度をしていた。
<7400> *
// 疲れている様子はまったくなく、いつも通りに見えた。
<7401> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「どうだった、大変だったんじゃないのか」
<7402> \{渚} *
// \{渚}「はい、思った以上に大変でした」
<7403> \{渚} *
// \{渚}「それに今日はオープン初日ですから、てんてこまいでした」
<7404> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「休んでれば。後、俺がやるよ」
<7405> \{渚} *
// \{渚}「そういうわけにはいかないです。これもちゃんとやらないとダメなんです」
<7406> \{渚} *
// \{渚}「それに\m{B}くんのほうがよっぽど疲れてるはずです。重労働です」
<7407> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「俺は慣れてるからいいんだよ、おまえは初日だろ？」
<7408> \{渚} *
// \{渚}「うーん…」
<7409> \{渚} *
// \{渚}「では、ふたりで作りましょう」
<7410> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ、それがいい」
<7411> *
// その日の夕飯は、二人で作った。
<7412> \{渚} *
// \{渚}「ものすごいお客の数でした」
<7413> \{渚} *
// \{渚}「何人か、知った人がいました」
<7414> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「へぇ、昔の同級生とか？」
<7415> \{渚} *
// \{渚}「いえ、古河パンの常連の方とかです」
<7416> \{渚} *
// \{渚}「みなさん、わたしを見て、驚いてました」
<7417> \{渚} *
// \{渚}「こんなところで働いてるなんて、って」
<7418> *
// だろうな…。
<7419> \{渚} *
// \{渚}「それで、みんな可愛いって言ってくれました」
<7420> \{渚} *
// \{渚}「そこの制服、とても可愛いんです。とても似合ってるって言ってくれました」
<7421> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「え…？」
<7422> *
// マジか…。
<7423> \{渚} *
// \{渚}「すごくうれしかったです」
<7424> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「その制服ってさ、向こうに置いてあるの？」
<7425> \{渚} *
// \{渚}「はい。ロッカーに入ってます」
<7426> *
// それを着た渚をすごく見たかった。
<7427> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「そ、そうか…じゃ、休みの日に、働いてる姿、見に行こうかな」
<7428> \{渚} *
// \{渚}「\m{B}くん、なんかいやらしいです」
<7429> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「そうかよ…いいじゃん」
<7430> \{渚} *
// \{渚}「制服姿、ちょっと恥ずかしいんです」
<7431> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「マ、マジ…？」
<7432> *
// 余計に見たくなってきた。
<7433> *
// 仕事をサボってでも、是非見たい。
<7434> \{渚} *
// \{渚}「また今度、機会があれば…です」
<7435> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ…」
<7436> *
// 絶対に見に行ってやる。
<7437> \{渚} *
// \{渚}「それにしても、レストランは大盛況でした」
<7438> \{渚} *
// \{渚}「みんな開店を心待ちにしていたのがよくわかりました」
<7439> \{渚} *
// \{渚}「この町にはファミリーレストランなんてなかったですから」
<7440> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「そうだな」
<7441> \{渚} *
// \{渚}「わたし自身も、驚きの連続でした」
<7442> \{渚} *
// \{渚}「いろいろ変わったシステムがあるんです」
<7443> \{渚} *
// \{渚}「知ってますか、エレベーターの階数表示みたいなものが付いてるんです」
<7444> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「いや、行ったことないから、知らないけどさ…」
<7445> *
// 渚の話は尽きることがなかった。
<7446> *
// 何もかもが初めてで、何もかもが新鮮だったのだろう。
<7447> *
// 夕飯の片づけを終え、一息ついたところで、電話が鳴った。
<7448> *
// 渚がそれを取った。
<7449> \{渚} *
// \{渚}「はい、\m{A}です」
<7450> \{渚} *
// \{渚}「そうですね。えへへ」
<7451> *
// 誰からだろうか。仁科だろうか。
<7452> \{渚} *
// \{渚}「はい、代わります」
<7453> *
// 受話器を置いて、俺を振り返った。
<7454> \{渚} *
// \{渚}「お父さんです」
<7455> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「オッサン？」
<7456> \{渚} *
// \{渚}「はい」
<7457> *
// オッサンが電話を寄こしてくるなんて珍しかった。
<7458> *
// とりあえず俺の記憶の中にはない。
<7459> *
// 何か、渚のことで問題でも持ち上がったのだろうか…。
<7460> *
// 心配しながら、電話にでる。
<7461> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「もしもし」
<7462> \{秋生} *
// \{秋生}『おぅ、馬鹿息子か』
<7463> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「ああ、なんだ」
<7464> \{秋生} *
// \{秋生}『ほら、渚がバイト始めたのって今日だろ？』
<7465> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「そうだけど」
<7466> \{秋生} *
// \{秋生}『いや、実はだな…そのことが噂になって、俺の耳にまで入ってきたんだ』
<7467> *
// …噂。
<7468> *
// 嫌な響きだ。
<7469> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「どんなだ…」
<7470> \{秋生} *
// \{秋生}『ああ、ファミレスの制服姿がとびっきり可愛いってよ！』
<7471> *
// ずるぅぅぅっ！\shake{3}
<7472> *
// 俺は電話の前で滑っていた。
<7473> \{秋生} *
// \{秋生}『うちに来る客、みんなが口を揃えてそう言いやがる』
<7474> \{秋生} *
// \{秋生}『気になるじゃねぇか』
<7475> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「見に行けばいいじゃないか」
<7476> \{秋生} *
// \{秋生}『馬鹿、んな恥ずかしいことできるかよっ』
<7477> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「しろよっ」
<7478> \{秋生} *
// \{秋生}『つーわけで、写真を送ってくれ』
<7479> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「誰が撮るんだよ…」
<7480> \{秋生} *
// \{秋生}『おまえだ』
<7481> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「んな暇あるかよっ」
<7482> \{秋生} *
// \{秋生}『一日ぐらい仕事休め』
<7483> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「んなことしたら、クビになるっ」
<7484> \{秋生} *
// \{秋生}『悪いなっ』
<7485> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「クビになれってかっ」
<7486> \{秋生} *
// \{秋生}『じゃ、頼んだぞ、孝行息子よ』
<7487> *
// がちゃん…つーつー…
<7488> *
// 切れた。
<7489> \{渚} *
// \{渚}「どうしましたか」
<7490> \{渚} *
// \{渚}「また、お父さん、無理なこと言ってきましたか」
<7491> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「あの人、アホだろ」
<7492> \{渚} *
// \{渚}「子供っぽいとは思います」
<7493> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}（今のは子供っぽいというより、単なるエロオヤジだぞ…）
<7494> \{渚} *
// \{渚}「何を言われましたか」
<7495> \{渚} *
// \{渚}「わたしも手伝います」
<7496> \{渚} *
// \{渚}「どうすればいいですか」
<7497> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「いいって。無視しとこうぜ。あまりにアホらしい…」
<7498> \{渚} *
// \{渚}「そうですか？  今度、訊いてみます」
<7499> \{\m{B}} *
// \{\m{B}}「やめとけ」