White Album 2/Script/1006

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• Cosmic Eagle

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	Speaker		Text		Comment
Line #	JP	EN	JP	EN
1	武也	Takeya	「………」	"........."
2	春希	Haruki	「と、いうわけで、 今日から軽音楽同好会に加わることになった…」
3	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
4	春希	Haruki	「…冬馬かずさ。 みんなよろしく」
5	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
6			小木曽一人の盛大な拍手とともに、 軽音楽同好会新入部員の『他者紹介』は終わった。
7			昨夜はあんなに喋ったって言うのに、 すぐに機嫌が悪くなったり、ちょっと悪くなったり、 すごく悪くなったりと、ころころ変わる奴だ。
8	春希	Haruki	「で、こっちが飯塚武也。 一応ここの会長兼ギター」
9	武也	Takeya	「本当に連れてきやがった…」
10	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
11	武也	Takeya	「よ、よろしく…」
12	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
13	武也	Takeya	「は、はは、は…」
14	春希	Haruki	「…あ～」
15			そういえばこいつ、 冬馬口説いて蹴りを食らったことがあるんだっけ。
16	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
17	武也	Takeya	「春希ぃ…」
18	春希	Haruki	「で、こっちが… ま、よく知ってると思うけど、小木曽雪菜。 ボーカル担当で…」
19			個人的な理由で、武也の件をフォローしないまま、 滞りなく議題を進めていく。
20	雪菜	Setsuna	「よろしくね冬馬さん。 あと、わたしのことは雪菜でいいよ」
21	かずさ	Kazusa	「あたしのことはかずさで良くないから」
22	雪菜	Setsuna	「…え～と」
23	春希	Haruki	「…あ～」
24			この場で冬馬が初めて発した言葉は、 超友好的に接してくる小木曽に対しての、 あからさまな防波堤だった。
25	雪菜	Setsuna	「あ、あは… とにかく、学園祭に向けて頑張ろ、ね？」
26	かずさ	Kazusa	「わかってる…」
27			昨夜、小木曽から電話がかかってきたのは、 いわゆる２５時…午前１時に差し掛かった頃だった。
28			なんでも、今の今まで父親と論戦を続けていたらしく、 いつもの鈴を鳴らしたような声はなりを潜め、 妙に息遣いの色っぽいハスキーボイスとなっていた。
29			でも、声の調子そのものは、思いっきり弾んでいて…
30			つまりそれが、小木曽の同好会復帰と、 冬馬の同好会参加が決まった瞬間だった。
31			よっぽど嬉しかったのか、 小木曽はその後も俺と２時間も電話でお喋りし…
32			『今から冬馬さんのところに電話するね』と、 午前３時になって言い出して、俺の説教を呼び込んだ。
33	雪菜	Setsuna	「あ、ところで北原くん。 北原くんも、わたしのことは…」
34	春希	Haruki	「小木曽どうした小木曽？」
35	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
36			『雪菜でいいよ』
37			実は、昨夜の電話の中でも、 何度か、この悪魔の囁きを聞いた記憶がある。
38			けどまだ今の俺には、 この、小木曽の真名を呼んでしまった直後の自分を 制御できる自信がないから。
39	武也	Takeya	「あ、ところで雪菜ちゃ…」
40	春希	Haruki	「武也ぁぁぁぁぁぁっ！」
41	かずさ	Kazusa	「…っ」
42	武也	Takeya	「うわあああああっ！？」
43			ほら、制御できないし。
44			………	.........
45	春希	Haruki	「さ、さてと… それじゃミーティング始めます」
46			何故だか部長が戦意喪失してしまったので、 僭越ながら俺がこの場を仕切ることになった。
47			なお、肝心の部長はいつもの自信と軽薄さを失い、 教室の隅で椅子に腰掛けてガタガタと震えている。
48			冬馬の蹴飛ばした椅子、凄い音がしたもんなぁ。
49	春希	Haruki	「ええと、それじゃどうしようかな？ とりあえずメンバーも集まったことだし…」
50	かずさ	Kazusa	「…集まった？」
51	春希	Haruki	「あ、いや…」
52	かずさ	Kazusa	「あんた、昨日のあたしの話何も聞いてなかったの？ どの面下げてそんな世迷い言を口に出せるわけ？」
53	春希	Haruki	「い、いや、聞いてた聞いてた。 そうそう、ベースとドラムだよな」
54			俺は狼狽しつつも、冬馬に遮られなければ言うはずだった 『一通り合わせてみようか』を口にしていないで 本当に良かった、と胸をなで下ろしていた。
55	かずさ	Kazusa	「確かに四人いれば普通バンドは組めるけど、 それが専任ボーカルとギター二人とキーボードとなれば 全然話は別」
56	春希	Haruki	「だ、だから…それはおいおい…」
57	かずさ	Kazusa	「大体、何の曲をやるかも決まってないのに、 メンバー揃ったとか、なんて短絡的な…」
58	雪菜	Setsuna	「あ、わたしやりたい曲あるんだけど…」
59	春希	Haruki	「小木曽…？」
60			そんな俺の約束された窮地を見かねてか、 小木曽がおずおずと手を上げた。
61	雪菜	Setsuna	「…って、今言っちゃっていいのかな？ 大事な話の途中だったみたいだけど」
62	春希	Haruki	「全然！　冬馬の言うとおり、 何をやるか決めないと何も進まないから。 な、そうだろ冬馬？」
63	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
64	春希	Haruki	「…うん、大丈夫、大丈夫だから。 で、なんて曲？」
65			うん、大丈夫だ。 後で俺が叱られておけば…
66	雪菜	Setsuna	「わかんないかなぁ？　二人とも」
67	春希	Haruki	「俺たちが？ 小木曽の歌いたい曲を？」
68	かずさ	Kazusa	「…あ」
69	雪菜	Setsuna	「じゃあヒントね。 第３ヒントくらいまでに正解してくれなくちゃ、\k\n
70	雪菜	Setsuna	わたし泣くよ？」
71	春希	Haruki	「え？　いや、ちょっと待って！ そんな重要な曲って…」
72	雪菜	Setsuna	「まずは第１ヒント。 わたしたちの…」
73	かずさ	Kazusa	「『ＷＨＩＴＥ　ＡＬＢＵＭ』…」
74	春希	Haruki	「え…」
75	雪菜	Setsuna	「………出逢いの曲と言えば何でしょう？\k\n
76	雪菜	Setsuna	冬馬さん正解」
77	かずさ	Kazusa	「…常識問題だし」
78	雪菜	Setsuna	「えへ…」
79	春希	Haruki	「………早押し弱いんだよ俺」
80			その言葉が負け惜しみだってことは、 自分が一番良く知っていたけれど。
81			いや、本気で悔しかったんだけど。
82			でも、あのときのことを、 冬馬まで、こんなに鮮明に覚えているなんて、 やっぱり意表を突かれたことだけは確かだった。
83			いや、本気で嬉しかったんだけど、ね。
84	武也	Takeya	「俺の存在を認識してるか？　春希～」
85	かずさ	Kazusa	[F14「『ＷＨＩＴＥ　ＡＬＢＵＭ』…」]
86	武也	Takeya	「また随分と懐かしい曲だな… あれ何年前だ？」
87	春希	Haruki	「懐かしいとか言うな。 不朽の名曲だぞ」
88	かずさ	Kazusa	[F14「やっぱりドラムとベースがネック…」]
89	雪菜	Setsuna	「また、この歌の季節が来るよね。 …学園祭の頃だと、ちょっと早いけど」
90	武也	Takeya	「ま、白い雪が街に優しく積もるのは、 早くて来月以降だろうけどな」
91	春希	Haruki	「お前だって知ってんじゃん」
92	かずさ	Kazusa	[F14「間奏にサックスも入るし…」]
93	武也	Takeya	「当たり前だ。 懐かしいとは言ったが知らないとは言ってない。 …けど俺、どっちかと言えば緒方理奈派だな」
94	春希	Haruki	「あ、ミーハーだ」
95	雪菜	Setsuna	「メジャー指向だよねぇ」
96	かずさ	Kazusa	[F14「どうやって形にする？ ][F14何を捨てて、何を取る？」]
97	武也	Takeya	「実力があるアーティストを評価してるの。それだけ。 何だよお前、緒方理奈嫌いなのかよ？」
98	春希	Haruki	「んな訳ないじゃん」
99	雪菜	Setsuna	「この間の最新アルバムも買ったよ。 しかも初回限定版」
100	かずさ	Kazusa	[F14「４人…ボーカルにギターにギターにキーボード。 ][F14偏ってるなぁ。 ][F14せめて誰か１人をドラムに…」]
101	春希	Haruki	「お、いいなぁ。 俺、初回逃して未だに手に入れてないんだよな」
102	雪菜	Setsuna	「あ、じゃあ貸してあげる。 明日持ってくればいいかな？」
103	春希	Haruki	「マジ？　悪い。 じゃさ、俺もお返しに何か…」
104	武也	Takeya	「…何でそんなに仲いいんだお前ら？ ミス峰城大付と堅物委員長のくせに」
105	かずさ	Kazusa	[F14「………」]
106	雪菜	Setsuna	「その言い方やめて欲しいなぁ。 今になって、色々と人生損しちゃったって 思い知らされてるし」
107	春希	Haruki	「やっぱ後悔してるのか？ ミス峰城大付になっちまったこと」
108	雪菜	Setsuna	「うん、そうだね。 危うく堅物委員長さんと知り合わないまま 卒業しちゃうところだったから…」
109	春希	Haruki	「え…？」
110	武也	Takeya	「………なぁ春希。 俺は今、夢を見てるってことにしていいか？ それも相当にタチの良くない悪夢を」
111	かずさ	Kazusa	「…ねぇ、ちょっと黙っててくれる？」
112	春希	Haruki	「聞いてたのか冬馬！？」
113	かずさ	Kazusa	「え？　何を？」
114	春希	Haruki	「…冬馬に全然関係のない、 箸にも棒にもかからない雑談をだ」
115	雪菜	Setsuna	「………ぷっ」
116			今の俺の状況を[R小木曽^とうじしゃ]に笑われるのは、 甚だ遺憾だと思うんだ。
117	春希	Haruki	「無駄話ばかりで悪かった。 さ、議事を進めようか！」
118	かずさ	Kazusa	「………部長」
119	春希	Haruki	「なんだ冬馬？ 一発逆転起死回生の凄い手でも思いつい………部長？」
120			俺たちの雑談にも加わらず、キレもせず、 ひたすら何か考え事をしていた冬馬が 最初に問いかけたのは…
121	武也	Takeya	「…俺？」
122	かずさ	Kazusa	「あんた、打ち込みできる？」
123			意外な相手への、 意外な質問だった。
124	武也	Takeya	「え？　あ、ええと、それって…」
125	かずさ	Kazusa	「シンセ使えるかって意味」
126	武也	Takeya	「ああ、いや、意味はわかるけど…」
127	かずさ	Kazusa	「なら質問に答えろ」
128	武也	Takeya	「ひっ…」
129	春希	Haruki	「だから冬馬… あまりドスを利かせるなと…」
130			ただでさえ、その綺麗な顔で凄まれると、 男としては必要以上に萎縮してしまうのは 何度も経験済みだし。
131	かずさ	Kazusa	「時間がないの。 だからさっさと答え…てくださいませんか？」
132			だからってその取って付けたような丁寧語は ものすごくやっつけ感が漂うんだけど…
133	武也	Takeya	「そりゃまぁ、ある程度は。 けど打ち込みなら…」
134	春希	Haruki	「冬馬、それだったら俺が…」
135	かずさ	Kazusa	「ＯＫ部長。今後は練習に参加しなくていいから。 むしろ学校来なくていいから。 あたしの指示通り、ひたすら一人でコツコツ打ち込め」
136	武也	Takeya	「え？」
137	春希	Haruki	「え？」
138	雪菜	Setsuna	「？」
139			意外な相手への意外な質問は、 恐るべき指令となって、 軽音楽同好会の創設者を吹き飛ばした。
140	かずさ	Kazusa	「必要な機材とかは後で家の方に送るから。 もう帰っていいわよ。今日はご苦労様」
141	春希	Haruki	「って、おい！ ちょっと待て！」
142			しかも、ついさっき参入した、最新参メンバーによって。 …まぁ、鳴り物入りではあったけど。
143	かずさ	Kazusa	「今のメンバー構成なら、 誰かがやらなくちゃならない事なの。 絶対的にパートが足りないのよ」
144	春希	Haruki	「シンセ使うのはいいよ。 メンバー足りないんだから仕方ない。 けど、それなら俺が…」
145	かずさ	Kazusa	「北原はまず人並みに弾けるようになれ。 話はそれからだ」
146	春希	Haruki	「ああっ！？」
147	雪菜	Setsuna	「と、冬馬さん…」
148			こいつの鳴らす音は いつもあんなに優しくフォローしてくれたのに、 こいつの喋る声はどうしてこんなに容赦がないんだろう…
149	かずさ	Kazusa	「とにかくまずはドラム。 少なくとも１曲目は今週中に欲しい。できる？ ま、できなくてもやってもらうんだけど」
150	春希	Haruki	「だ、だから冬馬… 打ち込みなら俺がやるってば。 …前から俺の担当だったんだし」
151			というか、楽器演奏以外のパートは全部俺だったというか。
152			皆の練習時間が合わないことも多くて、 練習用に全パート分作ったから、ギターの練習以上に 時間を取られてたような気もするけど。
153	春希	Haruki	「だからさ、武也をギターに残して、 俺が打ち込みに回った方がいいんじゃないか？」
154	かずさ	Kazusa	「あたしは別にそれでも異存はないけど…」
155	春希	Haruki	「な？　その方が絶対に適材適所だって。 なるべく成功率を上げた方が…」
156	かずさ	Kazusa	「ただ、今の事実を、 北原が小木曽にちゃんと説明できるなら、だけど」
157	春希	Haruki	「え…？」
158	雪菜	Setsuna	「？　どういうこと？ 北原くんと飯塚くんの受け持ちが代わると、 何がどうなるの？」
159	春希	Haruki	「あ、ああ、それは…」
160	かずさ	Kazusa	「さあ、話してみたら？ 学園祭当日、あんたが小木曽の隣にいないってこと…」
161	春希	Haruki	「………」	"........."
162	武也	Takeya	「は…春希？」
163	雪菜	Setsuna	「北原くん？」
164			…詰んだ。
165	武也	Takeya	「うおおおおおぉぉぉぉぉぉ～！」
166			さらば飯塚武也。 君のことは忘れない。
167			………	.........
168	かずさ	Kazusa	「さて、学園祭当日まであと二週間。 二人とも、泣いても笑ってもいいけど、 投げ出したら殴るから」
169	春希	Haruki	「お、おう…」
170	雪菜	Setsuna	「…凄いね。 北原くんが冬馬さんのことあれだけ欲しがったの、 こうしてみるとよくわかる…」
171	春希	Haruki	「お…おう…」
172			いきなり仕切ることまでは予想してなかったけどな…
173	かずさ	Kazusa	「残りの曲はおいおい考えていくとして、 まずは１曲目だけでも今週中に仕上げておかないと」
174	春希	Haruki	「そうだな…」
175			俺が『おいおい考えていく』使ったら、 あんなに怒ったくせに…
176	かずさ	Kazusa	「それじゃ、時間がないからとりあえず合わせるか。 …小木曽」
177	雪菜	Setsuna	「うんっ。 あと、わたしのことは雪菜でいいよ」
178			俺が『とりあえず合わせる』なんて言ったら、 絶対に呆れた目で睨むくせに…
179	かずさ	Kazusa	「キーは原曲のまんまで行けるんだよね？ 発声練習する？」
180	雪菜	Setsuna	「ごめん、合唱部とか入ったことないから やり方わかんないんだ。 いつも歌いながら声出してくから」
181	かずさ	Kazusa	「ま、仕方ないか。 じゃ、ぶっつけで行くから…いい？　小木曽」
182	雪菜	Setsuna	「…はぁい」
183	春希	Haruki	「あ、ちょっと待ってくれ。 まだ俺の準備が…」
184			いつの間にか準備万端な二人に置いてかれないよう、 俺も慌ててケースからギターを取り出し…
185	かずさ	Kazusa	「…何言ってるんだ北原？ なぜあたしたちがお前を待つ必要がある？」
186	春希	Haruki	「え…？」
187			たところで、冬馬から浴びせられた言葉は、 なかなかに慈悲浅き響きを含んでいた。
188	春希	Haruki	「だって、合わせるんじゃ？」
189	かずさ	Kazusa	「小木曽のボーカルと、あたしのピアノをね」
190	春希	Haruki	「…俺のギターは？」
191	かずさ	Kazusa	「今のレベルなら邪魔」
192	春希	Haruki	「うっ…」
193	雪菜	Setsuna	「と、冬馬さん…」
194	かずさ	Kazusa	「今日のところは小木曽の力を見たい。 他の面倒見てる暇ないから」
195			他… 面倒… 暇…
196	春希	Haruki	「じゃ、じゃあ、俺は？」
197			あの、二つの音楽室と屋上で重ねたセッションは… 俺たちの、初めての出逢いの日は…
198	かずさ	Kazusa	「第一で自主練してきたら？ 隣も借りてるんでしょ？」
199	春希	Haruki	「………」	"........."
200	雪菜	Setsuna	「き、北原くん…」
201	かずさ	Kazusa	「なに？　文句があるって？」
202	春希	Haruki	「いや、その…」
203			加入一日目で部長を排除し、 さらに残る古参メンバーまでも練習から除外し。
204			あんなに参加を嫌がったのは、 この恐るべき専制君主ぶりを隠すためだったのか…
205	かずさ	Kazusa	「不満があるならさ、文句を言わせない実力と、 現実的なビジョンを示せば良かったのに。 そしたら喜んで従ったよ？　『部長代理』」
206	春希	Haruki	「っ！」
207	雪菜	Setsuna	「あ、北原くんっ！」
208	かずさ	Kazusa	「始めるよ、小木曽」
209	雪菜	Setsuna	「で、でも…」
210	かずさ	Kazusa	「…始める。いいね？」
211	雪菜	Setsuna	「………は～い」
212	春希	Haruki	「うおおおおおぉぉぉぉぉぉ～！」
213	春希	Haruki	「はぁ、はぁ、はぁ… う、うう…ううう…」
214			さらば北原春希。 俺のことは忘れない…
215			………	.........
216	春希	Haruki	「…練習しよっと」
217			………	.........
218	春希	Haruki	「………」	"........."
219	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
220			午後八時。
221			見回りの警備員にいい加減怒られ、 校舎を追い出された時には、 晩秋の夜はとっくに更けまくっていた。
222	春希	Haruki	「…あのさ」
223	かずさ	Kazusa	「…なに？」
224			徒歩通学の小木曽と駅前で別れ、 同じ上り電車で帰路につく冬馬と俺は、 およそ一駅間失っていた会話を、やっと復活させた。
225	春希	Haruki	「どうかな、小木曽の歌？ 俺的には相当いい線行ってると思うんだけど」
226	かずさ	Kazusa	「…そうね。 確かに素人だけど、上手い部類に入る。 というか、普通の人間はあの声だけで騙される」
227			というか、三人でいるときも、 ほとんど小木曽が会話を振っていたから、 実際には、数時間ぶりの会話になるのかも。
228	春希	Haruki	「だよな！　俺の見込んだ通りだ。 さすがヒトカラの女王！」
229	かずさ	Kazusa	「…それって領民は一人もいないんじゃ？」
230			小木曽としては、 冬馬に排除された俺と、 俺を弾いた冬馬に気を使ったんだろうけど。
231	春希	Haruki	「ま、まぁ、それはともかく。 これでボーカルの方は目処がついたかな？」
232	かずさ	Kazusa	「そっちは最初からアテにしてた。 むしろ問題なのはそれ以外」
233			でも、そんな些細なことを気にする俺じゃない。 俺たちが学園祭のステージで輝くためには、 避けては通れない道だから。
234	春希	Haruki	「まずはベース？ まぁ、俺も明日からもう一度当たってみるけど」
235	かずさ	Kazusa	「へぇ？ たった一日で、 人の心配ができるレベルにまで上達したんだ？」
236	春希	Haruki	「………」	"........."
237	かずさ	Kazusa	「あ…」
238			…いや、だから全然気にしてないんだって。
239	かずさ	Kazusa	「え…ええと、北原。 それでその、だな…」
240	春希	Haruki	「…なに？」
241			そこまで一瞬で後悔するくらいなら 嫌味を言わなければいいのにと思わなくもないけど。
242			まぁ、そこが冬馬の冬馬たる所以というか、 俺が全然気に入ってなくないアンバランスな性格というか。
243	かずさ	Kazusa	「お前、家で練習できる？」
244	春希	Haruki	「マンションだから、学校みたいな風にはいかないけど、 まぁ、ヘッドフォンでなら」
245	かずさ	Kazusa	「そっか…」
246	春希	Haruki	「やっぱ、家でも自主練しないと駄目か？」
247	かずさ	Kazusa	「当たり前だ。 お前の場合、今から毎日２４時間練習しても、 間に合うかどうかってレベルなのに…」
248	春希	Haruki	「………」	"........."
249			で、この後悔が学習に繋がらないところも、 俺は別に気にするけど嫌いじゃない。 気にするけど。
250	かずさ	Kazusa	「少なくとも、 今日練習したところのおさらいを一通りやること。 ノーミスで通して弾けたら寝ていいから」
251	春希	Haruki	「わかった、わかったよ。 晩飯食って、勉強した後…」
252	かずさ	Kazusa	「勉強！？」
253	春希	Haruki	「え？　いや、だって… 学園祭が終わったらすぐに期末…」
254	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
255	春希	Haruki	「学生の本分は…」
256	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
257	春希	Haruki	「わかった、わかったよ！ ちっくしょ～、いつも準備してない奴は気楽でいいなぁ」
258			昨日までとは、 完全に温度差が逆転してるような気がする。
259			何と言うか、 冬馬の音楽に対するこだわりは半端じゃないと言うか、 お前にはそれしかないのかと言うか…
260	かずさ	Kazusa	「大体、北原だったら とっくに[R峰城大^うえ]への推薦取ってるでしょ？ なんで今さら勉強なんかする訳？」
261	春希	Haruki	「テストの時って一月前から勉強するものだろ？ 定期だろうが実力だろうが模試だろうが」
262	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
263			まぁ、などという誓いを立てると、 俺みたいに一年中勉強する羽目に陥るわけだけど。
264	春希	Haruki	「わかってる。俺が悪かったよ。 そこまで軽蔑した目で見なくてもいいだろ」
265	かずさ	Kazusa	「軽蔑なんか…してないけどさ」
266	春希	Haruki	「ああ約束する。 もう学園祭まではギターのことしか考えない。 その代わり、信じさせてもらうからな」
267	かずさ	Kazusa	「何を？」
268	春希	Haruki	「冬馬が、後は絶対に何とかしてくれるって」
269	かずさ	Kazusa	「え…」
270	春希	Haruki	「俺は、 自分のパートだけに全力を尽くせばいいんだって」
271	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
272			我ながら情けない宣言だとは思うけど…
273			今日入ったばかりの冬馬におんぶにだっこは みっともないけれど…
274	春希	Haruki	「本当に、頼むな」
275	かずさ	Kazusa	「………任せておけば？」
276	春希	Haruki	「ああ…」
277			でもやっぱり、 その他人事な態度が、とてつもなく頼もしい。
278			あの夏休みの日、初めて冬馬の奏でる音を聴いた時… 俺は、こいつに頼ることを覚えた。
279			今日やっと、あの時の主従関係を取り戻した。 だからもう、心配することはやめよう。
280			…端から聞いてると、 とてつもなく情けない宣言のように聞こえるのは、 多分、気のせいでも何でもないんだろうけど。
281	車内アナウンス	Train Announcement	「岩津町、岩津町です。 お降りの方はドアにお気をつけください」
282	かずさ	Kazusa	「じゃ…」
283	春希	Haruki	「ああ」
284			学園から三つ目の駅。 冬馬の家の、最寄り駅。
285			何の未練もない足取りでさっさとホームに下りた冬馬は、 けれど振り向くと、もう一度正面から俺を見つめる。
286	かずさ	Kazusa	「あのさ…」
287	春希	Haruki	「なに？」
288	かずさ	Kazusa	「本当は北原も、 早めに合わせておく方がいいんだけど、な」
289			で、やっぱり口にするのはそういうことで。
290			こういう心配の仕方が、 本当にこいつを仲間に引き入れておいて 良かったって実感する一瞬だったり。
291	春希	Haruki	「けど、まずは小木曽が最優先だろ？ ボーカルさえきっちりしてれば、 ギターがどうなってようとあんま気にされないしな」
292	かずさ	Kazusa	「…ま、ぶっちゃけそうなんだけど」
293	駅アナウンス	Station Announcement	「ドアが閉まります。 ご注意ください」
294	春希	Haruki	「だから今日のことは本当に気にしてないって。 ま、なるべく早めに俺の方も見てくれると助かるけど」
295	かずさ	Kazusa	「…努力、するよ」
296	春希	Haruki	「それじゃ、また明日」
297	かずさ	Kazusa	「ん…」
298			………	.........
299	春希	Haruki	「うあっ…」
300	春希	Haruki	「くっそ～… せっかくもう少しでノーミスだったのに」
301	春希	Haruki	「………」	"........."
302	春希	Haruki	「…今度こそ」
303	かずさ	Kazusa	「じゃ、５分休憩」
304	雪菜	Setsuna	「うん、お疲れさま～」
305	かずさ	Kazusa	「お疲れなのはそっちだから。 喉、大丈夫？」
306	雪菜	Setsuna	「ああ、心配しないで。 三時間歌いっぱなし程度ならいつもやってるから」
307	かずさ	Kazusa	「………少しは休憩入れろ」
308	雪菜	Setsuna	「ね、はちみつレモン作ってきたんだけど飲む？」
309	かずさ	Kazusa	「あたしは喉使ってないから」
310	雪菜	Setsuna	「ちゃんと三人分あるんだけどな」
311	雪菜	Setsuna	「ふぅ～、気持ちいい風」
312	かずさ	Kazusa	「…寒い」
313	雪菜	Setsuna	「…あ、北原くんのギターだ。 頑張れっ」
314	かずさ	Kazusa	「ヘタクソ」
315	雪菜	Setsuna	「ふふっ」
316	かずさ	Kazusa	「だから寒い」
317	雪菜	Setsuna	「もうちょっとだけ。 休憩時間の間くらい、いいでしょ？」
318	かずさ	Kazusa	「…勝手にすれば？」
319	雪菜	Setsuna	「うん、勝手にさせていただきます」
320	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
321	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
322	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
323	雪菜	Setsuna	「ね、冬馬さん」
324	かずさ	Kazusa	「なに？」
325	雪菜	Setsuna	「そろそろ北原くんもこっちに呼べばいいんじゃない？」
326	かずさ	Kazusa	「全然。 まだまだ」
327	雪菜	Setsuna	「でもさぁ、 だいぶミスもなくなってきたみたいに聞こえるけど？」
328	かずさ	Kazusa	「ミスはしなくなったけど、テンポが合ってない。 難しいところになると急に遅くなってたりするし」
329	雪菜	Setsuna	「だけど、もう時間ないんだよね？ そろそろみんなで合わせないと、 本番に間に合わないんじゃ？」
330	かずさ	Kazusa	「ちゃんとあたしの計画通りに進んでる。 みんなで合わせるのは週末くらい」
331	雪菜	Setsuna	「もう大丈夫だと思うんだけどなぁ…」
332	かずさ	Kazusa	「小木曽は北原を過大評価し過ぎてる。 あいつはそんなにデキる奴じゃ…」
333	雪菜	Setsuna	「過大評価って、 し過ぎるものでしょ？」
334	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
335	雪菜	Setsuna	「あと、わたしのことは雪菜でいいよ」
336	かずさ	Kazusa	「…小木曽もあんまり北原に毒されない方がいい。 妙な揚げ足ばかり取るような腐った性格になる」
337	雪菜	Setsuna	「…ねぇ冬馬さん？ あなたも実は結構我慢してるんじゃない？」
338	かずさ	Kazusa	「そんなことない。 大体なんであたしが…」
339	雪菜	Setsuna	「合ってるよ？ 北原くんのギターと」
340	かずさ	Kazusa	「………あ」
341	春希	Haruki	「よし、今度こそ…」
342	春希	Haruki	「うわああっ！？」
343			………	.........
344	春希	Haruki	「………」	"........."
345	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
346			今日も、午後八時。 練習が始まって、もう三日。
347			見回りの警備員に、『また冬馬さんの娘さんか』と 顔をしかめられるくらいには、 冬馬家の威光を最大限に利用した三日間。
348	かずさ	Kazusa	「はぁ…」
349	春希	Haruki	「疲れてる？」
350	かずさ	Kazusa	「全然」
351	春希	Haruki	「俺はちょっと…」
352	かずさ	Kazusa	「そういうことは先に言え。 …あたしもちょっとだけ」
353	春希	Haruki	「なんでそんなことでまで意地を張る？」
354			いつものように、真っ暗な道を三人で歩き、 駅で一人減って電車に乗り込んだ俺たちは、 いつもよりちょっと元気のない会話を交わした。
355	春希	Haruki	「ふああ…」
356	かずさ	Kazusa	「ちゃんと寝てる？」
357	春希	Haruki	「いつものことだから。 …四時間くらい」
358			勉強と色々な頼まれごとをほっぽり出して、 その分の空き時間を全てギターの練習に費やしてる。
359			昨夜、俺が床の上で目覚めたとき、 ギターがベッドの上で毛布にくるまれてたっけ。
360	かずさ	Kazusa	「なんだ、ちゃんと寝てるな」
361	春希	Haruki	「って、どんだけ起きてんだよ冬馬…」
362	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
363	春希	Haruki	「…おい？」
364	かずさ	Kazusa	「ん？　ああ、なに？」
365			３秒で気を失いかけるって、 本当にどんだけ起きてんだ？
366	春希	Haruki	「俺は練習があるからわかるけど、 お前、帰ったら何してんだ？」
367	かずさ	Kazusa	「だって、学園祭が終わったらすぐに期末…」
368	春希	Haruki	「冗談だよな？」
369	かずさ	Kazusa	「わかりやすいだろ？」
370			そういう冗談を俺に言ってくれること自体は 結構嬉しいんだけど、時と場合をわきまえて欲しい。
371	春希	Haruki	「…なんか無理してる？」
372	かずさ	Kazusa	「別にいい。 説明したところで北原がなんとかできるわけでもないし」
373	春希	Haruki	「もしかして、 俺って知らないところでそんなに冬馬に負担かけてる？」
374	かずさ	Kazusa	「良心の呵責に押し潰される時間があるなら練習しろ。 ちゃんと１日１０時間弾いてるか？」
375			否定してくれない… 俺ってそんなに冬馬に負担かけてるんだ…
376	春希	Haruki	「前にも言ってたけど、 やっぱ毎日１０時間って必要なのか？」
377	かずさ	Kazusa	「３歳の頃から、クリスマスも、正月も、誕生日も、 友達と遊ぶ約束をしてても…」
378	春希	Haruki	「………」	"........."
379	かずさ	Kazusa	「それに普通、 コンクールの三月前くらいから準備始めるし。 そうなったら１日１６時間くらい」
380	春希	Haruki	「しゅ、修学旅行は？」
381	かずさ	Kazusa	「ほんと細かい揚げ足取りばかりだな北原は。 …３年に一度くらいはそういう日もある」
382	春希	Haruki	「よかったぁぁぁぁ！」
383			千日に１日くらいはそういう日がないと、 いくらなんでも辛すぎるだろうしな。
384			…千日のうち９９９日くらいがああいう日ってのは、 どうなんだろうというのは考えたくもないけど。
385	かずさ	Kazusa	「ほんと、今は天国。 一日中弾かなくてもいい日がこんなにあるなんて」
386	春希	Haruki	「…やっぱ、やめたのか？」
387	かずさ	Kazusa	「見切られた」
388	春希	Haruki	「え？」
389	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
390	春希	Haruki	「冬馬…？」
391	かずさ	Kazusa	「で、ちゃんと弾けるようになった？ 最後までミスもなく、リズムも完璧で、 相手に合わせる余裕を持てるようになったのか？」
392			それは、明らかに今までの会話を後悔した上での、 あからさまな話題のすり替えだったけれど。
393	春希	Haruki	「自分ではだいぶイけてるんじゃないかと思ってるけど、 合わせられるかどうかは、合わせてみないと何とも」
394	かずさ	Kazusa	「そ、か」
395			その転調に合わせられるくらいには、 俺の人生、練習は重ねてきたつもりだ。
396	かずさ	Kazusa	「もう、合わせても大丈夫、か」
397	春希	Haruki	「聞き違えるなよ。 合わせてみないと何とも、だ」
398	かずさ	Kazusa	「なら…合わせるか」
399	春希	Haruki	「そりゃ、願ってもないな。 じゃ、明日の放課後は…」
400	かずさ	Kazusa	「明日は小木曽の仕上げ。 北原に構ってる暇なんか相変わらず全然」
401	春希	Haruki	「…てことは結局、 週末までおあずけってことかよ？」
402	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
403			惜しい。 せっかく冬馬に認められそうだったのに。
404			ま、例えそれがこいつの逃げだったとしても…
405			結局、ちょっとだけ前進しそうだった俺のステージは、 最終的には『時間切れ』という無難な結論になった。
406	車内アナウンス	Train Announcement	「岩津町、岩津町です。 お降りの方はドアにお気をつけください」
407	かずさ	Kazusa	「じゃ…」
408	春希	Haruki	「ああ」
409			いつもの駅。 そしていつもの足取り。
410	かずさ	Kazusa	「あのさ…」
411	春希	Haruki	「ん？」
412			そして、いつも通りの、 電車とホームに分かたれてからの会話。
413	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
414	春希	Haruki	「冬馬？」
415			…が、今日は、何だか。
416	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
417	春希	Haruki	「おい…？」
418	駅アナウンス	Station Announcement	「ドアが閉まります。 ご注意ください」
419	かずさ	Kazusa	「っ！」
420	春希	Haruki	「え？　あ…っ！？」
421			………	.........
422	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
423	春希	Haruki	「…おい」
424			今日は、何だか…
425			俺の降りる駅が、違う。
426			電車のドアが閉じられる瞬間、 冬馬の手が、俺のネクタイに伸びて。
427			そして、引きずり降ろされた。
428	春希	Haruki	「どういうつもりだよ…冬馬？」
429			だってここは、学園から三つ目の駅。 冬馬の家の、最寄り駅。
430			それって、つまり…
431	かずさ	Kazusa	「今から…あたしの家に来い」
432	春希	Haruki	「え…？」
433			そういう、あり得ない仮定しか、 想像できなかったけど…
434			どうやら、あり得なくなかったらしい。
435			………	.........
436	春希	Haruki	「と、冬馬…ちょと、おい」
437	かずさ	Kazusa	「早く…来なよ」
438	春希	Haruki	「いや、こんな…こんなことって」
439	かずさ	Kazusa	「どうしたの？ 今になって怖気づいた？」
440	春希	Haruki	「怖気づくわそりゃあああ！」
441			現在、午後九時。
442			場所はあろうことか、冬馬家の敷居の内側。
443			けど、それはさほど問題ではなくて。 …いや、普通ならとんでもない問題なんだけど。
444	春希	Haruki	「ありえねえだろこれ！」
445	かずさ	Kazusa	「そう言われると思った。 だから本当は誰も呼びたくなかったんだけどな」
446			冬馬家は、まず門をくぐる段階で、 岡山のボンボンの末裔をビビらせたにも関わらず、 そんな外観の豪華さは単なる序章に過ぎなかった。
447			玄関を入ると、冗談みたいにデカいリビングや、 窓の外に見える手入れされた広い庭にビビる暇もなく、 いきなり階段を『下り』させられた。
448			冬馬がその地下室の電源をつけると、 二十畳くらいの広めの白い部屋があり、 そこにはピアノを始め、沢山の楽器が転がっていた。
449			けれど何よりも俺の目を点にしたのは、 部屋の天井からぶら下がっている高そうなマイクと、 部屋の奥にある、ガラスで仕切られた狭い部屋。
450	春希	Haruki	「こ…ここは？」
451	かずさ	Kazusa	「あたしの練習部屋だけど」
452	春希	Haruki	「それはごく一部の使い道だろ！ なんで一般家庭にこんなものがあるんだ！？」
453			ガラス越しの隣室は、学校の放送室にあるものより、 もう少し豪華な機材で埋め尽くされていて、 それらがここの用途を如実に物語っていた。
454			というか、武也たちがたまに使ってた、 近場のレンタルスタジオよりも遥かに上だ…
455	かずさ	Kazusa	「元々は、とある世界的に有名なアーティストの 自宅兼スタジオだったのを、 ウチの母親が設備ごと買い取って」
456	春希	Haruki	「…アーティストって？」
457	かずさ	Kazusa	「だから『とある』」
458	春希	Haruki	「本当は正体知ってるよなそうなんだよな？」
459			『世界的に有名』と言ってる時点で…
460			というか、冬馬の母親も立派に 『世界的に有名なアーティスト』だけど。
461	かずさ	Kazusa	「しばらく、ピアノ以外使ってなかったから、 昨日まで業者呼んでメンテナンスしてもらってた。 ま、なんとかまだ使えるみたい」
462	春希	Haruki	「学生の分際で…」
463	かずさ	Kazusa	「悔しかったら親に放っておかれてみろ」
464	春希	Haruki	「さり気なくそういうことをネタにするな、重いわ」
465	かずさ	Kazusa	「なら軽々と突っ込むな」
466	春希	Haruki	「そういうこと言うと謝るぞ？　謝っちゃうぞ？ ものすごく気まずい雰囲気にしちまうぞ？」
467	かずさ	Kazusa	「………練習するぞ練習。 北原の望みどおり、思う存分合わせてやる」
468	春希	Haruki	「よろしくお願いします！ …冬馬先生」
469	かずさ	Kazusa	「ふん」
470			どこまで踏み込んで、どこで引くかとか、 まだまだかなりの綱渡りだけど。
471			そもそも、今までと同じように、 実は今でも踏み込むだけ踏み込んでて、 ただ向こうの許容範囲が広がっただけかもしれないけど。
472			それでも、冬馬と俺の会話は、 春の頃から俺がずっと求めてたように、 少しずつ、歯車が噛み合ってきているって、思う。
473			………	.........
474	かずさ	Kazusa	「ほら外した」
475	春希	Haruki	「わ、わかってる」
476	かずさ	Kazusa	「あ～あ、今度は ずれてくずれてく」
477	春希	Haruki	「そ、そっちが段々速くなってるんじゃ…」
478	かずさ	Kazusa	「なら次からはメトロノーム使おうか？」
479	春希	Haruki	「………」	"........."
480			ずっと俺の方を見て、 ずっと俺のミスをあげつらい、 それでも自分はミス一つせず…
481	かずさ	Kazusa	「いい？　今まではこっちが合わせてあげてたけど、 今度ばかりはそういう訳にいかないからね？」
482	春希	Haruki	「お、おう…」
483			痛感する… 今の俺は『譜面通り』の冬馬の演奏には、 ついていけないって。
484	かずさ	Kazusa	「ボーカルはともかく、 シンセはリズム変えたりしないから、 自分からついてくこと覚えないと」
485	春希	Haruki	「う、うん…」
486			今まで、どんだけ俺に合わせてくれてたんだ？ どんだけ理不尽な苦労を強いられてきたんだ？
487	かずさ	Kazusa	「あ～あ、全然駄目。 前から思ってたけど、才能ないね北原」
488	春希	Haruki	「………」	"........."
489			そんなふうに、楽しそうにこき下ろされたら、俺は…
490	かずさ	Kazusa	「…もしかして、怒った？」
491			俺は…
492	春希	Haruki	「もう一度最初からお願いします！」
493	かずさ	Kazusa	「はいはい、何度でも」
494			必死で食い下がるに決まってるじゃないか。
495	かずさ	Kazusa	「こらこら、今度は速い～」
496			だって、心地良いから。
497			冬馬が、俺のミスを一生懸命探すのが。
498			冬馬が、俺の拙い指の動きを笑うのが。
499			冬馬が、俺を貶すために、 いつもは貧しい語彙を、今だけ総動員するのが。
500			…冬馬が、俺だけを見てるのが。 ずっと俺に、笑顔を向けてるのが。
501	かずさ	Kazusa	「はい残念でした」
502	春希	Haruki	「もう一度最初から！ くっそ～、いっつも同じとこで引っかかる」
503	かずさ	Kazusa	「一度ハマっちゃうと、 なかなか抜け出せなくなるよね。 ま、今日のところは…」
504	春希	Haruki	「絶対に一度は通す！ 今までだって努力で何とかしてきたんだ」
505	かずさ	Kazusa	「あ、でもさ、そろそろ終電…」
506	春希	Haruki	「え？　なに？ ごめん、聞いてなかった」
507	かずさ	Kazusa	「………別に、大した話じゃない」
508	春希	Haruki	「？　そうか？」
509	かずさ	Kazusa	「じゃ…リクエスト通り、 もう一度最初から」
510			………	.........
511	春希	Haruki	「ん…んぅ？」
512			目が覚めると、 そこは明かりが煌々と灯る白い部屋。
513			さっきまで弾いていたはずのギターは、 今や俺の腕の中で抱き枕と化している。
514	春希	Haruki	「やべ…寝ちまった」
515			体に掛かっていた毛布を取り払うと、 そもそも『目が覚めた』という表現自体が、 マズいことであると気づくくらいには頭が回ってきた。
516	春希	Haruki	「ふあぁぁぁ～。 そろそろ帰らないと…冬馬？」
517			床で寝たせいでガチガチに固まった背中をほぐし、 ギターをケースに入れつつ、やっと辺りを見回す。
518			ピアノの前にはすでに人はいない。 そもそも部屋の中に、俺以外誰もいない。
519	春希	Haruki	「まいったなぁ…」
520			中途半端に寝たせいでだるい体を無理やり起こし、 地下室の扉を開く。
521			もしかしたら、終電が行ってしまった後かもしれず。 だとしたら、深夜のタクシー代は、学生にとっては 痛恨以外の何物でもなく。
522	春希	Haruki	「…しかも時計壊れてるし」
523			まるっきり見当違いの方向に向いた針に悪態をつきつつ、 俺は数時間ぶりに地上の空気を吸い…
524	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
525	春希	Haruki	「あ」
526			そして、 どう考えても見てはいけないものに遭遇してしまった。
527	かずさ	Kazusa	「…っっっ！ 北原ぁっ！」
528	春希	Haruki	「いや待て冬馬！ 俺は今、色々と問題を抱えてることに気づいたんだが、 一つ一つ質問していいか？」
529	かずさ	Kazusa	「人にモノを尋ねる前に向こうを向け！」
530	春希	Haruki	「あ、ああ… それと俺、起きたばかりで混乱してたんだ。 その辺の事情を汲み取って欲しい」
531	かずさ	Kazusa	「そんなこと知るか！」
532	春希	Haruki	「…ふぅ」
533			恐る恐る振り返ると、眼福…ではなく 衝撃的な光景は扉の向こうに隠れてくれたらしい。
534	かずさ	Kazusa	「全くなんなんだ… 自分の家で風呂に入っただけで何でこんな目に…」
535			あ、衣擦れの音が…
536	春希	Haruki	「え、ええと…まず最初の質問だけど…今何時だ？」
537			などと、色々と湧き出しそうになる煩悩は、 この際置いておく。
538	かずさ	Kazusa	「自分の腕時計でも見てろ」
539	春希	Haruki	「いやそれがさ、狂ってんだよ。 なんか７時５０分とか指してるし」
540	かずさ	Kazusa	「狂ってるのは時計じゃなくてお前だというオチだな」
541	春希	Haruki	「…マジで？」
542			これで二つ目の疑問… 『どうして外が明るいんだ？』も同時に解けてしまった。
543	かずさ	Kazusa	「あたしはそろそろ学校へ行く。 今出てちょうどギリギリだし」
544	春希	Haruki	「え？　嘘！　俺着替えてないよ！？ 風呂も入ってないし、顔すら洗ってない！」
545	かずさ	Kazusa	「知るかそんなこと」
546	春希	Haruki	「そんなことって…どうすんだよ？ 無断外泊とか深夜徘徊とかクラブ通いとか、 根も葉もない噂で推薦取り消されたら…」
547	かずさ	Kazusa	「男がそんなみみっちい心配するな。 だいたい、無断外泊は事実のくせに」
548	春希	Haruki	「そ、それは…そうなんだけど…な」
549			そう、事実だ。
550			無断外泊したことも。 それが、初めて訪れた 一人暮らしの女のコの家だということも。
551			そう…冬馬かずさの家だということも。
552			このことを武也が知ったら賞賛してくれるだろうけど、 その後、何もなかったと聞いて口汚く罵るだろうな。
553	かずさ	Kazusa	「そんなに困るんなら、 一度家に帰って風呂に入って着替えて来ればいい」
554	春希	Haruki	「いや遅刻はマズイだろ。 俺、入学以来一度も…」
555	かずさ	Kazusa	「ああ言えばこう言う… あたしはもう知らん。勝手にしろ」
556	春希	Haruki	「あ…」
557			もう一度リビングのドアが開くと、 毎日俺が目にしてる、いつもの冬馬が出来上がっていた。
558			しかし、いつもと全く同じ外見でも、 その制服に包まれた内部をつぶさにイメージできる 今の状態では…
559	かずさ	Kazusa	「どうして目をそらす？」
560	春希	Haruki	「い、いや、ちょっと…」
561			正視できない…
562	かずさ	Kazusa	「じゃ、あたしは先に出る。 これ、鍵渡しておくから、 学校に着いたら返して」
563	春希	Haruki	「あ、待て、置いてくな。 俺、駅までの道覚えてない」
564	かずさ	Kazusa	「なら早く仕度しろ。 そろそろ走らないと間に合わない」
565	春希	Haruki	「わ、わかった。 すぐ荷物持ってくる」
566			またしても冬馬の 『本当はいい奴』に救われた。
567			『終電が出る前に起こしてくれればいいのに』と 一言言いたくもあったけど、ま、やめとこう。
568	春希	Haruki	「あ、それから最後に」
569	かずさ	Kazusa	「なに？」
570	春希	Haruki	「その…悪かった。 お前のあられもない姿を見てしまって」
571	かずさ	Kazusa	「っ！ 忘れた頃に思い出させるな！」
572			………	.........
573	春希	Haruki	「ふあぁぁ…」
574	雪菜	Setsuna	「なんか眠そうだね？」
575	春希	Haruki	「昨夜、練習してて気づいたら朝だった…」
576	雪菜	Setsuna	「うわぁ…」
577			昼休み…
578			眠い目をこすりつつ、顔を洗おうと席を立つと、 教室のドアのところで小木曽が笑顔で手を振りつつ、 ごく自然に俺たちを待っていた。
579			慌てて振り向くと、俺の隣席は見事なまでにもぬけの殻。 こういうときの奴の危機察知能力は本当に恐れ入る。
580	春希	Haruki	「風呂も入れなかった… だからあんま近寄らない方が」
581			別に小木曽と昼飯を食べるのが嫌な訳じゃない。 というか、そこはかとなく嬉しい。
582			んだけど…
583	雪菜	Setsuna	「ほんどだ、髪ぼさぼさ」
584	春希	Haruki	「いや、だからな…」
585			俺の前髪をさわさわと撫でる小木曽に、 言い様のない威圧感を感じる。
586			…正確には、小木曽本人ではなく、 周囲の男子生徒たちからだけど。
587	雪菜	Setsuna	「うんうん、頑張ってるんだね北原くん。 じゃ、ごほうびにこのクリームコロッケをあげよう」
588	春希	Haruki	「人の話は最後まで聞こうな…」
589			俺の皿に小木曽の弁当箱からおかずが移された瞬間、 周囲の空気が皿に…更に重くなった…
590			今までの小木曽とは違いすぎるあけすけな態度に、 周囲がついていけてない。
591			…俺も含め
592	雪菜	Setsuna	「そうそう、そういえば噂になってるらしいよ？ 軽音楽同好会のこと」
593	春希	Haruki	「噂になってるのは小木曽だけで、 しかも学園祭についてだけじゃないから」
594	雪菜	Setsuna	「どういう意味？」
595	春希	Haruki	「最近の小木曽、変わったってこと。 色んな意味で」
596	雪菜	Setsuna	「だね。 今はすごく楽。やりたいようにやってるし」
597			そう、最近の小木曽は無防備だ。
598			今まで周囲との間に張っていた 誰にでも友好的な『壁』を取っ払い、 特定の相手に対し、あからさまな贔屓をするようになった。
599	春希	Haruki	「そのせいで、ミス峰城大付的には、 ここにきて予断を許さない展開と言われてるけどな」
600			それは、とりもなおさず、 学園好感度ランキング一位の看板を 下ろしてしまったということでもあり。
601			だけど問題なのは、 その自然体な小木曽がまたえらく魅力的なことで。 これがミスコン委員会のオッズを難しいものにしている。
602	雪菜	Setsuna	「三連覇危うし？\k\n
603	雪菜	Setsuna	…それもまたよし、かな。 わたし、普通の女の子に戻りま～す、ってね」
604	春希	Haruki	「…来週のステージって引退コンサートだったのか？」
605	雪菜	Setsuna	「ふふ…」
606			皆はあらぬ勘違いをしてる。 『あの小木曽雪菜にとうとう彼氏ができた』と。
607			けれどそれは、冤罪もいいところだ。 何しろ小木曽は、俺にも冬馬にも 全く同じような態度を取ってる。
608			つまり、俺に対しての反応は、 純粋な友情に起因するもので、 別に異性を意識したものなんかじゃない。
609	春希	Haruki	「さてと…ごちそうさま。 教室戻って寝てくるか」
610	雪菜	Setsuna	「あ、リンゴ食べるよね？\k\n
611	雪菜	Setsuna	はい、ど～ぞ」
612	春希	Haruki	「いや、だからさぁ…」
613			…冬馬と俺にしかわからないことだけど、な。
614			………	.........
615	かずさ	Kazusa	「５分休け…ふあぁぁぁ…」
616	雪菜	Setsuna	「…なんか眠そうだね？」
617	かずさ	Kazusa	「…ちょっとね」
618	雪菜	Setsuna	「コーヒー買ってこようか？」
619	かずさ	Kazusa	「悪い…」
620	雪菜	Setsuna	「わかった。ホットのブラックでいいかな？」
621	かずさ	Kazusa	「カフェオレ。 一番量の多いやつで」
622	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
623	かずさ	Kazusa	「なに？」
624	雪菜	Setsuna	「ブラックのイメージだったから」
625	かずさ	Kazusa	「苦いの全然駄目なんだ…」
626	雪菜	Setsuna	「…はちみつレモンにする？」
627	かずさ	Kazusa	「酸っぱいのも全然…」
628	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
629	かずさ	Kazusa	「なに？」
630	雪菜	Setsuna	「…ぷっ」
631	かずさ	Kazusa	「な、なに？ そんなに…変？」
632			………	.........
633	かずさ	Kazusa	「（ず…） はぁぁぁぁ…」
634	雪菜	Setsuna	「そういえば北原くんも眠そうだったなぁ。 二人とも頑張るね」
635	かずさ	Kazusa	「………隠したな。 ま、言える訳ないか」
636	雪菜	Setsuna	「え？」
637	かずさ	Kazusa	「弾けるようになるまで寝なくていいって、 言ってあるから」
638	雪菜	Setsuna	「ほんと、北原くんには厳しいなぁ。 麗しき師弟愛？」
639	かずさ	Kazusa	「…楽器を下手くそに弾く奴が我慢できないだけ。 みんな綺麗な音を出したがってるのに」
640	雪菜	Setsuna	「毎日毎日、そんなに厳しくするから、 北原くん、今日はもう帰っちゃったよ？」
641	かずさ	Kazusa	「勝手にすればいい。 弾けるようになれば文句は言わないから」
642	雪菜	Setsuna	「ね、冬馬さん。 こんな調子でわたしたち、 いつになったら全員で演奏できるのかな？」
643	かずさ	Kazusa	「………明日」
644	雪菜	Setsuna	「え、ホント？ なんだ、もうすぐなんだ！ そっかぁ…楽しみだなぁ」
645	かずさ	Kazusa	「期待してていいぞ…きっと驚くから」
646	雪菜	Setsuna	「…けなしてる割には信頼してるんだね？」
647	駅アナウンス	Station Announcement	「ドアが閉まります。 ご注意ください」
648			………	.........
649	春希	Haruki	「お帰り」
650	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
651			岩津町駅、２０時１５分。 冬馬は、昨日と全く同じ時間の電車から降りてきた。
652			まぁ、行きの電車の中で約束した通りだから、 意外でもなんでもないんだけど。
653	春希	Haruki	「今日こそは準備万端だ。 風呂にも入ったし、制服の着替えも持ってきた」
654	かずさ	Kazusa	「また泊まる気満々だな」
655			今日は、授業が終わったらすぐに帰宅して、 着替え、入浴、仮眠、自主練と、昨日できなかったことを、 ２時間で全てこなしてここに戻ってきた。
656			昨夜のことで痛感したから。 やっぱり『師匠』の教えは偉大だと…
657	春希	Haruki	「今日は終電までに帰るって。 こいつらは万が一のときのための備え。 これくらい普通だろ？」
658	かずさ	Kazusa	「…あんたが言うと説得力があるのがタチが悪い」
659			件の師匠も、あからさまに嫌な顔したけれど、 どうせいつもそんな顔なので全然気にならない。
660			というか絶対想定してたし。
661	春希	Haruki	「今日こそは大丈夫！ ノーミスで通したらすぐに帰る」
662	かずさ	Kazusa	「だといいけどね」
663			冬馬は、もうどうにでもなれという表情を浮かべて、 いつものように颯爽と俺を置いて歩き出す。
664			だから俺は、その艶やかな長い黒髪を見失わないよう、 小走りで彼女の後を追う。
665	春希	Haruki	「あ、それと帰り道にコンビニあったっけ？」
666	かずさ	Kazusa	「夕食、食べてこなかったのか？」
667	春希	Haruki	「いや、トラベルセット買ってかないと」
668	かずさ	Kazusa	「…本当に帰る気あるのか？」
669			今日も、彼女の指先から零れるはずの、 綺麗な音たちを楽しみにしつつ。
670			………	.........
671	春希	Haruki	「おあよ～………冬馬」
672	かずさ	Kazusa	「…たった二日で随分と馴染んでるな」
673	春希	Haruki	「二日続けて床で寝たから体の痛いこと」
674	かずさ	Kazusa	「帰れよ」
675			現在、７時１５分。 念のためにと用意しておいた目覚まし時計が役に立った。
676			それでも、睡眠２時間はさすがにきつい。 結局、朝の５時近くまでずっと練習してた。 地下室というのは時間の感覚がなくなるから怖い。
677	春希	Haruki	「今から風呂？ 悪い、顔洗ったらすぐ出てくから」
678	かずさ	Kazusa	「今日こそはのぞくなよ」
679	春希	Haruki	「昨日だって覗こうと思って覗いた訳じゃない。 幸福な偶然だったんだよ」
680	かずさ	Kazusa	「そうか、それは気の毒だったな。 …今からのお前がな」
681	春希	Haruki	「冗談だって冗談。 …あ～、気持ちい～」
682	かずさ	Kazusa	「だからくつろぐなと」
683			顔にかかる冷たい水が、 だらけきった全身を引き締めていく。
684			今日は金曜日。 あと一日乗り切れば週末。 朝から晩まで、思う存分練習ができる。
685			…体力が保てばだけど。
686	春希	Haruki	「ふぅ、目が覚めた… あ、そうだ冬馬。 俺、朝飯作ろうか？」
687	かずさ	Kazusa	「朝なんかいつも食べないけど？」
688	春希	Haruki	「だから授業中寝てばっかりなんだよ。 朝はしっかり摂らないと体起きないぞ？」
689	かずさ	Kazusa	「今週は人のこと言えないだろ北原も」
690	春希	Haruki	「まぁそれはいいとして、 昨日のお詫びにってことで、どうだ？」
691	かずさ	Kazusa	「…できるものならやってみれば？ 冷蔵庫の中のものは勝手に使っていいから」
692	春希	Haruki	「馬鹿にするなよ？ トーストと目玉焼きならお手の物だ」
693			それしかできないとも言う。 なんて平均的な男子学生。
694	かずさ	Kazusa	「ふぅん…そう。 じゃ、頑張って」
695	春希	Haruki	「あれは絶対信用してないって顔だな…見てろよ」
696			俺だって、家に押しかけて、何度もしつこく教えを請うて、 朝まで寝かせず、しかも自分だけ先に寝ておいて、 さらに着替えを覗くだけじゃないってことを見せてやる。
697			………どこの最低野郎だ。
698	春希	Haruki	「…うあ」
699			冷蔵庫、何もないし。
700			………	.........
701	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
702	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
703	春希	Haruki	「………」	"........."
704			５分ほどの喧騒の後、 静寂に包まれる第二音楽室。
705			小木曽は呆然と俺を見つめ、 冬馬は大きく息を吐きながら天井を見上げ。
706			そして俺は、期待と不安と… ちょっぴりの自信を持って、冬馬を見つめる。
707	雪菜	Setsuna	「………できた、よね？」
708	かずさ	Kazusa	「………ん。 できたね」
709	春希	Haruki	「っ！」
710			その、待ち望んだ冬馬の『ＯＫ』と共に、 俺の喜びは爆発し…
711	雪菜	Setsuna	「できた！ できたよ北原くん！」
712	春希	Haruki	「あ…」
713			…ようとしたところで、隣の爆風により鎮火された。
714	雪菜	Setsuna	「ほら冬馬さん、わたしの言ったとおりじゃない！ 北原くんはやればできるんだよ！」
715	春希	Haruki	「は、はは…」
716			これがまた、俺の予想を遥かに越えた勢いで、 こんなに心から喜んでくれることが本当に嬉しくて。 …というか、どれだけ信用がなかったんだ俺。
717	雪菜	Setsuna	「たった一人でずっと頑張って、 ちゃんと期待した通りの結果を出したんだね、凄いよ」
718	春希	Haruki	「あ、いや、それは、実は…」
719	かずさ	Kazusa	「本当だな。 北原を少し侮ってたみたいだ」
720	春希	Haruki	「え…」
721			どうやって言い訳しようか、 それもどっちに言い訳しようか逡巡した隙に、 冬馬があっさり流してくれてしまった。
722			庇ってくれた、のか？
723	かずさ	Kazusa	「これでやっと１曲目… まだまだ先は長いけど、 とりあえず今日はここまで」
724	雪菜	Setsuna	「え？　もう？」
725			時計を見ても、まだ５時をちょっと過ぎたところ。 日に日に短くなっていく昼が、 それでも夕方のまま留まっている時間。
726			今週に入ってから『だけ』は、 こんなに早く軽音楽同好会が解散したことはないのに、 実質的部長は、あっさり練習を打ち切った。
727	かずさ	Kazusa	「その代わり、明日の朝１０時集合。 シンセの方とも合わせる必要があるし、 次の曲もそろそろ決めないといけないし」
728	雪菜	Setsuna	「集合はいいけど…どこに？ 土曜なのにここ使っていいの？」
729	かずさ	Kazusa	「練習場所なら大丈夫。 集合場所は岩津町駅北口で。 北原、部長にも声かけておいて」
730	春希	Haruki	「あ…」
731			そうか… とうとう小木曽にも『スタジオ冬馬』お目見えか。
732	かずさ	Kazusa	「この土日が第一の勝負どころだから、 今週末は泊まり込みで合宿ね」
733	雪菜	Setsuna	「合宿？　うわ本当！？ 凄い、泊まれるんだそこ！」
734	春希	Haruki	「そんなに嬉しいんだ…」
735			そして… とうとう小木曽にも『ホテル冬馬』営業開始か。
736	雪菜	Setsuna	「だって、やっぱりみんなで徹夜しないと、 学園祭って雰囲気にならないんだもん。 そう思わない？」
737	春希	Haruki	「ま、まぁ、そりゃそう…かな？」
738	雪菜	Setsuna	「中学のときなんか、 学園祭前でも泊まり禁止だったから、 先生が見回りに来ると電気消してみんな隠れてさ」
739	春希	Haruki	「は、はは…」
740			中学の頃から、そうやって許可も取らず 夜通し学校に残る奴らを見つけては、 強制的に帰宅させる立場にいたけどな、俺は。
741	雪菜	Setsuna	「ここに来てからは、 なかなかそういうこともできなくなっちゃったけどね。\k\n
742	雪菜	Setsuna	…主に自分のせいだけど」
743	春希	Haruki	「小木曽…」
744			そういう、泥臭い肉体労働とかには、みんなが逆に 参加させないよう気を使ってたんだろうな。
745			…ということは、今年の小木曽は、 今までの二年分の抑圧も含め、 どれだけはっちゃける気なんだろうか。
746	かずさ	Kazusa	「…と、いう訳なんで、北原。 お前には今から大事な使命がある」
747	春希	Haruki	「俺？」
748	かずさ	Kazusa	「そう。練習を早めに切り上げたのもそのためだ。 さ、行くぞ」
749	春希	Haruki	「どこに？」
750			………	.........
751	春希	Haruki	「ですから携帯は常時電源ＯＮにして、 いつでも連絡が取れるようにしておきます。 これは雪菜さんだけでなく、他の２人も同様です」
752	雪菜の父	Setsuna's Father	「それでも誰も出なかったら？」
753	春希	Haruki	「ここに念書を用意しています。 もし３人の誰もが５コール以内に出なかった場合は、 今後、雪菜さんの門限を午後６時にすると約束します」
754	孝宏	Takahiro	「６時って…窒息するよ普通」
755	雪菜の父	Setsuna's Father	「…娘のことはともかく、 先方の親御さんは何とおっしゃっているのかな？」
756	春希	Haruki	「…そこなんですが、正直に話します。 冬馬さんの家族は、海外に住んでいるため、 冬馬家には現在保護者はいません」
757	雪菜の父	Setsuna's Father	「む…」
758	春希	Haruki	「週に二度ほどヘルパーさんが 掃除をしてくれているそうですが、 夜は実質、冬馬さん以外に誰もいません」
759	孝宏	Takahiro	「一人暮らし！ いいなぁ、俺も早く家出たいよ」
760	雪菜の母	Setsuna's Mother	「何言ってるの。 女の子がたった一人で勉強して生活して… 孝宏が考えるほど気楽なものじゃないわよ」
761	春希	Haruki	「…このことを話すと、反対されるかとも思いました。 それでも、ちゃんと許可をいただく以上、 包み隠さず全てを明かそうと皆で決めました」
762	雪菜の父	Setsuna's Father	「…なるほど」
763	雪菜の母	Setsuna's Mother	「お父さん、いいじゃありませんか。 こうしてお友達が雪菜のために一生懸命…」
764	春希	Haruki	「お母さん、 一生懸命かどうかはこの際問題じゃないんです。 外泊を許可できる環境かどうか、そこに尽きるんです」
765	雪菜の父	Setsuna's Father	「彼の言う通りだ。 そこを履き違えてはいけない」
766	雪菜の母	Setsuna's Mother	「はい…」
767	春希	Haruki	「寝室もいくつかありますし、当然男女別です。 とはいえ、後は僕を信用していただくしかありませんが」
768	雪菜の父	Setsuna's Father	「北原くん、と言ったかな？ 君は何と言うか、随分と大人びた考え方をするんだな」
769	孝宏	Takahiro	「ほんと。 とても姉ちゃんと同級生とは思えない」
770	春希	Haruki	「すいません、生意気で」
771	雪菜の父	Setsuna's Father	「いや、悪いとは言ってない。 むしろとてもしっかりした子だと感心しているんだ」
772	春希	Haruki	「僕も母と二人暮らしなので、 自然にそういう風になってしまったのかもしれません」
773	雪菜の母	Setsuna's Mother	「まぁ、そうなの？ お父様は？」
774	雪菜の父	Setsuna's Father	「よさないかおい」
775	春希	Haruki	「いえ、いいんです。 …小学六年生の頃に離婚しまして」
776	雪菜の母	Setsuna's Mother	「そうだったの…」
777	春希	Haruki	「それでも、養育費は毎月払ってもらっているので 生活には困っていません。大学にも進学できるし、 そのことは今でも父に感謝しています」
778	雪菜の父	Setsuna's Father	「………」	"........."
779	春希	Haruki	「ただ、家にいる男は僕一人なので、 どうしても虚勢を張る癖がついてしまって。 …昔から、あまり子供らしくないって言われます」
780	雪菜の母	Setsuna's Mother	「本当にまぁ、大変だったのねぇ。 ウチは雪菜も孝宏も甘やかしてしまったものだから、 二人してワガママ放題で」
781	孝宏	Takahiro	「うわ、こっち来たよ…」
782	春希	Haruki	「いや、そんな…」
783			………	.........
784			最初に正論であることを強調しておきながら、 最後は人情話で誤魔化しつつ押し切る。 これぞ北原式論破術。
785			これでなんとか明日の合宿も、 めでたく開催の運びとなるであろう手応えは得た。 後は詰めを誤らなければ大丈夫だろう。
786			それはともかく、 一言言ってもいいかな？
787			………	.........
788			はめられたっ！
789	雪菜	Setsuna	「ねぇ冬馬さん…」
790	かずさ	Kazusa	「ん？」
791	雪菜	Setsuna	「本当にいいのかな？ 北原くんをウチの家族会議に出席させちゃって…」
792	かずさ	Kazusa	「小木曽が自分で説得しようとすると、 夜中までかかる上に喉への負担が大きいから」
793	雪菜	Setsuna	「そ…それはそうだけど。\k\n
794	雪菜	Setsuna	あと、わたしのことは雪菜でいいんだけど」
795	かずさ	Kazusa	「セコい詭弁に関してだけは、 あたしたちは、北原の足下にも及ばない。 …安心して任せればいい」
796	雪菜	Setsuna	「し…信頼してるんだね」
797	かずさ	Kazusa	「たまには役に立ってもらわないと。 あたしをここまでこき使う以上はね」
798	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
799	かずさ	Kazusa	「…なに？ 何か言いたいことでもあるの？」
800	雪菜	Setsuna	「スティックシュガー３本は入れすぎじゃないかなぁ…」
801			………	.........
802	雪菜	Setsuna	「す…すっごいね…」
803	春希	Haruki	「そ、そうだなぁ…でっけ～」
804	武也	Takeya	「どこのお嬢様だよ…って、お嬢様だったっけ」
805			冬馬家に辿り着いた軽音楽同好会一行が発した感想は、 ほぼ俺が予想した通りの内容だった。
806			むしろ問題はそちらではなく、既に経験済みのくせに、 皆と言動を同じくしなければならない、 俺のわざとらしい態度の方だったりして。
807	かずさ	Kazusa	「どうぞ。 とりあえず、楽器以外はここに置いといていいから」
808	雪菜	Setsuna	「お邪魔しま～す」
809	春希	Haruki	「お邪魔します。 あ、靴こっちの下駄箱な」
810	武也	Takeya	「中もまた広いな…すっげ～」
811			しかもこの後、 今以上に大げさに驚かなくちゃならないんだよな。 俺、演技下手なのに。
812	武也	Takeya	「………」	"........."
813	雪菜	Setsuna	「うわぁ…」
814	かずさ	Kazusa	「今は少し寒いけど、エアコン効くまでの辛抱だから」
815			さてと…
816	武也	Takeya	「なんだよなんなんだよこれ！ なんで普通の家にこんなものがあるんだ！？」
817	春希	Haruki	「驚きだな本当に。 あ、そこコードあるから気をつけろよ」
818	雪菜	Setsuna	「すっごい… これ、冬馬さんのピアノ部屋？」
819	かずさ	Kazusa	「前の住人が作ったのをそのまま使ってるだけ」
820	武也	Takeya	「てことは、前の住人ってスタジオミュージシャン？ にしてもブルジョワな…」
821	かずさ	Kazusa	「みたいだけど、詳しくは知らない。 さ、セッティング始めて」
822	春希	Haruki	「わかった。 ほら、武也も手伝え」
823	武也	Takeya	「あ、ああ…にしてもなぁ…」
824			まだ衝撃が抜けきらない武也と、 目をきらきら輝かせ辺りを見回す小木曽を尻目に、 俺は慣れた手つきで機材のスイッチを入れ…
825	春希	Haruki	「…とと。 これはどこに差せばいいんだ？」
826			おっと、慣れてたらまずいんだっけ。
827			現在、午前１０時３０分。
828			自分的には予定調和ながらも、 冬馬家の豪華さに衝撃を受けるところから、 俺たちの合宿は幕を開けた。
829			………	.........
830	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
831	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
832	春希	Haruki	「…ふぅ」
833	武也	Takeya	「…マジかよ」
834			まだエアコンの効ききらない部屋の中、 それでも一曲弾ききったらもう汗が出てきた。
835			それだけ全身全霊を傾けて 集中してたってことでもあるけど。
836	雪菜	Setsuna	「やったね、完璧♪」
837			昨日、呆然と俺を見てた小木曽は、 今日はにっこりと微笑みかけてくれて。
838	かずさ	Kazusa	「ドラムは問題ないかな。 ベースの方を少し手直しすれば…」
839			冬馬は、もはや当然のように、 武也の作った打ち込みデータの方だけに 注意を向けていた。
840	武也	Takeya	「凄ぇ…ちゃんと『ＷＨＩＴＥ　ＡＬＢＵＭ』じゃん…」
841			で、武也は、失礼なくらいに茫然自失だった。 …本当に失礼な奴だ。
842	武也	Takeya	「春希…お前いつの間に？ というかまともに弾けたんだなぁ！」
843	春希	Haruki	「今は機嫌がいいから罵詈雑言も見逃してやろう。 だが次はないぞ」
844	武也	Takeya	「今までどれだけ真面目にやってなかったかが よくわかる上達ぶりだな。いや見直した」
845	春希	Haruki	「せめて直前に言った言葉くらいは聞いといてくれ」
846	かずさ	Kazusa	「うん、打ち込みの方も良くできてる。ＯＫ。 後はあたしの方で細かくチューニングするから。 ありがとう部長」
847	武也	Takeya	「え………？」
848	かずさ	Kazusa	「さて、それじゃ次の曲考えないとね…」
849	雪菜	Setsuna	「うわ、早速新しい課題なんだ」
850	武也	Takeya	「お、おい、春希？ 今、あのコ、俺に感謝したぞ…？」
851	かずさ	Kazusa	「持ち時間を考えると、 レパートリー１曲じゃ全然足りないし。 あと２曲、最低でも１曲は」
852	雪菜	Setsuna	「残り一週間だもんね。 今までのペースだと、あと１曲がいいところかな？」
853	春希	Haruki	「感謝くらいするだろ。 良くできてたよ本当。悪かったな武也、本当に」
854	武也	Takeya	「いや、お前の感謝はどうでもいいんだけどさ」
855	春希	Haruki	「武也…俺たち親友だよな？」
856	かずさ	Kazusa	「多分、他のバンドは３曲用意してると思う。 …けど仕方ないか。こっちは実質二週間だし」
857	雪菜	Setsuna	「曲を増やしすぎて、 １つ１つがおろそかになっても本末転倒だしね」
858	武也	Takeya	「だけどあのコだぞ？　冬馬かずさ。 学園での噂聞いてると、とても今の言葉が信じられん」
859	春希	Haruki	「評判とか噂とか、そんなのが何だってんだよ。 冬馬ってさ、根は優しい奴なんだよ本当に。 くそ、皆にわかってもらえないの悔しいなぁ」
860	かずさ	Kazusa	「こそこそと陰で人を誉めるな。 ちゃんと聞こえてるぞ？」
861	春希	Haruki	「げっ、聞いてたのか！？ ごめん、気を悪くしたよな？　謝る」
862	かずさ	Kazusa	「まったく、油断も隙もない…」
863	武也	Takeya	「…お前らなんなんだ？」
864	雪菜	Setsuna	「…ふふっ」
865			………	.........
866	かずさ	Kazusa	「というわけで２曲目なんだけど、 リクエストある？」
867	武也	Takeya	「だから部長は…」
868	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
869	武也	Takeya	「ひいっ！？ わ、悪い！　話の腰を折った。 そっちで思うように進めてくれ」
870	春希	Haruki	「無様だな…」
871	武也	Takeya	「罵られて悦ぶ[RドＭ^おまえ]よりはマシだと思うんだ」
872	かずさ	Kazusa	「そうだな、うん、部長の意見を聞こうか。 何かある？」
873	武也	Takeya	「え…いいのか？」
874	かずさ	Kazusa	「いいも何も、 もともとこの同好会は部長のものだろ？」
875			今では誰がそんなこと覚えてるだろうか…
876			ステージから引きずり降ろしてしまった 罪滅ぼしのつもりだろうか。 今日の冬馬は、微妙に武也に優しいな。
877	武也	Takeya	「そっか… なら、雪菜ちゃんの声だと…」
878	春希	Haruki	「………」	"........."
879	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
880	武也	Takeya	「お、小木曽ちゃんの声だと…」
881			あくまで『微妙』なところが物悲しいけど。
882	武也	Takeya	「…やっぱ緒方理奈聴いてみたいよな。 １曲目が森川由綺と来れば、なぁ？」
883	春希	Haruki	「武也… お前の選択はいつも無難でミーハーでメジャー指向で」
884	武也	Takeya	「駄目か？」
885	春希	Haruki	「………そして素晴らしいな」
886	雪菜	Setsuna	「うん、大賛成！ デビュー曲からずっと歌えるし。\k\n
887	雪菜	Setsuna	…最近の英語バージョンのはちょっと無理だけど」
888	かずさ	Kazusa	「緒方理奈…かぁ」
889	春希	Haruki	「駄目か？」
890	かずさ	Kazusa	「…実はあたしも緒方理奈派」
891	武也	Takeya	「へ～、そうなんだ。 やっぱ俺たち気が合…」
892	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
893	武也	Takeya	「春希ぃ…」
894	春希	Haruki	「わかった、わかったから部長。 お前はよくやった。後は隅っこで休んでろ」
895	武也	Takeya	「俺、生まれてこの方、 こんな端役な扱い受けたことない…」
896			………	.........
897	かずさ	Kazusa	「じゃあ、理奈の曲ってのは決定ね。 …で、どれをカバーする？」
898	春希	Haruki	「この前出たアルバムから選ぶか？ 一応、小木曽に返すつもりで持ってきてるけど…」
899	雪菜	Setsuna	「あ、ごめんなさい。 また個人的な意見、いいかな？」
900	かずさ	Kazusa	「ボーカルのモチベーションは最優先」
901	春希	Haruki	「異議なし」
902	武也	Takeya	「…三人きりだとホントに仲いいなこいつら」
903	雪菜	Setsuna	「じゃあ、あのね、第一ヒント。 １曲目が『ＷＨＩＴＥ　ＡＬＢＵＭ』だから…」
904	春希	Haruki	「あ、『ＳＯＵＮＤ　ＯＦ　ＤＥＳＴＩＮＹ』！」
905	かずさ	Kazusa	「え…」
906	雪菜	Setsuna	「同じ年に発売した…北原くん正解！\k\n
907	雪菜	Setsuna	やだな～、どうしてそんな簡単にわかっちゃうんだろ？」
908			―――ＳＯＵＮＤ　ＯＦ　ＤＥＳＴＩＮＹ
909			『ＷＨＩＴＥ　ＡＬＢＵＭ』と同じ年に発売され、 かの曲を抑え、音楽祭最優秀賞を受賞した、 緒方理奈の代表曲。
910			彼女がスターダムを一気に駆け上がる、 きっかけとなった曲であり、現在に至るまで、 ベスト版、ライブ版等、何度もアルバムに収録されている。
911			緒方理奈のようにキャリアのあるアーティストだと、 ファン層も多岐に渡り、それぞれの年代ごとに、 微妙に評価が違ったりすることが多い。
912			それでもこの歌は、 初期の若手アイドル時代の歌にも関わらず、 ほぼ全ての世代の支持を集めている。
913	かずさ	Kazusa	「『ＳＯＵＮＤ　ＯＦ　ＤＥＳＴＩＮＹ』って…え？」
914	武也	Takeya	「あれ、確か…」
915	春希	Haruki	「いいじゃん。うん。 みんな絶対聴いたことある曲だし、ノリもいいし」
916	雪菜	Setsuna	「本当？　よかった。 あの曲ならどのバージョンのアレンジでも歌えるんだ」
917	春希	Haruki	「冬馬は？　武也は？ なんか問題あるか？」
918	かずさ	Kazusa	「………北原は問題ないの？」
919	武也	Takeya	「………後悔しないか？」
920			しかし… 何故か冬馬と武也の反応は、 俺たちほどの盛り上がりを見せていない。
921	春希	Haruki	「俺が？　なんで？ カッコいい曲じゃん、あれ」
922	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
923			というか、妙に戸惑ってるような…？
924	武也	Takeya	「いや、確かにカッコいいよ？ けどそれは…」
925	かずさ	Kazusa	「………ぷっ」
926	春希	Haruki	「…冬馬？」
927	かずさ	Kazusa	「っ、く、くく…っ、 ほ、本当に…本当にいいんだな、北原？」
928			…そして、今度はツボに入ったような？
929	雪菜	Setsuna	「え？　え？ な、なにか変かな？」
930	かずさ	Kazusa	「くく…変じゃない、全然変じゃ… うん、ボーカル的には…はは…っ、く…くくっ」
931	春希	Haruki	「なんだよ気味が悪いな… とにかく、じゃあいいんだな？ 『ＳＯＵＮＤ　ＯＦ　ＤＥＳＴＩＮＹ』で決定な？」
932	武也	Takeya	「い、いや待て春希、あれは…」
933	かずさ	Kazusa	「うん決定、決まり。 やめたって言ってももう聞かないからな。 あはは…ふふ…あはははは…っ」
934	春希	Haruki	「あ、ああ…」
935	雪菜	Setsuna	「…冬馬さん？」
936	武也	Takeya	「………」	"........."
937			その、いつもの冬馬からはあり得ない反応の意味を…
938			俺は、その５分後に知ることになる。
939			………	.........
940	雪菜	Setsuna	「うわぁ…カッコいいね～」
941	春希	Haruki	「………忘れてた」
942	かずさ	Kazusa	「く…くく…あはは…」
943			マジで完璧に忘れてた… この曲が、どうして『カッコいい』のかを。
944	武也	Takeya	「本当にやる気かよ春希？ …このギター」
945			この曲… 最後の最後に超絶ギターが入るんだった。
946	かずさ	Kazusa	「あはははは…はは…く、苦し…」
947	春希	Haruki	「いつまでもツボってんじゃね～よ！」
948	かずさ	Kazusa	「頑張れ北原。あんたならできる。 あは、あははは…」
949			そんな俺の涙目は、さらに冬馬の嗜虐心を いたく刺激したらしく、もうその笑いは止まりそうにない。
950	雪菜	Setsuna	「ひょっとして、難しいの？」
951	武也	Takeya	「難しいというか…無理？」
952			部屋のモニターに映し出されているのは、 数年前に発売された、緒方理奈の武道館ライブＤＶＤ。
953			アンコールの１曲目で流れた 『ＳＯＵＮＤ　ＯＦ　ＤＥＳＴＩＮＹ』に、 会場中が熱狂してるのはまぁいいとして。
954			ボーカル部分が終わった直後から、カメラは理奈から離れ、 バックバンドのギタリストの指先をきっちりと捉えている。
955	春希	Haruki	「………これを俺が？」
956			ギターの独壇場… というか、締めは全部ギターが持っていく構成なんだ。
957	武也	Takeya	「少なくとも俺には不可能。 こんなに指動かないって」
958	雪菜	Setsuna	「でもこれ弾けると絵になるよね。 すごいなぁ…これいいなぁ…」
959	春希	Haruki	「そりゃ、俺だって弾けたらどんなにいいか…」
960			しかし世の中には分相応という言葉がある。
961			今年からギターを始めた、 素人に毛の生えた程度の人間がこれに挑むなんて、 どこのイカロスさんだよ…
962			こんな難曲、挑戦する前から 脂汗で蝋の羽が溶けてしまいそうだ。
963	雪菜	Setsuna	「やって欲しいなぁ…」
964	春希	Haruki	「小木曽…？」
965	雪菜	Setsuna	「ね、やろうよ！ わたし、これ弾いてる北原くん見てみたい」
966	春希	Haruki	「い、いや、待てよ…」
967			などと俺が萎縮するのとまるで対照的に、 小木曽の中で、何かが盛り上がってしまったらしい。
968	雪菜	Setsuna	「少しくらい失敗したっていいじゃない。 どうせお祭りなんだし、みんな笑って見逃してくれるよ」
969	春希	Haruki	「そうだよ、見逃す前に笑われるんだよ」
970	雪菜	Setsuna	「笑われたっていいよ。\k\n
971	雪菜	Setsuna	わたしも一緒に笑い者になるから、ね？」
972	春希	Haruki	「いや、誰を笑うかは観客の自由だし」
973	雪菜	Setsuna	「駄目。もう決めたから。 冬馬さんだってもう変更できないって言ったし。 みんなでこの曲やるんだよ。決定」
974	春希	Haruki	「お、小木曽…」
975			こんなワガママで意地っ張りな小木曽を見たら、 学園の連中は腰を抜かすんじゃないだろうか。
976	武也	Takeya	「………」	"........."
977			…何しろ、目の前にこうして実例がいるし。
978	春希	Haruki	「と、冬馬… 何とか言ってくれ」
979			もうこうなると、俺では話にならない。
980			だから、音楽に対して一番詳しくて、 厳しくて、妥協を知らない奴に、 現実をきちんと認識させてもらうしか…
981	かずさ	Kazusa	「ね、小木曽」
982	雪菜	Setsuna	「いいよね冬馬さん？ 北原くんならできるよ絶対！」
983			あれだけ俺のことをあざ笑っていた冬馬だけど… いや、だからこそ、口ではああ言ってたが、 最終的には認めるはずがない。
984			失敗することがわかってる音楽なんて、 許すはずが…
985	かずさ	Kazusa	「うん、大丈夫。 できるよ、北原なら」
986	春希	Haruki	「はぁぁぁぁ！？」
987	武也	Takeya	「な…？」
988	雪菜	Setsuna	「だよね！ 冬馬さんならそう言ってくれると思ってた」
989			さっきまで笑ってたカラスがもう笑顔…
990	春希	Haruki	「ま、待て冬馬！　お前、プライドはどこへ行った？ いつもの、音楽に対して妥協を許さないスタンスは…」
991	かずさ	Kazusa	「もちろん妥協なんかしない。 絶対に弾けるようになってもらう」
992	春希	Haruki	「無理だってそんなの！ 俺の腕を一番よく知ってるお前ならわかるだろ？」
993	かずさ	Kazusa	「この曲に決めたとき言ったよね？ 『あんたならできる』って」
994	春希	Haruki	「あれは…ネタだろ？」
995	かずさ	Kazusa	「あたしは冗談が嫌いだ。 あたしの性格を一番よく知ってるお前ならわかるだろ？」
996	春希	Haruki	「な…」
997			冬馬がこんな面白い冗談を言うなんて…
998			今、この状況でさえなければ 腹を抱えて笑い転げてたはずなのに、なんてこった…
999	かずさ	Kazusa	「というわけで、早速始めよう。 まずは個人練習から。小木曽？」
1000	雪菜	Setsuna	「うん、頑張ろうみんな。 本番まであと一週間しかないんだから」
1001	春希	Haruki	「い、いや、だって…あれぇ？」
1002	武也	Takeya	「………」	"........."
1003			そう、本番まであと一週間。
1004			やっとのことで１曲目をマスターした俺たちは、 それだけで世界を手に入れてしまったと錯覚し、 正常な判断力を失ってしまったに違いない。
1005			…いや無理だって絶対。
1006			………	.........
1007	春希	Haruki	「本当にもう帰るのか？」
1008	武也	Takeya	「もうここで俺のできることないからな。 曲さえ決まったら、作業はウチでできるし」
1009	春希	Haruki	「帰るにしても、 せめてみんなで夕飯食ってからにすればいいのに」
1010	武也	Takeya	「ここで俺ができることはないって言っただろ？ つまり、ここじゃ作業できないから早く帰るんだよ」
1011	春希	Haruki	「武也…？」
1012			冬馬に邪険にされて泣きながら帰るにしては、 武也の表情は妙にすっきりしてた。
1013	武也	Takeya	「別に重役に邪険にされて、 泣きながら帰る訳じゃないからな？」
1014	春希	Haruki	「やっぱお前親友なのかもな」
1015			ここまで思ったことが通じてしまうようでは…
1016	武也	Takeya	「楽しみだな、学祭。 どんなステージになるのか想像もつかねえ」
1017	春希	Haruki	「俺が一番想像できないよ…」
1018	武也	Takeya	「なんか、なんとなくだけどさ、 結構いい感じになるじゃないかって思えてきた」
1019	春希	Haruki	「お前の思考回路も想像できないよ…」
1020			あれから何度かソロ部分を弾いてみたけれど、 未だに３秒の壁が破れないってのに…
1021	武也	Takeya	「ま、これから色々と大変だろうけど、 きっと、今まで経験したこともない苦労があると思うけど、 ま、くじけず頑張れ」
1022	春希	Haruki	「わかってる。 俺にとっては、学園生活最初で最後の馬鹿だ。 一生懸命楽しむさ」
1023			委員長の霍乱と言われようが、 帰宅部の冷や水と言われようが、 楽しむことだけは絶対に忘れたくない。
1024			入学してから今までの二年半、 ずっと、嫌味なくらいに清く正しく生きてきたんだ。
1025			たった一度、お祭りの日に羽目を外したくらいで、 誰にも文句なんか言わせるものか。
1026	武也	Takeya	「確かに、最初で最後の天国だろうな。 …お前の人生において」
1027	春希	Haruki	「そこまで言うことないんじゃないか？ 俺の人生この先下るだけかよ？」
1028	武也	Takeya	「だってそうだろ… どっちもあり得ねえくらい脈ありじゃんか。 あり得ねえよ…」
1029	春希	Haruki	「…聞かせるつもりがないなら、 意味ありげに独り言つぶやくなよ」
1030	武也	Takeya	「じゃあな」
1031	春希	Haruki	「あ、ああ… また月曜日」
1032			放っておくといつまでも続きそうな小突きあいを 切り上げたのは、武也の方だった。
1033			最後に、やっぱりこいつらしくない 『もうお前に教えることは何もない』的な 優しい笑みを俺に向ける。
1034			ふと、その表情が何かを思い出したようなふうに動き。
1035	武也	Takeya	「そういえばさ、 お前、あれどうすんだ？ 俺、まだ預かってるけど？」
1036	春希	Haruki	「…いいよ、もう」
1037			俺でさえ、もう忘れかけていたことを口にしやがった。
1038	武也	Takeya	「まだもう少しだけ時間残ってるじゃん。 なんなら今からでも…」
1039	春希	Haruki	「もう一週間切ってるんだぞ？ もし完成したとしても、いつ練習するんだよ？」
1040	武也	Takeya	「………そうか。 悪かったな、約束守れなくて」
1041	春希	Haruki	「お前と口約束しかしてない時点で俺の負けだから」
1042	武也	Takeya	「…ありがとよ。 最後に俺の罪悪感をこんなに軽くしてくれて！ …今度こそ、じゃあな」
1043	春希	Haruki	「ああ… 今度こそ、また月曜、な」
1044			………	.........
1045	雪菜	Setsuna	「傷ついて～、傷つけられて♪」
1046	雪菜	Setsuna	「ええと、トラベルセット…」
1047	雪菜	Setsuna	「あ～、あったあっ…」
1048	雪菜	Setsuna	「あれ？」
1049	雪菜	Setsuna	「…青？」
1050	春希	Haruki	「うあ…」
1051			そして午前１時。
1052			あれからかなりの上達を見せた俺は、 …今は５秒の壁に果敢に挑んでいる。
1053	かずさ	Kazusa	「貸して」
1054	春希	Haruki	「指がつった…」
1055	かずさ	Kazusa	「今日はもうこれくらいにしたら？ 小木曽が上がってきたら、次、風呂に入ってきなよ」
1056	春希	Haruki	「俺はいいよ。 小木曽の後も、冬馬の前も、 どっちもまずいだろ…」
1057	かずさ	Kazusa	「入る前に洗ってお湯張り直せばいいのに」
1058	春希	Haruki	「そういう問題じゃないだろ。 あと、地球温暖化を考慮しろこのブルジョアめ」
1059			気を使ってくれてるつもりなのかもしれないけど、 どうにも冬馬の俺に対するスタンスってのは、 男に対するものとは思いにくい。
1060			ま、平気で泊めてくれた時点で 察するべきなのかもしれないけど、 ちょっとだけ男のプライドが傷つくというか…
1061			それとも、そんなつまらないもののために 今のアドバンテージを捨てるのは 馬鹿のすることだというか。
1062	かずさ	Kazusa	「…指の動きはこんな感じ。 もう一回やってみせようか？」
1063	春希	Haruki	「だから俺のプライドを３０秒でズタズタにするなよ…」
1064			人がノミで一生懸命壁を削ってるときに、 空飛んで超えていきやがって。
1065	かずさ	Kazusa	「ギターだってもう２年はいじってるし、 これくらい弾けても別におかしくないって」
1066	春希	Haruki	「…何でもできるんだな、冬馬は」
1067			憧れと共に、ちょっとした妬ましさも湧き上がる。
1068	かずさ	Kazusa	「北原は勉強できるじゃない。 あたし、自慢じゃないけど卒業危ないよ？」
1069	春希	Haruki	「でも、カッコいいことは全部冬馬のが上だ」
1070	かずさ	Kazusa	「何がカッコいいかなんて人によるんじゃない？」
1071	春希	Haruki	「そうだよ。何がカッコいいかは俺によるんだよ。 で、俺によると、ピアノとか、ギターとか、冬馬とか」
1072	かずさ	Kazusa	「………お前、今」
1073	春希	Haruki	「…ちょっと返してくれ」
1074	かずさ	Kazusa	「あ、ああ…」
1075			何だか変な具合に気まずくなってきたので、 もう一度冬馬からギターを取り返す。
1076	春希	Haruki	「…言ったこと、少しばかり後悔してるけど、 残念ながら間違ったことは言ってない」
1077			…けどそこで、余計なフォローを入れるのが、 俺のカッコ悪さを象徴してる気がする。
1078	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
1079	春希	Haruki	「っ…やっぱ無理だ」
1080			演奏で誤魔化そうにも、 今の俺は５秒しかもたないんだった。
1081			疲れと眠気のせいなのか、 いつもより悔しくて、みっともなくて、そして…
1082	かずさ	Kazusa	「大丈夫だ。 できるよ、北原なら」
1083	春希	Haruki	「と…冬馬？」
1084	かずさ	Kazusa	「あたしが弾けるようにしてやる。 …お前の言う、カッコいい男にしてやるから」
1085	春希	Haruki	「っ…」
1086			なんだか、心地良いくらい照れくさくて恥ずかしくて。
1087	かずさ	Kazusa	「その代わり、 もう、学園祭が終わるまで寝られるなんて考えるな」
1088	春希	Haruki	「あ、ああ」
1089	かずさ	Kazusa	「来週からも毎日ここに来い。 場合によっては授業サボれ。できるか？」
1090	春希	Haruki	「………ああ！」
1091			ヤバいくらいに、全身にやる気がみなぎってきて。
1092			今ならなんでもできるんじゃないかって、 そんな錯覚が、錯覚だってわからなくなるくらい、 自分の中に不思議な勇気が湧き出てくる。
1093	雪菜	Setsuna	「傷ついて、傷つけられて…」
1094			………	.........
1095	春希	Haruki	「…うあ」
1096	雪菜	Setsuna	「ふぅ…」
1097	かずさ	Kazusa	「じゃ、お昼にしようか」
1098			合宿二日目。
1099			眠い目をこすりながら集まった小木曽と俺を前にして、 冬馬はさらっと『じゃあ、合わせてみようか』と言った。
1100			昨夜の段階でも余裕で壊滅中だった俺は、 ちょっとばかり目眩がしたけど、師の命令には逆らえず、 １曲目よりもかなり早い段階で全体練習が始まった。
1101			そして結果はもちろん…
1102	かずさ	Kazusa	「うん、形になってきた」
1103	春希	Haruki	「どこがだよ！？」
1104			なんか合格点ついてるし。
1105	春希	Haruki	「ボロボロだったじゃん。特に俺。というか俺だけ。 そりゃ、小木曽と冬馬だけ見れば完璧だったけど」
1106	雪菜	Setsuna	「え～、そうかな？ みんなちゃんと合ってたと思うけどな」
1107	春希	Haruki	「本当凄いよ小木曽は… バックが乱れててもビクともしないんだもんな」
1108			天性のリズム感なのか、 冬馬のピアノしか聞いてないのか。
1109	雪菜	Setsuna	「違うよ、北原くん乱れてなんかなかったよ。 本当に歌いやすかったんだって」
1110	春希	Haruki	「いいよ慰めは。 自分の演奏は自分が一番良くわかってるから…」
1111	かずさ	Kazusa	「自分の演奏を一番理解してるって？ …それはまた思い上がりもいいところだな」
1112	春希	Haruki	「ぐあ…」
1113			勝手には落ち込ませてもくれない我が師匠…
1114	かずさ	Kazusa	「確かにソロ部分は酷い。 間違いだらけだしリズムバラバラだし、 大体、途中で諦めて弾くのやめるし、最低」
1115	春希	Haruki	「ぐあぁ…」
1116			…自分の手で地獄に突き落とさないと 気が済まないんだろうか？
1117	かずさ	Kazusa	「けど、ボーカルが入るとこに関しては十分合格点。 きっちり弾けてるし、小木曽の邪魔はしてない」
1118	春希	Haruki	「そうだったっけ？」
1119	雪菜	Setsuna	「そうだったっけじゃないよ。 ほとんど完璧だったってば」
1120	春希	Haruki	「…覚えがない」
1121			ソロ部分のことばかり気になっていて、 それ以外の演奏なんか気にも留めてなかった。
1122			練習だってほとんどしてなかった。 だってそっちは心配する必要もないって判断…
1123	春希	Haruki	「あれ？」
1124	雪菜	Setsuna	「上手くなってるんだよ北原くん。 簡単なパートならすぐ弾けるようになってるんだよ」
1125	春希	Haruki	「俺…」
1126			そういえば、なんか指が勝手に動く。
1127			コードを頭の中でいちいち指の形に変換しなくても、 いつの間にか習慣で押さえてる。
1128	かずさ	Kazusa	「だから言っただろ？ 毎日１０時間弾けって」
1129	春希	Haruki	「冬馬…」
1130			また、冬馬の手のひらで踊らされてた。
1131			今まで課されてたハードな個人練習の狙いは、 『学園祭の曲を弾けるようになること』じゃなくて、 『ギターが弾けるようになること』だったという訳か。
1132	かずさ	Kazusa	「さて、買い出しに行ってくる。 みんな、どの弁当がいい？」
1133	雪菜	Setsuna	「あ、なら駅前のスーパー行こうよ。 簡単なものしかできないけど、お昼はわたしが…」
1134	かずさ	Kazusa	「料理なんかしてる暇があったら練習しろ。 小木曽の方こそ、今日はあまり声出てないぞ」
1135	雪菜	Setsuna	「あ…」
1136			やっぱり冬馬には敵わない。 彼女の言うことに間違いはない。 俺は、ただついていくだけでいい。
1137			ただ…
1138	かずさ	Kazusa	「冗談じゃない、そんな馬鹿な真似ができるか。 今さら何言ってんだお前は？」
1139			あまりにもそうやって格の違いを見せつけられると、 こっちだって少しは意地悪…じゃなかった。
1140	春希	Haruki	「別に今さらじゃない。 昨夜思いついたことなんだよ」
1141			世間にも、その凄さをわかってもらおうという、 純粋な悪戯心…じゃなかった。
1142	かずさ	Kazusa	「思いっきり今さらじゃないか…」
1143			ともかく、そんな色々と思惑の絡んだ『とある提案』を、 予想通り、冬馬はあっさりと却下した。
1144	春希	Haruki	「だって考えてもみろよ。 小木曽はボーカルだし、俺もソロが入る。 けど、冬馬にだけは何の見せ場もないだろ？」
1145	雪菜	Setsuna	「そういえば…そうかも」
1146	かずさ	Kazusa	「だからって、そんなふざけた真似ができるか。 そんなのただの大道芸だ」
1147	春希	Haruki	「大道芸のどこが悪い？ 冬馬、お前まさか、俺たちのステージが 芸術とか言うつもりじゃないだろうな？」
1148	かずさ	Kazusa	「いや、そこまで卑屈にならなくても…」
1149	春希	Haruki	「何度も言ってるだろ？ 俺は、冬馬の凄さを見過ごされるのが嫌なんだよ」
1150	雪菜	Setsuna	「北原くん…」
1151			一年の時から将来を嘱望された音楽科のエリートで、 今だって才能溢れるアーティストで、 ついでに、もの凄い………で。
1152	かずさ	Kazusa	「あたしにとって、そんなことはどうでもいい。 大体、今回の件だってお前がどうしてもって言うから 仕方なく参加しただけで…」
1153			それなのに、今では悲しいほど周囲から忘れ去られてる、 普通科の、卒業も危うい劣等生。
1154	春希	Haruki	「だったら今度も俺が『どうしても』って言うから、 仕方なく目立ってくれ」
1155			それは自分から望んだことだって胸を張ってるけど、 そんなのは、別のことで意地を張ってしまったときの 虚しい副産物にしか過ぎないってわかってしまった。
1156	かずさ	Kazusa	「北原…お前なぁ」
1157			そんな『本当の冬馬かずさ』を、 俺と小木曽だけが知っているなんてのは納得できない。
1158	春希	Haruki	「それとも何か？ 今からじゃ間に合わないか？ いくら冬馬でも、こればっかりは無茶なのか？」
1159	かずさ	Kazusa	「だからあたしはそういう挑発には乗らないって…」
1160	春希	Haruki	「無理か…？」
1161			冬馬のことをよく知らない多くの同級生たち。 悪い部分だけをよく知ってる音楽科の同級生たち。 親の七光だけだと思っている一部の教師たち。
1162			鼻をあかしてやりたい。 悔しがらせてやりたい。 自分たちの目が節穴だったと思い知らせてやりたい。
1163	かずさ	Kazusa	「………余裕に決まってるだろ」
1164	春希	Haruki	「だよな！ 冬馬なら絶対そう言ってくれるって思ってた」
1165			そう、皆に知ってもらいたい。 冬馬が、実はこんな奴なんだって。
1166	かずさ	Kazusa	「あ、いや、待て。 だから、できるってこととやるってことは…」
1167			人の言うことを聞こうとしないのは、 本当は、人の頼みを断り切れない、 どうしようもないお人好しだからなんだって。
1168	春希	Haruki	「じゃあ、午後からは新しい構成で行ってみようか。 最初から合わせられるか冬馬？」
1169	かずさ	Kazusa	「多分大丈夫だけど…\k\n
1170	かずさ	Kazusa	あ、だから違う。今のは別にやるって言った訳じゃ…」
1171	春希	Haruki	「大丈夫大丈夫。 うまく行かなかったら俺がフォローするからさ。 まずは気楽に行ってみようぜ？」
1172	かずさ	Kazusa	「へぇ、いい度胸だな北原。 お前が音楽のことであたしに偉そうな口叩くとは」
1173			もちろん、全て俺のために。
1174			冬馬がそれを望んでなかろうが関係なく、 俺のエゴを満たすだけのために。
1175	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
1176			………	.........
1177	雪菜	Setsuna	「はい、冬馬さん、カフェオレ」
1178	かずさ	Kazusa	「…ありがと」
1179	雪菜	Setsuna	「一応、砂糖は３杯入れておいたけど…」
1180	かずさ	Kazusa	「（ずず）…苦い」
1181	雪菜	Setsuna	「………はいシロップ。 随分たくさん常備してあるんだね」
1182	かずさ	Kazusa	「え、ええと…北原は？」
1183	雪菜	Setsuna	「ちょっと外の空気吸ってくるって」
1184	かずさ	Kazusa	「そ…」
1185	雪菜	Setsuna	「（ずず）………」
1186	かずさ	Kazusa	「（ずず）………ふぅ」
1187	雪菜	Setsuna	「ね、冬馬さん」
1188	かずさ	Kazusa	「ん？」
1189	雪菜	Setsuna	「さっき言ってたけど、\k\n
1190	雪菜	Setsuna	今日のわたしって、調子悪いのかな？」
1191	かずさ	Kazusa	「うん、悪いな」
1192	雪菜	Setsuna	「…本当に、音楽に関しては思いっきり率直なんだね」
1193	かずさ	Kazusa	「いつも通り外しはしないけど、声が出てない。 伸びも悪いし、いいとこが全部削がれてる」
1194	雪菜	Setsuna	「自分じゃそんなふうに感じないんだけど…」
1195	かずさ	Kazusa	「何かノってないように感じる。\k\n
1196	かずさ	Kazusa	よそ事考えてない？」
1197	雪菜	Setsuna	「え…」
1198	かずさ	Kazusa	「ま、合宿も二日目だし、疲れてるのかも。 だからそんなに心配してないけど」
1199	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
1200	かずさ	Kazusa	「大体、小木曽なんて全然手が掛からない方だし。 …あっちに比べれば」
1201	雪菜	Setsuna	「あっち…か」
1202	かずさ	Kazusa	「少しは上手くなったとは言え、元が元だから。 まだまだ本番まで気が抜けない」
1203	雪菜	Setsuna	「そっか…」
1204	かずさ	Kazusa	「その上、調子に乗って人にまで難題押しつけるし。 ホントになに考えてんだか…」
1205	雪菜	Setsuna	「だから、あっちにばかり手を掛けちゃうんだ。 毎日、毎晩」
1206	かずさ	Kazusa	「余計なこと考えてる暇があったらまず自分のことを\k\n
1207	かずさ	Kazusa	…何だって？」
1208	雪菜	Setsuna	「合宿、昨日が初めてじゃないよね？」
1209	かずさ	Kazusa	「小木曽…？」
1210	雪菜	Setsuna	「一昨日も、もしかしたらその前の日も、 開催されてたんじゃないかな？　違う？」
1211	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
1212	雪菜	Setsuna	「北原くんが急に上達したのって、 優秀な先生が付きっきりで教えたからだよね？」
1213	かずさ	Kazusa	「…騙してないぞ別に」
1214	雪菜	Setsuna	「あからさまに騙してはいないけど、 あからさまに話してもいないよね？ …隠したよね？」
1215	かずさ	Kazusa	「それは…どうでもいいことだから」
1216	雪菜	Setsuna	「うん、そうだね、どうでもいいことだよね。 わたしみたいな部外者に話す内容じゃないよね」
1217	かずさ	Kazusa	「部外者なんて、そんなふうに言うなよ… 北原が聞いたらなんて思うか」
1218	雪菜	Setsuna	「だったらさ… 部外者じゃないわたしに練習のこと隠して、 わたしが知ったらなんて思うかって考えた？」
1219	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
1220	雪菜	Setsuna	「うん、本当はわかってる。 冬馬さん、わたしに気を使ったんだよね？ わたしがショック受けるって思ったんだよね？」
1221	かずさ	Kazusa	「…やっぱりショックだった？」
1222	雪菜	Setsuna	「やだなぁもう…！ わたし、そんなに思い込み激しくないよぉ」
1223	かずさ	Kazusa	「え、え？」
1224	雪菜	Setsuna	「一言言ってくれれば全然気にしなかったのに、 そうやって隠すからカチンって来ちゃうんだよ？」
1225	かずさ	Kazusa	「そ、そう？」
1226	雪菜	Setsuna	「冬馬さん、北原くんのこと練習不足って心配してたし、 それなのに昼間はわたしの面倒見なくちゃならないし、 そうしたら、残る時間は夜しかないに決まってる」
1227	かずさ	Kazusa	「それは…そうなんだけど」
1228	雪菜	Setsuna	「だから半分はわたしのせい。 冬馬さんが寝る時間も削って北原くんの練習に つきあうこと、本当は感謝しなくちゃならないのに」
1229	かずさ	Kazusa	「いや、そんなことは… あたしが勝手にやってることだし」
1230	雪菜	Setsuna	「ううん、ありがとう。そしてごめんなさい。 …わたし、そうやって一生懸命みんなのこと考えてくれる 冬馬さんに、なんだか酷いこと言っちゃった…」
1231	かずさ	Kazusa	「小木曽…あのさ」
1232	雪菜	Setsuna	「ごめんね、わたしから言い出した話だけど、 これでおしまいにさせて。\k\n
1233	雪菜	Setsuna	で、午後からも頑張ろう？」
1234	かずさ	Kazusa	「あたしは全然気にしてないけど…」
1235	雪菜	Setsuna	「良かった…本当にごめんなさい。\k\n
1236	雪菜	Setsuna	あと、わたしのことは雪菜でいいからね」
1237	かずさ	Kazusa	「あ、ああ…」
1238	雪菜	Setsuna	「はぁ…わたしって本当に馬鹿だなぁ。 どうしてこんな余計なこと言っちゃったんだろ」
1239	かずさ	Kazusa	「いや、別にそんな…」
1240	雪菜	Setsuna	「冬馬さんにこんなこと言ってどうするのよ。 …そういうのわかってたはずなのに」
1241	かずさ	Kazusa	「そういうのって？」
1242	雪菜	Setsuna	「あ、聞いてた？ ごめんなさい、聞き流して」
1243	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
1244	雪菜	Setsuna	「はぁぁぁぁ…もう、わたしの馬鹿」
1245	かずさ	Kazusa	「そうやって地味にショック受けるって、 わかってたから隠したのに…」
1246			………	.........
1247	春希	Haruki	「寒くない？」	"Are you cold?"
1248	雪菜	Setsuna	「ううん、別に」	"Nope, not really."
1249	春希	Haruki	「そう？」	"Oh?"
1250			午後６時３０分。	6:30PM
1251			１１月中旬の夜は、 ジャケットだけでは防ぎきれない寒さを 肌に突き刺してくる。	The evening of mid-November pierced the skin with cold that a jacket alone could not ward off
1252	春希	Haruki	「疲れてる？」	"Are you tired?"
1253	雪菜	Setsuna	「ううん、別に」	"Nah, not really."
1254	春希	Haruki	「…そう？」	"...That so?"
1255			午後からの練習は、思ったよりも軽めだった。	The afternoon practise was lighter than expected.
1256			個人練習と全体練習をそれぞれ１回ずつ。 間に休憩も多めに挟み、しかも夕方で解散。	The individual and combined practises lasted just one round each. All that while, there were plenty of breaks in between yet everything ended by dusk.
1257			冬馬が５時に解散を宣言してしまったので、 あとは皆でファミレスで夕食会。	Touma had announced the end of practise at 5 o' clock and after that, everyone had dinner together at a family restaurant.
1258			…その時の俺以外のノリの悪さからして、 どうやら皆の疲れを考慮しての切り上げだったようだ。	Because of the low spirits of everyone other than me, she had somehow taken our fatigue into consideration and ended the session.
1259	春希	Haruki	「荷物、持とうか？」	"Want me to carry your stuff?"
1260	雪菜	Setsuna	「いいよ別に」	"It's fine, nothing much really."
1261	春希	Haruki	「……そう？」	"...That so?"
1262			そう、小木曽は午後からずっとこんな感じで なんだか妙にノリが悪かった。	That's right, Ogiso wasn't herself since afternoon; she seemed to be acting somewhat unsually.
1263			確かに、練習は真面目にやってたし、 聞かれたことには普通に答えてた。	Certainly, she went about the practise seriously, answering questions asked of her as usual.
1264			けど、何と言うか、 俺ごときが言える立場じゃないけど、 いつもより歌う声が小さかったというか…	However, how should I put it, while it's not my place to say so, somehow, her singing voice seemed softer than usual...
1265	春希	Haruki	「…本当に疲れてない？ それか、体調が悪いとか？」	"...You're really not tired? Or perhaps you're unwell?"
1266	雪菜	Setsuna	「そんなことないよ、別に」	"Nothing like that, not really."
1267	春希	Haruki	「………そう」	"......I see."
1268			何より、語尾の全てに『別に』を付けてくる。 これだと、なんだか冬馬っぽい。	Above all, she ended all her sentences with "not really." It was somewhat Touma-like.
1269	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
1270	春希	Haruki	「………」	"........."
1271			だから、会話が続かない。	As such, our conversation could not progress any further.
1272			いつもの小木曽なら、こっちが気を使う暇もないくらい、 次から次へと話しかけてきてくれて、正直、女の子と 話すことに慣れてない俺には有難いことこの上ない。	Normally, with Ogiso, you would not have the time to care about this; she took the initiative to talk to me continuously. Frankly, for me who wasn't used to speaking with girls, there was nothing I was more thankful for.
1273			けど今は、冬馬もかくやと思えるほどの、 素っ気ない反応の応酬で、どうしていいのかわからない。	However, right now, like with Touma, I did not know how I should respond to such off-handed replies.
1274			…確かに昨日まで、 いや、今日の午前中までは普通だったのに。	...She was definitely normal until yesterday, no, at least until this morning.
1275	春希	Haruki	「なぁ、小木曽。 ちょっと聞きたいことが」	"Hey, Ogiso. There's something I want to ask-"
1276			で、結局俺は、 いつものように、自分が理解できるよう、 きちんと話をすることにする。	So, in the end, I decided to properly talk it out with her, as usual, to make things clear to myself.
1277	雪菜	Setsuna	「北原くんってさ」	"You know,Kitahara-kun, you-"
1278	春希	Haruki	「え？」	"Eh?"
1279			と、そんな俺の心を先読みしたのか、 小木曽が急に振り返り、じいっと俺の顔を見つめてくる。	Perhaps she anticipated what was in my heart; Ogiso suddenly turned around and stared at my face.
1280	雪菜	Setsuna	「北原くんって、さぁ…」	"You know, Kitahara-kun, you...."
1281	春希	Haruki	「な、なに…？」	"W-what?"
1282			俺の目の前に立ち、じっと瞳を見つめ、 なんだか誤解してしまいそうな表情で…	Standing before me and staring into my eyes, with an expression that made me almost misunderstand...
1283	雪菜	Setsuna	「…大してかっこよくないよね」	"...Aren't very cool."
1284	春希	Haruki	「………はい？」	".......What?"
1285			やっぱり誤解だと思い知らせてくれる発言をした。	The words she spoke led me to realize that I was indeed mistaken.
1286	雪菜	Setsuna	「うん、よく見ると本当に大したことない。 普通。そこそこ。十人並み。悪くないけど良くもない」	"Yup, when you look closely, you really aren't anything special. You're ordinary. Reasonable. Average. Not bad but not good either."
1287	春希	Haruki	「い、い、い、いや… そんなのは俺が一番よくわかってるけどさぁ…」	"E-er...erm, I'm well aware of that myself...."
1288			でも、相手によっては、たとえ事実であろうと、 とてつもなく傷つく言葉であるということを 理解して言ってるんだろうか？	But, has she considered that what she's saying is extremely hurtful, espcially depending on who's saying it, even if it's a fact?
1289	雪菜	Setsuna	「誰にでも面倒見がいいことも美点ではあるけれど、 ちょっと見方を変えると、\k\n	"You're willing to go the extra mile for others and this is your good point, but in another way-."
1290	雪菜	Setsuna	八方美人とも取られかねないよね？」	"People may see you as someone trying too hard to be perfect, no?"
1291	春希	Haruki	「う、え…？」	"Uu, eh...?"
1292	雪菜	Setsuna	「いつでも真面目で一生懸命なのもポイント高いけど、 人によっては堅すぎてついていけないってのもわかるよ」	"You get a high score for always seriously trying your best, but I also understand when some people say that they cannot keep up with how rigid you are."
1293	春希	Haruki	「ご、ごめん…」	"S,sorry...."
1294	雪菜	Setsuna	「ううん、別にわたしの個人的感想だから、\k\n	"Nah, it's just my own individual opinion after all, \k\n"
1295	雪菜	Setsuna	「北原くんが謝る必要はないと思うよ？」	"I don't think Kitahara-kun has to apologize?"
1296	春希	Haruki	「それは…どうも」	"Oh...Thanks."
1297			いや、これは…わかってやってる。	No, this... She's doing it on purpose.
1298			間違いなく、俺を傷つけようとしてやってる。 そして、彼女の狙い通り、思い切り戦果を上げている。	Unmistakably, She's doing it to hurt me. And according to what she was aiming for, she has fared exceedingly well .
1299	雪菜	Setsuna	「あ～あ、な～んだかなぁ。 急に色々とわかってきちゃった」	"Ahh~a, how should I put it... I feel like I suddenly understand alot."
1300			…そう、小木曽は今、俺にケンカ売ってる。	...That's right. Right now, Ogiso is picking a fight with me.
1301			ついさっきまで、 一緒に合宿を頑張ってきた仲間のはずなのに、 二人きりになった途端、敵意をむき出しにしてる。	Up until just now, we were supposed to be friends who were working hard together in the training camp, yet the moment we are alone together, she bared her hostile feelings towards me.
1302			ついさっきまで、 お菓子や飲み物を差し入れてくれたのに、 今は、白手袋を差し入れてくれる。	Up until just now, she was bringing us snacks and drinks; even now, she brought white gloves.	"White glove" bit may also refer to breaking of friendship or declaration of hostility. Not sure...
1303	雪菜	Setsuna	「そうだよね、そんなものだよね。 だから…そこまで気にする必要、ないよね」	"That's right, that's the way it is. That's why...you don't need to go to such lengths."
1304	春希	Haruki	「あ…」	"Ah..."
1305			そして、呆然と立ちすくむ俺を置いて、 駅への道を小走りに駆け出す。	And with that, leaving me behind as I stood dumbfounded, she broke into a half-run on the road leading to the station.
1306	春希	Haruki	「お、おい、小木曽…」	"Oh, Oi, Ogiso....!"
1307			だから俺は… やっぱり、どうしていいかわからない。	That's why I....as I thought, I did not know what I should do at all.
1308			わからないから、追い越すことも、止めることも、 そして責めることもできず、ただ同じ速度で、 小木曽の後を追いかけるだけ。	As I did not know, I could not get ahead, stop or blame her. I could only just chase behind Ogiso at the same speed.
1309	雪菜	Setsuna	「じゃあね北原くん。 また明日」	"See you tomorrow, Kitahara-kun."
1310	春希	Haruki	「え…」	"Eh..."
1311			けれど、小木曽は心得たもので、 そんな俺の曖昧な反応を、きっちり拒絶する。	But, Ogiso understood and promptly rejected my vague response.
1312	雪菜	Setsuna	「大丈夫。 明日になったら、またいつも通りのわたしだから」	"It's alright. Because come tomorrow, I'll be my usual self again."
1313			俺の、訳がわからないが故の曖昧な反応を、 きっちり“悪”だと糾弾する。	She had promptly condemned my response that had been made in the confusion of completely senseless circumstances as "bad."
1314	雪菜	Setsuna	「だから気にしないで… 今日言ったこと、忘れてくれると嬉しいな」	"So don't worry about it. It would be much happier if you forgot all that was said today."
1315			だって… 言葉とは裏腹な、 さっきより妙に赤い目が、語ってるから。	However...her words were completely to the contrary. After all, her red eyes, more out of place than before, said everything.
1316	雪菜	Setsuna	「学園祭、頑張ろうね。 絶対、成功させようね？」	"Good luck for the school festival. You must definitely succeed OK?"
1317	春希	Haruki	「小木曽…」	"Ogiso..."
1318			声も、語ってるから。 その言葉の意味じゃなくて、その音で。	My voice came again. It did not bear the meaning of that word, rather, of the sound.
1319	雪菜	Setsuna	「それじゃ、おやすみなさい…」	"Well then, good night...."
1320	春希	Haruki	「待てって」	"Wait!"
1321	雪菜	Setsuna	「…なに？」	"..Yes?"
1322	春希	Haruki	「その…送ってく」	"I'll...accompany you back."
1323			だったら俺は、介入するしかない。	If that's the case, I could not stand by and do nothing.
1324	雪菜	Setsuna	「いいよ。 北原くん、電車、反対方向だし」	"It's fine. Kitahara-kun's train is in the opposite direction."
1325	春希	Haruki	「でも、もう結構暗いし。 小木曽の家の近く、人通り少ないし」	"But it's generally already dark and the area around Ogiso's house was quite deserted."
1326			いつも通りの、お節介で、鬱陶しい俺を、 全力で再現するしかない。	For me who was always meddlesome and an annoyance, I could not help but replay the scene with all my might.
1327	雪菜	Setsuna	「このくらいの時間なら、いつも一人で帰ってるし。 ………練習で遅くなった時だって」	"I always go home alone at this hour.....It's when practise ends late."
1328	春希	Haruki	「いや、やっぱり送るって。 というか、送らせてくれ」	"No, as I thought, I'd better see you home. Or rather, let me see you home."
1329			だって小木曽には、これで通用していたはずだから。	Well, this is standard practice for Ogiso after all.
1330			冬馬とは違って、その近い距離感を、 心地良く感じてくれていたはずだから。	Unlike with Touma that feeling of closeness was acutely felt in my heart when it came to Ogiso.
1331	雪菜	Setsuna	「駄目。 そんなことされたら、言えなくなっちゃうじゃない」	"No. If you do that, I won't keep quiet."
1332	春希	Haruki	「何を？」	"What about?"
1333	雪菜	Setsuna	「『北原くんは、女の子が暗い夜道を一人心細く帰るのに、 送ってもくれない最低な男の子』だって…」	"'Kitahara-kun is the lowest of men who did not accompany a girl on a lonely journey back home on a dark road at night.' So..."
1334	春希	Haruki	「っ…？」	"...?"
1335	雪菜	Setsuna	「さよなら…っ」	"Goodbye..."
1336	春希	Haruki	「あ…」	"Ah..."
1337			何もわからない… わからないからこそ、訳がわからない。	I did not understand anything....And precisely because of that, it made no sense at all to me.
1338			いつもなら通用していた駆け引きが通用しない。	Tactics that were always used all failed.
1339			いつもなら、 ポジティブな方向に外された小木曽の反応が、 まったく逆方向にすれ違っていく。	Ogiso's response was the total opposite of her usually positive demeanor.
1340			少しはわかってきたと思ってた小木曽の心が、 俺の貧弱な人生経験からすり抜けていく。	I thought I understood Ogiso's heart to some extent but I slipped throught it thanks to my paltry experience in life.
1341			ただ一つ言えることは、 今日、俺が小木曽を傷つけてしまったってこと。	With merely one spoken thing, I had today, hurt Ogiso.
1342			そして、その心当たりも解決方法も、 今の俺はまるっきり持ち合わせていないって、こと。	And I had completely no idea or solution for it.
1343			………	.........
1344			………	.........
1345	春希	Haruki	「…１０回」	"10 times"
1346			………	.........
1347	春希	Haruki	「…風呂かな？」	"...Bathing?"
1348			………	.........
1349	春希	Haruki	「もう遅いし、これ以上は迷惑か…」	"It's already pretty late. Any more and I'll be a nuiscance...."
1350			………	.........
1351	春希	Haruki	「そろそろやめとこう。 …あと１０コール鳴らして出なかったら」	"I should stop soon....after the tenth call."
1352	雪菜	Setsuna	「しつこいなぁ！」	"You're irritating you know!"
1353	春希	Haruki	「うわっ！？ や、夜分遅くすいません！」	"Uwaa!? S, sorry for calling this late at night!"
1354			予想通りの言葉と態度と、予想外のタイミングに、 思わず声と口調が上ずってしまう。	Due to the words and attitude I had expected appearing at an unexpected time, my voice inadvertently rose.
1355	春希	Haruki	「えっと、北原と申しますが、 雪菜さんはご在宅で…」	"Errm, this is Kitahara calling. May I know if Setsuna-san at home..."
1356	雪菜	Setsuna	「携帯なんだから北原くんだってわかってるよ。 携帯にかけたんだからわたしだってわかるでしょ？」	"Because it's from your mobile phone of course I know that it's you, Kitahara-kun. And as you are calling my mobile shouldn't you know that it's me?"
1357	春希	Haruki	「…今、家にいる？ それだけはわからない」	"....Are you, at home now? I didn't know."
1358	雪菜	Setsuna	「ほんっとに言い訳ばっかり… 態度もかっこ悪いな」	"Really, trying to excuse yourself like that, your attitude is painful to watch."
1359	春希	Haruki	「わかってる。 俺は、人に嫌われる性格してるってさ」	"I know. My personality is repugnant to others."
1360	雪菜	Setsuna	「…そんなこと、あるわけないけど」	"...It isn't like that."
1361	春希	Haruki	「ちょっとだけ時間取れないかな？ さっきのこと、謝りたい」	"Can you hold on a bit longer? About just now, I apologize."
1362	雪菜	Setsuna	「北原くんが謝ることなんて何もない。 わたしが酷いこと言っただけだから」	"Kitahara-kun has nothing to apologize for. I'm the one who said those horrible things after all."
1363	春希	Haruki	「いいや俺が悪い。 頼むから謝らせて」	"No, it was my fault. Please allow me to apologize."
1364	雪菜	Setsuna	「そんなの別にいいのに。 わたし、さっき言ったよね？ 明日になれば、ちゃんといつも通りのわたしだよ？」	"Don't worry about that. I said it before didn't I? Tomorrow, I'll be myself again no?"
1365	春希	Haruki	「今日がまだ１時間残ってる」	"There's only an hour of today left..."
1366	雪菜	Setsuna	「え…」	"Eh...."
1367	春希	Haruki	「たとえ１時間でも、 モヤモヤした気持ちでいるのは嫌だから」	"Even so, I hate this gloomy feeling."
1368	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
1369			午後１１時ちょっと過ぎ。	It was slightly after 11pm.
1370			電話口の小木曽の声が、 インターバルを取ってくれた。	There was a pause in Ogiso's voice coming from the phone.
1371	春希	Haruki	「ごめん、小木曽」	"Sorry, Ogiso."
1372			これは、彼女が俺に与えてくれた 最後のチャンスだと信じて、 受話器を握る手に力を込める。	Believing that this was the last chance she was giving me, I tightened my grip on the receiver.
1373	春希	Haruki	「先週の水曜と木曜、冬馬の家に泊まった」	"Last Wednesday and Thursday, I stayed over at Touma's house."
1374			自分に都合のいいことも悪いことも包み隠さず、 正直に、誠実に、愚直に、地道に。	I did not hide what was advantageous and what was detrimental to myself; frankly, honestly, simply, plainly.
1375	春希	Haruki	「朝まで冬馬に練習つきあってもらってた。 …冬馬の家から登校した」	"I practised until morning with Touma....I went to school from her home."
1376			…結局、俺がいつもやってること。	...After all, I've always been like this.
1377	春希	Haruki	「そのこと黙ってた。 わざと小木曽に秘密にしてた。 …ごめんな」	"I kept silent about this. I deliberately kept a secret from Ogiso....I apologize."
1378			小木曽が相手だったからこそ舞い上がってしまい、 結果、今までできていなかったこと。	All the more because Ogiso was a partner that she could not be caught up in this. That's why until now, this was something that I could not do.
1379	雪菜	Setsuna	「どうして、そのことだって…」	"Why are you doing such a thing...."
1380	春希	Haruki	「さっき、小木曽のこと冬馬に相談した。 そしたらバレてるって…」	"Earlier, I discussed your matter with Touma. And everything got leaked out..."
1381			だから、自戒の意味も込めて、 言わなくてもいいかもしれないことまで全部話す。	That was why I again reproached myself and said everything that might have been better off not being said.
1382	雪菜	Setsuna	「そんなこと冬馬さんに聞いたんだ？ …かっこ悪い」	"You asked Touma-san about something like that....? You're really hopeless."
1383	春希	Haruki	「理由、心当たりはあったけど、 確認もせずに決めつけて、もし違ってたら、 小木曽にも冬馬にも悪いと思って」	"Well, I might have a reason, an idea, but to act without any certainty.... I thought that if I was wrong, it would be bad for Ogiso and Touma."
1384	雪菜	Setsuna	「ほんと北原くんって、 安心、安全、安定な男の人だね…」	"Really Kitahara-kun, you are a guy who brings peace of mind, are cautious and is stable eh..."
1385	春希	Haruki	「なんかな… 気がついたらそうなってた」	"I wonder...I realize that must be it."
1386			今までよりも、 さらに人に嫌われる態度かもしれないけど、 要するに俺の本質がそうなんだから仕方ない。	More than ever before, I might have fallen into disfavor with yet another person but at the end, that couldn't be helped as that was what I am.
1387	雪菜	Setsuna	「それじゃ、冬馬さんから聞いたよね？ かっこ悪いわたしのこと…」	"Well then, You heard it from Touma-san huh? I must really seem awful."
1388	春希	Haruki	「いや、冬馬はなにも言ってなかったけど」	"No, Touma never said a single word."
1389	雪菜	Setsuna	「嫌味言って、ふてくされて、練習に身が入らなくて、 場の雰囲気、一人で悪くしちゃって」	"Words dripping with sarcasm, sulking and practising half-heartedly. Just one person and the atmosphere there became so bad."
1390	春希	Haruki	「だから言ってないって…」	"That's why she didn't say anything.."
1391	雪菜	Setsuna	「そっか… 冬馬さん、わたしのこと庇ってくれたんだ。 なんだかわたし、さらにかっこ悪いなぁ」	"I see...Touma-san was covering for me. I must have been even more pathetic then."
1392	春希	Haruki	「小木曽…」	"Ogiso..."
1393	雪菜	Setsuna	「はぁぁぁぁ…もう、やだ。 やっぱり話すんじゃなかった。 わたしのイメージどんどん悪くなってく…」	"Haaaaa...dammit, enough. I knew I would regret telling you. My image is rapidly deteriorating..."
1394	春希	Haruki	「でもさ… 俺、小木曽のかっこ悪いところが好きなんだけどな」	"But....I like Ogiso when she's looking like an idiot."
1395	雪菜	Setsuna	「～～～っ！」	"!"
1396	春希	Haruki	「…なんか今、変な音が」	"...What's with that strange sound just now?"
1397	雪菜	Setsuna	「か、か…かっこ悪いって…どこがよ！」	"I,i...idiot...where!"
1398	春希	Haruki	「えっと、例えばさ… 自分が作り上げた嘘のイメージにハマって、 にっちもさっちもいかなくなるところとか」	"Well, for example...getting swallowed up by that faux image you made up yourself ane ending up driven into a corner."
1399	雪菜	Setsuna	「好きって…どこがよ…」	"Which part of me...do you like..."
1400	春希	Haruki	「人には言えない恥ずかしい趣味を持ってるところとか、 俺なんかの馬鹿につきあってくれる頭の悪さとか」	"Having interests that one is too shy to tell others, being so dumb as to be friens with an diot like me."
1401	雪菜	Setsuna	「変なとこばっかり…」	"That's an odd view..."
1402	春希	Haruki	「だからそう言ってるじゃんか。 なんというか、シンパシーを感じるっていうか」	"Isn't that why I said that? I sympathize with you."
1403			そうだ…	That's right....
1404			最初から俺は、学園一の高嶺の花にして、 ミス峰城大付の大本命と呼ばれる彼女に対して、 失礼な印象ばかりを抱いてた。	From the very beginning, I had been having less than upright intentions towards this unattainable prize of the school; this girl who is the sure candidate for the title of Miss Houjou University.
1405	雪菜	Setsuna	「それはね… 中学時代の、なんにも飾らなかった頃のわたしだよ」	"That....was the me who completely unadorned from my middle school days."
1406	春希	Haruki	「そっか…」	"I see..."
1407	雪菜	Setsuna	「今と違って、すっごく相手に近づいて、ベタベタして、 …とってもかっこ悪かったの」	"Unlike now, I stuck so very close to my peers like glue....how awkward."
1408			妙な親近感を持ってしまったり、 理由も知らずに同情的になってしまったり、 深く考えずに弱みに付け込んだり。
1409	雪菜	Setsuna	「友達たくさんいて、みんなで遊びに行ったり、 昨夜みたいに家に集まってお泊り会やったり…」
1410	春希	Haruki	「そっか…」
1411	雪菜	Setsuna	「すっごく楽しかった。今でも仲いいコいるよ。 たまに電話で話すんだけど、すぐに昔に戻っちゃう。 …付属の友達で、そんなふうに話せるコいないのに」
1412			今となっては、その理由もよくわかる。 なぜなら肝心の本人が、本当にちっともお高くないから。
1413	雪菜	Setsuna	「どうして今のわたしになっちゃったんだろうなぁ…」
1414			それどころか、 『よく知りもしない誰か』の憧れの対象となった自分を、 心のどこかで後悔してたから。
1415	雪菜	Setsuna	「ううん、本当はわかってる。自業自得だって。 それも、馬鹿みたいにくだらない見栄だって」
1416	春希	Haruki	「小木曽…」
1417			自分が綺麗になっていくことに 心がついていけなかった。
1418	雪菜	Setsuna	「でもね… つい最近までは、そんなに気にならなかったよ？ 今の自分だって、そんなに嫌いじゃなかったよ？」
1419			そんな、贅沢だからこそ深刻で、 深刻だからこそ滑稽な悩みを抱くようになったのは…
1420	雪菜	Setsuna	「…北原くんが悪いんだよ」
1421	春希	Haruki	「………俺ぇ！？」
1422			いや、そのきっかけはどうかと思う。
1423	雪菜	Setsuna	「あなたがわたしにどんどん近づいてくるから… 新しい友達を連れてきてしまうから… 楽しそうな目標を見つけてきてしまうから…」
1424	春希	Haruki	「お、おい、小木曽…」
1425	雪菜	Setsuna	「だからわたし、 昔の、友達とベタベタしてた頃を思い出しちゃって、 こうしてるのが一番楽しいなんて、気づいちゃって…」
1426	春希	Haruki	「だから、ちょっと落ち着けって」
1427	雪菜	Setsuna	「そんなふうにしておいて… 『仲間外れがこんなにも怖い』ってことまで 思い出させるなんて酷いよ…」
1428	春希	Haruki	「え…」
1429	雪菜	Setsuna	「みんなとの距離が近ければ近いほど、 ちょっとしたことで、徹底的に仲間外れになるんだよ… 北原くん、そういうの知ってるかな？」
1430	春希	Haruki	「いや…えっと…」
1431	雪菜	Setsuna	「ああ、やだなもう… リアルに思い出してきちゃった。 だから昔のこと話すの嫌だったのに」
1432	春希	Haruki	「楽しい…だけじゃなかったんだ」
1433	雪菜	Setsuna	「だったら人との付き合い方を変えたりしないよ。 わたしだってそこまで馬鹿じゃない」
1434	春希	Haruki	「そっか…」
1435	雪菜	Setsuna	「わたしね… 中三の時、告られたことあるんだ」
1436	春希	Haruki	「そりゃあるだろ」
1437	雪菜	Setsuna	「え？　北原くんあるの！？」
1438	春希	Haruki	「いや、そういう一般的な話じゃなくて…」
1439	雪菜	Setsuna	「………あるの？」
1440	春希	Haruki	「ないに決まってるだろ。 そんなわかりきったことわざわざ言わせないでくれ」
1441	雪菜	Setsuna	「そっか… そなんだ…」
1442	春希	Haruki	「とにかく今は俺の話じゃないから…」
1443			………	.........
1444			小木曽の話は、そこからも何度か脱線を重ね、 ときどき要領を得ないエピソードを差し挟みつつ、 それでもなんとかシリアスに進行した。
1445			中学三年の時の、仲良し五人組の思い出。
1446			バスケ部のエース君からの告白。
1447			けれど彼は、仲良し五人組のリーダー格のコが、 一年の頃からずっと片想いしていた男の子で。
1448			そこから始まる、単純で陰湿な『仲良し三人組』の友情と、 この事態を憂いつつ、どうしたらいいかわからない一人と、 そして、独りぼっちの小木曽雪菜。
1449			小木曽がエース君を振ったことすら、 『仲良し三人組』にとっては許されざる出来事で、 もう二度と修復の機会は訪れはしなかった。
1450			彼女の『たまに電話で話す今でも仲いいコ』は、 その時、中立の立場を貫いた、たった一人だけ。
1451	雪菜	Setsuna	「…人には知られたくない衝撃の過去ってやつ？」
1452	春希	Haruki	「小木曽の場合、それを自分で言っちゃうから…」
1453	雪菜	Setsuna	「あの時は本気でキツかったんだよ… これも人との付き合い方を変えた理由の一つなんだから」
1454	春希	Haruki	「まぁ…そりゃ」
1455			目の前で自分以外の机を固めて楽しそうに弁当を食べたり、 自分が教室に入ってくるとあからさまに黙りこくったり、 プリントをわざと自分を飛ばして後ろに回したり。
1456			小木曽から一つ一つのエピソードを聞くたびに、 少しずつ胃に重いモノが溜まってくるようだった。 しかもそれが先週自分の家に泊まってた親友とかもう…
1457	雪菜	Setsuna	「なのに、どうしてわたし、元に戻っちゃったんだろ？ …北原くんのせいだよ？」
1458	春希	Haruki	「…やっぱり俺のせいなの？」
1459			光栄と言えばこの上なく光栄なんだけど、 それでいいのか小木曽と問い質したくもなる。
1460	雪菜	Setsuna	「ああもう、何言ってんだろわたし。 ごめん、ごめんね。本当に、ごめんなさい」
1461	春希	Haruki	「いや、だから小木曽が謝ることなんて…」
1462	雪菜	Setsuna	「北原くんも、冬馬さんも大好きなのに… 二人が仲良くすることだって、嬉しいはずなのに…」
1463	春希	Haruki	「え…」
1464	雪菜	Setsuna	「でも、そこにわたしがいないことが、なんだか… なんだか、なんだか、ね」
1465	春希	Haruki	「………」	"........."
1466			自分以外の二人だけで練習してたり、 自分だけお泊まりに呼ばれなかったり、 しかもそのことを自分にだけ秘密にされたり。
1467			こっちがどう思ってそうしたかに関係なく、 小木曽が受けた感覚は、たった今俺が味わったものを 数倍苦くしたものかもしれなくて。
1468			………大好き？
1469			ああ、冬馬が。
1470	雪菜	Setsuna	「お祭りの後も、ずっと騒いでいたい。三人でいたい。 お祭り前の日常に戻るのは、もう嫌。 だけど、仲間外れは、もっと嫌、なの」
1471	春希	Haruki	「小木曽…」
1472	雪菜	Setsuna	「…今、何時？」
1473	春希	Haruki	「あ、ああ………０時１０分」
1474	雪菜	Setsuna	「そっか、もうそんなになるんだ。 それじゃあ…日付が変わったから、 もういつも通りのわたしだね」
1475	春希	Haruki	「え？」
1476	雪菜	Setsuna	「昨日は本当にごめんね。 北原くんのこと『格好良くない』なんて、 心にもないこと言っちゃって」
1477	春希	Haruki	「…やっぱり小木曽って少し感覚おかしいぞ」
1478	雪菜	Setsuna	「それじゃ、おやすみ。 …また明日」
1479	春希	Haruki	「え？　あ…」
1480	雪菜	Setsuna	「…ばいばい」
1481	春希	Haruki	「ちょっと待ってくれ小木曽！」
1482	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
1483	春希	Haruki	「………」	"........."
1484	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
1485	春希	Haruki	「………」	"........."
1486	雪菜	Setsuna	「…何よ？ 用があるなら早く言ってよ」
1487	春希	Haruki	「あ、切ってなかったんだ？」
1488	雪菜	Setsuna	「っ！ 切る！　もう絶対切る！」
1489	春希	Haruki	「あ～っ、違う違う！ 音がしなくなったからてっきり…聞いてくれ小木曽！」
1490	雪菜	Setsuna	「知らない！ ぶち切る！ ついでに着信拒否する！」
1491	春希	Haruki	「俺は絶対に小木曽から離れていったりしない！」
1492	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
1493	春希	Haruki	「…って、言いたかった、んだけど…」
1494	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
1495	春希	Haruki	「…切っちゃったか」
1496	雪菜	Setsuna	「っ！？ 切ってない！ 全然繋がったままだよ！」
1497	春希	Haruki	「え？　あ、そうなんだ…」
1498	雪菜	Setsuna	「なに？　今のどういう意味？ もうちょっと具体的に説明してよ！」
1499	春希	Haruki	「え？　あ、えっと…あの…えぇ？」
1500	雪菜	Setsuna	「グダグダしないで！ さっきの勢いはどうしたの！？」
1501	雪菜の母	Setsuna's Mother	「ちょっと雪菜、いつまで電話してるのよ？ 早くお風呂入っちゃいなさい！」
1502	雪菜	Setsuna	「うるさいな～！ 今ものすごく大事な話なんだからちょっと黙っててよ！」
1503	春希	Haruki	「お、小木曽…？」
1504	雪菜	Setsuna	「あ、ご、ごめんね。 お母さんがうるさくって」
1505	春希	Haruki	「いや、お母さんはさほど…」
1506	雪菜	Setsuna	「それで？」
1507	春希	Haruki	「え…」
1508	雪菜	Setsuna	「さっきの、どういう意味？ …説明してくれるまで、切っちゃ駄目だよ？」
1509	春希	Haruki	「あ、いや、だから、その…」
1510	雪菜	Setsuna	「だからぁ、そうやって…」
1511	春希	Haruki	「俺は誓って絶交なんかしない。 されるまで、離れていくことはないから」
1512	雪菜	Setsuna	「あ…」
1513	春希	Haruki	「俺がそういう人間だって小木曽も知ってるだろ？ 誰にでも介入して、呆れられて、 余計なお世話ばかりで、ウザがられて…」
1514	雪菜	Setsuna	「そんな一般的な話が聞きたい訳じゃないんだけどなぁ」
1515	春希	Haruki	「小木曽に呆れられて、ウザがられて、絶交されるまで、 ずっと友達でいるって意味」
1516	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
1517	春希	Haruki	「…まだ具体性に欠けるかな？」
1518	雪菜	Setsuna	「約束だよ？ …約束だよ」
1519	春希	Haruki	「…約束するから」
1520	雪菜	Setsuna	「ん…うん…」
1521	春希	Haruki	「説明、これでいいかな？」
1522	雪菜	Setsuna	「ん…」
1523	春希	Haruki	「じゃ、おやすみ」
1524	雪菜	Setsuna	「うん………っ！？ ちょ、ちょっと待って！ あと一つだけ！」
1525	春希	Haruki	「小木曽…？」
1526	雪菜	Setsuna	「そ、それで、その…」
1527	春希	Haruki	「うん」
1528	雪菜	Setsuna	「なんていうか、その…」
1529	春希	Haruki	「うん？」
1530	雪菜	Setsuna	「…なんにも、なかったんだよね？」
1531	春希	Haruki	「？　なんにもって？」
1532	雪菜	Setsuna	「だ、だから、えっと…」
1533	春希	Haruki	「？？？」
1534	雪菜	Setsuna	「水曜日…はともかく、 木曜日なんて、連泊だし、その…」
1535	春希	Haruki	「………」	"........."
1536	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
1537	春希	Haruki	「………あっ！？」
1538	雪菜	Setsuna	「あ、あったの？」
1539	春希	Haruki	「ちょっ、ちょっと待て！ 小木曽、それは妄想たくましすぎるって！ 恥ずかしいなぁおい！」
1540	雪菜	Setsuna	「そ、そんなにあり得ないことかなぁ？ だって、二晩も一緒に…」
1541	春希	Haruki	「そんなの無理だって。 俺はともかく冬馬が…」
1542	雪菜	Setsuna	「北原くんはともかく？」
1543	春希	Haruki	「あ、いや…」
1544	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
1545	春希	Haruki	「俺だって男ですから、妄想くらいは」
1546	雪菜	Setsuna	「冬馬さん、美人だもんね」
1547	春希	Haruki	「ああ、そりゃもう言うまでもな…」
1548	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
1549	春希	Haruki	「事実だけ言う。 何もあるわけがないし、実際ありませんでした」
1550	雪菜	Setsuna	「………ふふっ」
1551	春希	Haruki	「その見下したような笑いはやめてくれ…」
1552	雪菜	Setsuna	「…それこそ被害妄想だよ北原くん」
1553			なんだか全身がごっそり疲れ果ててるのに、 まるで眠れそうにないくらい目が覚めまくってしまった。
1554			寝ておかないと、明日に響くのになぁ… いや、この調子だと、明日も眠くなれるかどうか。
1555	春希	Haruki	「じゃあ、今度こそおやす…」
1556	雪菜	Setsuna	「待って！ もう一つだけ！」
1557	春希	Haruki	「な…なに？」
1558			ついさっき『あと一つだけ』と 約束したんじゃなかったっけ？
1559	雪菜	Setsuna	「そ、それで、その…」
1560	春希	Haruki	「小木曽ぉ…」
1561			つい今しがたとまったく同じ展開に、 そろそろ泣き言の一つでもと思った瞬間…
1562	雪菜	Setsuna	「わたしのことは、雪菜がいいからね」
1563	春希	Haruki	「いや、だからそれは………？」
1564			その、結構聞き流し慣れてしまった言葉が、 助詞を一つだけ変えて、パワーアップして襲いかかる。
1565			『雪菜“が”いいからね』
1566	雪菜	Setsuna	「中学のときはみんなそう呼んでた。 男子だって女子だって。 仲のいいクラスだったんだよ………夏休みまではね」
1567	春希	Haruki	「そ、そうか、それは良かっ…たのか悪かったのか」
1568	雪菜	Setsuna	「雪菜がいいな」
1569	春希	Haruki	「そ、そう…」
1570	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
1571	春希	Haruki	「………」	"........."
1572	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
1573	春希	Haruki	「………」	"........."
1574	雪菜	Setsuna	「切ってないよ？」
1575	春希	Haruki	「切っていいのに」
1576	雪菜	Setsuna	「雪菜でなきゃやだな」
1577	春希	Haruki	「………」	"........."
1578	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
1579	春希	Haruki	「………雪菜」
1580	春希	Haruki	「そこで切るかそこで！？」
1581			………	.........
1582	かずさ	Kazusa	「あふ…」
1583	かずさ	Kazusa	「ええと… 『孤独なふりをしてるの？ 　なぜだろう　気になっていた』」
1584	かずさ	Kazusa	「…ぷっ」
1585	かずさ	Kazusa	「これをあいつが考えたって？ なんて言うか、なぁ？ あはっ、あはは…」
1586	かずさ	Kazusa	「けど…」
1587	かずさ	Kazusa	「間に合うかな？」
1588	かずさ	Kazusa	「………いや」
1589	かずさ	Kazusa	「間に合わせてみせる」

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