White Album 2/Script/4009
Jump to navigation
Jump to search
Return to the main page here.
Translation[edit]
Editing[edit]
Translation Notes[edit]
Text[edit]
Speaker | Text | Comment | |||
---|---|---|---|---|---|
Line # | JP | EN | JP | EN | |
1 | 夏は、終わった。 朝と夕に、新しい季節を感じさせる涼風が吹く。 | ||||
2 | けれどまだ、秋は始まらない。 昼間に、新しい季節を否定する陽射しが降り注ぐ。 | ||||
3 | 孝宏 | Takahiro | 「姉ちゃん?」 | ||
4 | そんな中途半端に寒暖を繰り返す日々は、 それでも少しずつ、街に溜まった熱を取り去っていく。 | ||||
5 | そう… | ||||
6 | わたしが冬の頃から抱いていた熱も、少しずつ。 | ||||
7 | 孝宏 | Takahiro | 「開けるぞ?」 | ||
8 | 雪菜 | Setsuna | 「…なによ」 | ||
9 | 孝宏 | Takahiro | 「なんだよ、いるなら返事しろよ」 | ||
10 | 雪菜 | Setsuna | 「いるに決まってるじゃない。 窓から脱走でもしてない限り」 | ||
11 | 孝宏 | Takahiro | 「人聞きの悪いこと言うなよ。 誰も監禁なんかしてないぞ?」 | ||
12 | 『されてるのも同じだよ』 | ||||
13 | そんな憎まれ口は、 この一月でもう飽きるほど口にした。 | ||||
14 | 雪菜 | Setsuna | 「それで、なに?」 | ||
15 | 孝宏 | Takahiro | 「晩飯、姉ちゃんの分、冷蔵庫に入れてあるから。 少しでも腹減ったら食べろって母さんが。 | ||
16 | 孝宏 | Takahiro | あ、それとさっきニュースでさ…」 | ||
17 | 雪菜 | Setsuna | 「いらない。 放っておいて」 | ||
18 | 孝宏 | Takahiro | 「いつまでもイジけてんなよ… みんな姉ちゃんのこと心配してんだよ」 | ||
19 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
20 | 先月の、あの日以来、わたしは封じ込められた。 …家族や周囲の優しさという、檻の中に。 | ||||
21 | 夏休みは、酷い体調を引きずったまま、 一歩も外に出られなかった。 | ||||
22 | 夏休みが明けて、仕事には復帰したものの、 しばらくは無理せず、今も残業なしで定時に帰宅してる。 | ||||
23 | 上司は、大した説明もなく納得してくれている。 | ||||
24 | …それほどまでに、その頃のわたしの様子は ただごとじゃなかったのかもしれない。 | ||||
25 | 孝宏 | Takahiro | 「今日は薬飲んだ?」 | ||
26 | 雪菜 | Setsuna | 「…大丈夫だよ」 | ||
27 | 孝宏 | Takahiro | 「飲んだから大丈夫ってこと? それとも、飲まなくても大丈夫だって言ってる?」 | ||
28 | 雪菜 | Setsuna | 「会社にも普通に行ってるじゃない。 全然平気だよ」 | ||
29 | 孝宏 | Takahiro | 「でも、週末になると今みたいにガス欠起こすじゃん」 | ||
30 | 雪菜 | Setsuna | 「それは… | ||
31 | 雪菜 | Setsuna | もういい。 お姉ちゃん寝るから早く出てって」 | ||
32 | 孝宏 | Takahiro | 「まだ九時なんだけど…」 | ||
33 | 雪菜 | Setsuna | 「体調が心配だって言うから早く寝るんじゃない。 もう、どっちなのよ」 | ||
34 | 孝宏 | Takahiro | 「…わかったよ、ごめん。 じゃあ、おやすみ」 | ||
35 | 雪菜 | Setsuna | 「…っ」 | ||
36 | 実際、今のわたしの状態は本当に大したことはない。 | ||||
37 | 一時期の急激な体調不良は、 夏休み以降、なりを潜めた。 | ||||
38 | 朝はまだ少し辛いけれど、 ちゃんと出かける時間までには起きられる。 | ||||
39 | 変な汗もかかなくなったし、電車も普通に乗れるし、 仕事にも大きな支障は出ていない。 | ||||
40 | だからもう、全く問題ない。何もかも元通り。 まずは今までの平日を取り戻し、 すぐに今までの週末も取り戻す。 | ||||
41 | …けれど、そんなわたしの言い分は、 家族には通用しなかった。 | ||||
42 | お父さんは、わたしの週末の外出に反対するようになった。 | ||||
43 | 以前と同じ生活に戻れば、同じ症状を繰り返すだけだと。 | ||||
44 | 今は無理をしていないから、 ストレスになる要因がないから、 治ったと勘違いしているだけだと。 | ||||
45 | つまりそれって… | ||||
46 | お父さんは、わたしのストレスの要因が、 週末にあると思っているってこと。 | ||||
47 | ……… | .........
| |||
48 | 孝宏は、今みたいに妙にわたしを気づかうようになった。 | ||||
49 | そりゃ、今までも優しい弟ではあったけれど、 今はまるで腫れ物に触るみたいにわたしに接する。 | ||||
50 | いつもの口答えがあからさまに減った。 喧嘩なんて、小さいのも大きいのもしなくなった。 | ||||
51 | …だから、竹を割ったような仲直りも減った。 なんだか、最近はいつも微妙な雰囲気で会話が終わる。 | ||||
52 | そして、一番辛いのが、お母さんの反応で… | ||||
53 | わたしの行動を強く否定しない。 必要以上に気づかったりもしない。 ほんの少し遠くから見つめてくれている。 | ||||
54 | けれど、一度見てしまった… | ||||
55 | 真夜中に喉が渇いて目が覚め、階下に降りたとき、 真っ暗な台所で、力なく静かに涙するお母さんの姿を。 | ||||
56 | 雪菜 | Setsuna | 「んっ…」 | ||
57 | そんなことがあってから、 階下に降りるのも億劫になって、 週末はほとんど部屋から出ることはなく… | ||||
58 | だから、たった一駅先の南末次にすら行けずにいる。 | ||||
59 | わざと聞こえるように大きめに足音を立て、 今日初めて下りてきたリビングには、 もう、誰もいなかった。 | ||||
60 | 冷蔵庫を開けると、孝宏の言う通り、 夕食のおかずが一人分、ラップにくるまれて 真ん中の棚を独占している。 | ||||
61 | けれどわたしは、そっちには触れることなく、 九月になってもまだ現役な麦茶のボトルを手に取る。 | ||||
62 | 雪菜 | Setsuna | 「んっ…」 | ||
63 | テーブルに座り、コップに注いだ麦茶を一気にあおる。 | ||||
64 | 冷たいお茶が、喉から胃にかけて染み込み、 少しだけお腹に痛みを感じる。 | ||||
65 | そのまま力なく天井を見上げると、 誰もいない静かなリビングが、 わたしをあざ笑っているかのように思えてしまう。 | ||||
66 | 『ほうら、今なら誰も見ていないよ?』 | ||||
67 | 『堂々と出て行けるよ?』 | ||||
68 | 『彼のもとに、行けるんだよ?』 | ||||
69 | 雪菜 | Setsuna | 「っ…」 | ||
70 | そうやって、わたしの欺瞞を、突きつける。 | ||||
71 | 家族がどうこうなんて、言い訳に過ぎないって。 | ||||
72 | わたしの足が動かないのは、わたしの意志なんだって。 ただ、わたし一人が怖がっているだけなんだって… | ||||
73 | 夏休みが終わって。 夏が終わって。 | ||||
74 | それでもわたしは、 春希くんに追い返されたあの日から、 一歩も前に進めていない。 | ||||
75 | 誰のせいでもなく、自分の意志で。 | ||||
76 | 家族が反対してくれるのをいいことに、 家という檻…ではなく籠の中に、保護されている。 | ||||
77 | 一度離してしまった彼との距離は、 ふたたび詰めるには、 とても息苦しく感じるようになった。 | ||||
78 | 今すぐ詰めてしまうと、 彼に疎まれてしまうかもしれない。 わたしが彼を疎んじてしまうかもしれない。 | ||||
79 | 彼をさらに深く傷つけてしまうかもしれない。 わたしがふたたび傷ついてしまうかもしれない。 | ||||
80 | けれど、このまま離れてしまうと、 彼に忘れ去られてしまうかもしれない。 彼を忘れ去ってしまうかもしれない。 | ||||
81 | 彼が、今よりもっと壊れてしまうかもしれない。 逆に、離れたことによって安らいでしまうかもしれない。 | ||||
82 | わたしが、彼を失った喪失感に耐えられないかもしれない。 …耐えきって、何事もなかったかのように 今までと違う人生を歩むかもしれない。 | ||||
83 | …何もかもが怖い、怖すぎる。 | ||||
84 | わたしは彼を愛してる。 そしてわたしは、彼の重荷になっている。 それは、どちらも紛れもない本当のこと。 | ||||
85 | じゃあ彼は、わたしを愛してくれているのかな? そして彼は、わたしの重荷になっているのかな? | ||||
86 | …わたしは、彼を信じ切れているのかな? | ||||
87 | “彼女”みたいに、 盲目的に付き従うことができるのかな…? | ||||
88 | …こんな、猜疑心の強い女の子、 彼に相応しくないのかな。 | ||||
89 | 彼女なら、どうなのかな? | ||||
90 | もしかして、わたしが悩んでいることなんか、 彼女にとっては何の障害にもならないのかな。 | ||||
91 | 彼のために何ができるかじゃなくて、 彼のために何かをしたいという意志で、 わたしは彼女の足元にも及ばないんじゃないかな… | ||||
92 | ねぇ、どうなの? 教えてよ、かず… | ||||
93 | ナレーション | 「冬馬かずさ、新たな世界への挑戦」 | |||
94 | 雪菜 | Setsuna | 「っ…」 | ||
95 | ナレーション | 「今年の冬に 日本で旋風を巻き起こしたあの冬馬かずさが、 とうとうヨーロッパにて本格的に活動を再開」 | |||
96 | ナレーション | 「その第一弾は、 フランツ・デュプレ・オーケストラとの協演」 | |||
97 | ナレーション | 「CS東亜では、このコンサートの模様を 独占生中継でお送りいたします!」 | |||
98 | 雪菜 | Setsuna | 「かず、さ…?」 | ||
99 | 『それとさっきニュースでさ…』 | ||||
100 | ……… | .........
| |||
101 | 美代子 | Miyoko | 「お電話ありがとうございます。 こちらは、株式会社冬馬曜子オフィス日本支部です」 | ||
102 | 美代子 | Miyoko | 「大変申し訳ありませんが、 現在、当オフィスは業務を休止しております」 | ||
103 | 美代子 | Miyoko | 「お急ぎのご用がありましたら、 冬馬曜子オフィス欧州本部に連絡をお願いします。 電話番号は…」 | ||
104 | ……… | .........
| |||
105 | かずさ | Kazusa | 「どうしちゃったんだよ…美代子さん」 | ||
106 | もう、三か月も繋がらない。 もしかして日本支部、閉鎖してしまったんだろうか。 | ||||
107 | 母さんも、相変わらず面会ができない状態のまま、 コンサートまで、あと一週間を切った。 | ||||
108 | けれど今、あたしの声は、誰にも届かない… | ||||
109 | かずさ | Kazusa | 「はぁ…」 | ||
110 | ベッドに身体を横たえると、 気持ち悪い疲れが、じわりと全身に染み込む。 | ||||
111 | オケの全体練習は日々激しさを増し、 眠る暇もないほど時間に忙殺されている。 | ||||
112 | …あたしと、指揮者と、 あと、弦だけは。 | ||||
113 | 金管は相変わらずカードに興じ、 木管はもう少し近代的に、 日本の携帯ゲーム機で通信対戦を楽しみ始めた。 | ||||
114 | けど、誰も注意しないし、誰も怒らない。 | ||||
115 | …なんて、当たり前だ。 これで五回目の全体練習なのに、彼らの出番は 今までの分を全部合わせても一時間にも満たない。 | ||||
116 | 本来なら、彼らの方が怒って来なくなっても当然なのに、 あたしの途切れ途切れのピアノと、粘着指揮者の罵倒を さらりと聞き流しつつ日々無駄な時間を消費している。 | ||||
117 | 本当に大丈夫なのか? あのオケ? | ||||
118 | …いや、大丈夫じゃないのは、あたしの方か。 | ||||
119 | かずさ | Kazusa | 「何が駄目なんだよ…」 | ||
120 | どう考えても難しい曲じゃない。 譜面通りという意味では、 未だに一度もミスなんかしてない。 | ||||
121 | …けれど、母さんが生涯で一番弾いた曲。 世界各地で、喝采を浴びた曲。 | ||||
122 | つまり、そこにはきっと、 譜面に現れない深いニュアンスが隠れている。 | ||||
123 | あの馬鹿指揮者は、それを教えてくれない。 ひたすらリテイクを繰り返し、 クリアできるまで、決して前に進ませない。 | ||||
124 | もしかして… 『自分に流れている血に聞け』 とでも言うつもりなんだろうか。 | ||||
125 | 全体練習は、あと1回… | ||||
126 | ここまで準備が進んでいないとなれば、 本来なら中止を検討するタイミングだった。 | ||||
127 | それでもこのコンサートは中止にならないし、 最終的に誰も損はしないらしい。 | ||||
128 | なぜなら先日、このコンサートに冠スポンサーが付いた。 | ||||
129 | それも、現地の楽器メーカーや雑誌社とかじゃなく、 木管たちが今遊んでいるゲーム機を作っている 日本の家電メーカーだった。 | ||||
130 | …そう、このコンサートはいつの間にか、 あの指揮者の言う通り、 『冬馬かずさちゃんのお遊戯発表会』に成り下がった。 | ||||
131 | そして、そんなふうに黒字が保証された途端、 奴の態度は豹変した。 | ||||
132 | けれどそれは、あたしに気を使ったり、 練習の手を抜くようになったという方向性じゃなくて… | ||||
133 | デュプレ | 「素晴らしい! さすが日本人だ!」 | |||
134 | デュプレ | 「こんな下手なピアニストのために 大金をドブに捨てる企業があるとは… 私も日本人に生まれたかったね、実に残念だ」 | |||
135 | デュプレ | 「彼らはドイツ人のように真面目だと聞いたが、 ドイツ人のように倹約家ではないらしいな」 | |||
136 | デュプレ | 「ああいいともいいとも、 どれだけでも時間を掛けたまえ」 | |||
137 | デュプレ | 「どうせコンサートが延期したとしても、 君の優秀なスポンサーが全て何とかしてくれるさ」 | |||
138 | かずさ | Kazusa | 「………っ!」 | ||
139 | …こんなふうに、 あたしを罵倒する方向性にバリエーションが増えただけ。 | ||||
140 | 本当にさ… なんで一時期とは言え、あんな奴と… | ||||
141 | あんた男の趣味悪いよ…母さん。 | ||||
142 | 『なぁ、母さん… あたしのピアノって、やっぱりお遊戯なのかな?』 | ||||
143 | 『な~んだ、わかってんじゃない。 …あなた自身、自分のピアノに納得できてないってこと』 | ||||
144 | 『………っ』 | ||||
145 | 『ま~そうね。 確かに今のあなたのピアノでお金を払うのは 日本人くらいね』 | ||||
146 | 『パリに入ってからさ、 ピアノとうまく会話できないんだ…』 | ||||
147 | 『普通しないわよそんなキモいこと』 | ||||
148 | 『たとえだろたとえ! …そりゃ、あたしがキモいのは認めるけどさ』 | ||||
149 | 『…で、あなたのピアノちゃんはなんて言ってるの?』 | ||||
150 | 『本物のオケの音に跳ね返される。 …まだヴァイオリンしか相手にしてないのに』 | ||||
151 | 『原因に心当たりは?』 | ||||
152 | 『決まってんだろそんなの! …あんたが、いないからだ』 | ||||
153 | 『かずさ…』 | ||||
154 | 『どうしてあたしを護ってくれないんだよ。 どうしてあたしにこんな試練を与えるんだよ…』 | ||||
155 | 『…ごめん』 | ||||
156 | 『謝らなくていい。 ただ、側にいればいいんだよ… ずっと、あたしを護ってくれればいいんだよ…っ』 | ||||
157 | 『………ごめんね』 | ||||
158 | ……… | .........
| |||
159 | かずさ | Kazusa | 「………っ」 | ||
160 | そうさ… あたしは、キモいんだ。 | ||||
161 | こんなふうに、想像の中でしか人と触れ合えないんだ。 好きな人と、話せないんだ… | ||||
162 | だって、あたしが好きになった人は、 みんな、あたしから離れていってしまうから… | ||||
163 | 結局、今あたしの側に残ってくれてるのは、 師匠であるフリューゲルの爺さんだけ。 | ||||
164 | けれど、今は話せない。 だってあの人には、 未だに母さんの状態さえ話せていないのだから。 | ||||
165 | 一番の愛弟子が、自分より先に逝くかもって知ったら、 長生きする気力を失ってしまうかもしれない。 | ||||
166 | かずさ | Kazusa | 「ほんっと…友達いないな、あたし」 | ||
167 | あたしは、今まで世界を拒絶してきた。 | ||||
168 | 母さんさえ、ほんの少しの理解者さえ、そして… | ||||
169 | そんな、とても小さな世界で、 ひっそり生きていけるって思ってた。 | ||||
170 | …今になって、 そんな自分勝手な願いを押し通そうとした ツケを払わされてるのかな? | ||||
171 | 二人じゃなくて、三人で… そして、みんなでいようって… | ||||
172 | そう言ってくれた、親友になろうとしてくれた、 “彼女”を裏切った罰が、 今になって当たってるのかな? | ||||
173 | ねぇ… | ||||
174 | 誰か、聞いてよ。 あたしの話を。 あたしの、ピアノを。 | ||||
175 | あたしは大丈夫だって、 絶対に成功するって、母さんは元気になるって、 嘘でもいいから、言ってよ… | ||||
176 | かずさ | Kazusa | 「やめろ…」 | ||
177 | 指が、勝手に動く。 | ||||
178 | とっくにメモリから消した、 記憶にしか残っていない番号を押そうとする。 | ||||
179 | でも…あいつはダメだ。 だって、誓ったんだ。 | ||||
180 | かずさ | Kazusa | 「やめろよ…っ」 | ||
181 | もう、二度と会わないって。 二度と、話さないって。 二度と…愛さないって。 | ||||
182 | あたしは、あたしは… | ||||
183 | ……… | .........
| |||
184 | 雪菜 | Setsuna | 「冬馬曜子オフィス欧州本部…」 | ||
185 | メモ帳に書き留められた、 国番号も含めた長い電話番号。 | ||||
186 | 以前、何かの時のためにって登録しておいた 『冬馬曜子オフィス東京支部』の留守番電話が ずっと機械的に流している番号。 | ||||
187 | かずさ、頑張ってる… | ||||
188 | わたしなんかより、ずっと、ずっと頑張ってる… | ||||
189 | 世界に、大きく羽ばたこうとしてる。 遠いところの人間になろうとしてる。 | ||||
190 | パリの大舞台に立って、 世界的なオーケストラと協演を果たそうとしてる。 | ||||
191 | わたしが地元のライブハウスの舞台にすら立てない ちょうどその時に… | ||||
192 | …なんて、比べるのもおこがましいけど、 けれどそれは、確かに同じ時間での出来事なんだ。 | ||||
193 | 雪菜 | Setsuna | 「っ…」 | ||
194 | …だからってわたしは、 一体何をしようとしてるんだろう? | ||||
195 | なぜ、かずさと連絡を取ろうとしているんだろう? 彼女と話して、どうしようっていうんだろう? | ||||
196 | 一世一代の大舞台を控えたかずさに、 なんて爆弾を放り込もうとしてるんだろう? | ||||
197 | わからない… 自分でも、なんでそんなことをしようとしてるのか、 よくわからない。 | ||||
198 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
199 | けれど… | ||||
200 | かずさがこうして健在だってわかった今。 努力も、成果も出しているってわかった今。 | ||||
201 | 春希くんが、かずさと別れてからずっと苦しんでいる今。 日本にいる誰にも、彼を救えないかもしれない今。 | ||||
202 | そしてわたしが、折れてしまいそうな今。 彼を、支えきれなくなってしまいそうな、今… | ||||
203 | もし、わたしたち三人が、 お互いの、今の境遇を知ったなら…? | ||||
204 | 今の彼女は、彼のことをどう思ってるんだろう… | ||||
205 | 努力して、成功して、忙しくて、 そんなこと考えてる余裕もない? | ||||
206 | そして、今の彼女にとっては、何が幸せなのかな…? | ||||
207 | 子供の頃からの目標だった、 お母さんの後を継ぐことができて、 そこにもう、他の幸せが入り込む余地はない? | ||||
208 | ううん、本当はわかってる。 確信がある。 | ||||
209 | どれだけ有名になっても、 世界中の人たちに認められ、愛されたとしても… | ||||
210 | かずさが本当に愛して欲しいと願っている人は、 一握りもいないんじゃないかって。 | ||||
211 | そして、その人たちに愛されることこそが、 かずさの、一番の幸せなんじゃないかって。 | ||||
212 | じゃあ、じゃあさ、 やっぱり、わたしさえいなければ… | ||||
213 | わたしが横恋慕しなかったら。 わたしが三人の運命の糸を弄んだりしなかったら… | ||||
214 | 春希くんは、壊れたりしなかったのかな? …かずさと、幸せになってたのかな? | ||||
215 | そのとき、わたしはどうしてたのかな? | ||||
216 | ただ、彼がいない世界で、普通に暮らしてたのかな? | ||||
217 | 今と同じ家族に囲まれ、今とは少し違う友達に囲まれ、 それなりに、幸せだったのかな? | ||||
218 | そして春希くんとかずさは、 今より幸せになっていたのかな? | ||||
219 | 春希くんが頼もしい春希くんのままで、 かずさが、ただ可愛いかずさのままで、 当たり前のように、二人のままで。 | ||||
220 | わたしさえいなければ、 何もかも、うまく… | ||||
221 | 雪菜 | Setsuna | 「え…」 | ||
222 | そして、最後の番号をプッシュしようとした直前… | ||||
223 | 机の上の携帯が、先に着信を知らせた。 | ||||
224 | ……… | .........
| |||
225 | かずさ | Kazusa | 「どこにかけてんだよ…あたし」 | ||
226 | 絶対に許されない番号。 日本で二番目に、かけたらいけない番号。 | ||||
227 | 雪菜の、ところ。 | ||||
228 | 春希と、日本で幸せに暮らしている… 社会の中で、たくさんの人と触れあって生きている。 | ||||
229 | そんな、あたしとは正反対の、憧れのひとのところ。 親友だった…初めて、そうなってくれたひと。 | ||||
230 | なのに、あたしがぶち壊した。裏切った。 しかも、二度も。 | ||||
231 | どれだけ罵倒されても何も言えない。 こっちから連絡を取るなんて、正気の沙汰じゃない。 | ||||
232 | けど、それでも… | ||||
233 | かずさ | Kazusa | 「雪菜…」 | ||
234 | 声、聞きたい。 | ||||
235 | 六年前の空気に触れたい。 | ||||
236 | 少しだけでいい… 元気を、幸せを分けて欲しい。 | ||||
237 | あいつとの、のろけ話でもいい。 ………うん、それでもいいんだ…っ。 | ||||
238 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
239 | でも、やっぱり無理だった。 | ||||
240 | ほら、こんなに鳴らしてるのに出ない。 | ||||
241 | きっと彼女は、 こんな忌むべき番号なんてアドレス帳から消している。 | ||||
242 | そして、もし着信画面が あたしの名前を表示していたとしても… | ||||
243 | いや、だからこそ、出てくれるはずなんか… | ||||
244 | かずさ | Kazusa | 「あ…っ」 | ||
245 | ……… | .........
| |||
246 | 雪菜 | Setsuna | 「…久しぶり、かずさ」 | ||
247 | かずさ | Kazusa | 「雪菜…」 | ||
248 | なんて、偶然… | ||||
249 | 雪菜 | Setsuna | 「変えてなかったんだね…番号」 | ||
250 | かずさ | Kazusa | 「雪菜も… あたしのアドレス、消してなかったんだ」 | ||
251 | 雪菜 | Setsuna | 「消すわけ、ないよ」 | ||
252 | かずさ | Kazusa | 「…ありがとう」 | ||
253 | ううん、違う。 偶然なのはタイミングだけ。 | ||||
254 | わたしたちがこうしてこの時期に言葉を交わすのは、 たぶん、必然… | ||||
255 | 雪菜 | Setsuna | 「本当に、久しぶりだね…」 | ||
256 | かずさ | Kazusa | 「うん…六年、かな」 | ||
257 | 雪菜 | Setsuna | 「そっか…」 | ||
258 | そういえば、この前の冬… | ||||
259 | ストラスブールでも、日本でも、 わたしたちは、一度も… | ||||
260 | 雪菜 | Setsuna | 「あ、でもコンサートは見たよ。追加公演の方。 かずさ、すごかったよ」 | ||
261 | かずさ | Kazusa | 「………あたしも、ライブ、見たんだ。 雪菜、輝いてた」 | ||
262 | 雪菜 | Setsuna | 「ありがとう…」 | ||
263 | でも今は、全然駄目なんだよ。 ライブも、出られないんだよ。 | ||||
264 | 輝くことなんか、もう、ないんだよ… | ||||
265 | 雪菜 | Setsuna | 「あ、そういえば、かずさ、今パリだよね? だとすると、夕方の…えっと、五時くらい?」 | ||
266 | かずさ | Kazusa | 「あ、ごめん、そっち夜中だっけ」 | ||
267 | 雪菜 | Setsuna | 「ううん大丈夫。 今日、土曜だもん。 明日お休みだよ」 | ||
268 | かずさ | Kazusa | 「そっか、そんならよかった…」 | ||
269 | 雪菜 | Setsuna | 「そんなことよりもパリだよ! コンサートだよ! 大成功だねかずさ!」 | ||
270 | 自分の浮き立つ声が、あからさまに滑ってるのがわかる。 | ||||
271 | 駄目だ、こんなの違う。 | ||||
272 | これじゃ、ますます距離が離れてしまう。 心が、遠ざかってしまう。 | ||||
273 | こんなんじゃ、話せない。 今の春希くんのこと、今のわたしのこと、話せないよ… | ||||
274 | ……… | .........
| |||
275 | かずさ | Kazusa | 「成功なんて… だいたい、コンサートは来週だ」 | ||
276 | 違うんだよ、雪菜。 | ||||
277 | 今のあたし、全然駄目なんだよ。 何もかも失ってしまいそうなんだよ。 | ||||
278 | 最後の一葉が、散ってしまいそうなんだよ。 | ||||
279 | 雪菜 | Setsuna | 「だって、すっごい有名なオーケストラとの 協演なんでしょ? そんなところが組んでくれただけで、もう成功じゃない」 | ||
280 | かずさ | Kazusa | 「相手が有名だからこそ、 失敗したらもう二度と相手にしてくれなくなるんだぞ。 こっちの客のシビアさ、知らないだろ」 | ||
281 | 雪菜 | Setsuna | 「それでも大丈夫! できるよ、かずさなら…」 | ||
282 | かずさ | Kazusa | 「っ… その言葉、軽々しく言うな…」 | ||
283 | 雪菜 | Setsuna | 「ぁ………ごめん。 わたし、調子に乗って…」 | ||
284 | 何やってんだよ… | ||||
285 | 違うだろ。 謝るのは、こっちだろ… | ||||
286 | かずさ | Kazusa | 「い、いや…こっちこそごめん。 怒るところじゃないよな…」 | ||
287 | 自分が雪菜になにしたか、わかってるのかよ… | ||||
288 | 謝らないと、先に進めないだろ。 話を、聞いてもらえないだろ。 | ||||
289 | 挨拶と近況をなぞるだけで終わってしまうだろ。 勇気を振り絞って話しかけた目的、果たせないだろ… | ||||
290 | なのに、どうして怒っちゃうんだよ、あたし。 | ||||
291 | 雪菜 | Setsuna | 「ううん…わたしが、不注意だった。 言っちゃいけない言葉だった。 …本当に、ごめんなさい」 | ||
292 | かずさ | Kazusa | 「雪菜…」 | ||
293 | それに… | ||||
294 | 『大丈夫。できるよ、北原なら』 | ||||
295 | あたしだけじゃなくて、 どうして雪菜まで、覚えてるんだよ… | ||||
296 | ……… | .........
| |||
297 | かずさ | Kazusa | 「えっと、それでさ… 雪菜の方は、元気でやってるか?」 | ||
298 | 雪菜 | Setsuna | 「う、うん! 最近、だいぶ忙しくなってきたよ。 二年目にもなると、もう新人扱いじゃないからね」 | ||
299 | かずさ | Kazusa | 「レコード会社の広報だっけ? 凄いよな、かなりの狭き門なんだろ?」 | ||
300 | 雪菜 | Setsuna | 「ううん、そんなこと… | ||
301 | 雪菜 | Setsuna | まぁ、確かに人手は少ないけどね、あはは」 | ||
302 | だから馬鹿、何言ってるのよ? わたし、何のためにかずさに連絡取ろうとしたのよ。 | ||||
303 | それなのに、嘘までついてどうするのよ。 誰が元気なのよ、平気だっていうのよ… | ||||
304 | かずさ | Kazusa | 「えと、それでさ…」 | ||
305 | 雪菜 | Setsuna | 「う、うん」 | ||
306 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
307 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
308 | そして、話を広げさえしないでどうするのよ。 | ||||
309 | かずさが聞きたいこと、わかってるのに、 嘘ついて、秘密にして… | ||||
310 | 春希くんのこと、どうして口に出さないのよ。 | ||||
311 | かずさ | Kazusa | 「あ、あのさ、雪菜」 | ||
312 | 雪菜 | Setsuna | 「うん…」 | ||
313 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
314 | 雪菜 | Setsuna | 「か、かず…」 | ||
315 | かずさ | Kazusa | 「ごめん…」 | ||
316 | 雪菜 | Setsuna | 「え…っ」 | ||
317 | かずさ | Kazusa | 「あたし、お前に電話できる資格なんかないのに。 なのに、こんな厚かましい真似…」 | ||
318 | 雪菜 | Setsuna | 「そんなことない! わたし、かずさに謝られることされた覚えなんかないよ」 | ||
319 | かずさ | Kazusa | 「雪菜…」 | ||
320 | 雪菜 | Setsuna | 「何も、ないんだよ…」 | ||
321 | まただ… また、やっちゃった。 | ||||
322 | わたしがかずさの謝罪を止めたのは、 それが間違っているっていう信念からじゃない。 | ||||
323 | ただ、怖かったから。 謝られたら、負けるから。 | ||||
324 | 今の春希くんのこと、 話さない訳にはいかなくなるから… | ||||
325 | 彼のことを話すために、 かずさと連絡を取ろうとしてたのに。 …最初から、負けるつもり、だったのに。 | ||||
326 | なのに、足がすくむ。 恐怖で思考が停止する。 | ||||
327 | わたしにとって、 春希くんにとって、 そして、かずさにとって… | ||||
328 | もしかしたら、 新しい幸せを探す道筋になるのかもしれないのに。 | ||||
329 | それなのに、 わたしだけに、破滅の道が開かれるのを恐れてる。 | ||||
330 | 相変わらず、酷い自己中だね、わたし… | ||||
331 | ……… | .........
| |||
332 | かずさ | Kazusa | 「そっか…あの弟くんも今じゃ峰城大生なんだ。 小木曽家はみんな優秀だな」 | ||
333 | 雪菜 | Setsuna | 「優秀だなんて全然。 せっかく付属にいたのに推薦すら取れなくて 一般入試でギリギリだったんだから」 | ||
334 | かずさ | Kazusa | 「…それは、推薦取れなかったどころか、 卒業までギリギリだったあたしに対する嫌味か?」 | ||
335 | 雪菜 | Setsuna | 「あ~…そういえばそんなこともあったねぇ」 | ||
336 | かずさ | Kazusa | 「こいつ…」 | ||
337 | 雪菜 | Setsuna | 「あはは、ごめん。 あ、それで話は変わるけどさ…」 | ||
338 | かずさ | Kazusa | 「うん…」 | ||
339 | それからも… あたしたちの会話は、 ずっと差し障りのない内容に終始してた。 | ||||
340 | 今みたいに、付属の話に繋がっても、 そこで勉強会や学園祭の話にはならない。 | ||||
341 | あたしも、コンサートの話になっても、 そこから母さんの話に繋げようとしない。 | ||||
342 | 久しぶりだから、だろうか。 なかなか、雪菜との距離感が掴めない。 | ||||
343 | …なんて、あたしがそういうことできないのは当たり前か。 何しろ、二十を過ぎても引きこもりだし。 | ||||
344 | どうしよう… | ||||
345 | 聞きたい…春希のこと。 | ||||
346 | あいつが幸せにしてるか、頑張ってるか、確かめたいんだ。 | ||||
347 | 話したい…本当の、今のあたしのこと。 | ||||
348 | 母さんのこと、コンサートのこと、将来のこと… 少しでいい、聞いてもらいたいんだ。 わかってもらいたいんだ。 | ||||
349 | だから… | ||||
350 | かずさ | Kazusa | 「えっと、そろそろ…」 | ||
351 | 雪菜 | Setsuna | 「え? あ、もうこんな時間か。 ごめんねかずさ、忙しいのに長々と喋っちゃって」 | ||
352 | かずさ | Kazusa | 「いや…そんなこと」 | ||
353 | いや、もういい。 | ||||
354 | それを聞くと、また、あたしの罪と、雪菜の傷に触れる。 | ||||
355 | 結局、堂々巡りじゃないか。 | ||||
356 | かずさ | Kazusa | 「ありがとな、雪菜。 こんなあたしと話をしてくれて」 | ||
357 | 結局、愚痴もこぼせなかった。 悩み、聞いてもらえなかった。 | ||||
358 | 春希のこと、聞けなかった。 何の成果もなかった。 | ||||
359 | 雪菜 | Setsuna | 「…また、かけてね?」 | ||
360 | かずさ | Kazusa | 「雪菜も」 | ||
361 | 雪菜 | Setsuna | 「うん…」 | ||
362 | ううん、そんなことはない。 雪菜と、話せた。 | ||||
363 | 謝れなかったけれど、雪菜は受け入れてくれた。 | ||||
364 | お互い、仮面を被ったままだったけれど、 仲直り、できてないけれど、 それでも笑ってくれた。 | ||||
365 | それだけでいい。 これで、明日からまた頑張っていける。 | ||||
366 | かずさ | Kazusa | 「おやすみ」 | ||
367 | 雪菜 | Setsuna | 「おやすみなさい」 | ||
368 | だから… | ||||
369 | かずさ | Kazusa | 「………っ」 | ||
370 | いや…違うだろ。 | ||||
371 | かずさ | Kazusa | 「雪菜! あたし…っ」 | ||
372 | 雪菜 | Setsuna | 「ごめんなさいっ!」 | ||
373 | かずさ | Kazusa | 「え…?」 | ||
374 | ……… | .........
| |||
375 | 雪菜 | Setsuna | 「ごめんなさい、かずさぁ! わたし、できないかもしれない!」 | ||
376 | かずさ | Kazusa | 「せ、雪菜…?」 | ||
377 | 頭の中が、真っ白に染まった。 | ||||
378 | 雪菜 | Setsuna | 「春希くんを… わたしたちの、あのひとを救えないかもしれない!」 | ||
379 | かずさ | Kazusa | 「な…」 | ||
380 | 自分が今、何を叫んでいるのか、よくわからない。 | ||||
381 | 雪菜 | Setsuna | 「ごめんなさい、ごめんなさい! あなたに託されたのに! 譲ってもらったのに! このままじゃ護りきれないよぉ…っ!」 | ||
382 | かずさ | Kazusa | 「なんで…」 | ||
383 | けれど、これだけはわかる。 | ||||
384 | 今こうしないと、また、いなくなってしまう。 | ||||
385 | 雪菜 | Setsuna | 「う、う、う… うわああああああああああああ~!!!」 | ||
386 | かずさ | Kazusa | 「なんでそんなことになってんだよ!?」 | ||
387 | 春希くんを救うことのできる女神が。 | ||||
388 | わたしに、道を指し示してくれる、しるべが… | ||||
389 | ……… | .........
| |||
390 | かずさ | Kazusa | 「わかってんのか? 自分が何をしでかしたか本当にわかってるのか雪菜!?」 | ||
391 | 雪菜 | Setsuna | 「うぐ、ひぅっ、う、う…あああああ…っ、 ごめ、ごめんっ、許してぇ…っ 許してかずさ!」 | ||
392 | かずさ | Kazusa | 「あたしがどれほど泣いたか! 身を切られる思いで諦めたか!」 | ||
393 | 雪菜 | Setsuna | 「わかってる! そんなのわかってるよぉ!」 | ||
394 | かずさ | Kazusa | 「それもこれも、雪菜だから… あいつを救えるのはお前だけだって信じてたから!」 | ||
395 | 雪菜 | Setsuna | 「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! でも、こっちだって辛かったんだよ! 苦しかったんだよ!」 | ||
396 | かずさ | Kazusa | 「だからって諦めるのかよ! あいつを、見捨てるのかよ!?」 | ||
397 | 雪菜 | Setsuna | 「けど、けどっ! 元はと言えばあなたが諦めるから! 彼の手を、離してしまうからっ!」 | ||
398 | かずさ | Kazusa | 「お前がそれを言うのかぁっ!? 最初に取ったのはそっちのくせに! あたしから春希、奪ったくせに!」 | ||
399 | なんだよ、こいつ… | ||||
400 | 雪菜 | Setsuna | 「どうしよう、ねぇどうしようかずさ!? 助けて、助けてよぉっ!」 | ||
401 | わかってたけど、 なんて自己中なんだよ、この女…っ | ||||
402 | かずさ | Kazusa | 「都合の悪いところだけ無視して 悲劇のヒロイン気取るなよ! だいたい、本当に助けて欲しいのはこっちなんだ!」 | ||
403 | 雪菜 | Setsuna | 「何言ってるのよ! そっちはヨーロッパでも大活躍してるくせに!」 | ||
404 | 本気で、腹が立った。 | ||||
405 | かずさ | Kazusa | 「違う! あたしの方がよっぽど辛いんだ! 母さんなんかな… あたしの、母さんなんかなぁ…っ!」 | ||
406 | こっちは、愛する人の生死を抱えて、 死にもの狂いで戦っているってのに… | ||||
407 | こいつは、自分の愛した男一人、 支えることができなかったなんて… | ||||
408 | ……… | .........
| |||
409 | 雪菜 | Setsuna | 「う…うああああ… うううううぅあああああああああ~!!!」 | ||
410 | かずさ | Kazusa | 「だから、どうして雪菜が泣くんだよ! お前には関係のない話じゃないか!」 | ||
411 | 雪菜 | Setsuna | 「けど、けど…っ、 そんな、お母さんが…そんなぁ!」 | ||
412 | かずさ | Kazusa | 「お前の母さんじゃない。 あたしのだ!」 | ||
413 | 雪菜 | Setsuna | 「どうするの? どうするのよ!? そんな、嫌だよ。 どうして今、側にいてあげないのよ!」 | ||
414 | かずさ | Kazusa | 「母さんが聴きたいって言ったんだ。 あたしのコンチェルト、聴きたいって言ったんだ!」 | ||
415 | 雪菜 | Setsuna | 「だからって、だからって! 一生、後悔することになったら…っ?」 | ||
416 | かずさ | Kazusa | 「ここで聴かせなければどうせ一生後悔するんだ。 どっちか一つしか取れないんだよ! あたしの欲しいものはいつもそうなんだよ!」 | ||
417 | 雪菜 | Setsuna | 「っ…それって…」 | ||
418 | かずさ | Kazusa | 「全部…全部雪菜のせいじゃないか!」 | ||
419 | 雪菜 | Setsuna | 「知らないよ! そんなの、全部背負いきれないよ! わたしは春希くんだけだよ!」 | ||
420 | かずさ | Kazusa | 「やっぱり背負うんじゃないか! 春希のこと諦めないんじゃないか!」 | ||
421 | 雪菜 | Setsuna | 「当たり前だよぅ! だからかずさのお母さんは、 かずさが護りきるんだよ!」 | ||
422 | かずさ | Kazusa | 「さっきと言ってること違うだろ! お前あいつのこと諦めかけてたじゃないか!」 | ||
423 | 雪菜 | Setsuna | 「言ってない! そんなこと言ってないもん!」 | ||
424 | かずさ | Kazusa | 「いいや言った! 五分くらい前にたしかに言った!」 | ||
425 | 雪菜 | Setsuna | 「証拠なんかどこにも残ってないよ!」 | ||
426 | かずさ | Kazusa | 「この嘘つき! 卑怯者! 泥棒猫! 返せよ…春希返せよ!」 | ||
427 | 雪菜 | Setsuna | 「今そんなこと言ってる場合じゃないじゃん! なんで! どうしてわたしたち、 こんなことになっちゃうのよ…っ」 | ||
428 | かずさ | Kazusa | 「う、う…うああぁぁぁぁぁぁぁ~!!!」 | ||
429 | 雪菜 | Setsuna | 「かずさ、かずさぁ…っ、 い、あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁ~!!!」 | ||
430 | 自己正当化、理不尽な罵倒、聞こえないふり、 大泣き、責任転嫁、悲劇のヒロイン気取り… | ||||
431 | わたしたちは… | ||||
432 | おおよそ、女子の喧嘩で嫌われる最低のやり口を、 二人とも、惜しみなくつぎ込んだ。 | ||||
433 | ……… | .........
| |||
434 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
435 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
436 | かずさ | Kazusa | 「返せよ」 | ||
437 | 雪菜 | Setsuna | 「やだ」 | ||
438 | かずさ | Kazusa | 「返せってば」 | ||
439 | 雪菜 | Setsuna | 「絶対嫌」 | ||
440 | かずさ | Kazusa | 「あたし可哀想だろ。 同情とかしないのかよ、冷血女」 | ||
441 | 雪菜 | Setsuna | 「何と言われても無駄」 | ||
442 | かずさ | Kazusa | 「もうすぐコンサートなんだぞ? それに母さんだって… 雪菜なんかより数倍苦しい思いしてるんだぞ?」 | ||
443 | 雪菜 | Setsuna | 「他のことならなんでもする。 呼ばれたらパリにだってウィーンにだって看病に行く」 | ||
444 | かずさ | Kazusa | 「誰が呼ぶか」 | ||
445 | 雪菜 | Setsuna | 「でも彼は返さない。 春希くんを、取り戻すんだ、わたし」 | ||
446 | かずさ | Kazusa | 「お前にそれができるのかよ」 | ||
447 | 雪菜 | Setsuna | 「やるよ… 別れることになっても、捨てられることになっても、 また、かずさのもとに戻ったとしても…」 | ||
448 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
449 | 雪菜 | Setsuna | 「それでも、彼を元の北原春希にするんだよ」 | ||
450 | かずさ | Kazusa | 「元の…春希」 | ||
451 | 雪菜 | Setsuna | 「真面目で、努力家で、説教くさくて… 嘘つきで、裏切り者で、残酷で… ずっと、わたしじゃない女性を愛しているひとだけど…」 | ||
452 | かずさ | Kazusa | 「…ふん」 | ||
453 | 雪菜 | Setsuna | 「でも、愛する男を救うのは、 女として当然の権利だよね」 | ||
454 | かずさ | Kazusa | 「あたしのその権利はどうなる」 | ||
455 | 雪菜 | Setsuna | 「藁にすがっても、 それこそ恋敵に土下座してでも、成し遂げる」 | ||
456 | かずさ | Kazusa | 「…また無視しやがった」 | ||
457 | 雪菜 | Setsuna | 「何度だって言うよ… 他のことなら何でもするけど、 それでも、彼だけは渡さない」 | ||
458 | かずさ | Kazusa | 「そんなの春希が決めることだ」 | ||
459 | 雪菜 | Setsuna | 「たとえ簡単に奪われても、 あっさり捨てられても、 渡さない」 | ||
460 | かずさ | Kazusa | 「ふざけるな…っ」 | ||
461 | くそう… | ||||
462 | 前からわかってたことだけど、 こいつ、ものすごく強情だ。 | ||||
463 | ほんと、強い…な。 | ||||
464 | ものすごく、憧れる。 | ||||
465 | ……… | .........
| |||
466 | かずさ | Kazusa | 「今度こそ、そろそろ切るぞ」 | ||
467 | 雪菜 | Setsuna | 「随分と長く話したね…」 | ||
468 | かずさ | Kazusa | 「今、何時かな?」 | ||
469 | 雪菜 | Setsuna | 「わかんない… けど、こっちは明るくなってきたよ」 | ||
470 | かずさ | Kazusa | 「てことは、4、5時間ってところか?」 | ||
471 | 雪菜 | Setsuna | 「馬鹿みたいだね。 まるで中学生みたい」 | ||
472 | そうだな… | ||||
473 | 恋に恋して、気になる男子の話で泣き合う、 女子中学生の、親友同士、みたいだ。 | ||||
474 | かずさ | Kazusa | 「もう、多分二度とかけない」 | ||
475 | 雪菜 | Setsuna | 「そう…」 | ||
476 | そんな、二人の気持ちをぶつけあった、 最後で最高で最悪の大喧嘩。 | ||||
477 | もう、あたしと雪菜との間に、 思い残すことなんかない。 | ||||
478 | だから雪菜も、いつも通りに引き留めない。 | ||||
479 | あたしたちは、 二度と、同じ天を仰がない。 | ||||
480 | かずさ | Kazusa | 「悔いはない。 あたしたちのことを、誰にもとやかく言わせない」 | ||
481 | 雪菜 | Setsuna | 「うん」 | ||
482 | かずさ | Kazusa | 「あたしたちの決断は、あたしたちだけのものだ。 不幸なんかじゃない。 本当は後悔してるけど、悔いなんかない」 | ||
483 | 雪菜 | Setsuna | 「頑張れ… がんばれ、がんばれ、がんばれかずさっ」 | ||
484 | かずさ | Kazusa | 「頑張れって言うな。 無理して倒れたらどうするんだ」 | ||
485 | 雪菜 | Setsuna | 「楽しめ、サボれ、遊べっ、 そのまま世界一のピアニストになっちゃえ」 | ||
486 | かずさ | Kazusa | 「言われなくたって、なってやる。 お前たちの、手の届かない存在になってやる」 | ||
487 | 雪菜 | Setsuna | 「うんっ…」 | ||
488 | かずさ | Kazusa | 「そして… あたしと絶交したこと、 一生後悔すればいい」 | ||
489 | 雪菜 | Setsuna | 「う、う、う…っ かずさぁ…っ」 | ||
490 | かずさ | Kazusa | 「ざまぁ…みろ」 | ||
491 | かずさ | Kazusa | 「………さよなら」 | ||
492 | これが、あたしたちのフィナーレだ。 | ||||
493 | ……… | .........
| |||
494 | …… | ......
| |||
495 | … | ...
| |||
496 | 雪菜 | Setsuna | 「おはよ~」 | ||
497 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「あら、今日は随分と早… | ||
498 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | ……雪菜?」 | ||
499 | 雪菜 | Setsuna | 「ん~、なに~?」 | ||
500 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「………」 | "........."
| |
501 | 雪菜 | Setsuna | 「どしたの? お母さん」 | ||
502 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「えっと…眼が赤いわよ?」 | ||
503 | 雪菜 | Setsuna | 「昨夜、大喧嘩したからね~」 | ||
504 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「喧嘩って…まさか北原さん?」 | ||
505 | 雪菜 | Setsuna | 「ううん、友だち。 朝まで電話でやり合っちゃった」 | ||
506 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「そ、そう」 | ||
507 | 雪菜 | Setsuna | 「お腹空いたな…自分の分だけ先に作っていい?」 | ||
508 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「え、ええ…」 | ||
509 | 雪菜 | Setsuna | 「え~と、なんにしようかな~。 チンゲンサイと、ウインナーと、え~と… あ、ツナ缶開けていい?」 | ||
510 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「………」 | "........."
| |
511 | 雪菜 | Setsuna | 「…さっきから、どうしたの?」 | ||
512 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「い、いえ、なんでもないわよ」 | ||
513 | 雪菜 | Setsuna | 「もしかして、そんなにまぶた腫れてる? やだなぁ、これは単に徹夜しただけなんだからね?」 | ||
514 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「本当に…なんでもない、みたい」 | ||
515 | 雪菜 | Setsuna | 「よし、と… それじゃ、次は卵焼きに…」 | ||
516 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「………」 | "........."
| |
517 | 雪菜 | Setsuna | 「ごめんお母さん。 突っ立ってるだけなら卵かき混ぜて」 | ||
518 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「え? | ||
519 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | ああ、はいはい」 | ||
520 | 雪菜 | Setsuna | 「それじゃこっちはもう一品…」 | ||
521 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「………」 | "........."
| |
522 | 雪菜 | Setsuna | 「ね、お母さん」 | ||
523 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「あ、卵いくつにする?」 | ||
524 | 雪菜 | Setsuna | 「ごめんね、色々と。 あと、3個で」 | ||
525 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「ごめんって…身体のこと? でも、それは仕方のないことだし」 | ||
526 | 雪菜 | Setsuna | 「ううん、これからのこと。 一応、先に謝っておこうかなって思って」 | ||
527 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「これからって…」 | ||
528 | 雪菜 | Setsuna | 「ん、こほんっ、 えっとね、大変申し上げにくいんですが」 | ||
529 | 雪菜 | Setsuna | 「あなたの娘の小木曽雪菜は、 本日この時間をもちまして、 また、聞き分けのないワガママ娘に戻ります」 | ||
530 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「雪菜…?」 | ||
531 | 雪菜 | Setsuna | 「わたし、やっぱり春希くんを愛してる」 | ||
532 | 雪菜 | Setsuna | 「昔の彼も、今の彼も、そして、未来の彼も、全部。 だから、一緒に歩いて行きたいの」 | ||
533 | 雪菜 | Setsuna | 「………それも、できれば一生」 | ||
534 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「………」 | "........."
| |
535 | 雪菜 | Setsuna | 「そんなわけで、今日から通い妻に戻ります。 週末はまたずっと家を空けるけど、ごめんね?」 | ||
536 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「………」 | "........."
| |
537 | 雪菜 | Setsuna | 「何も言わないんだ… それって、OKってこと?」 | ||
538 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「………お母さんだけでは決められないってことです。 お父さんの許しをもらったらね」 | ||
539 | 雪菜 | Setsuna | 「あ~、今日は徹夜明けで疲れてるからお母さんに任せた。 わたし、お父さんが起きる前に出かけるから」 | ||
540 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「そういうことしたらますます許しが出なくなるわよ?」 | ||
541 | 雪菜 | Setsuna | 「そのときは家を出て彼の部屋に転がり込むまでだよ。 …実際、彼の回復のためには その方がいいような気もするし」 | ||
542 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「…随分と自信満々ね。 ついこの間まで、出かけるのも辛くて ぴーぴー泣いてたくせに」 | ||
543 | 雪菜 | Setsuna | 「最初から住んじゃってれば出かけなくて済むもんね。 なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。 馬鹿だよね、わたし」 | ||
544 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「雪菜…」 | ||
545 | 雪菜 | Setsuna | 「さてと…とりあえずこんなところかな? あとはお弁当箱に詰めるだけ…」 | ||
546 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「朝食じゃなかったの?」 | ||
547 | 雪菜 | Setsuna | 「うん…向こうで一緒に食べる」 | ||
548 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「………」 | "........."
| |
549 | 雪菜 | Setsuna | 「お母さん… あのね、わたしは…」 | ||
550 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「北原さんに、よろしくね」 | ||
551 | 雪菜 | Setsuna | 「うんっ」 | ||
552 | ……… | .........
| |||
553 | 今まで心配掛けてごめんね、お母さん。 これからも心配掛けるけどごめんね、お父さん。 | ||||
554 | わたしはもう、大丈夫。 だって、決心がついたから。 | ||||
555 | 彼とともに、一生掛けて戦う決心が。 | ||||
556 | ……… | .........
| |||
557 | 今までは、焦ってた。 | ||||
558 | 一刻も早く、元の春希くんに戻って欲しいって。 | ||||
559 | 真面目で頑張り屋なカッコいい社会人に。 わたしを愛してくれる、素敵な男の人に。 | ||||
560 | でもね、でも… | ||||
561 | 完全に、戻らなくてもいいじゃない。 一生掛けて、ゆっくり治してもいいじゃない。 | ||||
562 | 一生掛けて、ゆっくり振り向かせても、いいじゃない。 | ||||
563 | ……… | .........
| |||
564 | 完治するのが、二人のいまわの際だって、いいじゃない。 | ||||
565 | ついでに、わたしも引きずり込まれても、いいじゃない。 って、それはちょ~っとマズいかな? | ||||
566 | とにかく、二人でのんびり戦っていこうって。 | ||||
567 | のんびり、愛し合っていこうって。 | ||||
568 | ……… | .........
| |||
569 | 時には無抵抗で、時にはおっかなびっくり、 怒らず、焦らず、悲しまず… | ||||
570 | そんなふうに、激しくなく生きていこうよって。 | ||||
571 | 彼に、そう言って、もう一度押しかけ女房するつもり。 | ||||
572 | だから… | ||||
573 | 今まで心配掛けてごめんね、お父さん。 これからも心配掛けるけどごめんね、お母さん。 | ||||
574 | 雪菜は…不誠実なあの人を。 | ||||
575 | …ううん、わたし以外の女のひとに、 ものすごく誠実なあのひとを愛していきます。 | ||||
576 | これからも、ずっと… | ||||
577 | 雪菜 | Setsuna | 「ただ~いま~」 | ||
578 | 雪菜 | Setsuna | 「ごめんね~、随分とご無沙汰しちゃって~。 “夏バテ”、ちょ~っと長くかかっちゃいました」 | ||
579 | 雪菜 | Setsuna | 「あ、でも、自分ではもう完全に治したつもりなんで、 そろそろ出入り禁止、解いてもらいに来ました~」 | ||
580 | 雪菜 | Setsuna | 「春希くん?」 | ||
581 | 雪菜 | Setsuna | 「春希、くん…?」 | ||
582 | 雪菜 | Setsuna | マンションから、南末次の駅を通り過ぎ、 峰城大の正門や、付属の正門も通り過ぎ、 その先にある、川沿いの土手。 | ||
583 | 雪菜 | Setsuna | 草の上に寝転がると、その匂いが強く鼻を刺激する。 まだ、雑草たちは夏の力強さを保ち続けたままらしい。 | ||
584 | 雪菜 | Setsuna | 都内にしては綺麗な川が流れ、草木も多く、 だから、そこに流れる朝の風は爽やかで。 | ||
585 | 雪菜 | Setsuna | そこそこの陽射し、そこそこの涼風、 そして、風と川の旋律だけの、そこそこの音。 | ||
586 | 雪菜 | Setsuna | こんな心地良い場所に寝転がっていれば、 そりゃ、数分も経たずに睡魔に魅入られるのは当然のこと。 | ||
587 | 雪菜 | Setsuna | しかも、今の自分には、 奴らの魔力は強すぎて… | ||
588 | 雪菜 | Setsuna | ふああ… | ||
589 | 雪菜 | Setsuna | ……… | .........
| |
590 | 雪菜 | Setsuna | けれど… | ||
591 | 雪菜 | Setsuna | そんな俺のまどろみかけた聴覚に、 どこかで聴いたような、懐かしい足音が聞こえてくる。 | ||
592 | 雪菜 | Setsuna | …いや、普段はアスファルトを踏みしめてばかりだから、 その音が懐かしいってのは 単なる思い込みに過ぎないんだけどな。 | ||
593 | 雪菜 | Setsuna | 「見つけたよ、春希くん…」 | ||
594 | 春希 | Haruki | 「見つけて当然だろ。 行き先はちゃんとメモに残しといた」 | ||
595 | けれど、その思い込みは正しく報われて… | ||||
596 | 今、目の前に、 ずっと遭いたかったそのひとが、立っていた。 | ||||
597 | 雪菜 | Setsuna | 「でも、部屋にいなかったときはびっくりした…」 | ||
598 | 春希 | Haruki | 「ここさ、付属の正門から近いだろ? 武也がよく学校サボって昼寝してたんだよな。 ま、俺は帰りにあいつを起こす役だったけど」 | ||
599 | けれど、こちらが待ち望んでいたことを隠すために、 わざと向こうの問いかけをはぐらかす。 | ||||
600 | 雪菜 | Setsuna | 「ここへは、よく来るの?」 | ||
601 | 春希 | Haruki | 「最近は、ほとんど毎日」 | ||
602 | 雪菜 | Setsuna | 「外出、できるようになったんだ…」 | ||
603 | 春希 | Haruki | 「まだ人混みはちょっと辛いけどな。 でも、こんな気持ちのいい場所ならさ」 | ||
604 | 九月に入ってからほぼ毎日、朝から夕方まで。 | ||||
605 | 早朝に家を出て、街をゆっくり歩き、 この川沿いの土手で一休みする。 | ||||
606 | 日光を浴びて、風に吹かれて。 | ||||
607 | ときには雨に打たれ、慌てて橋の下に逃げ。 | ||||
608 | 川の流れを眺め、虫の声を聞き、草の匂いを嗅ぎ… | ||||
609 | そんなふうに、世界と、ふたたび触れあうようになった。 | ||||
610 | 雪菜 | Setsuna | 「どうして…?」 | ||
611 | 春希 | Haruki | 「どうしてって…?」 | ||
612 | 雪菜 | Setsuna | 「どうして急に、できるようになったの?」 | ||
613 | 春希 | Haruki | 「いや、別に急にって訳じゃ。 ずっと前から、少しずつは外に出てたし」 | ||
614 | 雪菜 | Setsuna | 「一人、だったのに。 わたし、側にいられなかったのに…」 | ||
615 | あぁ… なんでそんな悲壮感漂う口調なのかと思ったら。 | ||||
616 | 雪菜の納得のいかない理由って、そういう… | ||||
617 | 春希 | Haruki | 「まぁ、言ってしまえば…時間かな」 | ||
618 | 雪菜 | Setsuna | 「時間…?」 | ||
619 | 春希 | Haruki | 「こういうのは、長く付き合っていくつもりで やってくしかないって医者にも言われたし… それを忠実に守ってるだけだよ」 | ||
620 | 雪菜 | Setsuna | 「時間…」 | ||
621 | 春希 | Haruki | 「どうした? 雪菜」 | ||
622 | 雪菜 | Setsuna | 「それって…それってさ…」 | ||
623 | 春希 | Haruki | 「ん?」 | ||
624 | 雪菜 | Setsuna | 「結局、今までわたしがしてきたことって、 まったくの無駄だったってことかな…?」 | ||
625 | 春希 | Haruki | 「そんなことはないけどさ… でも、ま、全部が雪菜の力だったってわけじゃないかな」 | ||
626 | 雪菜 | Setsuna | 「………だよね。 わたしが来なかった時に限って、 こうして回復しちゃってるんだもんね」 | ||
627 | 春希 | Haruki | 「まぁ、結構酷いこと言ってるって自覚はあるけどさ、 でも、事実だし」 | ||
628 | 雪菜 | Setsuna | 「…なんだか普段の春希くんっぽい意地悪な言い方」 | ||
629 | 春希 | Haruki | 「じゃあ、普段の俺っぽい説教も一つ。 …二度と、俺のために壊れるまで我慢するな。 どうせ大した意味はないんだから」 | ||
630 | 雪菜 | Setsuna | 「自分のこと棚に上げてぇ…っ」 | ||
631 | 春希 | Haruki | 「そうやって楽に生きようって決めたんだ。 だから、流してくれ」 | ||
632 | 雪菜 | Setsuna | 「………っ」 | ||
633 | 雪菜が、悔しそうに… そして、嬉しそうに歯噛みをするのが見えた。 | ||||
634 | その、押し隠した表情で確信できた。 自分が、自分の言動をできているって。 | ||||
635 | 北原春希で、いられているって。 | ||||
636 | ……… | .........
| |||
637 | 雪菜が側にいなければ、俺は壊れたままだった。 | ||||
638 | けれど、雪菜がいただけじゃ、 やっぱり、俺は壊れたままだったと思う。 | ||||
639 | 薬に診療、 周囲の理解、尽力、 そして、時間の経過。 | ||||
640 | あのときの俺にとって、どれも欠かせないものだけれども、 それでも、一番効いたのが、結果的に時間だっただけ。 | ||||
641 | 雪菜が一生懸命頑張ったことも、 頑張りすぎて途中リタイヤしたことも、 そして今日、こうして帰ってきたことも… | ||||
642 | 雪菜にとっては劇的な変化だったかもしれないけど、 俺にとっては、長い治療の中の一つのプロセスで。 | ||||
643 | 雪菜がいなくなったから症状が悪化したとか、 あるいは逆に、雪菜が潰れかけたことを責任に感じて、 今まで以上に頑張って克服したとか、そんなことはなく。 | ||||
644 | 雪菜の理解や支えは必要だったけれど必須ではなく、 雪菜の無理や離脱は痛恨だったけれど致命的ではなく。 | ||||
645 | 彼女にとっては、なんとなく釈然としないのもわかるけど、 それでも、そうあるべきで、そうでなくちゃならなかった。 | ||||
646 | 雪菜は、万能なんかじゃない。 スーパーマンじゃ、ないんだ。 | ||||
647 | ただ、俺にとっての… | ||||
648 | 雪菜 | Setsuna | 「ね、春希くん」 | ||
649 | 春希 | Haruki | 「うん?」 | ||
650 | 雪菜 | Setsuna | 「かずさがコンサートやるって、知ってる?」 | ||
651 | 春希 | Haruki | 「新聞は欠かさず読んでるからな。知ってるよ」 | ||
652 | 雪菜 | Setsuna | 「…気になる?」 | ||
653 | 春希 | Haruki | 「ならない…訳がないよな。 もしそうなら、俺はこんなふうになってない」 | ||
654 | 雪菜 | Setsuna | 「……会いたい?」 | ||
655 | 春希 | Haruki | 「…意地悪な質問をするんだな」 | ||
656 | 雪菜 | Setsuna | 「じゃあ、じゃあね…っ、 もし、かずさがあなたのこと…っ」 | ||
657 | 春希 | Haruki | 「なぁ、雪菜」 | ||
658 | 雪菜 | Setsuna | 「え…?」 | ||
659 | 春希 | Haruki | 「お前、何がしたいんだよ?」 | ||
660 | 雪菜 | Setsuna | 「な、なにって… その、わたし昨夜、かずさと…っ」 | ||
661 | 春希 | Haruki | 「せっかく治りかけてるのに、 そんな強いストレスを俺にかけるつもりなのか?」 | ||
662 | 雪菜 | Setsuna | 「ストレスって、そんな…」 | ||
663 | 春希 | Haruki | 「ストレスの原因は辛く苦しい出来事だけじゃないぞ? 病院に付き添ってくれた時、一緒に説明受けただろ?」 | ||
664 | 昇格や、結婚… | ||||
665 | そんな、人生の目的とも言うべき素晴らしい出来事も、 劇的である限り、全てがストレスとなって、 自らの身体に降りかかる。 | ||||
666 | そんなの、最初の診療の時から ずっと言われてることなのにな。 | ||||
667 | 雪菜 | Setsuna | 「け、けど、けどっ…」 | ||
668 | 春希 | Haruki | 「けど、なんだよ?」 | ||
669 | 雪菜 | Setsuna | 「わたし、役立たずなんでしょ? 春希くんにとって、意味のない存在なんでしょ?」 | ||
670 | 春希 | Haruki | 「極論から極論に走るなぁ、雪菜は。 今度、一緒にカウンセリング受けるか?」 | ||
671 | 雪菜 | Setsuna | 「だったら、意味のあるひとを… わたしよりも、役に立つひとを、さぁ…っ」 | ||
672 | 春希 | Haruki | 「雪菜」 | ||
673 | 雪菜 | Setsuna | 「っ…」 | ||
674 | まだ、体にも心にも全然力が入らない。 だからその呼びかけは、まるで弱々しいものだった。 | ||||
675 | それでも雪菜は、びくっと身体を震わせて、 俺の言葉に反応した。 | ||||
676 | もしかしたら、その一言に込められた 俺の強い気持ちを感じ取ってくれたんだろうか。 | ||||
677 | …だとしたら、嬉しいんだけどな。 | ||||
678 | 春希 | Haruki | 「雪菜はさ… 今日、まっすぐ俺のいるこの場所に来てくれたよな? 一月も会ってなかったのに、迷わずにさ」 | ||
679 | 雪菜 | Setsuna | 「それは… だって、春希くんが部屋に 行き先のメモを残してたから…」 | ||
680 | 春希 | Haruki | 「そうさ… 俺は、雪菜が来なくなってからの一か月、 出かける時はいつも行き先を部屋に残してたんだ」 | ||
681 | 雪菜 | Setsuna | 「けど、それが…?」 | ||
682 | 春希 | Haruki | 「それってさ、誰が見ることができると思う?」 | ||
683 | 雪菜 | Setsuna | 「………ぁ」 | ||
684 | 春希 | Haruki | 「たった一人… 合い鍵を持っている相手にしか、 伝わらないメッセージだよ」 | ||
685 | 雪菜 | Setsuna | 「っ…」 | ||
686 | 携帯やメールでも事足りるかもしれない。 | ||||
687 | けれどそれじゃ、 雪菜に余計なプレッシャーを与えてしまう。 | ||||
688 | 雪菜 | Setsuna | 「あ、あなたは…」 | ||
689 | 春希 | Haruki | 「ん?」 | ||
690 | 雪菜 | Setsuna | 「わたしがまた来るって、信じてくれてたの?」 | ||
691 | 春希 | Haruki | 「まさか、違うよ」 | ||
692 | 一度、雪菜を追い出してしまった俺には、 他にもう、繋がる手段がなかった。 | ||||
693 | 春希 | Haruki | 「願ってたんだ」 | ||
694 | …そう、雪菜とだけ、繋がりたかったんだ。 | ||||
695 | 意味がなくても、役に立たなくても… | ||||
696 | 雪菜が、必要だったんだ。 | ||||
697 | 全然万能じゃない、 けれど俺のために壊れたりしない、 そんな、普通の雪菜が。 | ||||
698 | だって、愛しているから。 ただ、それだけだから。 | ||||
699 | ……… | .........
| |||
700 | …… | ......
| |||
701 | … | ...
| |||
702 | かずさ | Kazusa | 「なんだ、こりゃ…」 | ||
703 | 幕の隙間から客席を覗くと、 最上階の席まで完全に埋まっていた。 | ||||
704 | …こっちの客は本気でマナーにうるさいから、 音だけで観客数を読むことはできなかったんだけど、 それでもこの数は想定外だった。 | ||||
705 | まるっきり無名の日本人ピアニストで超満員とか… これがフランツ・デュプレの力って奴か。 | ||||
706 | 開演、五分前。 | ||||
707 | つまり今日は、コンサート当日。 とうとう本番の日を迎えたってことで… | ||||
708 | 自分でも、自信があるのかないのかわからない。 …いや、それって自信が持ててないってことか。 | ||||
709 | 何しろ、準備が不足してるのか十分なのか、 もう何が何だか… | ||||
710 | かずさ | Kazusa | 「あ…」 | ||
711 | そして、諸悪の根源が、ぬけぬけとあたしの隣に立つ。 | ||||
712 | まぁ、ピアノコンチェルトなんだから、 指揮者とピアニストが並ぶのは当たり前なんだけど。 | ||||
713 | デュプレ | 「体調はどうだ? リハの疲れは残していないだろうな?」 | |||
714 | かずさ | Kazusa | 「よくもまぁそんなこと聞けるもんだ…」 | ||
715 | 昨日の最終リハーサルは、 今までとは別の意味で壮絶を極めた。 | ||||
716 | 今回は、さすがに最後ということもあり、 ちゃんと通しで弾かせてくれるという配慮はあった。 | ||||
717 | 弦だけでなく、 初めてフルオーケストラで合わせることができた。 | ||||
718 | けれど、だからといって、 この偏執狂のダメ出しが収まるかというと、 まるでそんなことはなく… | ||||
719 | 昨日の18時に始まった最終リハーサルが終わったのは、 今日、コンサート当日の14時… | ||||
720 | 開演まで残り4時間を切ったところで、 20時間にもわたるリハーサルは『時間切れ』となった。 | ||||
721 | つまり、オケのメンバー全員が誰も寝ていない状態で、 今から本番に突入するということで… | ||||
722 | デュプレ | 「カズサ、自信はあるかね?」 | |||
723 | かずさ | Kazusa | 「さあな」 | ||
724 | で、さんざんそんな嫌がらせまがいの仕打ちをしといて、 開演前に出てくる台詞がコレだ… | ||||
725 | 徹夜明け。 それなのに練習不足。 何しろ一度も通しで弾いてない。 | ||||
726 | これで自信があるなんて言い切れる奴は、 とんでもない天才か、とんでもない紙一重… | ||||
727 | デュプレ | 「私は今日、少なくとも今年一番の演奏を約束する」 | |||
728 | かずさ | Kazusa | 「え…?」 | ||
729 | そんな、あたしの心中の悪態を見抜いたかのように… | ||||
730 | というより、そもそもこんな小娘の遠吠えなんか 最初から相手にしていないかのように、 尊大な指揮者は自信満々だった。 | ||||
731 | デュプレ | 「だから君は、今までの人生で最高の演奏をしなさい。 今の君なら、できるはずだ」 | |||
732 | かずさ | Kazusa | 「………はぁ!?」 | ||
733 | しかも、その成功のイメージを、 たった今軽くあしらった小娘にまで押しつけてきた。 | ||||
734 | デュプレ | 「…それくらいしないと、ヨウコは納得しないだろう?」 | |||
735 | かずさ | Kazusa | 「え…?」 | ||
736 | それって、まさか… | ||||
737 | デュプレ | 「彼女を…安心させてやりなさい」 | |||
738 | かずさ | Kazusa | 「母さんのこと…聞いてたのか?」 | ||
739 | デュプレ | 「ああ、フリューゲルからな。 今ごろ、病室に巨大スピーカーを持ち込んで、 二人でテレビにかじりついている頃だ」 | |||
740 | かずさ | Kazusa | 「師匠が…? い、いや、それよりも…」 | ||
741 | なんでこの男がそんなことまで知ってる? | ||||
742 | あたしの知らないところで、 あたしの知らない色んな人たちが、 あたしと母さんのために動いてたってことなのか? | ||||
743 | もしかして、このコンサート… | ||||
744 | あたしは、一人で頑張ってた訳じゃないのか…? | ||||
745 | かずさ | Kazusa | 「あんた…いや、マエストロ」 | ||
746 | デュプレ | 「なんだね?」 | |||
747 | かずさ | Kazusa | 「もしかして、あなた本当に、母さんのこと…?」 | ||
748 | デュプレ | 「残念ながら、君は私の娘ではない」 | |||
749 | かずさ | Kazusa | 「いや、そんなことはわかってるけど…」 | ||
750 | デュプレ | 「彼女と知り合った時、君はちょうど一歳だった。 …その頃のヨウコは、小さな赤ん坊を抱っこしたまま 世界中を回っていたよ」 | |||
751 | かずさ | Kazusa | 「…そうなのか?」 | ||
752 | デュプレ | 「手のかからない子でね、どれだけ泣いていても、 ヨウコが弾くとすぐに眠ってしまうんだ。 将来絶対ピアニストになると、彼女の自慢の種だった」 | |||
753 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
754 | デュプレ | 「だから、君のことを娘のように思っている演奏家は、 世界には結構いるということだ。 例えば、この私のように」 | |||
755 | かずさ | Kazusa | 「けどあんた、 昔あたしを口説こうとしてなかったか?」 | ||
756 | デュプレ | 「それはそれ。 これはこれだ」 | |||
757 | かずさ | Kazusa | 「…ああ、そうかい」 | ||
758 | もう、あまりにも胡散臭すぎて、 こいつの言っていることを どこまで信じていいのかわからない。 | ||||
759 | デュプレ | 「いつか、父上にも聞かせられるといいな。 君のピアノを」 | |||
760 | かずさ | Kazusa | 「………ああ」 | ||
761 | けど… 実力は、本気で折り紙付きだってことは、 この数日間で嫌と言うほど見せつけられた。 | ||||
762 | 演奏に関してだけは、この詐欺師の言うことを 信じてもいいのかもしれない。 | ||||
763 | あの、無駄にも思えた数日間のうちに、 あたしの中に、新たな力が芽生えているのかもしれない。 | ||||
764 | デュプレ | 「さて、開幕だ… 行くぞ、カズサ」 | |||
765 | かずさ | Kazusa | 「ああ」 | ||
766 | 母さん、爺さん、美代子さん、エマさん… | ||||
767 | あと、もう、どれだけの数がいるのかわからないけれど、 あたしのピアノに関わっている人たち… | ||||
768 | あたしの大っ嫌いな[R最大の敵^せつな]。 そして、もう、二度と逢うことのない… | ||||
769 | かずさ | Kazusa | 「っ…」 | ||
770 | みんな、あたしのピアノを聴いてくれ… | ||||
771 | 実は、あまり自信はないけれど… たぶん今日が、伝説の、始まりだ。 | ||||
772 | ……… | .........
| |||
773 | 雪菜 | Setsuna | 「始まる、ね」 | ||
774 | 春希 | Haruki | 「ああ…」 | ||
775 | モニターの向こうに、あいつがいた。 | ||||
776 | 今にも手の届きそうな、 けれど数千キロの彼方に、あいつがいた。 | ||||
777 | あの、日本公演の時と同じ黒のドレスを身にまとい、 背筋を伸ばして、観客なんかいないかのように、 堂々とピアノと対峙する。 | ||||
778 | 相変わらず、ステージ映えする奴だ。 …一歩部屋に帰ればだらしない格好で寝てばかりのくせに。 | ||||
779 | 雪菜 | Setsuna | 「うまく行くといいね。 なにもかも」 | ||
780 | 春希 | Haruki | 「行くさ。 ピアノであいつが失敗するはずなんかない」 | ||
781 | 雪菜 | Setsuna | 「うん…」 | ||
782 | あの時の衣装、あの時の演奏者、 そして、ここにいるのはあの時の観客。 | ||||
783 | まるで、この空間だけが半年前に戻ったような緊張感。 | ||||
784 | けれど… | ||||
785 | 雪菜 | Setsuna | 「ぁ…」 | ||
786 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
787 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
788 | あの時とは、違う。 | ||||
789 | 距離も、場所も、観客の数も。 | ||||
790 | そしてなにより… | ||||
791 | 今、ここにいる二人の気持ちが 裂けてしまいそうだったあの時とは、違う。 | ||||
792 | 雪菜 | Setsuna | 「ね、願ってたって… え、えっと、つまり、それって…」 | ||
793 | 春希 | Haruki | 「落ち着けよ、雪菜」 | ||
794 | 雪菜 | Setsuna | 「わたしと一緒にいたかったの…っ!?」 | ||
795 | 春希 | Haruki | 「………うん」 | ||
796 | 雪菜 | Setsuna | 「ならどうして…っ、 どうしてあの時、わたしを追い出したのよ! ずっと、連絡もくれなかったのよ!」 | ||
797 | 春希 | Haruki | 「だって、嫌だよ… 愛している人が壊れていくのを見るのは… 雪菜だって、辛かったんだろ?」 | ||
798 | 雪菜 | Setsuna | 「っ…」 | ||
799 | 春希 | Haruki | 「だから、巻き込むわけにいかなかった。 ずっと、縛りつけるわけにいかなかった。 …雪菜に、幸せになって欲しかったんだ」 | ||
800 | 春希 | Haruki | 「俺のためとか、そういうの関係なく、 雪菜が一番幸せになれる道を本気で考えて欲しかった」 | ||
801 | 春希 | Haruki | 「そして、一生懸命考えた上で、雪菜が出した結論が、 『俺のもとに帰ってくる』ってなるのを、願ってた」 | ||
802 | 雪菜 | Setsuna | 「なんで、そんなに遠慮するのよ… わたしを、奪おうとしないのよ」 | ||
803 | 雪菜 | Setsuna | 「たとえ破滅するってわかってても、 わたしと一緒に堕ちていきたいって、思わなかったの?」 | ||
804 | 春希 | Haruki | 「ん…やっぱ思わないな。 雪菜だって、そういうこと考えるの辛いだろ?」 | ||
805 | 雪菜 | Setsuna | 「…かずさなら、無理やり奪うよね? 一緒に堕ちても、構わないって思うよね?」 | ||
806 | 春希 | Haruki | 「………あいつは、雪菜とは違う」 | ||
807 | 雪菜 | Setsuna | 「………思うんだね」 | ||
808 | 春希 | Haruki | 「これ以上はやめろよ… まだ俺、完治したわけじゃないんだぞ?」 | ||
809 | 雪菜 | Setsuna | 「ごめん…っ、 でも、でもさ」 | ||
810 | 春希 | Haruki | 「もう、どっちがよくて、どっちが悪いじゃない。 …違うんだよ」 | ||
811 | 雪菜 | Setsuna | 「それでも、それでもさ…っ、 わたし、一生かずさに嫉妬し続ける。 かずさと自分を比べて、泣いたり怒ったりするよ?」 | ||
812 | 春希 | Haruki | 「…あんまり、頑張りすぎるなよ?」 | ||
813 | 雪菜 | Setsuna | 「そうだね… じゃあ、のんびり嫉妬する。 ゆっくり泣く。だらだら怒るよ」 | ||
814 | 春希 | Haruki | 「なんだかなぁ…」 | ||
815 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
816 | 春希 | Haruki | 「…それじゃ、あと、一言だけ言っとく」 | ||
817 | 雪菜 | Setsuna | 「ん?」 | ||
818 | 春希 | Haruki | 「俺、お前のこと、ずっと愛してるんだぞ。 …初めて愛してるって言ってから、ずっと」 | ||
819 | 雪菜 | Setsuna | 「春希くん…」 | ||
820 | 春希 | Haruki | 「お前を裏切ったときも、 あいつに心を奪われたときも、 忘れることなんか、できなかったんだぞ」 | ||
821 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
822 | 春希 | Haruki | 「………だから、壊れたんだ。 お前のせいでも、あるんだ」 | ||
823 | 雪菜 | Setsuna | 「そんなの、自業自得だよ」 | ||
824 | 春希 | Haruki | 「ああ、自業自得だ。 とんでもない責任転嫁だ」 | ||
825 | 雪菜 | Setsuna | 「ふふ…」 | ||
826 | 春希 | Haruki | 「余計に酷いこと言ってるのかもしれないけど、 傷口に塩を塗り込んでるのかもしれないけど…」 | ||
827 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
828 | 春希 | Haruki | 「けれど、俺が言いたいのは…」 | ||
829 | 雪菜 | Setsuna | 「そういえばさ…」 | ||
830 | 春希 | Haruki | 「ん?」 | ||
831 | 雪菜 | Setsuna | 「お前って…」 | ||
832 | 春希 | Haruki | 「え?」 | ||
833 | 雪菜 | Setsuna | 「さっきから春希くん、わたしのこと、お前って言ってる。 ずっと、言ってるよ…」 | ||
834 | 春希 | Haruki | 「嫌だったか?」 | ||
835 | 雪菜 | Setsuna | 「ううん、嫌じゃない。 …そんなわけ、ないよ」 | ||
836 | 春希 | Haruki | 「そっか」 | ||
837 | ……… | .........
| |||
838 | そして… | ||||
839 | 長いんだか短いんだかわからない、 かずさと、オーケストラの協演は終わり… | ||||
840 | ホール中が拍手に包まれている光景が、 俺の部屋のテレビに映し出された。 | ||||
841 | それはもう、呆れるくらいの大絶賛で。 | ||||
842 | そして、その歓声に応えるように… | ||||
843 | 日本人の若手ピアニストと、 パリの一流指揮者の間に、 なんともエスプリの利いたやり取りがあった。 | ||||
844 | 椅子から立ち上がり、 観衆の割れんばかりの拍手を全身に浴びるかずさ。 | ||||
845 | そこに、力を振り出し切りフラフラとなった 指揮者が近づき、自らかずさに手を差し出した。 | ||||
846 | かずさは、いつも通りの仏頂面だったけど、 それでも、彼の差しだした手を、 これ以上はないほどの敬意をもって握り返した。 | ||||
847 | そこで会場は、今まで以上に大きな拍手と歓声で包まれ… けれど、その感動のシーンだけでは終わらなかった。 | ||||
848 | その後、指揮者が勢い余ってかずさに抱きつきそうになり、 けれど彼女は、明らかにそれを予測していた動作で、 彼の足を思い切り踏んで撃退した。 | ||||
849 | 会場が一番沸いたのは、実はその瞬間だった。 | ||||
850 | …その時の俺の仏頂面を、 今度は雪菜がくすくす笑いながら眺めていたのは、 また別の話。 | ||||
851 | ……… | .........
| |||
852 | …… | ......
| |||
853 | … | ...
| |||
854 | インタビュアー | 「それでは、冬馬かずささんにお越しいただきました。 まずはお疲れさまでした」 | |||
855 | かずさ | Kazusa | 「ども…」 | ||
856 | そして、いよいよ放送時間も残り少なくなった頃… | ||||
857 | テレビ局によるインタビューが始まった。 | ||||
858 | インタビュアー | 「大変な絶賛ぶりでした。 多くの観客がスタンディングオベーションで 送り出してくれましたが…」 | |||
859 | かずさ | Kazusa | 「あ、ありがとうございます。 パリは初めてなので少し不安でしたが、 ほっとしています」 | ||
860 | インタビュアー | 「パリもさることながら、 ピアノコンチェルトも初披露だとか。 その辺りはいかがでしたか?」 | |||
861 | かずさ | Kazusa | 「ええと…周りが素晴らしい方ばかりでしたので、 そのおかげで普段以上のものが出せたと思います。 デュプレ氏とオケの皆さんに感謝しています」 | ||
862 | インタビュアー | 「デュプレ氏と言えば、 演奏後のあれは…」 | |||
863 | かずさ | Kazusa | 「…いつも通りの挨拶です。 母の代からの古い友人ですから」 | ||
864 | すげぇ… | ||||
865 | かずさが、普通にインタビューに応えてる… | ||||
866 | ちょっと硬いけど、 受け答えが定型通りだけど、 それでも、形になってる。 | ||||
867 | それに、何よりも驚いたのが、 地元テレビ局のローカルな取材とはいえ、 かずさが、マスコミに応じたってことで… | ||||
868 | 日本じゃ… 俺がマネージャーもどきやってる時じゃ、 サインすら引き受けてくれなかったのに… | ||||
869 | 変わったんだ… いや、成長したんだ。 あのかずさが… | ||||
870 | 楽器を操るのは天才なくせに、他はからっきしで。 | ||||
871 | 人々の注目を浴びすぎるくせに、ひきこもりで。 | ||||
872 | ピアノとプリンさえあれば幸せみたいな、 コミュニケーション障害のぐうたらピアニストが… | ||||
873 | なんだか、寂しくもあり、嬉しくもあり… | ||||
874 | もう、モニター越しがどうという話じゃなく、 本当に、手の届かないところにいるんだなって。 | ||||
875 | なんだよ、俺… | ||||
876 | こんな、保護者みたいな感覚抱いてどうすんだよ… | ||||
877 | ……… | .........
| |||
878 | そうして、かずさのインタビューは、 あいつにしては信じられないくらい滞りなく進み… | ||||
879 | インタビュアー | 「それでは最後に、視聴者の皆さんに一言お願いします」 | |||
880 | いよいよ、あいつが画面から… | ||||
881 | また、俺の前から消えてしまう時間になった。 | ||||
882 | かずさ | Kazusa | 「………」 | "........."
| |
883 | インタビュアー | 「冬馬さん?」 | |||
884 | けれどあいつは、最後になって、いつもの、 ちょっとだけ人に慣れてない冬馬かずさの表情を見せる。 | ||||
885 | 少しだけ、何か考えるそぶりを見せ、 周囲を見回し、俯き、深呼吸。 | ||||
886 | そして、そこからゆっくりと顔を上げて… | ||||
887 | かずさ | Kazusa | 「ざまぁみろ!」 | ||
888 | インタビュアー | 「え?」 | |||
889 | 雪菜 | Setsuna | 「え…?」 | ||
890 | 春希 | Haruki | 「あ…」 | ||
891 | 最後の最後に、 今の彼女にとって、異国の言葉を残した。 | ||||
892 | かずさ | Kazusa | 「『これからも頑張ります』 …って意味の日本語です」 | ||
893 | インタビュアー | 「…なるほど。 ありがとうございました!」 | |||
894 | 今のは… | ||||
895 | あの、かずさの挑発は、 誰に向けたメッセージだったのか… | ||||
896 | 俺じゃ、ない。 いや、俺だけじゃない。 | ||||
897 | 多分、それは… | ||||
898 | 雪菜 | Setsuna | 「やっぱり、どうしようもないんだなぁ…」 | ||
899 | 春希 | Haruki | 「何が?」 | ||
900 | 雪菜 | Setsuna | 「わたし、かずさとは永遠に敵同士なんだなって。 …あなたのせいで」 | ||
901 | 春希 | Haruki | 「…悪かったな」 | ||
902 | それはきっと、決別のメッセージ。 | ||||
903 | それも、とびっきりの愛を込めた、特別な。 | ||||
904 | ほんっと、最高に仲悪いな…こいつら。 | ||||
905 | その夜、俺たちは久しぶりに抱きあった。 | ||||
906 | 夕凪のような、穏やかで優しい行為だった。 | ||||
907 | ……… | .........
| |||
908 | かずさ | Kazusa | 「ふぅっ…」 | ||
909 | 終わった… | ||||
910 | かずさ | Kazusa | 「やった…」 | ||
911 | やり遂げた… | ||||
912 | かずさ | Kazusa | 「やった、やったよ…」 | ||
913 | あの偏執狂に引っ張られたのは悔しいけど… それでも、間違いなく最高の演奏だった。 | ||||
914 | …まぁ、現時点ではな。 あんなのすぐに自力で追い抜くけど、な。 | ||||
915 | それでも… | ||||
916 | かずさ | Kazusa | 「さすがに満足だよなぁ、母さん…?」 | ||
917 | 親に顔向けできない程度のピアノじゃなかったはずだ。 | ||||
918 | 今まで、母さんの前で見せたこともない… | ||||
919 | 日本で、あいつらの前でも見せたこともない、 『カッコいいあたし』を見せつけられたはずだ。 | ||||
920 | だから… | ||||
921 | かずさ | Kazusa | 「元気、出してくれるよなぁ…っ」 | ||
922 | 帰ったらすぐに空港から病院に向かおう。 なんて言われるのか楽しみだ。 | ||||
923 | いや、あの人のことだから、 『まあまあだったわね』か『まだまだね』の どちらかだと思うけど… | ||||
924 | だから、言葉じゃなくてその表情や顔色で… | ||||
925 | どれだけ元気になったかで、判断してやろう。 | ||||
926 | だからお願いだ、神様… | ||||
927 | あたしたち親子に、もう少しだけ時間をくれ。 できれば、あと100年くらい。 | ||||
928 | かずさ | Kazusa | 「あ…」 | ||
929 | と、そんな神への願いと関係があるのかないのか… | ||||
930 | 携帯に表示されていたのは、 今かかってくるには、当然でも不自然でもある名前だった。 | ||||
931 | かずさ | Kazusa | 「師匠?」 | ||
932 | マーティン・フリューゲル。 | ||||
933 | あたしの師匠にして、母さんの師匠。 | ||||
934 | 最近は、もうかなり老いてきたせいで、 レッスンもめったに開催しない隠居爺さん。 | ||||
935 | かずさ | Kazusa | 「そういえばデュプレに聞いたけど、 師匠、あんたこのコンサートに一枚噛んで…」 | ||
936 | けれど、相変わらず業界への影響力は計り知れず、 この人が本気を出せば、パリの一流オーケストラでも 無理やり日程を開けるという、まるで老害のような… | ||||
937 | かずさ | Kazusa | 「え…?」 | ||
938 | けれど、そんな怪物老人の聞き取りにくいドイツ語は、 お祝いのメッセージとしては、切羽詰まりすぎていて… | ||||
939 | かずさ | Kazusa | 「母さんが…?」 | ||
940 | ただ、ある人の名を繰り返すだけで… | ||||
941 | かずさ | Kazusa | 「母さんが、なんなんだよ!?」 | ||
942 | 『大変だ、ヨウコが、ヨウコが…』 | ||||
943 | ……… | .........
| |||
944 | …… | ......
| |||
945 | … | ...
| |||
946 | かずさ | Kazusa | 「母さんっ!?」 | ||
947 | 空港から、タクシーで病院に駆けつけたら、 ベッドはもぬけの殻で… | ||||
948 | 病室の床にへたり込んでしまったあたしに、 シーツを替えに来た看護師さんが声を掛けてきた。 | ||||
949 | 『ああ、ヨウコなら…』 | ||||
950 | かずさ | Kazusa | 「なに勝手に退院してんだよ!?」 | ||
951 | その後、自宅に行っても誰もいなくて、 方々に連絡しまくり、やっと居場所を突き止めた。 | ||||
952 | 全力でピアノと格闘してる、 この、数日前まで抜け殻みたいだった女性の… | ||||
953 | かずさ | Kazusa | 「母さんってば!」 | ||
954 | 曜子 | Youko | 「うるさいわね!」 | ||
955 | かずさ | Kazusa | 「っ!?」 | ||
956 | こっちに振り向いても、指の動きは止まらない。 | ||||
957 | それどころか、その、行動と同じくらい激しい表情に、 思いっきりたじろぐ。 | ||||
958 | 何しろ、そこに浮かんでるのは… | ||||
959 | 曜子 | Youko | 「…ちょっとパリで評価されたからって 調子に乗ってんじゃないわよ!」 | ||
960 | かずさ | Kazusa | 「は、はぁ…?」 | ||
961 | 怒り、皮肉、執着… | ||||
962 | 曜子 | Youko | 「何よあの程度のピアノ… あんなのオケに引っ張られてるだけじゃない」 | ||
963 | かずさ | Kazusa | 「そんなの、あたしが一番わかって…」 | ||
964 | そして、根底にあるのはどう見ても… | ||||
965 | 曜子 | Youko | 「それをまさか自分の実力だとか、 そんな痛い勘違いしてるんじゃないでしょうね?」 | ||
966 | かずさ | Kazusa | 「痛い勘違いしてるのは母さんの方だろ…」 | ||
967 | 嫉妬、だよな? これ… | ||||
968 | 曜子 | Youko | 「あ、あんなの、あんなピアノっ! わたしがちょっと本気出せば、 余裕で超えてみせるわよ!」 | ||
969 | かずさ | Kazusa | 「だから、あたしは超えたなんて全然…」 | ||
970 | 母さんの居場所を探すために病室からコールバックした時、 爺さんは、大げさに嘆きつつ、改めてこう言った。 | ||||
971 | 『大変だ、ヨウコが、ヨウコが…』 | ||||
972 | 『………30歳若返ってしまったよ』 | ||||
973 | 曜子 | Youko | 「余裕…? さすが、英才教育を受けて親の七光でのし上がった お嬢ちゃまは物腰も余裕ですこと」 | ||
974 | かずさ | Kazusa | 「それ母親の台詞じゃないだろもう…」 | ||
975 | 野望と嫉妬と闘争にまみれ、 未熟で、青臭く、荒々しく、 若い人間になってしまったと… | ||||
976 | 曜子 | Youko | 「わたしがここまで上り詰めるのに、 どれだけかかったと思ってるのよ? 初めてのコンチェルトで絶賛とか納得行かない!」 | ||
977 | かずさ | Kazusa | 「母さん…」 | ||
978 | なんだよそれは…? | ||||
979 | 曜子 | Youko | 「だから、それを証明してあげるわ… 年末のニューイヤーコンサートでね…」 | ||
980 | かずさ | Kazusa | 「復帰するつもりなのかよ! それも、年内だって?」 | ||
981 | 曜子 | Youko | 「もちろん、あなたも出るのよ? 同じ会場で、同じ曲弾いて、同じ客に判断してもらうの。 …どちらが上かをね!」 | ||
982 | かずさ | Kazusa | 「おい、待てよ… 嫌だよそんなの!」 | ||
983 | 親子共演…? | ||||
984 | それは夢のような、悪夢のような… | ||||
985 | 曜子 | Youko | 「あら、戦う前から逃げるの? そんなチキンに育てた覚えはないけどねぇ」 | ||
986 | かずさ | Kazusa | 「都合のいい時だけ母親づらすんなよ!」 | ||
987 | 曜子 | Youko | 「この命、燃やし尽くしてあげるわ… あと100年の命を、あと50年に削ってでも、 あなたには負けないわよ、かずさ」 | ||
988 | かずさ | Kazusa | 「それ全然削ってないから。寿命だから」 | ||
989 | しかも相手は、娘のピアノに嫉妬して、本気でやっかんで、 自分の病気を忘れて完全復帰をもくろむ、 数時間前まで病室のベッドで寝込んでいた女性。 | ||||
990 | 思いっきり大人げない、ガチの冬馬曜子…? | ||||
991 | 一体、何が何だか… | ||||
992 | 美代子 | Miyoko | 「あ~! こんなところにいた~!」 | ||
993 | かずさ | Kazusa | 「美代子…さん?」 | ||
994 | そんな、真っ白になった頭に、 最近では留守電の声でお馴染みの、 どこか懐かしい言葉が被さる。 | ||||
995 | 本当に、何が何だか… | ||||
996 | 美代子 | Miyoko | 「酷いじゃないですか曜子さん! 空港まで迎えをよこすって言ってたのに~!」 | ||
997 | かずさ | Kazusa | 「え? え? なんで…」 | ||
998 | ずっと彼女と、日本支部と連絡が取れなかった。 だからもう、閉めてしまったのかと思ってた。 | ||||
999 | 二度と、会えないのかと、思ってた。 | ||||
1000 | 美代子 | Miyoko | 「わたし、ちゃんと到着時間も連絡しましたよね? しかも二週間も前に!」 | ||
1001 | 曜子 | Youko | 「ああ、悪い美代ちゃん。 忘れてたわ」 | ||
1002 | 美代子 | Miyoko | 「忘れてたって… 人をヨーロッパ本部にまで引き抜いておいて、 いきなり路頭に迷わせる気ですか!?」 | ||
1003 | かずさ | Kazusa | 「本部…?」 | ||
1004 | …いや。 | ||||
1005 | どうやら日本支部は、 確かに閉めてしまったらしい。 | ||||
1006 | 美代子 | Miyoko | 「かずささ~ん! あなたもお母さんに何とか言ってあげてくださいよ~」 | ||
1007 | かずさ | Kazusa | 「美代子さん…なんでここに…」 | ||
1008 | 美代子 | Miyoko | 「あ~、やっぱり本人にも話通ってない~! 私なんのために海渡ってきたの~?」 | ||
1009 | かずさ | Kazusa | 「本人って…ちょっと…」 | ||
1010 | 曜子 | Youko | 「早速だけど美代ちゃん初仕事よ。 年末にホール押さえて頂戴。なるべく大きいの! かずさのマネージャー就任なんて後回しでいいから」 | ||
1011 | かずさ | Kazusa | 「マネージャー…? 美代子さんが?」 | ||
1012 | 美代子 | Miyoko | 「ああもうっ、何が何だかわからない! かずささんの人生のためだって言うから、 日本も結婚も捨ててきたのに~!」 | ||
1013 | かずさ | Kazusa | 「な…」 | ||
1014 | だから、何が何だかわからないのはこっちの方で… | ||||
1015 | 曜子 | Youko | 「別に結婚は捨てなくていいでしょ。 こっちでいい男見つければいいじゃない」 | ||
1016 | 美代子 | Miyoko | 「あ、ありますかねぇ出会い? いいひと、見つかりますかねぇ…?」 | ||
1017 | かずさ | Kazusa | 「ちょっと…」 | ||
1018 | 頭が混乱してるのはこっちの方で。 | ||||
1019 | だから、変な感情が次から次へと湧き出してくるのも、 こっちの方で… | ||||
1020 | かずさ | Kazusa | 「ふざけんな…ふざけんなよ! なんだよこの茶番は!」 | ||
1021 | なんでこんなにたくさんの人たちが、 あたしと母さんに、関わってくるんだよ… | ||||
1022 | どうしてこんなにたくさんの人たちが、 あたしのために頑張るんだよ、 本気出すんだよ、無理…するんだよ? | ||||
1023 | おかしいだろ、そんなの… | ||||
1024 | 美代子 | Miyoko | 「本来なら、それはこっちの台詞なんですけど… まぁ、いっか。 これから、よろしくお願いしますね? かずささん!」 | ||
1025 | かずさ | Kazusa | 「勘弁してくれよ、美代ちゃん…っ」 | ||
1026 | 『君のことを娘のように思っている人間は、 世界には結構いるということだ』 | ||||
1027 | なんだよ、あたし… | ||||
1028 | 本当に、馬鹿じゃないのか? | ||||
1029 | ……… | .........
| |||
1030 | …… | ......
| |||
1031 | … | ...
| |||
1032 | さよなら、春希。 さよなら、雪菜。 | ||||
1033 | あたしはこっちで、人と一緒に生きていく。 | ||||
1034 | これからも。 いや… | ||||
1035 | これからは、かな。 | ||||
1036 | 冬[W30]が[W30]来[W30]る。[W80]そ[W30]し[W30]て[W30]春[W30]も[W30]来[W30]る。 | ||||
1037 | 雪菜 | Setsuna | 「ごめんなさいっ!」 | ||
1038 | 朋 | Tomo | 「………」 | "........."
| |
1039 | 雪菜 | Setsuna | 「この間、わたしすごく嫌な態度取ったよね? せっかく朋が好意でライブ誘ってくれたのに」 | ||
1040 | 朋 | Tomo | 「雪菜…」 | ||
1041 | 雪菜 | Setsuna | 「すごく怒ってるのはわかってるんだけど… | ||
1042 | 雪菜 | Setsuna | でも、朋なら許してくれるよね?」 | ||
1043 | 朋 | Tomo | 「なっ、ちょっと雪菜! あなた、わたしのことなめてない? とりあえず謝っとけば許してくれるでしょみたいな~」 | ||
1044 | 雪菜 | Setsuna | 「え、えっと…そんなことはないと思うよ? そりゃ、朋の優しさに甘えてるのは認めるけど…」 | ||
1045 | 朋 | Tomo | 「ぐっ…」 | ||
1046 | 春希 | Haruki | 「なぁ、柳原さん… あまり雪菜を責めないでやって欲しいんだ。 元はと言えば、全部俺のせいなんだからさ」 | ||
1047 | 朋 | Tomo | 「そりゃそうなんだけどさぁ」 | ||
1048 | 依緒 | Io | 「こらっ」 | ||
1049 | 春希 | Haruki | 「今度埋め合わせするからさ。 そうだ、週末、雪菜を貸し出すとかどうかな? また旅行にでも行ってきたら?」 | ||
1050 | 朋 | Tomo | 「ぐぅっ…」 | ||
1051 | 武也 | Takeya | 「春希の奴… 朋のこと、完全になめてるよな?」 | ||
1052 | 依緒 | Io | 「いいんじゃない? あの狡猾さ…だいぶ治ってきたのはわかるよ」 | ||
1053 | 雪菜 | Setsuna | 「それで…こっからは相談なんだけど」 | ||
1054 | 朋 | Tomo | 「え~、まだあるの?」 | ||
1055 | 雪菜 | Setsuna | 「せっかくだから、やっぱり歌いたいな~って。 …今日の、10周年ライブ」 | ||
1056 | 朋 | Tomo | 「い、今からぁ?」 | ||
1057 | 雪菜 | Setsuna | 「うん…せっかくのトロイの記念日だし。 | ||
1058 | 雪菜 | Setsuna | 少なからず世話になってる身としては、ねぇ?」 | ||
1059 | 朋 | Tomo | 「それ、わたしが最初に誘った時の台詞まんまじゃん」 | ||
1060 | 武也 | Takeya | 「いいじゃんいいじゃん、 こんなお祭り企画、 どうせ飛び入り参加もOKなんだろ?」 | ||
1061 | 朋 | Tomo | 「でも、リハってものが… メンバーだって色々準備してきてるし、 交渉してみないとなんとも…」 | ||
1062 | 雪菜 | Setsuna | 「あ、それならもうOKもらってる」 | ||
1063 | 依緒 | Io | 「さっき楽屋で交渉してきたのよ。 メンバー全員一致で大歓迎だって」 | ||
1064 | 朋 | Tomo | 「………それと、わたしを通さず直接交渉してるのが 気に入らない」 | ||
1065 | 依緒 | Io | 「も~、そんなこと言わない。 どうせあんたも聴きたいくせに~」 | ||
1066 | 武也 | Takeya | 「や~、いい奴だな~、朋は!」 | ||
1067 | 朋 | Tomo | 「わたしは危険な女なの! 甘く見てると男は大火傷するの! そんな安全牌みたいな言い方やめて!」 | ||
1068 | 雪菜 | Setsuna | 「それじゃ、行ってきま~す! あ~、久しぶりだなぁ、思いっきり歌うぞ~!」 | ||
1069 | 依緒 | Io | 「カラオケじゃないからね? ライブだからね?」 | ||
1070 | 朋 | Tomo | 「あ~、待ってよ雪菜! ステージ立つなら楽屋でメイクしてから~!」 | ||
1071 | 武也 | Takeya | 「あ~あ、せわしないこと」 | ||
1072 | 依緒 | Io | 「ま、いいじゃん。 ここしばらく、馬鹿騒ぎなんてなかったし。 何しろ今日はお祭りなんだしさぁ」 | ||
1073 | 武也 | Takeya | 「ま、それもそっか… じゃ、俺たちは最前列確保に行くか。 春希は?」 | ||
1074 | 春希 | Haruki | 「俺は…もう帰るわ。 もともとお前らに会うために来ただけだし」 | ||
1075 | 依緒 | Io | 「なんだよ春希? ライブ見てかないのか? せっかく久しぶりの雪菜のステージなのに」 | ||
1076 | 春希 | Haruki | 「まだちょっと人混みは辛くてな…」 | ||
1077 | 武也 | Takeya | 「そっか…」 | ||
1078 | 春希 | Haruki | 「無理して悪化させるわけにはいかないからな。 頑張って完治して、目標は次のライブだ。 その時までに、何が何でも復調してやる」 | ||
1079 | 依緒 | Io | 「いや、だから頑張るなって…」 | ||
1080 | もう、来ない季節はない。 | ||||
1081 | 春希 | Haruki | 「…というわけで、今日からこちらの職場に 復帰させていただくことになりました」 | ||
1082 | 鈴木 | Suzuki | 「………」 | "........."
| |
1083 | 春希 | Haruki | 「長い間、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。 また、新人に戻った気持ちで一から頑張りますので、 皆さんどうかよろしくお願いします」 | ||
1084 | 松岡 | Matsuoka | 「………」 | "........."
| |
1085 | 春希 | Haruki | 「とはいえ、まだしばらくは 色々と無理が利かないことがあるかもしれません。 また新しい迷惑をかけてしまうかもしれません」 | ||
1086 | 木崎 | Kizaki | 「………」 | "........."
| |
1087 | 春希 | Haruki | 「それでも、いずれ必ず、今までのご恩をお返しします。 ですから、しばらくは長い目で見ていただけるよう…」 | ||
1088 | 鈴木 | Suzuki | 「あ~、それさぁ、いつまで続くの?」 | ||
1089 | 春希 | Haruki | 「え?」 | ||
1090 | 浜田 | Hamada | 「おい、鈴木…」 | ||
1091 | 松岡 | Matsuoka | 「いや、ちょっとね。 ご挨拶も佳境のところ、申し訳ないんだけどさ、 今、入稿間際なんだよね?」 | ||
1092 | 木崎 | Kizaki | 「俺はそろそろ出張行かないと」 | ||
1093 | 春希 | Haruki | 「あ…すいません。 その、俺…」 | ||
1094 | 鈴木 | Suzuki | 「北原君ならわかるっしょ? 編集部員がこんな朝っぱらから 無駄な時間使ってる余裕ないってことくらいさぁ」 | ||
1095 | 春希 | Haruki | 「はい…」 | ||
1096 | 浜田 | Hamada | 「き、北原…」 | ||
1097 | 松岡 | Matsuoka | 「そんなわけで、はい解散~。 さ~皆さん、今日も頑張っていきましょ~」 | ||
1098 | 木崎 | Kizaki | 「浜田さん決裁書チェックお願いできますか? 出かける前に通しときたいんですよね」 | ||
1099 | 浜田 | Hamada | 「だからお前ら、ちょっと…」 | ||
1100 | 春希 | Haruki | 「いえ、いいんです浜田さ…」 | ||
1101 | 松岡 | Matsuoka | 「てなわけで、続きは今日の20時からね~。 駅前の洋民で~」 | ||
1102 | 春希 | Haruki | 「え?」 | ||
1103 | 鈴木 | Suzuki | 「なにそのショボいチョイス。 松っちゃんに任せるんじゃなかったよ幹事…」 | ||
1104 | 木崎 | Kizaki | 「言ってやるな。 給料日前のこいつの財布の中身知ってるだろ」 | ||
1105 | 松岡 | Matsuoka | 「余計なこと言わない! 木崎さん、今日くらいは出先からちゃんと戻ってきてよ」 | ||
1106 | 木崎 | Kizaki | 「わかってるって。 けど藤沢からだから先に始めといて」 | ||
1107 | 鈴木 | Suzuki | 「あと、酒は強要はなしだよ? 乾杯からウーロン茶OKだよ?」 | ||
1108 | 木崎 | Kizaki | 「帰宅時間もな。 帰ると言ったら潔く送り出すんだぞ?」 | ||
1109 | 松岡 | Matsuoka | 「それとご厚志の方はまだまだ受け付けてますので、 遠慮なく声を掛けてくださいね浜田さん~」 | ||
1110 | 浜田 | Hamada | 「無理! 俺も給料前でピーピー」 | ||
1111 | 鈴木 | Suzuki | 「え~、しぶ~い!」 | ||
1112 | 木崎 | Kizaki | 「せっかくの北原のめでたい日が台無しだな」 | ||
1113 | 松岡 | Matsuoka | 「普通なら編集長に掛け合うくらいやると思うけどな~」 | ||
1114 | 浜田 | Hamada | 「やかましい! はよ散れ! 忙しいんじゃなかったのか!」 | ||
1115 | 鈴木 | Suzuki | 「あ~い、それじゃ業務開始~」 | ||
1116 | 木崎 | Kizaki | 「行ってきま~す」 | ||
1117 | 松岡 | Matsuoka | 「お仕事お仕事~♪」 | ||
1118 | 浜田 | Hamada | 「ふぅ、まったくあいつらときたら…」 | ||
1119 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
1120 | 浜田 | Hamada | 「どうした? やっぱ久しぶりで戸惑ったか?」 | ||
1121 | 春希 | Haruki | 「いえ、そうじゃなくて…」 | ||
1122 | 浜田 | Hamada | 「ん?」 | ||
1123 | 春希 | Haruki | 「帰って来れたんだなぁって… 多分、俺の、ホームグラウンドへ」 | ||
1124 | 浜田 | Hamada | 「…多分じゃねえよ」 | ||
1125 | そして、終わらない季節もない。 | ||||
1126 | 雪菜 | Setsuna | 「春希、くん…」 | ||
1127 | 春希 | Haruki | 「なんだよ馬鹿」 | ||
1128 | 雪菜 | Setsuna | 「そんなに馬鹿、馬鹿って言われると、 ますます馬鹿になっちゃうよ?」 | ||
1129 | 雪菜 | Setsuna | 「あなたのこと、好きになりすぎて、 何をされても嫌いになれなくなっちゃうよ?」 | ||
1130 | 春希 | Haruki | 「………馬鹿っ」 | ||
1131 | 雪菜 | Setsuna | 「大丈夫? 寒くない? どこも痛くない? …辛く、ない?」 | ||
1132 | 春希 | Haruki | 「大丈夫、大丈夫だ… ただ」 | ||
1133 | 雪菜 | Setsuna | 「ただ…?」 | ||
1134 | 春希 | Haruki | 「済まないって思ってるだけ。 また雪菜のことを好きになってしまって…」 | ||
1135 | 雪菜 | Setsuna | 「…かずさに?」 | ||
1136 | 春希 | Haruki | 「雪菜に」 | ||
1137 | 雪菜 | Setsuna | 「………」 | "........."
| |
1138 | そんなのは当たり前のこと、ただの自然現象。 | ||||
1139 | 孝宏 | Takahiro | 「あれ? 北原さんまた来たの?」 | ||
1140 | 春希 | Haruki | 「夜分恐れ入ります。 …ご両親、いるかな?」 | ||
1141 | 孝宏 | Takahiro | 「そりゃいるけどさぁ… でも、いつも通り出てこないと思うよ?」 | ||
1142 | 春希 | Haruki | 「そっか…ありがとう。 それじゃ、もう少しここで待ってみることにする。 …ご近所に変な噂が立っちゃったらごめんな」 | ||
1143 | 孝宏 | Takahiro | 「…いや、隣近所もうみんな知ってるし。 こないだ隣のおばさんに差し入れもらってたろ?」 | ||
1144 | 春希 | Haruki | 「見てたんだ、あれ…」 | ||
1145 | 孝宏 | Takahiro | 「なぁ、北原さん… あんた、今度こそ本当に 姉ちゃんと結婚する気なんだよな?」 | ||
1146 | 春希 | Haruki | 「うん」 | ||
1147 | 孝宏 | Takahiro | 「………と真顔で即答されても弟としては微妙だけど」 | ||
1148 | 春希 | Haruki | 「でも、ご両親が反対する気持ちもわかる。 俺、今まで不義理を働いてきたし、病気のこともあるし」 | ||
1149 | 孝宏 | Takahiro | 「あんなこと馬鹿正直に言わなきゃよかったんだよ… 誰も得しないだろ」 | ||
1150 | 春希 | Haruki | 「それでも、それが俺だから。 家族になる人たちには、 隠し事のない俺を見て欲しいから」 | ||
1151 | 孝宏 | Takahiro | 「ほんっと、難儀な人だよなぁ。 …姉ちゃんといい勝負だよ」 | ||
1152 | 春希 | Haruki | 「あ、あはは…」 | ||
1153 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「ちょっとあなた… さっきからずっと待ってますよ北原さん」 | ||
1154 | 雪菜の父 | Setsuna's Father | 「それが何だって言うんだ」 | ||
1155 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「そろそろ認めてあげても…雪菜のためにも。 もう、ああいうことにはならないと思いますけど」 | ||
1156 | 雪菜の父 | Setsuna's Father | 「うるさいっ! あんな男の言うことなど信用できるか!」 | ||
1157 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「でも、せめて話を聞くだけでも」 | ||
1158 | 雪菜の父 | Setsuna's Father | 「いいや、彼は口が立つから駄目だ。 話せば最後、 ついつい丸め込まれてしまうに決まっている」 | ||
1159 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「…こちらの方がよほど年上なんですから、 そういう理由で逃げるのは少し情けない気がしますけど」 | ||
1160 | 雪菜の父 | Setsuna's Father | 「とにかく今はまだ駄目だ! …もう少し、雪菜が頭を冷やしてからだ」 | ||
1161 | 雪菜の母 | Setsuna's Mother | 「頭を冷やすもなにも、 そんなことばかり言っていたら、 雪菜、二度と彼の部屋から帰ってきませんよ?」 | ||
1162 | 雪菜の父 | Setsuna's Father | 「………っ」 | ||
1163 | 自分の人生とは関係のない、巡る季節の話。 | ||||
1164 | 雪菜 | Setsuna | 「ね~、二次会カラオケでいいよね~? とはいえこっちでもう三票押さえたんだけど~」 | ||
1165 | 武也 | Takeya | 「あ~、わかったわかった~! 政治工作ご苦労さん~!」 | ||
1166 | 雪菜 | Setsuna | 「りょうか~い。 じゃあ、行きつけのお店に電話入れとくね~」 | ||
1167 | 武也 | Takeya | 「はいはい…」 | ||
1168 | 依緒 | Io | 「…で、ちょっと、武也」 | ||
1169 | 武也 | Takeya | 「なんだよ?」 | ||
1170 | 依緒 | Io | 「いつ皆に話すのよ? あたしたちのこと」 | ||
1171 | 武也 | Takeya | 「ぐ…」 | ||
1172 | 依緒 | Io | 「今日こそは話すって言ってたじゃん。 なのに一次会でも結局切り出さないし」 | ||
1173 | 武也 | Takeya | 「いや、けど今さらなぁ?」 | ||
1174 | 依緒 | Io | 「って、それ半年前から同じこと言ってるじゃん! いい加減ビシっと決めてよ! 男だろ!」 | ||
1175 | 武也 | Takeya | 「お前の方がよっぽど男らし… | ||
1176 | 武也 | Takeya | わかったごめんごめん! その、なんだ、帰り際に…」 | ||
1177 | 依緒 | Io | 「次カラオケボックスじゃん! 他に誰も聞いてないからうってつけじゃん!」 | ||
1178 | 武也 | Takeya | 「なんだよ! マイク持って大声で告白しろとでも言うのかよ?」 | ||
1179 | 依緒 | Io | 「いや…それは恥ずかしい、けど… う、うん…悪くないかも」 | ||
1180 | 武也 | Takeya | 「マジかお前! なんか色々焦り来てる!?」 | ||
1181 | 依緒 | Io | 「お前、中学の時からずっとあたし狙ってたくせに! 一度寝たら興味失うって本当だったのかよ!?」 | ||
1182 | 武也 | Takeya | 「どこ情報だそれは!」 | ||
1183 | 朋 | Tomo | 「あの二人、いつになったら言うんだろうね…」 | ||
1184 | 春希 | Haruki | 「いいか? 聞いたらちゃんと驚いてやるんだぞ?」 | ||
1185 | 朋 | Tomo | 「え~、めんどくさ~」 | ||
1186 | 雪菜 | Setsuna | 「はい、はい、じゃあ、その部屋で。 え~と………5名だから5時間でお願いします」 | ||
1187 | 春希&朋 | 「2時間!」 | |||
1188 | だから、一緒に季節を巡っていこう。 | ||||
1189 | 浜田 | Hamada | 「何度言ったらわかんだよ!」 | ||
1190 | 春希 | Haruki | 「他誌に奪われたら終わりですよ!? 今、ねじ込むしかないんですよ!」 | ||
1191 | 浜田 | Hamada | 「だから俺には そこまでの予算付ける権限はないって言ってるだろ!」 | ||
1192 | 春希 | Haruki | 「だからこそ 上に掛け合ってくれって言ってるんじゃないですか! 副編でも、編集長でも、局長でも、なんなら社長でも!」 | ||
1193 | 浜田 | Hamada | 「締め切り間際でそんな面倒ごと持ち込むなこの馬鹿! やりたけりゃ自分で交渉してこい!」 | ||
1194 | 春希 | Haruki | 「………」 | "........."
| |
1195 | 浜田 | Hamada | 「な、なんだよ? とにかく、俺は…」 | ||
1196 | 春希 | Haruki | 「聞きましたね? 松岡さん」 | ||
1197 | 松岡 | Matsuoka | 「いや…まぁな」 | ||
1198 | 春希 | Haruki | 「聞きましたよね? 鈴木さん」 | ||
1199 | 鈴木 | Suzuki | 「あ~、はいはい」 | ||
1200 | 春希 | Haruki | 「木崎さんも」 | ||
1201 | 木崎 | Kizaki | 「毎度毎度飽きないねあんた方」 | ||
1202 | 浜田 | Hamada | 「なんだよ? 一体何が言いたいんだよ北原?」 | ||
1203 | 春希 | Haruki | 「いや、別に。 じゃあ、駄目もとで直接交渉してみます。 …いいんですよね?」 | ||
1204 | 浜田 | Hamada | 「やれるもんならやってみやがれ」 | ||
1205 | 春希 | Haruki | 「…ありがとうございます。 では、失礼します」 | ||
1206 | 浜田 | Hamada | 「っ… おい、誰かあいつを止めろよ」 | ||
1207 | 木崎 | Kizaki | 「ここまで完全復活するとは誰が予想しただろうか…」 | ||
1208 | 松岡 | Matsuoka | 「いや、みんな大体予想してたでしょ」 | ||
1209 | 鈴木 | Suzuki | 「…まぁね」 | ||
1210 | 木崎 | Kizaki | 「あれで体力的には確かに無茶してないんだよなぁ… 下っ端のくせに人の使い方が上手すぎる」 | ||
1211 | 松岡 | Matsuoka | 「浜田さんとか、デスクとか、直属の上司とか」 | ||
1212 | 鈴木 | Suzuki | 「いや、それ一人じゃん」 | ||
1213 | 浜田 | Hamada | 「お前ら… | ||
1214 | 浜田 | Hamada | まぁいいや。 どうせ上が納得するもんか、こんなバクチ企画」 | ||
1215 | 木崎 | Kizaki | 「甘く見ない方がいいですよ…あの北原の狡猾さを」 | ||
1216 | 浜田 | Hamada | 「ふん、こちとら何年デスクやってると思ってんだ。 あの程度の若手なんかにゃ…」 | ||
1217 | 木崎 | Kizaki | 「多分、あいつ知ってんですよ… 来週の人事異動の内容」 | ||
1218 | 浜田 | Hamada | 「………………………なんだと?」 | ||
1219 | 松岡 | Matsuoka | 「え、なにそれどゆこと?」 | ||
1220 | 鈴木 | Suzuki | 「あ、もしかして浜田さん副編昇格? そっか、そしたら扱える予算の額も…」 | ||
1221 | 木崎 | Kizaki | 「それ“だけ”なら良かったんだけどね…」 | ||
1222 | 浜田 | Hamada | 「っ…」 | ||
1223 | 木崎 | Kizaki | 「俺、人事に同期いるから聞いたんだけどさ、 ウチの部署にアメリカ帰りのエリートが やってくるんだってさ………編集長として」 | ||
1224 | 松岡 | Matsuoka | 「ア、アメリカ帰り…?」 | ||
1225 | 鈴木 | Suzuki | 「へ、編集長?」 | ||
1226 | 木崎 | Kizaki | 「………」 | "........."
| |
1227 | 松岡 | Matsuoka | 「………」 | "........."
| |
1228 | 鈴木 | Suzuki | 「………」 | "........."
| |
1229 | 浜田 | Hamada | 「………っ、 あああああっ! もうっ!」 | ||
1230 | 松岡 | Matsuoka | 「デスク…いや、副編集長」 | ||
1231 | 鈴木 | Suzuki | 「昇進おめでとうございます。 でも、短い春でしたねぇ…」 | ||
1232 | 冬も、春も、夏も、秋も。 | ||||
1233 | どの季節の君も、俺にとっては必要なんだから。 | ||||
1234 | 雪菜 | Setsuna | 「もう、あんまり無理しないでよ?」 | ||
1235 | 春希 | Haruki | 「してないよ? ちゃんと昨日だって日付変わる前に帰ってきただろ?」 | ||
1236 | 雪菜 | Setsuna | 「ギリッギリ五分前だよ… ほんと、気をつけてよね?」 | ||
1237 | 春希 | Haruki | 「そういう雪菜だって、 俺が帰ってきた時、うたた寝してたじゃないか」 | ||
1238 | 雪菜 | Setsuna | 「あ、あれは… 週明けにイベントがあって、その準備が忙しくて…」 | ||
1239 | 春希 | Haruki | 「へぇ…」 | ||
1240 | 雪菜 | Setsuna | 「い、いまはわたしの話じゃ…」 | ||
1241 | 春希 | Haruki | 「大丈夫… 何度再発しても、お前が癒してくれる。 そのたびに俺は、戻ってくるさ」 | ||
1242 | 雪菜 | Setsuna | 「すぐそうやって誤魔化すんだから… まぁ、誤魔化される方も誤魔化される方なんだけど」 | ||
1243 | 春希 | Haruki | 「何年経っても変わらないよな、俺たち」 | ||
1244 | 雪菜 | Setsuna | 「いい意味でも、悪い意味でもね」 | ||
1245 | 春希 | Haruki | 「多分、一生ずっとこのままだよな、二人とも」 | ||
1246 | 雪菜 | Setsuna | 「………うん」 | ||
1247 | ……… | .........
| |||
1248 | 雪菜 | Setsuna | 「あ…」 | ||
1249 | 春希 | Haruki | 「どうした雪菜? こっちだぞ?」 | ||
1250 | 雪菜 | Setsuna | 「春希くん、あれ…」 | ||
1251 | 春希 | Haruki | 「ああ…」 | ||
1252 | 春希 | Haruki | 「…一緒に行こうな」 | ||
1253 | 雪菜 | Setsuna | 「…うん」 |
Script Chart[edit]
Edit this section For more instructions on how the script chart works, please click here.
If you are below the age of consent in your respective country, you are advised to not read any adult content (marked by cells with red backgrounds) where applicable. Otherwise, you are agreeing to the terms of our Disclaimer.
Introductory Chapter | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
1001 | 1008 | 1009 | 1010 | 1011 | 1012 | 1013 |
1002 | 1008_020 | 1009_020 | 1010_020 | 1011_020 | 1012_020 | |
1003 | 1008_030 | 1009_030 | 1010_030 | 1011_030 | 1012_030 | |
1004 | 1008_040 | 1010_040 | 1012_030_2 | |||
1005 | 1008_050 | 1010_050 | ||||
1006 | 1010_060 | |||||
1006_2 | 1010_070 | |||||
1007 |
Closing Chapter | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
Common | Setsuna | Koharu | Chiaki | Mari | ||||||
2001 | 2011 | 2020 | 2027 | 2301 | 2309 | 2316 | 2401 | 2408 | 2501 | 2510 |
2002 | 2012 | 2021 | 2028 | 2302 | 2310 | 2317 | 2402 | 2409 | 2502 | 2511 |
2003 | 2013 | 2022 | 2029 | 2303 | 2311 | 2318 | 2403 | 2410 | 2503 | 2512 |
2004 | 2014 | 2023 | 2030 | 2304 | 2312 | 2319 | 2404 | 2411 | 2504 | 2513 |
2005 | 2015 | 2024 | 2031 | 2305 | 2313 | 2320 | 2405 | 2412 | 2505 | 2514 |
2006 | 2016 | 2025 | 2032 | 2306 | 2314 | 2321 | 2406 | 2413 | 2506 | 2515 |
2007 | 2017 | 2026 | 2033 | 2307 | 2315 | 2322 | 2407 | 2507 | 2516 | |
2008 | 2018 | 2308 | 2508 | 2517 | ||||||
2009 | 2019 | 2509 | ||||||||
2010 | ||||||||||
Setsuna | Koharu | Chiaki | Mari | |||||||
2031_2 | 2312_2 | 2401_2 | 2504_2 | 2511_2 | ||||||
2031_3 | 2313_2 | 2402_2 | 2507_2 | 2513_2 | ||||||
2031_4 | 2313_3 | 2402_3 |
Coda | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
Common | Kazusa (True) | Setsuna (True) | Kazusa (Normal) | ||||||
3001 | 3008 | 3014_2 | 3020 | 3101 | 3107 | 3201 | 3207 | 3901 | 3907 |
3002 | 3009 | 3014_3 | 3021 | 3102 | 3108 | 3202 | 3208 | 3902 | 3908 |
3003 | 3010 | 3015 | 3022 | 3103 | 3109 | 3203 | 3209 | 3903 | 3909 |
3004 | 3011 | 3016 | 3023 | 3104 | 3110 | 3204 | 3210 | 3904 | |
3005 | 3012 | 3017 | 3024 | 3105 | 3111 | 3205 | 3211 | 3905 | |
3006 | 3013 | 3018 | 3106 | 3206 | 3906 | ||||
3007 | 3014 | 3019 | |||||||
Common | Setsuna (True) | Kazusa (Normal) | |||||||
3001_2 | 3210_2 | 3901_2 | 3906_2 | ||||||
3015_2 | 3902_2 | 3907_2 | |||||||
3902_3 | 3907_3 | ||||||||
3904_2 |
Mini After Story and Extra Episode | |||
---|---|---|---|
The Path Back to Happiness | The Path Forward to Happiness | Dear Mortal Enemy | |
6001 | 6101 | 4000 | 4005 |
6002 | 6102 | 4001 | 4006 |
6003 | 6103 | 4002 | 4007 |
6004 | 6104 | 4003 | 4008 |
6005 | 4004 | 4009 |
Novels | |||||
---|---|---|---|---|---|
The Snow Melts, And Until The Snow Falls | The Idol Who Forgot How to Sing | Twinkle Snow ~Reverie~ | After the Festival ~Setsuna's Thirty Minutes~ | His God, Her Savior | |
5000 | 5100 | 5200 | 5205 | 5300 | 5400 |
5001 | 5101 | 5201 | 5206 | 5301 | 5401 |
5002 | 5102 | 5202 | 5207 | 5302 | |
5003 | 5103 | 5203 | 5208 | 5303 | |
5004 | 5104 | 5204 | 5209 |
Short Stories | |||
---|---|---|---|
Princess Setsuna's Distress and Her Minister's Sinister Plan | Koharu Climate After the Passing of the Typhoon | This isn't the Season for White Album | Todokanai Koi, Todoita |
7000 | 7100 | 7200 | 7300 |