White Album 2/Script/3109

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	Speaker		Text		Comment
Line #	JP	EN	JP	EN
1			………	.........
2	春希	Haruki	「ええと…曜子さんはこっちですね。 で、高柳先生は奥にお願いします」
3	曜子	Youko	「なんか穏やかじゃない配席ね」
4			開演３０分前。
5			招待客のスペースは他の客席に比べて、 まだほとんど席が埋まっていなかった。
6	春希	Haruki	「穏やかじゃない状態の人に言われたくありません。 今日はおとなしく男二人にエスコートされてください」
7	高柳	Takayanagi	「両手に花だなんて羨ましい限りじゃないか曜子ちゃん。 …若い男と比較される僕としては面白くないけど」
8			そこに、両脇をがっちりと押さえられたまま、 まるで病人のように席まで連れてこられた曜子さんは、 ほぼ予想通りの悪態をつきまくっていた。
9			…まぁ、前提が間違ってないんだから仕方ないんだけど。
10	春希	Haruki	「すいません先生。 お忙しいのに無理をお願いして」
11	曜子	Youko	「無理なわけないでしょ。 とっくの昔に隠居したもうろく医者のくせに」
12	高柳	Takayanagi	「まぁ、照れ隠しの憎まれ口はともかく、 娘の晴れ姿をなんとしても見たいという、 曜子ちゃんの親心もわからないでもないしね」
13	高柳	Takayanagi	「…守りに入っちゃったなぁとは思うけど」
14	曜子	Youko	「照れ隠しとかどこまで自分に都合のいい解釈なんだか。 これだから還暦過ぎた年寄りは嫌なのよ。 機能失ったくせに気持ちだけはいやらしいんだから」
15	春希	Haruki	「………興奮しないでください。 あまり暴れると、開演前につまみ出しますからね」
16			二人の丁々発止のやり取りは、 お互い、とても守りに入っているようにも、 機能を失っているようにも思えない棘に満ちていた。
17	高柳	Takayanagi	「とにかく今日は大人しくしてなさい。 少しでも具合が悪そうに見えたら、 容赦なく[R病院に連れ帰る^ベッドにおしたおす]からね」
18	曜子	Youko	「…させないわよそんなこと。 大体、わたしの具合が悪いと思ったら、 この場で点滴でもなんでもするのが医者ってものでしょ」
19	春希	Haruki	「曜子さん…」
20	高柳	Takayanagi	「…あまりわがまま言わないようにね。 他のお客さんもいるんだから」
21			でも、曜子さんの態度の裏に潜む気持ちに関しては、 二人の間にほんの少しの齟齬があるように、 俺には見えてしまった。
22			だって、高柳先生はご存じない。
23			今日が、曜子さんがかずさの生演奏を聴ける 最後の機会かもしれないってことを。
24			………	.........
25			周囲を見回すと、 だいたい、今の段階で７割程度の入りだった。
26			普段、ピアノコンサートに行かない人間にとっては、 この入り具合がいいのか悪いのか、 まるっきり判断できないけれど…
27			それでも、チケット販売時の瞬殺ぶりから考えると、 今のところ落ち着いた滑り出しに見えないでもなかった。
28			もしかして、あまり考えたくはないけれど…
29			前回のコンサートでの評論家の微妙な反応が、 もともと異常とも言えた前評判に、 微妙に影を落とした結果なのかも…
30	曜子	Youko	「ギター君」
31	春希	Haruki	「え？　あ、はい…」
32			などと、余計なお世話にも程がある考え事をしながら 周囲をきょろきょろと見回す仕草が見苦しかったのか…
33	曜子	Youko	「あの子のところ、顔出してこないの？ あなたは確かまだよね？」
34			曜子さんがめんどくさそうに、 けれど多分、気を使ってくれた。
35	曜子	Youko	「開演前ギリギリだと入れてもらえなくなるわよ？ 早いところ行ってらっしゃいな」
36	春希	Haruki	「え、でも… いいんですか？　俺なんかが」
37	曜子	Youko	「楽屋前で張ってるのが美代ちゃんだから大丈夫よ。 それに…」
38	春希	Haruki	「それに？」
39	曜子	Youko	「あの子があなたに閉ざす扉はもうないわ」
40	春希	Haruki	「曜子さん…」
41	曜子	Youko	「開演前に、王子様のキスでもプレゼントしてあげたら？ あの子、ものすごくテンション上がるかもよ？」
42	高柳	Takayanagi	「そういうのは上手く弾けた時のご褒美に 出し惜しみしておくべきじゃないのかね」
43	春希	Haruki	「っ…すぐ戻ってきます！ 本当にすぐですから、何もないですから」
44			意地を張ったり逡巡したりして、 かえって悪辣な大人たちを楽しませるのも癪だったので、 俺はそそくさと席を立った。
45			………	.........
46			今朝目覚めた時、 かずさは俺の胸に顔を埋めたまま 『おはよ』って、待ち構えていたかのように呟いた。
47			その表情は眠そうで、そして穏やかで、 リラックスは感じられたけれど、 とても今日コンサートを開く演奏家の顔じゃなかった。
48			あれから半日… あいつは今、ちゃんと集中してるだろうか。 戦う顔に戻っているだろうか。
49			俺がアドバイスできることなんか何もないけれど、 ほんの少し、気合いを込めることなら…
50			というか、俺があいつの顔を見ることで、 安心できるという側面の方が…
51	春希	Haruki	「っ…」
52			と、楽屋の扉に手をかける直前…
53			俺の、電源を切り忘れていた携帯が、 けたたましく鳴り出した。
54	春希	Haruki	「………え」
55			鳴った瞬間、最初に頭に浮かんだのは 『客席でこれをやってしまったら大ひんしゅくだった』 という、軽めの反省でしかなかった。
56			けれど、その着信表示を見た瞬間、 自分の今の状況とあまりにもそぐわないその名前に、 そんな気持ちは吹き飛んでしまった。
57	春希	Haruki	「………はい」
58	朋	Tomo	「あなた今どこにいる？」
59	春希	Haruki	「柳原…さん」
60			その不躾で強い口調の声は、 ほんの数日前に聞いた。
61			…友情の決裂宣言とともに。
62	朋	Tomo	「仕事中？ だとしても一つだけ教えて欲しいことがあるんだけど」
63	春希	Haruki	「いや、今なら大丈夫だよ… それで、何？」
64	朋	Tomo	「…わたしから連絡が来て、 思い当たる節はない？」
65	春希	Haruki	「…どういう意味？」
66			そんな、もうかかってくるはずのない相手からの連絡は、 俺の心に重苦しくのしかかってきたけれど。
67	朋	Tomo	「そこじゃ…ないんだ。 あなたのところでも…ないんだ…」
68	春希	Haruki	「だから…どういう意味？」
69			そこに、さらに暗雲をかけるように、 彼女の反応さえも、重苦しいもので…
70	朋	Tomo	「雪菜が…行方不明なの」
71	春希	Haruki	「………っ」
72			だから俺が、その言葉の意味を理解するのに、 それほどの時間を要しなかった。
73	朋	Tomo	「今週からずっと家に帰ってなかったんだけど、 それでも会社には出勤してたんだ」
74	朋	Tomo	「それが今日になって、とうとう会社も無断欠勤して、 携帯も電源落としたままで…っ」
75	春希	Haruki	「雪菜、が…？」
76	朋	Tomo	「あなたのせいだ… あなたのせいだよっ、北原さんっ！」
77			…最も理解したくなかった言葉ではあったけど。
78			………	.........
79	曜子	Youko	「………」	"........."
80	高柳	Takayanagi	「………」	"........."
81	曜子	Youko	「っ…ちょっと見てくるわ」
82	高柳	Takayanagi	「落ち着きなさい曜子ちゃん。 これ以上興奮するようだと、 君を病院に強制送還しなくちゃならなくなる」
83	曜子	Youko	「け、けれど… いくらなんでも遅すぎるわよ」
84	高柳	Takayanagi	「色々と積もる話でもあるんだろう。 まぁ、若い二人だし」
85	曜子	Youko	「あなたが何を想像してるか知らないけど、 開演３分前まで一体何をしてるって言うのよ？」
86	高柳	Takayanagi	「それじゃあ、休憩室で煙草でも吸ってるんだろう。 コンサートが始まればすぐに戻ってくるさ」
87	曜子	Youko	「彼は煙草は吸わないし、 そんなにルーズな男でもないわ。 それに…」
88	高柳	Takayanagi	「それに？」
89	曜子	Youko	「彼がここにいないと、 間違いなく前のコンサートの二の舞よ？ それだけは絶対にやっちゃいけないことなのよ？」
90			………	.........
91			『雪菜へ』
92			こういうことは、初めてじゃなかった。
93			『今、どこにいる？』
94			『みんな心配してる。 このメールを見たらすぐに連絡して』
95			俺たちが中途半端な関係のまま、 すれ違いを繰り返してた二年前… 雪菜は、二度ほど俺たちの前から姿を消した。
96			一度目は、単なる俺の勇み足。 医学部の合コン会場から消えた雪菜の足跡を追って、 参加者全てを巻き込んだ追跡劇へと発展した。
97			二度目は、誰あろう柳原朋のせい。 無理に出場させられそうになったコンサートから、 雪菜は、本当に逃げ出した。
98			その度ごとに、俺は周囲の人たちを巻き込んで 大規模な捜査網を引き、 雪菜を力ずくで見つけ出してきた。
99			医学部の連中を脅迫したり、 知り合ったばかりの後輩を顎でこき使ったり、 昔の同級生に電話を掛けまくったりと、無茶ばかりした。
100			そして、そういう時いつも、 俺の無茶に乗っかって、 一緒に無茶をしてくれた…
101	依緒	Io	「…なんで掛けてきたの？ もう、用なんかないはずじゃない？」
102			大切な友達『だった奴ら』が、いたんだ。
103	春希	Haruki	「柳原さんから聞いてるんだろ？」
104	依緒	Io	「…それが何よ」
105	春希	Haruki	「何って…心配じゃないのかよ？」
106	依緒	Io	「心配に決まってんでしょ。 だから今、手を尽くして探し回ってんじゃないのよ。 朋だって知り合いに電話かけまくってる」
107	春希	Haruki	「武也は…？」
108	依緒	Io	「っ…」
109	春希	Haruki	「そっか… やっぱりまだ関係修復してないのか」
110	依緒	Io	「誰の…誰のせいでっ！」
111			俺のせいで、今は崩壊寸前になってるけれど、 本当に大切で、かけがえのない奴らが…
112	春希	Haruki	「で、どうなんだ？ なんかわかったか？」
113	依緒	Io	「…それを聞いて春希はどうするつもりなの？」
114	春希	Haruki	「ぇ…」
115	依緒	Io	「もう、あんたには関係のない話でしょ？ 今さら雪菜捜し出してどうしようっての」
116	春希	Haruki	「依緒…」
117			二年前…
118			雪菜を失ってしまうかもしれないという 灼けつくような焦燥感の中で、 依緒や武也が差し伸べた手がどれだけ心強かったか。
119	依緒	Io	「朋にだって、春希には連絡するなって言ったんだけどな。 …そんな意味のないことするなって、さ」
120	春希	Haruki	「っ…」
121			三人の間でしか通用しない流れるような会話の応酬が。 切羽詰まった気持ちを和らげてくれた軽口が。 折れそうな心を支えてくれた励ましが。
122	依緒	Io	「もう一度聞くよ、春希。 あんた、何のためにあたしに掛けてきたの？」
123			当たり前のように聞き流していたそれらの言葉たちは、 もう、過去の懐かしい思い出に変わってしまっていて。
124			そして多分、 いや絶対、二度と元に戻ることはなくて。
125	春希	Haruki	「雪菜を…見つけるためだよ」
126	依緒	Io	「いいの？　そんなこと言って。 そろそろ、コンサートが始まる時間よね？ …春希にとって、一番大切な時間なんだよね？」
127	春希	Haruki	「雪菜の行き先の心当たり… お前たち、いくつ思いつく？」
128	依緒	Io	「………」	"........."
129			それでも今は、相手のそんな当然の反応も、 何事もなかったかのように無視するしかない。
130	春希	Haruki	「何時間前から捜してる？ それで、どのくらい手がかりを見つけた？」
131	依緒	Io	「そんなこと…春希に言う必要…」
132	春希	Haruki	「言ってる場合じゃないだろ！ 雪菜のこと心配じゃないのかよ！ 猫の手だって借りるべきじゃないのかよ！？」
133	依緒	Io	「春希…あんたっ」
134			今までは、一を語るだけだった意志の疎通も、 十も二十も語って聞かせるしかない。
135	春希	Haruki	「俺が一番、雪菜のこと知ってる。 雪菜も、俺にだったら連絡してくれるかもしれない。 …俺が見つけるしかないんだよ！」
136	依緒	Io	「そこまで信じてる相手を、なんで…っ、 そんなにわかりあってて、どうして…っ」
137			だって、今はただ雪菜を見つけなくちゃならない。
138			お互いの呼吸が読めないまま、 それでも力を合わせて 一つの目的を遂行しないといけないから。
139	春希	Haruki	「教えてくれ… 今までどことどこに連絡して空振った？ まだ捜してないところはどこだ？」
140	依緒	Io	「だから、春希… 雪菜を捜し出して、どうするつもりなの？」
141	春希	Haruki	「…話すよ」
142	依緒	Io	「話すって、何を？ 二度と悲しませたりしないって誓えるの？ もう心配はいらないって、抱きしめられるの？」
143	春希	Haruki	「………」	"........."
144	依緒	Io	「あんたが思ってるほど、 雪菜は強くなんかないんだ… 本当はわかってんだよね！？」
145	春希	Haruki	「…とにかく、話す。 今はそれだけしか言えない」
146	依緒	Io	「お願いだよ、春希… あのコを、これ以上泣かせないでよ…っ」
147	春希	Haruki	「依緒…」
148	依緒	Io	「ウィーンなんて行くな… そんな駆け落ちみたいな真似したって 誰も幸せになんかならないよ！」
149	春希	Haruki	「………」	"........."
150	依緒	Io	「冬馬さんと春希じゃ、もう釣り合わないんだよ… それにさ、彼女だって大きな傷を抱えることになる。 二人とも、いつか潰れちゃうよ」
151	依緒	Io	「だから、だからさ、春希…」
152	春希	Haruki	「依緒…」
153	依緒	Io	「え…？」
154	春希	Haruki	「全ては、雪菜を見つけてからだ」
155	依緒	Io	「春希…」
156			依緒の言葉は、何人からも何度も聞かされた、 まるで新鮮味のない今さらな忠告だったけれど。
157			だからって、飽きることもうんざりすることも、 ましてや何も感じないでいられる訳なんかなくて。
158	春希	Haruki	「…今までどこを捜したか教えてくれ。 それと、武也に連絡取って協力を頼んでくれ。 そっちが嫌なら、俺から連絡する」
159	依緒	Io	「…そっちはあたしがやるよ。 だからあんたはまず、雪菜に呼びかけて。 電話でも、メールでも」
160	春希	Haruki	「もうやってる。 これからも続ける」
161	依緒	Io	「頼むよ、頼むよ春希！ あんたのせいだけど、あんたに頼るしかないんだ。 雪菜を…見つけてよぉ…っ」
162	春希	Haruki	「………任せとけ、よ」
163			俺の乾いた声は、ちゃんと誤魔化せているだろうか。 俺の今の気持ちを、伝えずにいてくれてるだろうか。
164			………	.........
165	携帯アナウンス	Cellphone Voicemail	「留守番電話センターに接続します。 発信音の後、メッセージをお願いします」
166	春希	Haruki	「雪菜、俺…春希」
167	春希	Haruki	「今、どこにいる？ このメッセージを聞いたら連絡して。 …すぐに迎えに行くから」
168	春希	Haruki	「みんなすごく心配してる。 家族の人たちも、柳原さんも、依緒も、武也も。 …もちろん、俺も」
169	春希	Haruki	「俺はともかく、みんなに迷惑かけるなよ。 そういうの、雪菜らしくないぞ」
170	春希	Haruki	「………自分のこと棚に上げてるのはわかってる。 それでも、無事ならちゃんと連絡してくれ…っ」
171	春希	Haruki	「それじゃ、また掛けるから」
172			携帯を切ると、画面が時刻表示に変わり、 そして１９：００の文字が浮かび上がった。
173			それは、単なる午後７時ジャストとは意味の違う、 俺たちの約束の時間だったけど…
174	春希	Haruki	「っ…」
175			それでも俺は、 何事もなかったかのように携帯をポケットにしまい、 夜の街を、駅へと向かって駆け出す。
176			雪菜を求めて… 彼女のいるかもしれない全ての場所へと。
177	曜子	Youko	「神様…っ」
178	高柳	Takayanagi	「大丈夫だよ… もっと自分の娘を信用しなさい」
179			………	.........
180	春希	Haruki	「そうですか。 まだ…」
181	雪菜の母	Setsuna's Mother	「はい…」
182	春希	Haruki	「それで、その… 警察、には？」
183	雪菜の母	Setsuna's Mother	「そうですね… 昨日までとは事情が違いますし、そろそろ」
184	春希	Haruki	「ええ…届けた方がいいと思います。 あの、よかったら俺が」
185	雪菜の母	Setsuna's Mother	「ありがとうございます。 でも大丈夫です。こちらで届けますから」
186	春希	Haruki	「そうですか、わかりました。 でしたら俺はもう少し心当たりを回って…」
187	雪菜の母	Setsuna's Mother	「いえ…もう結構です」
188	春希	Haruki	「え、でもまだ…」
189	雪菜の母	Setsuna's Mother	「これはウチの問題ですから」
190	春希	Haruki	「っ…」
191	雪菜の母	Setsuna's Mother	「ですから、北原さんはもうお帰りください。 心配してくれてありがとうございました。 …お休みなさい」
192	春希	Haruki	「ま、待って… 待ってくださいお母さん！」
193	雪菜の母	Setsuna's Mother	「～っ！」
194	春希	Haruki	「あ…」
195	雪菜の母	Setsuna's Mother	「ぅ、ぅぅ…いいですから。 お願いですから、もう…」
196	春希	Haruki	「………小木曽、さん」
197	雪菜の母	Setsuna's Mother	「大丈夫、大丈夫です… 雪菜は…強い子ですから。 絶対…必ず、帰ってきますから」
198	春希	Haruki	「…はい」
199	雪菜の母	Setsuna's Mother	「だからもう、心配しないで… わたしたちに、構わないで…っ」
200	春希	Haruki	「………」	"........."
201	雪菜の母	Setsuna's Mother	「ふ、ぅぅ…ご、ごめんなさい…っ、 これで、もう…」
202	春希	Haruki	「失礼、します」
203			………	.........
204	春希	Haruki	「～～～っ！！！」
205			雪菜は、まだ見つかっていなかった。
206			そして小木曽家の人たちは、 娘の足取りがぷっつり途絶えるという緊急事態に、 とうとう捜索願を出すという決断をしたらしい。
207			だからお母さん…雪菜の母親は、 引き続き雪菜の事を捜そうとする俺に 『もう結構』と気を使ってくれた。
208			もう、家族や友人たちの領域を越えた。 これからは警察の仕事だから…
209			それ以外に、俺を玄関払いにする理由はない。 目の前にいるのに、顔も見ずに会話する理由は、ない。
210			『雪菜へ』
211			そもそも今は、そんな余計なことを考えてる暇はない。 雪菜を捜すこと以外のことに心を割く訳にはいかない。
212			『もし、このメールを見てくれているなら、 すぐに家に連絡を入れて欲しい』
213			『さっき、雪菜の家に行ってお母さんと話した。 相談した結果、警察に届けようってことになった』
214			『みんな、本当に心配してるんだ。 事故や事件に巻き込まれてたらどうしようって。 お母さんなんか、昨夜からずっと寝てないんだ』
215			『だからもし、本当はこのメールが見れるのなら。 連絡できるのにしてないだけなら…』
216			『いい加減にしろ。 これ以上、みんなに迷惑かけるな』
217			あまりにも横柄で、 あまりにも自分のことを棚に上げていて…
218			そして、あまりにもいつも通りな、 俺の説教くさい呼びかけの言葉を送信する。
219			いつも通り、雪菜が素早く反応してくれることを祈って。
220			………	.........
221			………	.........
222	春希	Haruki	「あ…っ！」
223			とうとう、来た。
224			近場で思い当たる場所をほぼしらみつぶしに捜して、 少しばかり途方に暮れた頃になって、やっと。
225			『Ｒｅ：雪菜へ』
226			『今、家に電話した。 だからもう、心配しなくていいから』
227			俺には、わかってた。
228			雪菜は、いい子だって。 真面目な子だって。 強い子、だって。
229			だから、皆が心配してるって、騒ぎになってるって、 そろそろ洒落にならないってわかったら、 必ず反応してくれるって。
230			だから、あんな手を使った。 雪菜が反応せずにはいられない、姑息な手を。
231	春希	Haruki	「…１０回」
232			さっきまでは、５コールくらいで 留守番電話に移行してたのに、 今はずっとコールが続いている。
233			多分、メールを発信したすぐ後に掛かってきたから、 電源を落とすのが間に合わなかったんだろう。
234			そして、着信表示に俺の名を見つけて、 切ろうか出ようか逡巡してるに違いない。
235			………	.........
236	春希	Haruki	「…２０回」
237			だったら、後は雪菜が出るか切るかの二択勝負。 十分に勝算はある。
238			だって、俺が痺れを切らして自分から切ることなんて…
239	雪菜	Setsuna	「………しつこい、なぁ」
240	春希	Haruki	「………ごめん、夜分遅く」
241			あり得ない、から。
242	雪菜	Setsuna	「警察なんて… 大げさだよ」
243			数日ぶりの、雪菜の声。
244	春希	Haruki	「そんなことない… みんな、死ぬほど心配したんだ」
245	雪菜	Setsuna	「…春希くん、も？」
246	春希	Haruki	「俺も」
247	雪菜	Setsuna	「っ…」
248			ちょっと拗ねてて、ちょっと疲れ気味で、 そして、哀しい声。
249	雪菜	Setsuna	「わたしだってもう、社会人なんだよ。 独りになりたいときだってあるよ…」
250	春希	Haruki	「それでも連絡は取れるようにしとくもんだ。 でなければ社会人失格だ」
251	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
252	春希	Haruki	「今、どこにいる？ 迎えに行くから」
253	雪菜	Setsuna	「いいよ、別に」
254	春希	Haruki	「よくない。 迎えに行く。 家に、連れ帰る」
255	雪菜	Setsuna	「どうして…」
256			そんな雪菜の声が、少し揺れている。
257			俺に責められるという理不尽に 身を打ち震わせているせいだろうか。 それとも寒さに震えているせいだろうか。
258	雪菜	Setsuna	「どうしてあなたがそんなことしようとするの？ わたしが家に帰らなかったら、どうだって言うの？」
259	春希	Haruki	「雪菜が帰らなかったら…困るよ、俺」
260	雪菜	Setsuna	「どうして春希くんが困るの…？ もう、わたしを心配する必要なんて…」
261	春希	Haruki	「必要とかじゃないだろ。ただ心配なんだよ。 皆だって心配してる。だから安心させてくれ。 無事な姿、見せてくれよ…」
262	雪菜	Setsuna	「春希くん…」
263			電話口の雪菜は、 思ったよりも落ち着いていた。
264	春希	Haruki	「どこにいる…？ 雪菜、今どこなんだよ？ 教えてくれよ」
265			だから今は、その感触だけを心の支えにして、 彼女と繋がろうとする。
266	雪菜	Setsuna	「…わたしに、会いたいの？」
267	春希	Haruki	「会いたいよ、雪菜」
268			自分で断ち切ったその絆の切り口を、探す。
269	雪菜	Setsuna	「じゃあ…ヒントね」
270	春希	Haruki	「ぁ…」
271	雪菜	Setsuna	『じゃあヒントね。 第３ヒントくらいまでに正解してくれなくちゃ、
272	雪菜	Setsuna	わたし泣くよ？』
273	春希	Haruki	『え？　いや、ちょっと待って！ そんな重要な曲って…』
274	雪菜	Setsuna	『まずは第１ヒント。 わたしたちの…』
275	雪菜	Setsuna	「第１ヒント。 わたしたちの…思い出の場所」
276	春希	Haruki	「………そんなんじゃわからないよ。 いっぱい、ありすぎて」
277	雪菜	Setsuna	「っ…」
278			雪菜が、電話口で息を呑むのが聞こえた。
279			まるで『あなたがそれを言うの？』と 責められてるみたいだった。
280	春希	Haruki	「ごめん… でも、このクイズだけは外す訳にはいかないんだ」
281			けれど、本当に数え切れないんだ。
282			俺と雪菜が一緒に訪れた場所。
283			距離を縮めたり、すれ違ったり、 愛を語らったり、喧嘩したりした場所。
284			そんなの、都内だけでも無数にある。 旅先も入れたら、とても一日じゃ回りきれない。
285			だって、それだけ刻んだんだ。 雪菜との歴史を、この国に刻んだんだから…
286	雪菜	Setsuna	「…じゃあ、第２ヒント。 今、海を見てる」
287	春希	Haruki	「動くな！ そこを動くなよ！ すぐに迎えに行くから！」
288			………	.........
289			………	.........
290	春希	Haruki	「雪菜…」
291	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
292			電車を二回、乗り継いで…
293			有海駅を降りてからは、もう迷わなかった。
294			だって、二週間前… 雪菜は、まさにこの場所にいたんだから。
295	春希	Haruki	「帰ろう… ここは、寒いだろ？」
296	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
297	春希	Haruki	「せめて、暖かいところに行こう。 …気分、悪いんじゃないか？」
298			雪菜の顔は、雪のように白かった。
299			いつもなら、強引に額に触って熱を測るくらい、 それは俺の心配を煽る顔色だった。
300	雪菜	Setsuna	「ううん、大丈夫。 …平気だよ」
301	春希	Haruki	「そ…っか」
302			でも今の俺は… もう、雪菜に触れる資格を自ら捨ててしまった俺は…
303	雪菜	Setsuna	「逃げた意味、なかったなぁ」
304	春希	Haruki	「え…」
305	雪菜	Setsuna	「結局、春希くんを心配させちゃった。 かずさのコンサート、邪魔しちゃった。 ほんと、台無し」
306	春希	Haruki	「台無しって？」
307	雪菜	Setsuna	「物事がすっかりだめになること」
308	春希	Haruki	「意味を聞いてるんじゃなくて…」
309	雪菜	Setsuna	「わたしって、いっつもそう。 よかれと思ってしたことが、いっつも裏目に出ちゃう。 そうだよね、春希くんなら、こうなっちゃうよね…」
310	春希	Haruki	「雪菜…」
311	雪菜	Setsuna	「何も考えられなかったなんて、 言い訳にしかならないよね。 ほんと、あったまわるいなぁ…」
312	春希	Haruki	「だから、何が…」
313	雪菜	Setsuna	「ううん…こうなること、わざと考えなかったんだよね。 だってわたし、キタナイもん」
314			雪菜が何のことを言ってるのか、 俺にはよくわからなかった。
315			かずさの『あたしが壊した』という嘆きの言葉が、 じわりと背筋を這う。
316	雪菜	Setsuna	「ね、春希くん」
317			けれど、その表情や言葉は穏やかで、理性的で、 いつもの優しい雪菜そのものだった。
318	雪菜	Setsuna	「ごめんね。 でも、もうわたし、大丈夫だから」
319			…俺が世界で一番よく知っている女の子のままだった。
320			………	.........
321	春希	Haruki	「ずっと…海を見てたのか？」
322	雪菜	Setsuna	「かずさと別れた後、どこにも帰る気が起きなくて。 ホテルにも、家にも」
323	春希	Haruki	「………」	"........."
324	雪菜	Setsuna	「それで、じゃあどこに行こうかって考えてみて」
325	春希	Haruki	「それでここに？」
326	雪菜	Setsuna	「ここだけじゃなくて、色々思い浮かんだんだよ」
327	春希	Haruki	「そう、なんだ」
328	雪菜	Setsuna	「たとえば、家の近くの公園… あなたに本当のわたしをみられてしまった、あの場所」
329	春希	Haruki	「ぁ…」
330	雪菜	Setsuna	『知ってたんだ…このわたし』
331	雪菜	Setsuna	『そんなに前から… 北原くん、わたしのこと知ってたんだ…』
332			俺が初めて雪菜と… 普段着の雪菜と触れた場所。
333			変装してバイトする学園のアイドル。 自業自得の愚痴をこぼす学園のアイドル。 おなかをすかせて家で待つ弟を心配する学園のアイドル…
334	雪菜	Setsuna	「南末次の、カラオケ屋… わたしが、初めて男の子をデートに誘った場所」
335	雪菜	Setsuna	『ね、北原くん』
336	雪菜	Setsuna	『これにて、小木曽雪菜の秘密は、 一つもなくなってしまいました。 …あなたに、全部知られてしまったから』
337			歌に関しては、退くくらい自分勝手な学園のアイドル。
338			終了時間までぎっしり予約で埋めてあって、 しかも店内電話が鳴ったとき、 ぴったりと最後の曲の後奏に入って。
339			唖然とする俺を見て悪戯っぽく舌を出した、 俺にとって、もうアイドルじゃなくなった、 小木曽雪菜という名の女の子。
340	雪菜	Setsuna	「他にもいろいろ思いついた。 かずさの家とか、付属とか。 ね？　知ってる？　今日、卒業式なんだよ？」
341	春希	Haruki	「ああ…そうだったっけ」
342	雪菜	Setsuna	「本当に、色んなところが浮かんだ… あなたと一緒に歩いたはずの道が、 あなたと一緒に訪れたはずの場所が」
343	春希	Haruki	「………」	"........."
344			雪菜が思い描いた場所は…
345			どれもこれも、俺との思い出が息づく、 そして、三人の思い出が眠る場所だった。
346	雪菜	Setsuna	「なのに、どうしてかな？ どうしてなのかなぁ…？」
347			そして、よりにもよって、その中から選んだのが…
348	雪菜	Setsuna	「気づいたら、わたしはここにいた…」
349			確かにここも、俺と雪菜の思い出の場所だった。 だった、けど…
350	雪菜	Setsuna	「おかしいよね…まだ色々あるんだよ？ もっと楽しい場所、たくさんあるんだよ？」
351	雪菜	Setsuna	「遊園地も、動物園も、映画館も… あなたと笑い合った思い出は、愛し合った思い出は、 他の場所に、たくさん残ってるんだよ？」
352	雪菜	Setsuna	「けれど、どうしても、どうしても… この場所に、向かってしまっていたんだよ」
353	雪菜	Setsuna	「全部塗り変わっちゃったみたいだね。 あなたとの思い出は、もうここにしかないみたいだね」
354	雪菜	Setsuna	「…別れの、中にしか」
355	春希	Haruki	「っ…」
356	雪菜	Setsuna	「ここにいると、あの日のことを思い出す」
357			ここは、一番新しい思い出の地。 そして、一番悲しい思い出の地…
358	雪菜	Setsuna	「つい最近のことなのに、すごく昔にも感じる。 現実なのに、悪い夢のように思い出す… ううん、そうであって欲しいと願ってるだけかも」
359			どうして、この場所なんだよ…雪菜。
360	雪菜	Setsuna	「だから辛くて、悲しくて、 どうにかなってしまいそうになる。 …ううん、もう、壊れかけてたかもしれない」
361	春希	Haruki	「もう、帰ろう…」
362	雪菜	Setsuna	「もう、どうなってもいいやって… 何もかもめんどくさいって… 誰とも会いたくないって、独りでいたいって」
363	春希	Haruki	「こんな寒いところにいるから、 そんなことばかり考えるんだよ…」
364			こんな、寒くて、そして最低な場所になんかいるから。
365			どうして、ここまで自分を追い込んで…
366	雪菜	Setsuna	「ねぇ、春希くん」
367	春希	Haruki	「うん」
368	雪菜	Setsuna	「五年だよ…？」
369	春希	Haruki	「…っ」
370			うんっ…
371	雪菜	Setsuna	「三年間、ずっとあなたとすれ違って、 二年間、ずっとあなたと触れあってきたんだよ？」
372			三年も…ごめんな。 二年も…ありがとう。
373	雪菜	Setsuna	「嬉しいことも、悲しいことも、 ずっとあなたと二人で積み上げてきたんだよ？」
374			そうだよ。
375	雪菜	Setsuna	「もう、心も体も絡まっちゃって、今さら剥がせないよ」
376			もう、誰にも超えることのできない、俺たちの歴史だ。
377	雪菜	Setsuna	「無理矢理引き剥がしたら、 それはもう、小木曽雪菜じゃないよぅ」
378	春希	Haruki	「雪菜…」
379	雪菜	Setsuna	「あなたは… 無理矢理引き剥がしても、 それは、北原春希って言えるの…？」
380			違うよ…
381	雪菜	Setsuna	「自分を、保てるの？」
382			今の俺は、もう、今の北原春希じゃない。
383	雪菜	Setsuna	「わたし、そんなにあなたに影響を与えられてなかった？ そんなに…あなたと絡み合うことはできなかったの！？」
384			五年前に、君じゃなくてかずさを選んだ…
385			違う歴史の中にいる、 今の雪菜の知らない北原春希なんだよ…俺。
386	雪菜	Setsuna	「ねぇ、春希くん…春希くんっ！」
387	春希	Haruki	「っ…」
388			掴みかからんばかりの雪菜の問いかけを、 俺は全て胸に刺さるままに受け止め、 そして、無反応を貫いた。
389			だって、心の中から湧き出る声をそのまま口にしたら、 あの酷い決心が全て無駄になる。
390			けれど、その酷い決心を守り抜くために、 枯れた冷たい言葉で突き放すほどには、 今の俺は強くも、正しくもない。
391			その結果… 雪菜を生殺しのままで放置するという、 誰に対しても、最も最低な仕打ちを続けてしまう。
392	雪菜	Setsuna	「………ふぅ。 な～んてね」
393	春希	Haruki	「雪菜…？」
394			と…
395			感情にまかせて、重く言葉を連ねてきた雪菜の唇が、 ふっと軽く滑る。
396			そして一つ、大きな深呼吸をして、 心を落ち着け、目を閉じ、涙を止めた。
397	雪菜	Setsuna	「そんな悲しい思い出に浸ってるはずなのに」
398			そして数秒後、 ふたたび口から零れた雪菜の声は。
399	雪菜	Setsuna	「世界がなくなってしまうような辛さに襲われてるのに。 本当に、世界と同じくらい大切なものを なくそうとしているのに…」
400			震えてはいたけれど、儚さは取り払われていた。
401	雪菜	Setsuna	「それでもわたし、そんなときに携帯の電源を入れた。 …家に、電話したんだよ」
402			少しの怒りと、苛立ちと… そして、更にほんの少しの安堵と、嬉しさが感じられた。
403	雪菜	Setsuna	「お母さんは、泣いてた。 お父さんは、わたしの無事を自分のことのように喜んだ。 孝宏は、わたしのこと、ずっと探してたって…」
404	春希	Haruki	「っ…」
405			漏れそうになった『よかった』という言葉と、 歯を食いしばるほどの嬉しさの表情は必死で隠した。
406			本当に嬉しくても、 それを彼女に示す資格を失っているから。
407	雪菜	Setsuna	「ごめんね、春希くん。 …ううん、もう春希くんには 関係ないことかもしれないけど」
408			関係ないことなんか、あるか…
409	雪菜	Setsuna	「わたし、あなたに言ったよね？ 日本を捨てるって、二人についていくって。 それが、できるって…」
410	春希	Haruki	「あれは…」
411	雪菜	Setsuna	「でも、嘘だった、それ。 わたしは、小木曽家の子供であることをやめられない。 日本人でいることもやめられない」
412	春希	Haruki	「っ…」
413			大きく、頷きたかった。
414			資格がなくても、関係ないなんて思いたくなかった。
415			ただ一方的に自分の思いを募らせ、 そして必死で思い留まるくらいは許して欲しかった。
416	雪菜	Setsuna	「わたし、最後の最後で、壊れきれなかった… あなただけに、こだわりきれなかった…」
417			だって、そうじゃなければ、雪菜じゃない。
418	雪菜	Setsuna	「こんなに悲しいのに、 こんなに心が引き裂かれてるのに…」
419			理性的にも、感覚的にも、 どっちにも振り切れてしまうことはない。
420	雪菜	Setsuna	「でも、考えちゃったんだ… お父さんもお母さんも孝宏も、心配してるだろうなって」
421			いつも両方持ってて、いつも揺れてて。
422	雪菜	Setsuna	「依緒や武也くんや朋、探してるんだろうなって。 会社の人たち、連絡取れなくて困ってるんだろうなって」
423			必死で折り合いを付けて、自然とバランスを取って。
424	雪菜	Setsuna	「そういうこと、考えちゃったんだ…」
425			俺の愛した小木曽雪菜は、そういう子なんだ。
426	雪菜	Setsuna	「もう何もかもどうでもいいやって、 投げ出すことができなかったんだ…」
427			そういう女の子だったから、大好きだったんだ。
428			愛して、たんだ。
429	雪菜	Setsuna	「なんなの、なんなんだろう、わたし…」
430	雪菜	Setsuna	「駄目だった。 あなたに捨てられても、 世界と自分を切り離せなかった」
431	春希	Haruki	「…っ」
432			駄目なんかじゃない。 それこそが君で、そして正しい選択だ。
433	雪菜	Setsuna	「だから、かずさに勝てなかった。 春希くんのために、平気で全てを捨てられる かずさを超えられなかった」
434			…でも、やっぱりその言葉を口から出すことはできずに、 俺は俯く。
435	雪菜	Setsuna	「やっぱり、かずさより、本気じゃなかったんだ… あなたのこと、そんなでもなかったんだよ…っ」
436	春希	Haruki	「………っ」
437			否定の言葉が、次から次へと頭の中に浮かび、 そして、次から次へと頭の中で潰していく。
438			雪菜の気持ちを否定したのは俺。 二人の絆を打ち砕いたのは俺、だから。
439	雪菜	Setsuna	「かずさに、謝っておいてね」
440	春希	Haruki	「何、を」
441	雪菜	Setsuna	「またコンサート妨害しちゃってごめんねって」
442	春希	Haruki	「あ…」
443			もうそろそろ、コンサートは終わってる。 今から行っても、間に合わない。
444			あの、大阪の夜、みたいに。
445	雪菜	Setsuna	「二度も、春希くんをかずさから遠ざけて… 大事な、大事な日だったのに」
446			あの、 立ち直るために大事なものを壊さずにはいられなかった、 終わりの始まりの日、みたいに。
447	雪菜	Setsuna	「ごめん、ごめんね、わたし… かずさに酷いこと言った上に、こんな…」
448	春希	Haruki	「大丈夫だ…」
449	雪菜	Setsuna	「え…」
450			その雪菜の謝罪は、 あまりにも一方的な解釈に囚われた、 本当に雪菜らしい、偽悪の言葉だったけど。
451	春希	Haruki	「弾くよ…約束したんだ。 俺が見てなくても最高の演奏をするって」
452			それでも、敢えて俺は、 その言葉に、最低の偽善で応えた。
453			たった今メールが届いた携帯の画面とともに。
454	かずさ	Kazusa	「弾くよ。あたし弾いてみせる。 お前がいれば、何も怖いことなんて…」
455	春希	Haruki	「ああ、頑張れよ…」
456	かずさ	Kazusa	「だから、明日のコンサート… そして、これからもずっと、 あたしのこと、見守っていてくれよ？」
457	春希	Haruki	「………」	"........."
458	かずさ	Kazusa	「…春希？」
459	春希	Haruki	「ああ、見守ってる。 …けどそれは、いつも側にいるってことじゃないぞ」
460	かずさ	Kazusa	「え…っ」
461	春希	Haruki	「俺は、これからはお前のために生きる。 お前が、何もかも切り捨てた小さな世界の中でも、 少しでも笑顔で、幸せでいられるために…」
462	かずさ	Kazusa	「まさか………来ない、のか？」
463	春希	Haruki	「い、行くよ！ 絶対に行くって！ ちゃんとそう言ってるだろ？」
464	かずさ	Kazusa	「で、でも今…側にいないって」
465	春希	Haruki	「勝手に都合の悪いように解釈するなよ… これからは、そういうこともあるって話だよ。 …明日のことじゃない」
466	かずさ	Kazusa	「じゃあ、いつのことなんだよ…」
467	春希	Haruki	「わからない」
468	かずさ	Kazusa	「わからない、って…」
469	春希	Haruki	「やっぱり明日かもしれないし一年後かもしれない。 もしかしたらそんなこと、一生起こらないかもしれない」
470	かずさ	Kazusa	「けど、これからはお前が護ってくれるんだろ？ ずっと側にいてくれるんだろ？」
471	春希	Haruki	「ああ、お前は絶対に俺が護る」
472			かずさを選ぶって決めたときに、 それはもう誓った。
473	春希	Haruki	「だから、お前の側にいることと、 お前を護ることが両立しないときは… 迷わず、護ることを優先する」
474			そして、護るための障害となるようなことは、 一切約束しないって、新しい誓いを立てた。
475	かずさ	Kazusa	「どういう…意味だよ」
476	春希	Haruki	「お前を護るためには、 一緒にいられない時だってある。 これからだって、そういうことはあるんだよ」
477	かずさ	Kazusa	「だから、どういう意味なんだよ…？」
478	春希	Haruki	「だから、そんなのわかんないんだって。 いつ何時、何が起こるかわからないのが未来だろ」
479	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
480			それは、心配性の俺が何気なく発した、 万が一の可能性の話だったのかもしれない。
481	春希	Haruki	「なぁ、かずさ… 俺は、これからの人生、ずっとお前のために… お前と一緒に生きるために使う」
482	かずさ	Kazusa	「うん…」
483	春希	Haruki	「でも、お前を幸せにするために、 側にいることよりも大切なことがあったら、 俺はその時、お前の隣にいないかもしれない」
484	かずさ	Kazusa	「だから、なんでそうなるんだよ… お前はそのとき、どこにいるんだよ？」
485	春希	Haruki	「お前のために働いたり、 お前のために距離を置いたり、 お前のために戦っているかもしれない」
486	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
487			それとも、何か予感がしたのかもしれない。 そういうことが、起こるかもしれないって。
488	春希	Haruki	「だからお前は、そういうときはただ信じろ。 …俺が今そこにいないのも、お前のためなんだって」
489	春希	Haruki	「それがお前にとって最良の選択だからこそ、 俺は今、お前の側にいないんだって」
490	かずさ	Kazusa	「春希…」
491	春希	Haruki	「でも、心はいつでもお前の側にいるから。 そこにいなくても、ずっと繋がってるから。 もう、いい加減に信じろよ…」
492	かずさ	Kazusa	「春希ぃ…」
493	春希	Haruki	「だからお前は余計なこと考えるな。 ただ、ずっと輝いてろ。 伝説でも何でも作っちまえ」
494	かずさ	Kazusa	「ぅ…ぅんっ」
495	春希	Haruki	「あと、俺を護ろうとか、俺のために犠牲になろうとか、 二度とそういうこと考えるんじゃないぞ、迷惑だ」
496	かずさ	Kazusa	「迷惑って…お前、さぁっ」
497	春希	Haruki	「お前はどうせ何もできないんだから… ピアノ弾きながらニヤニヤ笑ってる以外に、 俺を救うことなんかできないんだからさ」
498	かずさ	Kazusa	「そんなの…ただの役立たずじゃないか」
499	春希	Haruki	「俺のために、ずっと役立たずでいてくれ。 俺が頑張れるように、一生、俺の負担になってくれ」
500	かずさ	Kazusa	「馬鹿、バカ…ばかぁぁぁ…っ、 う、ふぇぇ…ぅ、ぇぇぅっ」
501			その、かずさの生産性のない泣き声が、 俺の胸に涙と共に染み入り、俺の力となる。
502			かずさは自分の中に何も生み出さない。 けれど、俺の中に強いエネルギーを灯してくれる。
503	かずさ	Kazusa	「う、ふぇぇぇぇ…春希、春希… 愛してる、愛してる…ふ、あは…あはは…っ」
504			そのピアノと涙と… そして、ほんのたまにしか見せてくれない笑顔で。
505			………	.........
506	かずさ	Kazusa	「なぁ、春希」
507	春希	Haruki	「ん？」
508	かずさ	Kazusa	「あたしはさ、これからもピアノ以外は 何もできないかもしれない。 …ううん、多分その可能性が一番高いと思う」
509	春希	Haruki	「何を今さら」
510	かずさ	Kazusa	「金銭感覚がなくて、家事もできなくて、 もしかしたらピアノで金を稼ぐこともできなくなって、 お前に地獄を見せてしまうかもしれない」
511	春希	Haruki	「織り込み済みだよ、そんなの」
512	かずさ	Kazusa	「お前はあたしのために無理して、体を壊して、 長生きなんかできないかもしれない」
513	春希	Haruki	「お前なぁ… 今からそんな縁起でもないこと考えてたって」
514	かずさ	Kazusa	「けどさ…たった一つだけ、絶対に保証する未来がある。 …お前が死んだら、あたしはすぐに後を追う」
515	春希	Haruki	「………ば～か。 人生の半分も生きてない奴がナマ言うな」
516	かずさ	Kazusa	「それこそ、何とでも言え、だ。 あたしは絶対やり遂げてみせるからな。 …止められるものなら止めてみろ」
517	春希	Haruki	「言っておくがな、俺は後を追ったりしないぞ？ もしもお前が先に逝ってしまったとしても、 歯を食いしばってその先も生きてみせる」
518	かずさ	Kazusa	「うん、春希はそうしてくれ。 …あたしから解放されて、力を抜いて、 ずっと、いつまでも生きてくれ」
519	春希	Haruki	「そんなの、言われなくたって…」
520	かずさ	Kazusa	「そしてもし、そんな時が来ることがあったら… 雪菜と、仲直りしてくれ」
521	春希	Haruki	「………」	"........."
522	かずさ	Kazusa	「あたしが死んでからなら、許すから… 雪菜のところ、帰ってもいいから」
523	春希	Haruki	「とことん馬鹿だな、お前は… そんなの、雪菜が受け入れてくれる訳ないだろ」
524	かずさ	Kazusa	「本当は、本当はさ… もっと違う、一番幸せな道、あったんだよ」
525	春希	Haruki	「…もう、寝ろよ。 夜、明けちまったぞ」
526	かずさ	Kazusa	「教会の祭壇で雪菜が泣いてて、春希が照れてて、 そしてあたしが、祝いのオルガンを弾く」
527	春希	Haruki	「………寝るぞ、俺は」
528	かずさ	Kazusa	「そんな未来が、三人にとって一番幸せだったんだ。 ………三人の平均を取れば、だけどな」
529	春希	Haruki	「…おやすみ」
530	かずさ	Kazusa	「おやすみ、春希…」
531			………	.........
532			……	......
533			…	...
534	曜子	Youko	「………」	"........."
535	高柳	Takayanagi	「これは…」
536	曜子	Youko	「………は、はは」
537	高柳	Takayanagi	「君の、凱旋公演の時以来じゃないかな… こんなに熱狂的な客席は」
538	曜子	Youko	「どんな魔法かけたのよ、ギター君…」
539			………	.........
540			……	......
541			…	...
542	雪菜	Setsuna	「そ…っか」
543	春希	Haruki	「………」	"........."
544			『大成功だ馬鹿野郎』
545			たった一言の、かずさからのメールは、 けれど、たくさんの気持ちを俺たちに伝えた。
546	雪菜	Setsuna	「よかったね… やっぱり、かずさは凄いよね」
547			そして雪菜は…
548	雪菜	Setsuna	「そうだよねぇ、 かずさは春希くんのためなら、何でもできるもんね」
549			俺とかずさの、言葉や行動や絆が生み出す刃に 全身を切り刻まれながら、 とうとう、微笑んでみせた。
550	雪菜	Setsuna	「五年前から、そうだったもんね。 わたしに邪魔されても、ずっと変わらなかったもんね」
551			俺が愛したその強さで、 俺から、一歩離れてみせた。
552	雪菜	Setsuna	「よかった…本当によかった。 うん、じゃあ…後はかずさに任せたね」
553	春希	Haruki	「っ…」
554			それは気高く、美しく…
555			そして俺にとっては、 とんでもなく身勝手だけど、身を引き裂かれる笑顔。
556	雪菜	Setsuna	「なんてね… もともと、奪ってったのはわたしなのに、 勝手なこと言ってるよねぇ」
557	春希	Haruki	「そんなこと…っ」
558	雪菜	Setsuna	「ちょっと言い方変えるね。 ごめんね、かずさ… ちょっと長く借りちゃったけど、春希くん、返すよ」
559	春希	Haruki	「～っ」
560			痛みを感じちゃいけないのに。 手を伸ばそうとしたら駄目なのに。
561			なのに今の雪菜は、 まるで聖母のように穏やかで、優しげで。
562	雪菜	Setsuna	「おめでとう、かずさ。 コンサート、成功してよかったね」
563	雪菜	Setsuna	「わたしのしたこと、 ちょっとは報われてくれたかな？ もしかしたら、無駄じゃなかったかな？」
564	春希	Haruki	「雪菜…？」
565			とても、儚かった。
566	雪菜	Setsuna	[F16「あなたのこと、邪魔しなくてよかった。 ][F16本当に、よかった」]
567	雪菜	Setsuna	[F16「知られなくて、よかった… ][F16かずさにも、春希くんにも、誰にも…」]
568			………	.........
569			……	......
570			…	...
571	男性	Man	「だ…大丈夫ですか～っ！？」
572	雪菜	Setsuna	「………っ？」
573	女性	Woman	「ねぇ、しっかりして！」
574	雪菜	Setsuna	「………ぁ」
575	男性	Man	「ぁ、ぁ…」
576	雪菜	Setsuna	「あれ…ぇ？」
577	女性	Woman	「っ…見えますか？ わかりますか！？」
578	雪菜	Setsuna	「ええと…ここ、は…っ」
579	女性	Woman	「立たないで、横になってなさい。 誰か救急車！」
580	男性	Man	「あ、あ…その…違、 信号、青で…この人、急に…」
581	女性	Woman	「そんなこといいから！ それより救急車呼んできて！」
582	男性	Man	「あ、は…はぃぃ…っ」
583	雪菜	Setsuna	「そんな…大丈夫です。 わたし、全然…っ」
584	女性	Woman	「いいから、大人しくしてなさい。 とにかく病院で検査してもらいましょう、ね？」
585	雪菜	Setsuna	「病院…？」
586	女性	Woman	「家の連絡先、思い出せる？ それか友達とか、職場とか…」
587	雪菜	Setsuna	「………っ、 駄目」
588	女性	Woman	「駄目って… やっぱりまだ混乱して…」
589	雪菜	Setsuna	「違うの…こんなの大したことじゃないから。 だから、誰にも連絡したら駄目」
590	女性	Woman	「あ、ちょっと…起き上がったら駄目よ！」
591	雪菜	Setsuna	「っ…ぁ」
592	女性	Woman	「ほら、きっと脳しんとう起こしてるのよ。 だから今は…」
593	雪菜	Setsuna	「ありがとうございます… でも大丈夫。 ほら、血も出てないし」
594	女性	Woman	「内出血してたらどうするのよ！ とにかく救急車来るまでじっとしてて！」
595	雪菜	Setsuna	「っ…救急車なんて、駄目。 絶対駄目」
596	女性	Woman	「ちょっと、暴れないで…きゃっ」
597	雪菜	Setsuna	「こんなの、誰にも知られたらいけないの！ 明日…かずさのコンサートなのに！」
598	雪菜	Setsuna	「なのにこんな… もし家族や友達に知られたら、伝わっちゃう…」
599	女性	Woman	「あ、ねぇ…落ち着いて。 どうして逃げるの？」
600	雪菜	Setsuna	「知られたらいけないの！ かずさにも、春希くんにも…絶対っ」
601	女性	Woman	「駄目！　走ったら駄目！ 戻ってきなさい～！」
602			………	.........
603			……	......
604	春希	Haruki	「…雪菜？」
605	雪菜	Setsuna	「ぁ？　ぁぁ… ごめん、ちょっとぼうっとしてた」
606			儚い笑顔で目を閉じて、 それから数十秒…
607			雪菜は、まるで眠ってしまったかのように 世界との接触を閉ざした。
608	春希	Haruki	「やっぱり、寒いんじゃ…」
609	雪菜	Setsuna	「寒くない、寒くないよ。 そんなんじゃ、ないんだよ…」
610	春希	Haruki	「けど…」
611	雪菜	Setsuna	「でも、そうだね。 もう、こんなところにいても仕方ないね。 …話、ついちゃったしね」
612	春希	Haruki	「………」	"........."
613			そして目覚めると、 もう、何事もなかったかのように振る舞う。
614	雪菜	Setsuna	「そろそろ、帰ってもいいよ。 かずさのところ、帰っていってもいいんだよ」
615			俺たちの精算を…始める。
616	春希	Haruki	「雪菜も…」
617	雪菜	Setsuna	「わたしは…もうちょっとだけここにいる」
618	春希	Haruki	「駄目だって…こんな寒いところ。 歩くのが辛いならタクシー呼んでくるから」
619	雪菜	Setsuna	「そういうことじゃなくてね、 実はさっき、お母さんからメールがあったんだ。 …今、車で迎えに来てくれてるって」
620	春希	Haruki	「そっか…」
621	雪菜	Setsuna	「それも一家総出で。 …小木曽家、らしいでしょ？」
622	春希	Haruki	「ん…」
623			本当に、らしい。
624			あの家の、そういうところ、好きだった。
625			俺に欠けたものを持っている人たちに、 心底憧れていたんだ。
626	雪菜	Setsuna	「もうすぐ着く頃なんだ。 だからここにいると、お父さんと鉢合わせしちゃうよ？ そういうの、辛いでしょ？」
627	春希	Haruki	「雪菜…」
628	雪菜	Setsuna	「だから、ここでさようなら。 …ね？」
629	春希	Haruki	「雪菜…ぁ」
630			そうだ… 俺はもう、彼女の手を取っていい人間じゃない。
631	雪菜	Setsuna	「大丈夫… もう、大丈夫なんだよ、わたし。 …だって、みんながいるもの」
632	雪菜	Setsuna	「家族も、友達も、会社の人たちも… みんな、わたしを支えてくれる、護ってくれる」
633	雪菜	Setsuna	「だから、たとえどんな大きな傷だって、 いつか、塞がるよ」
634			本当に、雪菜にとって必要な人たちに…
635			雪菜のことを愛してくれる人たちに、返したんだ。
636	雪菜	Setsuna	「それじゃあね、春希くん…」
637	春希	Haruki	「う…ん」
638			俺はもう、雪菜とは関係のない人間だ…
639	雪菜	Setsuna	「お幸せ、に」
640			………	.........
641			……	......
642			…	...
643	春希	Haruki	「ぁ…」
644			駅まで、あと数歩というところで、それは降ってきた。
645			いつも俺たちの分岐点に現れ、 辛いこと、悲しいことを時期限定で埋め尽くす、白い幕。
646			白くて、儚くて、優しくて… けれど厳しい寒さを、冷たさとともに運んでくる。
647	春希	Haruki	「雪菜…」
648			雪菜は…
649			大丈夫だって強がっていたけれど、 寒い海風に吹き付けられ、 今度は雪にまで覆い尽くされようという、雪菜は…
650	春希	Haruki	「っ…」
651			そうだ、コート…
652			ほんの少しの気休めにしかならないけれど、 その、ほんの少しでも彼女の助けになれば、俺は…
653			俺は…
654	春希	Haruki	「………」	"........."
655			何度蒸し返せば済むんだよ。
656			俺は、もう、 雪菜の側に寄り添えない。 自分で、そして雪菜に言ってもらったじゃないか。
657			やっぱり、降ってきた。
658			一番大切なものを手に入れるために、 一番大切なものを切り落とした日にも。
659			まるで俺の罪を消そうとするかのように、 記憶から覆い隠してくれようとするかのように。
660			雪が、舞い落ちる。
661			雪菜…
662			幸せになって、幸せになって…雪菜。 俺の、一生掛けてのお願いだ。
663			もう、俺がそれを叶えることは できなくなってしまったけれど。
664			それでも俺、ずっとずっと、願っているから。
665			もし、辛いことがあったら、 悲しいことがあったなら…
666			俺を思い出してくれ。 強く恨んで、激しく憎んでくれ。
667			怒りを、力に変えてくれ。 君を立ち直らせる、力に。
668			俺を否定する心が… 俺がいない、そのことが当然な世界への道しるべとなる。
669			だから、だから… ずっと、俺のこと憎んで、憎んで。 そして、新しい暖かさや幸せに包まれて…
670	春希	Haruki	「っ…」
671			いつか俺のこと…忘れて、くれ。
672			………	.........
673	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
674	雪菜	Setsuna	「粉雪がわたしに、いくつも、降りかかる」
675	雪菜	Setsuna	「あたたか、い…あな、たの…やさしさに、似て…」
676	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
677	雪菜	Setsuna	「………」	"........."

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