White Album 2/Script/3902

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1	春希	Haruki	「母娘で温泉旅行…？」
2	浜田	Hamada	「昨日ひょっこり帰ってきたんだとさ。 携帯も持たずに行き当たりばったりで、 周囲が騒ぎになってることも何処吹く風だったって」
3	春希	Haruki	「はぁ…」
4	浜田	Hamada	「けど実はな、 そんなことよりももっと深刻な問題があってだな」
5	春希	Haruki	「なんです？」
6	浜田	Hamada	「冬馬かずさが旅行先で階段から落ちて怪我したんだと。 右手に裂傷、左手に捻挫で、どっちも全治二週間」
7	春希	Haruki	「それは………大変ですね」
8			なるほど…そうまとめたか。
9	浜田	Hamada	「スポンサーは真っ青だよ… 勝手に遊びに行って勝手に怪我こさえて… さすがに弁護できないだろ」
10	春希	Haruki	「それは…まぁ」
11	浜田	Hamada	「こういうところはやっぱり冬馬曜子の娘だよなぁ。 そりゃ、週刊誌も色々書くわけだ」
12	春希	Haruki	「………」	"........."
13			昨夜、ようやく連絡がついた曜子さんは、 俺が今までのことを説明するよりも早く、 『全部任せておきなさい』とだけ言って電話を切った。
14			一体、俺たちのことを何処まで掴んでるのか… 本当に得体の知れない母親にしてプロモーターだ。
15	浜田	Hamada	「追加公演までには弾けるようにはなってるだろうけど、 完璧なコンディションを作れるかどうかは難しいな」
16	春希	Haruki	「…でしょうね。 完治しても、すぐに練習を再開できるかどうか」
17	浜田	Hamada	「ただでさえ先週の公演も微妙な評価だったのに、 踏んだり蹴ったりだな」
18	春希	Haruki	「…すいません」
19	浜田	Hamada	「お前が謝ることじゃないだろ。 別に彼女の怪我はお前のせいじゃないんだし」
20			俺のせいだ。
21	春希	Haruki	「でも、俺がちゃんと彼女に張りついていれば… 俺にはそれができたのに」
22			仕事と割り切れていれば。 かずさの側にいても、自分を保てていれば。
23			…かずさを、裏切りさえしなければ。
24	浜田	Hamada	「そう自分を責めるな。 仕方ないって。相手が相手だ」
25	春希	Haruki	「はい…」
26			そういう問題じゃない。 本質は、全然違うところにある。
27	浜田	Hamada	「というわけで、これまでの件は以上だ。 で、続いて今後の話になるんだが…」
28	春希	Haruki	「今後って…」
29	浜田	Hamada	「今回のトラブルは確かに残念だったけど、 ウチの企画がポシャった訳じゃない」
30	春希	Haruki	「………」	"........."
31	浜田	Hamada	「冬馬かずさ独占取材は、 一応、追加公演が終わるまでって契約になってる」
32			追加公演は、今月末。
33	浜田	Hamada	「で、先方は…というか冬馬曜子は、 引き続きお前が担当することを希望してる。 …問題ないよな？」
34	春希	Haruki	「浜田さん…」
35			あと一月は、事務所公認でかずさと一緒にいられる。
36			冬が、終わるまでは…
37	浜田	Hamada	「さすがにネタは残り少なくなってきたけど、 向こうがお前に求めてるのは、 それだけじゃないからな」
38			曜子さんが俺に一番求めてるのは、 多分、マネージャーとしての役目。
39			けれど、かずさが求めてるのは…
40	浜田	Hamada	「というわけで、通常業務に復帰しつつ、 今の特命業務も引き続き進めてくれ。以上だ」
41	春希	Haruki	「………わかりました」
42			どさくさに紛れて仕事を増やされてる気もしたけれど、 今は大人しく頷いておくしか選択肢はなかった。
43			なぜならその条件は、今の俺には… 今のあいつには、絶対に必要なものだったから。
44			………	.........
45	雪菜	Setsuna	「春希く～ん！ こっちこっち～！」
46	春希	Haruki	「あ…」
47			多くの人が行き交う駅前にもかかわらず、 俺の耳にまっすぐ届く、高く澄んだ声。
48			周囲の雑踏にかき消されたりしないのは、 声の大きさだけじゃなく、声の出し方だけじゃなく、 多分、気持ちのこもった声だから。
49	雪菜	Setsuna	「今週も、お疲れさまでした～」
50	春希	Haruki	「…悪い、待たせた」
51	雪菜	Setsuna	「ううん全然。 待つ時間がちっともつまらなくないから」
52	春希	Haruki	「雪菜…」
53			そう、気持ちがこもってた。
54			俺を見つけて大きく手を振る雪菜は。 俺が近づくのをまっすぐ見つめる雪菜は。
55			…俺に、信じ切った笑顔を向ける雪菜は。
56	雪菜	Setsuna	「ね、お買い物どうしてこうか？」
57	春希	Haruki	「あ、うん…」
58	雪菜	Setsuna	「家の近くのスーパーだと閉店ギリギリだし… こっちで買ってから帰ろうか？ ちょっと荷物が重くなるけど」
59			大阪で再会してから一週間…
60			今日は、あの夜以来の、 東京では一月ぶりの“一週間ルール”を果たす日。
61			心躍るはずの、逢瀬…
62	春希	Haruki	「あのさ…今日はどっか食べに行かないか？」
63	雪菜	Setsuna	「え？　どうして？」
64	春希	Haruki	「ええと… 実は俺、昼間抜いちゃったからもう腹ペコで」
65	雪菜	Setsuna	「今日は久しぶりに腕を振るうつもりで、 朝から気合入れてきたんだけどな…」
66	春希	Haruki	「そりゃ、すごく楽しみではあるけどさ…」
67	雪菜	Setsuna	「すぐに作るから。 さっさと買い物して、さっさと帰ろ？」
68			『帰ろ』…か。
69			俺の部屋。 雪菜が週末を過ごすべき場所。
70			けれど、今の俺の部屋は。 その隣は…
71	春希	Haruki	「今日はおごるからさ…軽く飲んでかないか？ すぐ近くにワインの美味い店があるって 先輩に教えてもらったんだ」
72	雪菜	Setsuna	「おごるなんて言ってたら余計に駄目だよ。 わたしたち、そろそろお金貯めないと。 だって…」
73	春希	Haruki	「あ…」
74			その雪菜の介入は、今の俺たちにとっては、 何の違和感もあり得ない、 理に適い過ぎた行為だった。
75			だって…
76			そんなお節介な言葉とともに 少し頬を染める雪菜の左薬指の輝きは、 今は、ちょっとだけ高級感を増している。
77	雪菜	Setsuna	「…そういうの、嫌かな？ ちょっと退いちゃった？」
78	春希	Haruki	「え？　いや、そんなことないけど」
79			一瞬だけ、言葉に詰まった俺を、 雪菜はふと寂しそうに見つめた。
80	雪菜	Setsuna	「でも別にそういうつもりじゃ… あ、ええと、そういうつもりっていうのが どういうつもりかっていうのは…」
81	春希	Haruki	「なに難しいこと言おうとしてるんだよ。 別に嫌とか退くとかあるわけないだろ」
82			…ように見えたのも、 本当は、俺の考えすぎなのかもしれないけど。
83	春希	Haruki	「ただ、ほっとしただけだよ。 …あまりにも、いつも通りの雪菜だったから」
84			でも、フォローせずにはいられなかった。
85	雪菜	Setsuna	「いつも通り…だったかな？」
86	春希	Haruki	「ああ、いつも通りだ。 ケチケチしてて、所帯じみてて、生活感たっぷりな、 いつもの雪菜だよ」
87			義務感でも責任感でもなく、 ただ、そうしたかったから。
88	雪菜	Setsuna	「そ、そんなにぬかみそ臭くはないと思うんだけど？」
89	春希	Haruki	「ぬかみそのなにが悪いんだ？ 家庭的で、実に雪菜っぽくていいじゃん」
90	雪菜	Setsuna	「だ、だからぁ！ なんかさっきから悪意があるよ春希くん～！」
91	春希	Haruki	「ほらほら、さっさとスーパー行くぞ？ さっきから俺、ハラペコだって言ってるだろ？」
92	雪菜	Setsuna	「も、もう！ わたしの名誉回復してからにしてよ～！」
93			本当に、好きなんだ。
94			ケチケチしてる雪菜が。 所帯じみてる雪菜が。 生活臭漂う雪菜が。
95			家庭的で、こんな俺をもほっとさせてくれる雪菜が、 心から、愛おしいんだ。
96			だからこそ、 雪菜とこうして穏やかな時間を過ごすのが…
97	春希	Haruki	「あ、ちょっとその前に… 上司に報告し忘れたことがあった」
98	雪菜	Setsuna	「もう、完全に誤魔化しモードに入ってるし～」
99			雪菜を半歩置き去りにして、 携帯を耳に当てる。
100			呼び出し先の名前に、 『坂本純生』という名を表示させながら…
101	携帯アナウンス	Cellphone Voicemail	「留守番電話サービスに接続します。 合図の後にメッセージをお願いします」
102	春希	Haruki	「あ、北原です。先ほど吉浜エンジニアリングの 木村さんからメールがありまして、月曜の打ち合わせの件、 午後４時からでお願いしますとのことでした」
103	春希	Haruki	「メールも転送してありますので確認してください。 それじゃ、失礼します」
104	春希	Haruki	「で、なんの話だっけ？」
105	雪菜	Setsuna	「…もういい。 さっさと買い物してさっさとご飯食べよ！」
106	春希	Haruki	「あ、待てよ雪菜。 俺、今日はイタリアンの気分なんだよね」
107	雪菜	Setsuna	「わかった。なら寄せ鍋ね。 白菜にしいたけに…お魚は鱈にしよっか？」
108	春希	Haruki	「…そういう地味な復讐はやめような？」
109			………	.........
110			『…午後４時からでお願いしますとのことでした。 メールも転送してありますので確認してください。 それじゃ、失礼します』
111	携帯アナウンス	Cellphone Voicemail	「メッセージは、以上です」
112	かずさ	Kazusa	「４って…なんだっけ？」
113	かずさ	Kazusa	「………そっか。 雪菜、来るんだ」
114			………	.........
115			……	......
116			…	...
117	雪菜	Setsuna	「ふぅ、洗い物終わりっと」
118	春希	Haruki	「お疲れさま」
119	雪菜	Setsuna	「はい、疲れました～…よっと」
120	春希	Haruki	「っ…」
121			キッチンからとたとたと戻ってくると、 雪菜はわざわざ俺の向かいじゃなく隣に座り、 ゆっくりと身体をもたれさせてきた。
122			スーツを脱ぎ、楽な格好に着替え、 いつもの…お泊まりモードの雪菜になっていた。
123	雪菜	Setsuna	「春希くんも、一週間お疲れさま。 今週は色々あって大変だったでしょ？」
124	春希	Haruki	「いや、そんなこと…別に」
125			そりゃ、大変だったさ。
126			あまりにも色々ありすぎて、 しかもその一つ一つのことがあり得なさすぎて、 一言も雪菜に話せないくらい大変なことだらけだったんだ。
127	雪菜	Setsuna	「遠慮しなくてもいいよ。 心にも体にも溜まったもの全部吐き出していいよ？ …何でも受け止めるよ？」
128	春希	Haruki	「雪菜…」
129			言いながら雪菜が、ぴったりと身体を寄せてくる。
130			それは、俺たちの間なら通じないはずのない、 あからさまなサイン。
131			この後、俺は雪菜の肩を優しく、けれど強く抱きしめ、 雪菜はうっとりと俺を見上げ、目を閉じて…
132	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
133			なんて、三秒前の予想を簡単に正解にしてしまう。 俺を、求めてくれる。
134	春希	Haruki	「…雪菜」
135			雪菜の温かさが俺に染みてくる。 いつもの、俺の大好きな匂いが鼻をくすぐる。
136			そんな、心が踊りつつ穏やかなはずの時間が… けれど今の俺には、とてつもなく怖い。
137			自分の気持ちが外に漏れ出ていないかって。 雪菜に、伝わってしまわないかって。
138	雪菜	Setsuna	「春希く………んっ」
139	春希	Haruki	「ん…」
140			けれど結局、 何も、変わることはなかった。
141	雪菜	Setsuna	「ん、んぅ…ちゅ…は、あむ…」
142			あの夜の過ちを経ていながらも… 俺はまた、逆方向の過ちへと、揺り戻る。
143	春希	Haruki	「せつ、な…は、あ、あぁ…」
144	雪菜	Setsuna	「ふ、んむ…ん、ちゅぷ…は、あ、んむ」
145			多分俺はここでキスを続けたまま、 雪菜の服をたくし上げ、軽く愛撫する。
146			唇を繋げたまま抱きかかえ、 ベッドまで運び、仰向けに寝かせる。
147			服を脱いで、脱がせて、 優しく、激しく交わり…
148			果てた後、しばらく余韻を楽しんだら、 二人一緒に風呂に入る。
149	雪菜	Setsuna	「ふ、ん、んぅっ…ちゅぅぅ…は、ぁ… あ、あむぅ…ちゅ、ん、んぅ…」
150			けれど、今の俺は…
151			今まで愛情を込めて正しく営んできたその行為を、 とても罪深い所業へと変えてしまった俺は…
152	雪菜	Setsuna	「春希くん…もう…」
153	春希	Haruki	「ん…雪菜」
154			………唇を繋げたまま抱きかかえ、 ベッドまで運び、仰向けに寝かせる。
155			………	.........
156			その罪深き所業を咎める人も、 傷つく人も、ここにはいないから。
157			隣の部屋に、かずさはいないから。 今夜一晩、帰ってこないから。
158	雪菜	Setsuna	「んっ…や、はぁ…あぁぁ…」
159			俺が、そうしてくれと頼んだ。 …さっきの留守電で。
160			メッセージの中に、一つだけ数字を入れておき、 あらかじめ渡しておいた表と照らし合わせることで、 俺の本当のメッセージを伝えてる。
161			０は、『もうすぐ帰る』 １は、『遅くなる』 ２は、『今日は帰れない』
162	雪菜	Setsuna	「はぁぁんっ、んっ、ん、く…ぁぁ… はぁっ、はぁっ…あ、あぁ…い、いい…そこ、ぉ」
163			そして４は………『一晩部屋を空けてくれ』。 最低の最低を上塗りするときの、キーワード。
164			かずさは今、隣の部屋にいない。 だから雪菜がどれだけ大きな声を上げても、 何度も達しても、何の問題もない。
165			何の、問題もないんだ。 だってあいつが… かずさが、認めてしまったんだから。
166	雪菜	Setsuna	「あ、あ、あ…は、春希く…んあぁぁぁぁぁっ！」
167			俺が、今まで通り、雪菜と週末を過ごすことを。
168			雪菜を、抱くことを。
169	春希	Haruki	「何…言ってんだ」
170	かずさ	Kazusa	「仲直り、したんだろ？ だったら、会わない方が不自然じゃないか」
171	春希	Haruki	「かずさ…？」
172	かずさ	Kazusa	「週末には、必ず会ってるんだろ？ 土曜は、朝からずっと一緒なんだろ？ 金曜の夜は………泊めるんだろ？」
173	春希	Haruki	「それは…」
174	かずさ	Kazusa	「だったら、これからも同じだよ。 何一つ変わらない、いつもの日常だ」
175	春希	Haruki	「変わらない…って」
176	かずさ	Kazusa	「毎日、雪菜と電話して、メールして、 週末はずっと一緒にいて、 そして…そういう雰囲気になったらさ…」
177	春希	Haruki	「やめろよ。 そんなの、許されるわけ…」
178	かずさ	Kazusa	「許されないのは、こっちだ。 間違ってるのは、あたしだ」
179	春希	Haruki	「………」	"........."
180	かずさ	Kazusa	「そうしないと雪菜は怪しむし、悲しむ。 いいことなんか、一つもない」
181	春希	Haruki	「そんな、こと」
182	かずさ	Kazusa	「それに、お前たちが愛し合うのは正しいことだ。 …あたしとするのとは違って、いいことなんだ」
183	春希	Haruki	「そんなの、いいも悪いもない…」
184	かずさ	Kazusa	「それが、みんなにとって一番幸せなんだ。 本当はわかってるんだろ、春希？」
185	春希	Haruki	「けど俺、今は… 今は、お前の、 お前だけの…」
186	かずさ	Kazusa	「それは、あたしと二人きりの時だけでいいよ… それですら、とんでもないワガママなんだから」
187	春希	Haruki	「かずさ…お前」
188	かずさ	Kazusa	「お前みたいな真面目な奴には辛いかもしんないけどさ… それでも、あたしのために耐えてくれ。 …壊したくないんだ、春希も、雪菜もさ」
189	春希	Haruki	「お前は…っ」
190	かずさ	Kazusa	「できる、よな？」
191	春希	Haruki	「………」	"........."
192	かずさ	Kazusa	「頼むよ、春希。 お願いだ」
193	春希	Haruki	「………任せとけ、よ」
194	かずさ	Kazusa	「…うん」
195	春希	Haruki	「俺、俺、さ… 昔より、嘘、上手くなったんだ… だから絶対にバレたりしない」
196	かずさ	Kazusa	「そいつは………頼もしいな」
197	雪菜	Setsuna	「は…あ………っ、 ああああああああっ、あぁぁんっ、んぅぅっ…」
198	春希	Haruki	「………っ」
199			だから俺は… 雪菜の奥深くに、潜り込む。
200	雪菜	Setsuna	「やぁぁっ、はぁっ、あ、ああ…っ、 ご、ごめんなさい…また声、おっきく…」
201	春希	Haruki	「大丈夫… 誰にも、聞こえやしない」
202	雪菜	Setsuna	「うん、そうだね。 そうだったね…」
203	春希	Haruki	「だから、さ… 動いて、いいか？」
204	雪菜	Setsuna	「うん、ん、んぅ… いいよ…もっと。 この前みたいに、していいんだよ…？」
205	春希	Haruki	「雪菜…雪菜、ぁ…っ」
206	雪菜	Setsuna	「あああああ～っ！ はぁっ、あ、あんっ、ん、んぅ… んんんんん～っ、んぷ…あ、んむ…ちゅ…は、ぁぁ」
207			自らの罪を誤魔化すために、 雪菜の強さを信じて、甘え、依存する。
208			雪菜をこの腕に抱いているときは、 雪菜のことしか考えない。 雪菜を、雪菜だけを愛する。
209			…何も、難しいことなんかじゃない。 去年まで、当たり前のようにやってきたことだ。
210			………	.........
211	孝宏	Takahiro	「………さん、北原さんってば」
212	春希	Haruki	「っ！？ え？　あ、ああ、ごめん、何？」
213	孝宏	Takahiro	「…なんか疲れてるみたいだねって言ったんだけど、 もう答えは聞いたような気がするからいいや」
214	春希	Haruki	「あ…」
215			土曜日。
216			週末だけ寝起きの悪い雪菜と、 午前中は二人でだらだらと過ごし、 午後からはデートという名のショッピング。
217			そして夜、雪菜を家に送り届けるついでに、 小木曽家で夕食をご馳走になる。
218			昨年までは、毎週のように繰り返してた生活パターンに、 一月がかりでようやく戻ってきた。
219	雪菜の母	Setsuna's Mother	「あまり箸も進んでないみたいだし、 もしかしたら具合が悪いんじゃない？ 雪菜、ちょっとあれ持ってきてあれ」
220	雪菜	Setsuna	「あれじゃなくて体温計ってちゃんと言ってよ」
221	春希	Haruki	「あ、いえ、気遣っていただかなくてもいいです。 別にそんな大したことじゃ…」
222	孝宏	Takahiro	「………もしかして、 昨夜、姉ちゃんが寝かせてくれなかった？」
223	春希	Haruki	「ぶっ！？」
224	雪菜	Setsuna	「孝宏！」
225			さっきまで喉を通らなかった食事が、 今度はハッキリと詰まってしまった。
226	雪菜の母	Setsuna's Mother	「この子は…もうハタチになろうってのに、 まるで中学生みたいなことに興味持って…」
227	雪菜の父	Setsuna's Father	「よさないか…食事中だぞ」
228	孝宏	Takahiro	「なんで食事中にふさわしくない話だってわかるのさ？ 夜中じゅう、ずっとゲームに付き合わされてたのって、 そういうこと聞こうとしてたかもしんないじゃん俺」
229	雪菜の母	Setsuna's Mother	「しかも言い逃れまで中学生みたい。 そんなんで、彼女に逃げられても知らないわよ」
230	孝宏	Takahiro	「ちょ、ちょっと待ってくれよ！ 家に十回くらい連れてきただけで彼女かよ！？」
231	雪菜の母	Setsuna's Mother	「紛れもなく彼女でしょ」
232	春希	Haruki	「あ、あの、全然そういうことじゃないですから！ ただちょっと考え事してただけで」
233			何がそういうことなのかはともかく、 この一家は時々そういうことを包み隠さず話して、 俺を思いっきり口ごもらせる。
234			…まぁ、逆にこういう一家だからこそ、 雪菜を大っぴらに部屋に泊めることもできるんだけど。
235	孝宏	Takahiro	「考え事…ねぇ。 将来のこととか？」
236	春希	Haruki	「将来？」
237	雪菜の父	Setsuna's Father	「っ…お、おい」
238	雪菜の母	Setsuna's Mother	「ちょっと孝宏、それは…」
239	孝宏	Takahiro	「何言ってんだよ。 さっきからみんな聞きたくてウズウズしてるくせに」
240	春希	Haruki	「え、何を？」
241	雪菜の父	Setsuna's Father	「………」	"........."
242	雪菜の母	Setsuna's Mother	「…ええと」
243	春希	Haruki	「…？」
244	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
245			何のことかと雪菜に目配せしたけれど、 それは完全に空振りに終わってしまった。
246			何しろ、全員黙りこくってしまった小木曽家の中でも 雪菜が一番気まずそうに俯いてしまっていたから。
247	孝宏	Takahiro	「あのさ、北原さん。 もしかしてさ………姉ちゃんにプロポーズした？」
248	春希	Haruki	「………あ」
249	雪菜	Setsuna	「………っ」
250			テーブルの上… 雪菜が右手で左手をそっと隠した。
251			…新しい指輪が燦然と輝くその薬指を。
252	孝宏	Takahiro	「姉ちゃんに聞いてもハッキリ言わないしさ。 父さんなんか今週すっごい暗かったんだぜ？」
253	雪菜の父	Setsuna's Father	「っ…いい加減なことを言うな！」
254			そういえば… 指輪を渡して以来、初めての小木曽家だった。
255	雪菜の母	Setsuna's Mother	「た、孝宏… 何もそんな…食事中に。 ほら北原さん困ってるじゃないの」
256	孝宏	Takahiro	「ああっ、今になって急に自分だけいい顔して～！ どうやって口を割らせようかって、 最初に相談持ちかけたのはそっちだろ！」
257	雪菜の母	Setsuna's Mother	「…ええと。 だからそういう身も蓋もないことを 食事中にバラさなくても、ねぇ？」
258	春希	Haruki	「………」	"........."
259			毎日顔を合わせてて薬指の変化に気づかないほど、 絆の浅い家族じゃないってわかってたのに。
260			指摘されるまで知らぬ顔を決め込むなんて、 皆にとっても、雪菜にとっても、 取っていい態度じゃなかったはずなのに。
261	雪菜	Setsuna	「ちょ、ちょっと、やめてよ。 別にこれは、そんな深い意味は…」
262	雪菜の母	Setsuna's Mother	「…ないの？ だってそれ、随分と高そうじゃない？ 前のオモチャみたいな安っぽいのと全然違うし」
263	春希	Haruki	「…すいません、安っぽくて」
264	雪菜	Setsuna	「…前のも春希くんに貰ったものなんだけど」
265	雪菜の母	Setsuna's Mother	「あ、あら…そ、そう。それはあれね… ほら、あれよあれ、ねぇ孝宏」
266	孝宏	Takahiro	「つまりさぁ、 姉ちゃんが前もってきっちり説明しとけば、 こうして北原さんに恥をかかせることもなかったと…」
267	雪菜の母	Setsuna's Mother	「そ、それよそれ！ ほんとこの子ってば、 肝心なところで変に頑固なんだから」
268	雪菜	Setsuna	「だ、だからぁ、違うんだってば。 別にこれは…今すぐって意味じゃないんだから」
269	春希	Haruki	「雪菜…その言い方だと」
270	雪菜	Setsuna	「だよねぇ春希くん？ わたしたち、そんな…ねぇ？」
271	春希	Haruki	「………」	"........."
272	雪菜	Setsuna	「…春希くん？」
273	孝宏	Takahiro	「ええと… 『今すぐ』ではないってことは…？」
274	雪菜の母	Setsuna's Mother	「要するに… 『将来的には』って話があったってこと？」
275	雪菜の父	Setsuna's Father	「っ…」
276	雪菜	Setsuna	「え………」
277	孝宏	Takahiro	「あ～あ、語るに落ちちゃった…」
278	雪菜	Setsuna	「え？　え…？」
279	雪菜の母	Setsuna's Mother	「ほ～ら孝宏！ やっぱりお母さんの言った通りだったでしょ！ 絶対何かあるってピンと来たんだから！」
280	孝宏	Takahiro	「なんだよ母さん。 自分で聞けもしなかったくせに急に調子付いちゃって」
281	雪菜の父	Setsuna's Father	「やめないかお前たち！ 要するに何も決まってないってことだと言ってるだろ！」
282	孝宏	Takahiro	「いや言ってない。言ってないよ。 ほとんど決まったって言ってんだよ」
283	雪菜の母	Setsuna's Mother	「お父さん… いくら認めたくないからって、 あまりにも自分の都合のいいように聞き違えるのは…」
284	雪菜	Setsuna	「ちょ、ちょっとぉ！ だから、だからぁ… 本人の前でそういう話はやめてよぉ」
285	春希	Haruki	「は………はは」
286			なのに俺は…
287			この、軽くて浮き足立った雰囲気の中でも。 一世一代の決め所かもしれなかった場面でも…
288			流れを掴むことも、流れを止めることもできず、 ただ、俯いて黙り込んでいるだけだった。
289			深く、沈み込んだ気持ちのまま。 ただ、必死で作った笑顔だけを表情に貼りつかせて。
290			………	.........
291	雪菜	Setsuna	「今日はごめんね… なんか変な話になっちゃって」
292	春希	Haruki	「いや、そんなこと…」
293			こっちこそ、ごめん。
294	雪菜	Setsuna	「もう、みんな気が早すぎるんだから。 本人たちほったらかして勝手に盛り上がっちゃって…」
295	春希	Haruki	「だから、気にしてないって」
296			気が早すぎても、問題ないはずだった。 それどころか、正式に申し込むべき話の流れだった。
297			だって、気が早い『だけ』で、 言ってることは間違ってない…はずなんだから。
298			だから、ごめん。 黙ってて、ごめん。 大事なこと、言えなくてごめん。
299	雪菜	Setsuna	「本当にごめんなさい。 でも、お母さんも孝宏も悪気はないの。 お父さんは………後でちゃんと話しておくから」
300	春希	Haruki	「うん…」
301			なのに、そんな俺の致命的なミスを、 雪菜は自分の落ち度のように、何度も謝る。
302			俺に負担を掛けないように。 俺に責任を負わせないように。
303			自分が何を求めているのか、 俺にどうして欲しいのか…
304			ほんの少しだけ気持ちが漏れ出たけれど、 それを失言と片づけて、 あとは全て自分の中に押し込んで。
305	春希	Haruki	「それじゃ…」
306	雪菜	Setsuna	「また来週…ね」
307	春希	Haruki	「うん。 連絡する」
308	雪菜	Setsuna	「ばいばい…」
309			………	.........
310			小木曽家での[R夕餉^ゆうげ]は、いつも以上に盛り上がった。 …まぁ、うち一人は途中で席を立ってしまったけど。
311			お母さんは、もう親戚の予定を気にしだして、 『内輪で』を多用する若手組と真っ向から対立し。
312			孝宏君は、雪菜が出ていった後の部屋の使用権を主張し、 『そのままにしておく』という女性組と真っ向から対立し。
313			お父さんはそういう話には参加したがらなかったけれど、 去り際、俺の母親に一度会う必要があると呟いた。
314	携帯アナウンス	Cellphone Voicemail	「留守番電話サービスに接続します。 合図の後にメッセージをお願いします」
315	春希	Haruki	「………ゼロ」
316			そんな、小木曽家では当然の… 北原家には存在しない、しがらみだらけの会話。
317			すこし辟易しつつ、少し羨望を抱き、 そして徐々に、自分も染まっていくはずだったのに。
318			あの、温かくて大らかな輪の中に 望んで入っていくはずだったのに。
319			………	.........
320	春希	Haruki	「あ…」
321	かずさ	Kazusa	「お帰り」
322			なのに今の俺は…
323			二人の手を繋いだくらいの小さな輪を、 もう一つ抱え込む。
324	春希	Haruki	「別に、迎えに来る必要なかったのに」
325	かずさ	Kazusa	「一分でも長く、春希と一緒にいたかった。 外でも、春希と過ごしてみたかった」
326	春希	Haruki	「かずさ…」
327	かずさ	Kazusa	「なんてな…ははっ、信じたか？ 本当は、金曜からまだ一度も部屋に帰ってないんだ。 あたしも今、ちょうど駅に着いたところでさ」
328	春希	Haruki	「…ネタとしては微妙な上に、 結局俺のせいなのがなんとも」
329			金曜の夜… 行く当てのないはずのかずさを部屋から追い出したのは、 雪菜を連れ込んだ俺なんだから。
330	かずさ	Kazusa	「心が痛んだか？」
331	春希	Haruki	「い～や、別に？」
332	かずさ	Kazusa	「ま、当然だよな。 お前の方に落ち度なんか何もないんだから」
333	春希	Haruki	「………」	"........."
334			だったら、声を震わせながら喋るのは… 目を潤ませながら笑うのはやめて欲しい。
335			いつか『寒いから』だけでは誤魔化しきれなくなるから。
336	かずさ	Kazusa	「さてと、帰ろ帰ろ。 お前、明日は出勤する？」
337	春希	Haruki	「大丈夫。 少しだけ仕事残ってるけど、 出なくてもなんとかなる」
338	かずさ	Kazusa	「そっかそっか…はは、 じゃあ、お前の日曜、独り占めだな」
339	春希	Haruki	「かずさ…お前」
340			そんな危ない言葉を軽く流し、 かずさが俺の左手に自分の右手を絡める。
341			かずさの手のひらは、 この冬の夜の街を歩いていたにしては、温かく、そして…
342	春希	Haruki	「なんで包帯取ってるんだよ？ まだ完治してなかったろ？」
343	かずさ	Kazusa	「………そこをまず気にするところが 空気読めない委員長のままだよな、春希」
344			手の甲の、たった一枚の絆創膏が頼りなかった。
345	春希	Haruki	「全治二週間って診断だったんだろ？ 治りが遅くなったらどうすんだよ」
346	かずさ	Kazusa	「なんでそんなこと…って、ああ、大本営の発表か。 そんなのわざと大げさに言ってるに決まってるだろ」
347	春希	Haruki	「そう、なのか？」
348	かずさ	Kazusa	「そう言っておけば、 次もコケたとき言い訳にできるだろ？ 場合によっては追加公演をキャンセルすることも…」
349	春希	Haruki	「お前…」
350	かずさ	Kazusa	「…軽蔑したか？ またファンの声がどうとか言うか？」
351	春希	Haruki	「ネタ、だよな？」
352	かずさ	Kazusa	「どう思う？」
353	春希	Haruki	「お前、それで納得できるのか…？」
354	かずさ	Kazusa	「別に」
355	春希	Haruki	「確かに私生活は怠惰そのものだけど、 ピアノに対してだけは妥協しないのが 冬馬かずさって奴だろ？」
356	かずさ	Kazusa	「でもなぁ… 日本に来た目的、もう果たしちゃったしなぁ」
357	春希	Haruki	「まだ追加公演が残ってるだろ。 お前のピアノ、まだ何千人も楽しみにしてんだろ」
358	かずさ	Kazusa	「お前、あたしが来日した目的が、 コンサートのためだなんて本気で思ってるのか？」
359	春希	Haruki	「それ以外に何があるんだよ… いい加減なこと言って自分を貶めるのはやめろ」
360	かずさ	Kazusa	「春希…」
361	春希	Haruki	「俺、お前のピアノが好きだ。 他の皆も、一度聴けば絶対好きになるって信じてる。 それだけ、お前のピアノが凄いって思ってるんだ」
362	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
363	春希	Haruki	「だから、だからさ… そういう人たちの期待を裏切るのは…」
364	かずさ	Kazusa	「でも春希は逃げた。 好きだったはずのあたしのピアノから、逃げ出した…」
365	春希	Haruki	「っ…ご、ごめん」
366	かずさ	Kazusa	「ぁ…」
367	春希	Haruki	「俺…あの時、俺… お前が近くて、 どうしていいか、わからなくて」
368	かずさ	Kazusa	「春希…あ、あのさ」
369	春希	Haruki	「距離を置かないと、とんでもないことになるって。 …いや、結局なっちゃったんだけど、でも」
370	かずさ	Kazusa	「わかった、わ～かった！ 嘘だよ、冗談だよ。 マジになるなよ…」
371	春希	Haruki	「っ…」
372			マズい方向に行きかけていた話の流れを、 かずさが大きな声で強引に元に戻す。
373			未だに引きつるはずの右手にしっかり力を入れ、 俺の肩に身体を寄せ、体温を伝え合う。
374	かずさ	Kazusa	「全部ネタだよ、もちろん。 やるよ追加公演。一生懸命弾くよ」
375	春希	Haruki	「かずさ…」
376	かずさ	Kazusa	「持てる力を出し切ってさ、 その結果叩かれても仕方ないってくらい頑張るよ」
377	春希	Haruki	「何、言ってんだ… 本気を出したお前が絶賛されないわけないだろ。 それでも叩く奴がいたら、反論記事で叩き潰してやる」
378			自分の声が、寒さのせいでなく震えてるのがわかる。
379	かずさ	Kazusa	「…本当、シャレの通じない奴だな」
380			だって、かずさの声がますます震えてるから。
381	春希	Haruki	「そうだよ、俺、冗談通じないんだよ。 だからこんなことに、なったんだ…」
382	かずさ	Kazusa	「春希…ぃ」
383			二人、身体を重ね合ってこんなに温かいのに、 心だって重なって、熱くなってるはずなのに。
384			なのに、こうして互いの震えが伝わってきてしまう。 …嘘と、意地と、悲しみを伴って。
385	春希	Haruki	「冗談で、終われない。 気持ちを込めずに抱いたりできない。 俺、お前のこと冗談なんかじゃ…」
386	かずさ	Kazusa	「冗談じゃ、ないよ。 冗談じゃ、ないんだよ」
387	春希	Haruki	「かずさ…」
388	かずさ	Kazusa	「単なる、過ちだ。 本気だけど、間違ってるだけだ」
389	春希	Haruki	「そんなの…ますます最低だ」
390			互いの会話に、切れがない。
391	かずさ	Kazusa	「最低でも、あたしはいい。 …だから、頼む。 この冬だけは、お前もいいことにしてくれ」
392	春希	Haruki	「…お前のものだ。 今から俺、お前だけのものだよ」
393			手、握ってるのに。 心、繋いでるのに。 身体、重ねてるのに。
394			そんな睦みあいの最中に零れる言葉が、 どうしてこんなにも辛く、哀しいんだろう。
395	かずさ	Kazusa	「さっきまでのお前は、正しい週末を過ごしてた。 雪菜だけの春希だった」
396	春希	Haruki	「っ…」
397	かずさ	Kazusa	「…でも今からのお前は、間違った週末を過ごすんだ。 あたしの、あたしだけの春希になるんだ」
398	春希	Haruki	「う、ん…っ」
399	かずさ	Kazusa	「春希…春希春希春希…っ、 は、はぁ、ぁぁぁ…ぁぁ…」
400			俺の左手と、かずさの右手が、強く指を絡め合う。 いつの間にか逆の手同士も真似してる。
401			立ち止まって、抱きあってしまっている。 力いっぱい、想いいっぱいに。
402	かずさ	Kazusa	「は、春希…ぁぁ…あ、んむ…む…っ」
403	春希	Haruki	「かず、さ…っ」
404			ここから俺たちの部屋まで、 歩いて５分もかからないのに…
405			でも、その５分が耐えられない。 二人でいられる時間に、 抱きあわないなんて、考えられない。
406			だって俺たち、あと一月なんだから。
407	かずさ	Kazusa	「消してやる… こんな、雪菜の匂いなんか、消してやる。 お前を、あたしの匂いで埋め尽くしてやる…っ」
408	春希	Haruki	「っ…あ、あ、あぁ…」
409	かずさ	Kazusa	「ん、ん、んぅ…んぷ…は、はぁ、ぁ、ぁ…っ」
410			春がやって来るとともに溶けてしまう雪のように…
411			かずさの日本公演が終わるとともに、 儚く消え去ってしまう関係なんだから。
412			………	.........
413	かずさ	Kazusa	「なに、考えてる？」
414	春希	Haruki	「何も」
415	かずさ	Kazusa	「そんなわけあるか。 あたしに嘘、通じないぞ？」
416	春希	Haruki	「嘘なんかじゃ…」
417	かずさ	Kazusa	「ずっとお前のこと見つめてるんだぞ？ お前よりも、お前のこと見てるんだぞ？」
418	春希	Haruki	「………」	"........."
419			夜明けまで、あと一時間くらい。
420			かずさを安らかに眠らせるための 腕枕を務めてたつもりだったけど、 どうやら役に立っていないらしかった。
421	かずさ	Kazusa	「雪菜のこと、考えてたんだろ。 裏切ったこと、悩んでたんだろ」
422	春希	Haruki	「そんな、こと………」
423	かずさ	Kazusa	「何が『昔より嘘上手くなった』だよ… あたしに言わせれば、 五年前と何も変わってないよ、お前」
424			『そんなこと』の先の句が継げないせいで、 俺の強がりは、あっさりと看破される。
425	かずさ	Kazusa	「そんなんじゃ、いずれ雪菜にだってバレる。 たった一月も保たないぞ？」
426	春希	Haruki	「っ…」
427			五年前。 二年前。 そして、今。
428			あんなに最低な嘘を重ねたのに。 何度も騙し続けたのに。
429			それでも俺はまだ、 完璧に人を騙すことすらできないのかよ。 そのスキルだけは、どうしても上がらないのかよ。
430	かずさ	Kazusa	「はぁ…お前の強がりを信じたあたしが馬鹿だった」
431			『…それって、騙せたってことじゃん。 俺、お前に嘘つけてたじゃん』
432			そんな詭弁合戦なら得意なんだけどな…
433	かずさ	Kazusa	「もういい、あたしが嘘のつき方を教えてやる。 心して聞けよ」
434	春希	Haruki	「お前は…得意だって言うのかよ？　嘘」
435	かずさ	Kazusa	「ああ、少なくともお前よりはな」
436	春希	Haruki	「そんなの、なんの根拠があって…」
437	かずさ	Kazusa	「五年前もさ… 結局、自分からバラすまでは、 最後まで相手に気づかれなかったよ」
438	春希	Haruki	「それって…」
439			どんな内容の嘘だったのか。 誰を、そしていつから騙してた嘘なのか。
440			いつバラした嘘なのか…
441			一生懸命考えれば何とか正解に辿り着きそうで、 けれど正解に辿り着いたら、また新たな罪を負いそうで。
442	かずさ	Kazusa	「春希、お前はもう悩むな。もうなにも考えるな。 いちいち苦悩することが、お前の最大の欠点だよ」
443	春希	Haruki	「え…」
444			…そんな、まさに俺が今見せた態度こそを、 かずさは厳しく糾弾した。
445	かずさ	Kazusa	「お前が悩めば、雪菜に伝わる。 隠し事も、嘘も、裏切りも全部見透かされる。 …雪菜を、傷つけるんだ」
446			罪悪感こそが罪悪だと。 苦悩こそが最悪だと。
447	かずさ	Kazusa	「だから考えるな。 あたしと過ごすときは、ただ獣みたいに身体だけを求めろ。 雪菜と過ごすときは、何もかも忘れて心から愛してやれ」
448	春希	Haruki	「馬鹿か、お前… そんなの俺、人として最低だろ」
449	かずさ	Kazusa	「最低で何が悪い？」
450	春希	Haruki	「かずさ…」
451	かずさ	Kazusa	「それであたしは満たされる。お前も悩みから解放される。 雪菜は幸せでいられる。何の問題もないじゃないか」
452			無茶苦茶で強引な論理展開。 粗も穴も探せば山ほど見つかりそうな詭弁。
453			けれど今の俺には、 必死ですがりつきたくなるような力を持った言霊…
454	かずさ	Kazusa	「だからさ、春希…まずは練習だ。 あたしと二人きりでいる間、 何も考えずに、ずっと嘘をついてみろよ」
455	春希	Haruki	「けどお前は俺の嘘を見破るんだろ？ なのに、そんなバレバレの嘘をつけってのか？」
456	かずさ	Kazusa	「大丈夫…都合のいい嘘にだけは騙されてやる」
457	春希	Haruki	「都合のいい…嘘？」
458	かずさ	Kazusa	「あたしのこと好きだって、愛してるって、 ずっと昔から、変わらぬ気持ちのままだって…」
459	春希	Haruki	「お前…」
460			かずさの提案は、やっぱり無茶苦茶で強引で。
461	かずさ	Kazusa	「そんな嘘をつかれたらさぁ… あたし、嬉しくて、天にも昇る気持ちになるからさぁ」
462	春希	Haruki	「嘘、なのに？」
463	かずさ	Kazusa	「嘘、だからこそだよ。 嘘だから、安心できるんだ」
464			ほんの数秒前の自分の言葉とも、 いくつか矛盾してたりしてたけど。
465	かずさ	Kazusa	「雪菜のことを愛してる春希が現実にいるから。 あたしのことを愛してない春希が日常にいるから」
466	かずさ	Kazusa	「三人に、それぞれ帰る場所があるからこそ、 あたしはこうして、お前に安心して抱きしめてもらえる」
467			その、あまりにも想いの篭もった悪魔の囁きは、 俺を、甘く縛る。
468	かずさ	Kazusa	「だから春希、頑張れ。 お前は『嘘』をつくんだ」
469	春希	Haruki	「嘘、を…」
470	かずさ	Kazusa	「あたしにかける言葉を、 あたしにすることを、真実だなんて思うな。 お前の真実は、ずっと昔から雪菜だけだ」
471			かずさが、俺にすがりついてる。 俺が、力いっぱい抱きしめてる。
472	かずさ	Kazusa	「冬が終わったら、 コンサートが終わったら、あたしと離れたら、 お前は雪菜のいる日常に戻るんだから」
473	かずさ	Kazusa	「真っ暗な悪夢から目覚めて、 バラ色の現実に戻るんだから…」
474			言葉だけでなく、身体も甘く縛り合う。
475			それは俺たちの言葉と身体を、 気持ちから切り離す儀式。
476	かずさ	Kazusa	「ちょっとやってみろよ。 嘘の、練習」
477			今から俺の話す言葉は、 脳から発信されず、心臓も経由せず、 ただ、神経を伝う電気信号として口から放出される。
478			考えず、悩まず… そして、後悔せず。
479	春希	Haruki	「好きだ」
480	かずさ	Kazusa	「っ…」
481	春希	Haruki	「好きだよ」
482	かずさ	Kazusa	「うん…」
483	春希	Haruki	「好きなんだよ」
484	かずさ	Kazusa	「信じる、よ。 春希」
485	春希	Haruki	「大好きだ」
486	かずさ	Kazusa	「これで、大丈夫」
487	春希	Haruki	「愛してる」
488	かずさ	Kazusa	「もうあたし… お前の嘘、見破れないよ」
489	春希	Haruki	「離れたくない…」
490	かずさ	Kazusa	「見破りたく…ないよぉ」
491	春希	Haruki	「愛してる…愛してる…かずさ…っ」
492	かずさ	Kazusa	「うん、うん…うんっ！ あは、あはは… 気持ちのいい…嘘だよなぁ」
493			かずさの身体が、ひときわ強く俺に折り重なる。
494			向こうが力を込めたのが先か、 俺が強く抱きしめたのが先か、 そんなことはわからず、そしてどっちでも良かった。
495	かずさ	Kazusa	「は、あ、あぁぁ…ああ、んっ、 は、春希、春希…ふぁ、ぁぁぁ…っ」
496	春希	Haruki	「離さない、ぞ」
497	かずさ	Kazusa	「うん…っ」
498			だって、嘘だから。 これはただの、条件反射なんだから。

Script Chart

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