White Album 2/Script/3102

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	Speaker		Text		Comment
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1	男性アナウンサー	Male Announcer	「さて本日２月１４日。 バレンタインデーのニュースです」
2	男性アナウンサー	Male Announcer	「まずはマイリースポーツさんの記事ですが… 『冬馬かずさ追加公演中止？』」
3	男性アナウンサー	Male Announcer	「１月の来日初コンサートも好評で、 今月末、追加公演が既に決定している ピアニスト冬馬かずささんですが…」
4	男性アナウンサー	Male Announcer	「実は現在、深刻な体調不良ということで 次回公演の開催が危ぶまれていることが、 関係者の話で明らかになりました」
5	男性アナウンサー	Male Announcer	「前回のコンサート以来、かずささんは、 プロデューサーであり母親の冬馬曜子さんとともに、 報道陣の前に一切姿を現さなくなりましたが…」
6	男性アナウンサー	Male Announcer	「実は、前回のコンサートの後に体調不良を訴え、 現在は都内の病院で療養していると言うんですね」
7	男性アナウンサー	Male Announcer	「というのもですね、実は先週、 かずささんの滞在先と思われるホテルに 深夜救急車が出動する騒ぎがありまして…」
8	男性アナウンサー	Male Announcer	「その時運び出された女性が 彼女ではないかという目撃者の証言もあり、 ここに来て追加公演の開催が危ぶまれています」
9	男性アナウンサー	Male Announcer	「なお、この件に対して冬馬曜子オフィスは昨夜、 『こちらではそのような報告を受けておりません。 現在確認中です』とのコメントを発表しました」
10	男性アナウンサー	Male Announcer	「冬馬かずささんの日本公演に関しては、 発売一時間でチケットが完売するほどの、 クラシックとしては異例の大人気となっていまして…」
11	曜子	Youko	「で、この噂、美代ちゃんが流したの？」
12	美代子	Miyoko	「一部マスコミの間で、 社長の病気のことが取り沙汰されていたので、 目先を変えておこうかと思いまして」
13	曜子	Youko	「…なるほど、かずさの件がガセとわかったら、 今度は冬馬曜子だと言っても誰も信用しない、か」
14	美代子	Miyoko	「『ピンチをチャンスに変える会話術』は 社長に鍛えていただきましたから」
15	曜子	Youko	「さすがは冬馬曜子オフィス随一の切れ者。 やってくれるわね～」
16	美代子	Miyoko	「そもそも日本オフィスには私一人しかいませんし」
17	曜子	Youko	「…で、あの子は？」
18	美代子	Miyoko	「相変わらずピアノに向かおうとしません。 時々外出はしてるみたいですけど、 周囲を散歩する程度みたいで…」
19	曜子	Youko	「やっぱり落ち込んでる？」
20	美代子	Miyoko	「そうですね… でも、塞ぎ込んでるというよりは、 何だか思い悩んでるみたいですけど」
21	曜子	Youko	「悩む…？」
22	美代子	Miyoko	「ええ、話しかけても生返事ばかりで、 心ここにあらずって感じで」
23	曜子	Youko	「………」	"........."
24	美代子	Miyoko	「社長、かずささん、本当に大丈夫でしょうか？ まさか変なふうに思い詰めたりとか…」
25	曜子	Youko	「あ～、今の様子を聞く限りじゃ、 美代ちゃんの心配してるようなことはなさそうね」
26	美代子	Miyoko	「ほ、本当にそうでしょうか？ けど芸術家って色々と…」
27	曜子	Youko	「あの子、周囲が思うよりもずっと普通の子なのよ。 …ちょっと乙女が過ぎるけどね」
28	美代子	Miyoko	「お、乙女…？」
29	曜子	Youko	「だから、何があっても人であることはやめないわよ。 ただ、芸術家ってのの方をやめる可能性は…」
30	美代子	Miyoko	「………」	"........."
31	曜子	Youko	「ごめんね美代ちゃん。 うちの娘が迷惑かけて」
32	美代子	Miyoko	「いいんです。 彼女の気持ち、痛いほどわかりますから」
33	曜子	Youko	[F16「…本当はわかるわけないんだけどね」]
34	美代子	Miyoko	「私だって泣きたいくらいショックなんですよ？ 社長が引退しちゃったら、 冬馬曜子オフィスはどうなるんですか…」
35	曜子	Youko	「まぁ、その件は退院してから相談するとして、 それで、コンサートの準備の方は？」
36	美代子	Miyoko	「そちらは準備万端です。 開催についても…撤退についても。 例の記事も半分はそれが狙いですから」
37	曜子	Youko	「…やっぱり冬馬曜子オフィス随一の切れ者ね」
38	美代子	Miyoko	「社長が決断した瞬間に、 すぐに各方面が動けるように手配しています。 損害も最小限に抑えられるように手を打ちました」
39	曜子	Youko	「ありがとう美代ちゃん」
40	美代子	Miyoko	「けれど、どうなるんでしょうか、かずささん… コンサートのこともそうだけど、 これからのことだって…」
41	曜子	Youko	「今は、見守るしかないわね」
42	美代子	Miyoko	「社長…」
43	曜子	Youko	「元の自分を取り戻すのか、 何もかも失ってしまうのか、 それとも………」
44	曜子	Youko	「何かを得るために、何かを捨てるのか」
45			………	.........
46	女性客	Female Guest	「あ、あの…すいません」	"Ah, um... excuse me."
47	かずさ	Kazusa	「え…？」	"Eh...?"
48	女性客	Female Guest	「冬馬かずささん、ですよね？ ピアノの」	"Aren't you the pianist Kazusa Touma-san?"
49	かずさ	Kazusa	「あ…っ」	"Ah..."
50	女性客	Female Guest	「やっぱり！ そうじゃないかと思ってたんですよ～！ あ、私この前のコンサート行ったんです！」	"I knew it! I thought that you looked familiar! Ah, I went to your last concert!"
51	かずさ	Kazusa	「い、いえ、あたし…」	"N- no, I..."
52	女性客	Female Guest	「感動しました～、すっごく！ 私、普段はクラシックとか聴かないんですけど、 あなたのピアノだけは大ファンなんですよ～」	"I was moved by it, so much! I usually don't listen to classical music, but I'm just a big fan of your piano playing!"
53	かずさ	Kazusa	「は、はぁ…？」	"Hu- huh...?"
54	女性客	Female Guest	「だってほら、弾いてるところ綺麗だし、 すっごく絵になるし～、 もう見てるだけで満足って言うか」	"But the recital hall was beautiful, it was incredibly picturesque, just looking at it was satisfying."
55	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
56	女性客	Female Guest	「握手してください、握手！ あ、あの、それと、よろしかったらサインも…」	"Please shake my hand, please! Ah, and also if it's okay, a signature too..."
57	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
58	女性客	Female Guest	「…それにしても、今からどこに行くんです？ まだ日本にいらっしゃるんですよね？ 追加公演も残ってるし」	"...At any rate, where are you going from now? You'll come to Japan again, right? You have another performance, so..."
59	かずさ	Kazusa	「………違う」	".........You're wrong."
60	女性客	Female Guest	「え…？」	"Eh...?"
61	かずさ	Kazusa	「あたし… そんな有名人なんかじゃない」	"I'm... not a famous person at all."
62	女性客	Female Guest	「で、でも… 冬馬さんに間違いないですよね？」	"B- but... Aren't you Touma-san?"
63	かずさ	Kazusa	「だからなんだよ…」	"So what...?"
64	女性客	Female Guest	「え、え？」	"Eh, eh?"
65	かずさ	Kazusa	「冬馬かずさなんて… ただの、どこにでもいる日本人だ」	"Kazusa Touma... is just an ordinary Japanese person."
66	車内アナウンス	Train Announcement	「まもなく、終点、成田空港に到着いたします。 お忘れ物の無いよう、お支度ください。本日は……」
67	浜田	Hamada	「おい北原！ お前、最近一体何やってんだよ！」
68	春希	Haruki	「すいません。 増刊の方にかかりっきりになってしまってて」
69	浜田	Hamada	「にしたって、 こっちには全然顔出さない。進捗報告もしない。 たまに来ても上司に声すら掛けないってどういうことだ」
70	春希	Haruki	「本当にごめんなさい。 今週は[Rアンサンブル^むこう]の編集部に入り浸りで」
71			…と、それでも顔を向けずに資料を書きながらという、 ますます浜田さんの怒りを買う受け答えをしてしまう。
72			だって、言っちゃ悪いけど、 こんなことをしている時間すら惜しい。
73	浜田	Hamada	「それで、増刊の方はどうなってる？ 今頃になって間に合いませ～んなんて 泣きついてきても俺は知らんぞ！」
74	春希	Haruki	「今日中に初校上がります。 週末にはこっちの作業は全部終わる予定です」
75	浜田	Hamada	「…なに？」
76	鈴木	Suzuki	「それって逆に早すぎない？ 締め切りまでまだ半月あるよ…？」
77	春希	Haruki	「あとは修正作業と、編プロの方の原稿待ちと監修と …それに編集後記だけです」
78	松岡	Matsuoka	「最後のは俺に対する嫌味だと思うんですよ…」
79	鈴木	Suzuki	「考えすぎだよ松っちゃん…」
80	浜田	Hamada	「そ、そこまで進んでるならちゃんと報告しろ！ 自分で抱え込んでるんじゃない！」
81	春希	Haruki	「すいません、以後気をつけます。 …こっち、続けていいですか？」
82	浜田	Hamada	「………後で詳しく進捗報告しろ。 メールでいいから」
83	春希	Haruki	「わかりました」
84			本当は、メールを書く時間も惜しいけど、 それは移動中にでも対応するしかない。
85			何しろ今週に入ってからは、報告をするどころか、 報告しようと考えることすら惜しいくらい、 時間を秒刻みで消費してた。
86			そんな歪な仕事の仕方、 浜田さんの言う通り社会人失格だけど、 今はそんなこと考えてる暇もなかった。
87			だって…
88	春希	Haruki	「………」	"........."
89			いや、今はその可能性まで考えるのはやめよう。 まだ何も決まってない。
90	松岡	Matsuoka	「ねぇ鈴木さん… 北原、ちょっと変じゃないですか？」
91	鈴木	Suzuki	「まぁ、松っちゃんには理解できない人種であることは 確かだけどね。何しろ麻理さんの愛弟子だし」
92	松岡	Matsuoka	「いや…その麻理さんが昔言ってた 『危ない北原』に近いような気がするんですよ、 今のあいつ」
93			週明けからの連続稼働のせいか、 ずっと集中し続けていたおかげなのか…
94			今の俺は、周囲のひそひそ話が 一字一句ハッキリ聞こえてしまうほど、 あまりに神経が研ぎ澄まされ過ぎている。
95	春希	Haruki	「………」	"........."
96			それでも今は、その雑談に首を突っ込む余裕も、 また、その気もなかった。
97			一刻も早く、今の仕事を上げないとという焦燥感と…
98			そして、松岡さんの言葉を否定できない、 今の俺が自ら選んだ状況のせいで。
99			………	.........
100	かずさ	Kazusa	「………何の、冗談だよ」
101	春希	Haruki	「………」	"........."
102	かずさ	Kazusa	「そんなたちの悪い冗談言って、 あたしをからかうのやめろよ…」
103			『俺は、お前の側にいる』
104			『…たとえ、全てを捨てることになっても』
105			ほんの数秒前、俺の口から零れたその言葉は、 かずさの言う通り、 あまりにも悪い冗談としか思えなかった。
106	かずさ	Kazusa	「嘘だとわかりきってるのに、 ちょっと信じかけて… 余計に悲しくなるじゃないか」
107	春希	Haruki	「お前… 俺が側にいると悲しいのか？ ずっと一緒にいたら、そんなに嫌か？」
108	かずさ	Kazusa	「馬鹿野郎！　わざと読み違えるな！ あたしはお前のそう言うところが嫌いなんだ！」
109	春希	Haruki	「…ごめん」
110			そんな照れ隠しの読み違えは、 もう、今のかずさにはなんの意味もなかった。
111	かずさ	Kazusa	「すぐに夢から覚めてしまうからだよ… そんなことできるわけないって、 思い知らされてしまうからだよ」
112	春希	Haruki	「かずさ…」
113			かずさ自身がもう、 はぐらかすことも、 強がることもやめてしまったから。
114	かずさ	Kazusa	「叶わない夢を語るなよ。 残酷にも程があるだろ？」
115			ただ、ひたすらまっすぐに。 全力で、俺だけを見つめて。
116			…俺以外を、全て視界の外に追い出して。
117	春希	Haruki	「ところがな… 残念ながら、お前の言ってることは見当違いなんだ」
118	かずさ	Kazusa	「え…」
119	春希	Haruki	「嘘じゃないんだ。 からかってる訳でもないんだ」
120			だから俺も、そのかずさに応える。 かずさ以外の全てを、俺の視界の外へと弾き出す。
121	春希	Haruki	「俺は、これからお前の隣にずっといる。 お前の行くところに、どこまででもついていく。 …それがたとえ、ウィーンでも」
122	かずさ	Kazusa	「………っ！？」
123	春希	Haruki	「ピアニストの冬馬かずさでも、 ただの日本人の冬馬かずさでも、 俺にはもう、どっちだっていい」
124	かずさ	Kazusa	「春希…？」
125	春希	Haruki	「ただ、これから俺は、そのたった一人を支えてく。 これからの俺は、そいつだけのために生きる」
126	かずさ	Kazusa	「お前、お前………っ」
127			けれど、かずさの想いに応えれば応えるほど…
128			かずさの願いを叶えると約束すればするほど…
129	かずさ	Kazusa	「正気、か？」
130			俺たちの周りの空気が、 寒さだけじゃない理由で、凍りついていく。
131			幸せでもなく喜びでもなく…
132			ただ、絶望と、暗雲と、重圧が、 俺たちを襲い、覆い、のしかかっていく。
133	かずさ	Kazusa	「それは、あたしがどれだけ願っても、 絶対に叶わない夢だったんじゃないのか…？」
134	春希	Haruki	「日本じゃなくたって、俺なら大丈夫だ。 しばらくは生きていくにも苦労するだろうけど、 そのうちまっとうな仕事にありつける自信はある」
135	かずさ	Kazusa	「そういう意味じゃなくてさぁ…っ」
136	春希	Haruki	「俺の家族のことも心配しなくていい。 もともと一人みたいなものだから…」
137	かずさ	Kazusa	「っ…そんなこと言ってるんじゃない！ やっぱりお前、わざと読み違えてるじゃないか！」
138	春希	Haruki	「…まぁな」
139	かずさ	Kazusa	「雪菜………は？」
140	春希	Haruki	「………」	"........."
141	かずさ	Kazusa	「っ！？ お、お前、お前…まさかっ！？」
142			かずさは、ほんの少しだけ思い違いをしてた。 そして、そのことに今、やっと気がついた。
143			叶わない夢を語るのが残酷なんじゃない。
144	春希	Haruki	「…お前は何も心配しなくていい。 俺が…俺一人でなんとかするから」
145	かずさ	Kazusa	「あ、あ………あああああっ！？」
146			その夢が、あろうことか叶ってしまった瞬間が、 本当の、残酷な時間の始まりだということに。
147			………	.........
148	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
149	空港アナウンス	Airport Announcement	「東日本航空２４８便ウィーン行きは ただ今からご搭乗手続きを開始いたします。 お客様は８２番ゲートにお越し願います」
150	かずさ	Kazusa	「あ…」
151	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
152	かずさ	Kazusa	「無理だよ春希… そんなの…」
153			………	.........
154	かずさ	Kazusa	「…そんなの、不可能に決まってる」
155	春希	Haruki	「だったらお前、これからどうすんだよ？ ちゃんと一人でやってけるか？ 俺を…安心させてくれるのかよ？」
156	かずさ	Kazusa	「あたしのことなんか話してない… お前が無理だって言ってるんだよ！」
157	春希	Haruki	「………」	"........."
158	かずさ	Kazusa	「そんなことしたら… あたしが救われる代わりに、みんなボロボロになる。 雪菜も、お前も…みんながだよっ！」
159	春希	Haruki	「俺は………大丈夫だよ」
160	かずさ	Kazusa	「そんな訳ないだろ！ お前が一番酷いことになるに決まってるじゃないか！」
161	春希	Haruki	「だから、大丈夫、だって…」
162	かずさ	Kazusa	「雪菜のこと愛してるくせに、 一生連れ添うことだって、お互い望んでたくせに！」
163	春希	Haruki	「かずさ…」
164	かずさ	Kazusa	「だから、そんなことしてしまったら… 五年間もずっと愛してきた相手を捨ててしまったら… お前、一生後悔して生きていくことになるんだぞ？」
165	春希	Haruki	「かずさ」
166	かずさ	Kazusa	「お前、それでも…っ！」
167	春希	Haruki	「かずさ」
168	かずさ	Kazusa	「っ…」
169	春希	Haruki	「もう、遅いよ」
170	かずさ	Kazusa	「そんなことない、そんな… まだお前は、何も選んでない。 あたしなんか、選んで…」
171	春希	Haruki	「どっちを選んでも、 俺、もう後悔せずにはいられないんだよ」
172	かずさ	Kazusa	「え…」
173	春希	Haruki	「俺しか頼れないお前を見捨てたら、 やっぱり俺、一生引きずるんだよ」
174	かずさ	Kazusa	「そ、んな…」
175	春希	Haruki	「もう、どっちに進んでも、駄目なんだ。 何もかも、遅すぎるんだよ。 だから俺は…」
176	かずさ	Kazusa	「ま、待て…待てよ」
177	春希	Haruki	「一番、大切なひとだけを救おうって、 そう、決めたんだ」
178	かずさ	Kazusa	「ば、ば、馬鹿…っ！」
179	春希	Haruki	「…今度ばかりは、 お前の言うことが正しいな」
180	かずさ	Kazusa	「～～～っ！？ う、あ、あ…あぁぁ…っ」
181	春希	Haruki	「………」	"........."
182	かずさ	Kazusa	「そんな…そんな、駄目だよ… お前、そんな…春希ぃ…っ」
183	春希	Haruki	「かずさ…」
184	かずさ	Kazusa	「あ、あたしを… あたしをこれ以上、 お前なしでいられなくするなよぅ…っ」
185	春希	Haruki	「っ………お前がそんな言い方するから、 俺、ますます引っ込みがつかなくなるんだけどなぁ」
186	かずさ	Kazusa	「っ…ご、ごめ…っ、 うぁぁ…ふぁぁぁぁ…っ」
187	春希	Haruki	「なぁ、かずさ…」
188	かずさ	Kazusa	「ふぇぇぇ…ぇぅっ…ぅ………な、に？」
189	春希	Haruki	「もちろん、俺が勝手にそう決めても、 お前がそれで幸せになれないならどうしようもないんだ」
190	かずさ	Kazusa	「春希…？」
191	春希	Haruki	「お前が俺の手を取るより、 取らない方が幸せになれるって言うなら…」
192	春希	Haruki	「一人でなんとかできるって言うなら、 俺を拒絶してくれ」
193	かずさ	Kazusa	「ぇ…」
194	春希	Haruki	「俺はもう、お前の幸せだけなんだ。 それだけで決めることに決めたんだ」
195	かずさ	Kazusa	「そんな、そんな、そんなぁ…っ、 あ、あたし、そんなの…」
196	春希	Haruki	「…結局、お前を苦しめてしまうな。 ごめんな」
197	かずさ	Kazusa	「っ…ぁ」
198	春希	Haruki	「それでも、これだけはお前が決めてくれ」
199	かずさ	Kazusa	「あたし、が…」
200	春希	Haruki	「多分、この先… お前も俺と同じでさ、 どっちの道を選んでも後悔すると思うんだ」
201	春希	Haruki	「だからせめて… 自分の選択で後悔するんだ。 好きな人を裏切るなら、そのことを覚えておくんだ」
202	かずさ	Kazusa	「裏切る…？」
203	春希	Haruki	「俺はもう、裏切った。 あとは、お前だけだ」
204	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
205	春希	Haruki	「今のまま、辛いまま必死で生きていくか… 今よりもっと辛い思いをして、 そして、今よりもう少しだけ、幸せになるか…」
206	春希	Haruki	「考えて、みてくれ」
207	かずさ	Kazusa	「春希…」
208	春希	Haruki	「お前が答えを出したら、 俺は全力でその通りの未来を切り開く」
209	春希	Haruki	「悪魔と、契約してでも、な」
210			………	.........
211	かずさ	Kazusa	「春希…」
212	空港アナウンス	Airport Announcement	「東日本航空２４８便ウィーン行きは ただ今ご搭乗の最終案内をいたしております。 お客様は８２番ゲートよりお急ぎご搭乗ください」
213	かずさ	Kazusa	「あたしは…あたし、は…」
214	？？？	???	「………！」
215	かずさ	Kazusa	「え…」
216	？？？	???	「冬馬ぁぁぁっ！」
217	かずさ	Kazusa	「っ！？」
218	男性客１	Male Guest 1	「お～い、小田～！ ゲートそっちじゃないぞ～！」
219	かずさ	Kazusa	「え…」
220	男性客２	Male Guest 2	「あれ？　でもフランクフルト便は７０番だって」
221	男性客１	Male Guest 1	「航空会社違うだろ。 ちゃんと確認しろよ」
222	男性客２	Male Guest 2	「あ、本当だ。 なんだよ、紛らわしいなぁ」
223	かずさ	Kazusa	「………あ」
224	男性客１	Male Guest 1	「出発便ってのは大体同じ時刻に出るもんなんだよ。 ほら、５４番ゲートは向こうだ」
225	男性客２	Male Guest 2	「悪いな、それじゃ行ってくる」
226	男性客１	Male Guest 1	「なんか頼りないなぁ… お前、本当に帰って来れるのかよ」
227			………	.........
228	かずさ	Kazusa	「は、はは…」
229	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
230	かずさ	Kazusa	「…っ」
231			………	.........
232			……	......
233			…	...
234	武也	Takeya	「なんだよそれ… お前、今日のノルマ終わったんだろ？ 会議も取材も入ってないんだろ？」
235	春希	Haruki	「ああ…」
236	武也	Takeya	「なのに、何さっきからグダグダ言ってんだよ？ 行けないかもとか、遅刻するかもとか…」
237	春希	Haruki	「だから、さっきから言ってるだろ。 締め切り前だからいつ呼び出されるかわからないって。 そしたら３０分以内に戻らないといけないって」
238	武也	Takeya	「そんなの携帯切っときゃいいじゃんか。 今日一日くらいなら取り返せるだろお前なら」
239	春希	Haruki	「そうも行かないんだよ… メインで任されたの今回が初めてなんだし」
240	武也	Takeya	「だからってお前、仕事と彼女、 どっちが大事なんだよ！ だいたい今日は…っ」
241	春希	Haruki	「わかってるって… 今日が、どんな日かくらい」
242	武也	Takeya	「………春希」
243	春希	Haruki	「ん？」
244	武也	Takeya	「さっきから、電話遠いぞ」
245	春希	Haruki	「え…」
246	武也	Takeya	「それとも、お前の声が消え入りそうなだけか？ 周りの音はよく聞こえるしな」
247	春希	Haruki	「………気のせいだろ」
248	武也	Takeya	「やっぱ、なんか元気ねぇなぁ… お前、本当にわかって…」
249	駅アナウンス	Station Announcement	「二番線電車が発車します。 閉まる扉にご注意ください」
250	春希	Haruki	「あ、悪い…電車出るから、切るな」
251	武也	Takeya	「とにかく、必ず来いよ！ 俺と依緒は先に現地に…」
252			………	.........
253			まだ何かを言いたそうな武也を振り切るように、 締まる直前のドアに飛び込み、通話ボタンを切った。
254			今週初めての、日付が変わる前の帰宅。 …いや、予定通りならそのまま帰るわけにはいかない。
255			いつもの南末次から一駅乗り越して、 末次町で降りてそこから徒歩１５分。
256			２月１４日… 毎年恒例の、雪菜の誕生日パーティ。
257			ハタチを超えてまで誕生日にホームパーティなんてって、 このパーティの出席者以外には、 笑われたり呆れられたりすることもあるけれど…
258			それでも、このパーティの出席者にとっては、 当然で神聖で崇高な、毎年来るのが待ち遠しいイベント。
259			家族やその友人たちがたくさん集まって、 他愛のないお喋りに興じたり、 主賓の作ったご馳走に舌鼓を打ったり…
260			そんな、どっちかと言えば欧米っぽくて、 けれど中身は純日本式な和洋折衷のお祭り。
261			俺は、去年も一昨年もその輪の中心にいて、 出席者たちの一番の攻撃目標になっていた。
262			…今日のめでたきの日の主役を射止めた、 忌々しい狼藉者として。
263	春希	Haruki	「………っ」
264			だからこそ、今年のお誘いには…
265	武也	Takeya	『さっきから、電話遠いぞ』
266	武也	Takeya	『それとも、お前の声が消え入りそうなだけか？』
267			消え入りそうになったって…仕方ないだろ？
268			だって俺は、 今の、俺は…
269			………	.........
270			あれから数日… かずさから、連絡は来ない。 こっちからも、連絡はしてない。
271			あの時かずさは、泣きながら俺を睨みつけ、 そして、俺の胸に飛び込まず、俺を拒絶もせず、 ただ背中を向けて、静かに立ち去った。
272			お互い、考える時間を持つために。 もう一度、本気で、全力で気持ちを確かめるために。
273			その結論がいつになるかは約束しなかった。
274			一日、二日という短期決戦の期待も不安も否定され、 長期戦の覚悟も必要だと思わされるようになった五日目。
275			追加公演まで、あと二週間。 そして今日は、結論の出ないまま雪菜と逢瀬を重ねる日。
276			周囲に家族や友人がいることが、 救いになるのか、それとも…
277			………	.........
278	かずさ	Kazusa	「………よう」
279	春希	Haruki	「………」	"........."
280			本当に、こいつは…
281			こっちから会いたいときには ものすごい試練を要求するくせに、 予測もしてなかった瞬間に俺の目の前に現れる…
282	かずさ	Kazusa	「五日ぶりだな。 元気にしてたか？」
283	春希	Haruki	「お前こそ…」
284	かずさ	Kazusa	「元気なわけないだろ。 あんな酷い選択を丸投げしていきやがって。 あたしまで病気で倒れるかと思った」
285	春希	Haruki	「それは…」
286			その前に、俺がどれだけ酷い決断をしたかを 忘れたかのように…
287			俺がこの数日間、どんな気持ちで待たされていたか、 全然わかっていないように、 かずさは、からかいの視線を俺に向ける。
288	かずさ	Kazusa	「なんだよ、その顔… まるでこの前あたしに言ったこと、 後悔してるみたいだぞ？」
289	春希	Haruki	「そんなこと…」
290	かずさ	Kazusa	「なんて、後悔するの当たり前だよな」
291	春希	Haruki	「っ…」
292			わかってんなら確かめないでくれよ…
293			後悔なんて当たり前だろ？ 最初から、するって言ってただろ？
294			だって、だってさ…
295	かずさ	Kazusa	「お前の言ったことの重さを考えたら、 しないほうがおかしいもんな」
296			なんで俺、 雪菜と別れなくちゃいけないんだよ…？
297			愛してるのに… 嫌いになんか、なれるはずないのに。
298			この気持ちが変わることなんて、 もう、二度とないって誓ったのに。 …その誓いを信じてるのに。
299			なのに、なのに…
300			ただ、かずさを…かずさも愛してるってだけで、 どうしてこんな決断をしなくちゃならないんだよ…
301	春希	Haruki	「答え、は…？」
302	かずさ	Kazusa	「………」	"........."
303			でも、今になってわかった。 かずさは、覚悟してたんだって。
304	春希	Haruki	「そろそろ、返事くれるんだろ？ 俺を選ぶのか、それとも捨てるのか」
305			結論が出るまでの数日間で、 俺の気持ちがぶれてしまうことを。
306			あの日、熱に浮かされていた俺が、 生殺しの数日間のうちに気持ちを整理してしまい、 まっとうな現実に立ち返ってしまうことを。
307	かずさ	Kazusa	「空港に、行ったんだ…」
308	春希	Haruki	「え…」
309	かずさ	Kazusa	「別に、ウィーンに逃げ帰ろうとか、 そんなことは考えてなかった。 チケットも取ってなかったしね」
310	春希	Haruki	「じゃあ、何で？」
311	かずさ	Kazusa	「ただ、思い出したかったんだ…」
312	春希	Haruki	「思い出すって…何を？」
313	かずさ	Kazusa	「五年前、お前と別れたときの悲しさを… あの、身を引き裂かれてしまったような辛さを」
314	春希	Haruki	「………」	"........."
315	かずさ	Kazusa	「そして、比べてみたんだ。 あたしの馬鹿な決断で、 周りがみんな壊れてしまうときの辛さとさ」
316	春希	Haruki	「それで…？」
317			かずさは、自分の気持ちよりも、 俺の、本当の決断を尊重しようとしてた。
318			そして、俺がもし、あの時の結論を翻してしまったら、 おとなしくそれを受け入れようって…
319	かずさ	Kazusa	「お前…さっき聞かなかったよな？ あたしがどうしてここでお前を待ってたのか…」
320	春希	Haruki	「それは…」
321	かずさ	Kazusa	「あたしになら気づかれてもおかしくないって、 そう思ったんだろ？ …お前が今日、必ず行く場所のこと」
322	春希	Haruki	「………」	"........."
323	かずさ	Kazusa	「春希… お前、今から雪菜のパーティに行くつもりだったんだろ？ だから、この駅で降りたんだろ？」
324	春希	Haruki	「ああ…」
325	かずさ	Kazusa	「雪菜に会って、でもあたしのこと何も言えなくて、 ただプレゼント渡して、食事して、 別れ際にキスして別れるつもりだったんだろ？」
326	春希	Haruki	「かずさ…」
327	かずさ	Kazusa	「そして、後悔するつもりだったんだろ？ あたしを選ぶのやめようかって。 やっぱり雪菜を一番愛してるって」
328	春希	Haruki	「そんな、こと…」
329	かずさ	Kazusa	「わかってた。 お前が、まだ揺れてるってわかってたんだよ。 何度も死ぬほど後悔するって、気づいてたんだよ」
330	春希	Haruki	「かずさ、俺は…」
331	かずさ	Kazusa	「………でも、もうおしまいだ」
332	春希	Haruki	「え…」
333	かずさ	Kazusa	「空港から、大急ぎでここまで来た。 電車も、タクシーも、自分の脚も、 全部必死で使って、ギリギリ間に合った」
334	かずさ	Kazusa	「あたし、お前を止めに来た… 捕まえに、来たんだよ」
335	春希	Haruki	「かずさ…？」
336	かずさ	Kazusa	「もう…雪菜と会わないで」
337	春希	Haruki	「っ…」
338			かずさは、自分の気持ちよりも、 俺の、本当の決断を尊重しようとしてた。
339			そして、俺がもし、あの時の結論を翻してしまったら、 おとなしくそれを受け入れようって…
340	かずさ	Kazusa	「春希… 雪菜を、裏切ってくれ。 そして、あたしを選んでくれ」
341	春希	Haruki	「あ、ぁ…」
342			けれど俺は、 かずさのその引っかけ問題に、勝ったんだと思う。
343			悪魔との騙しあいに。 地獄の裏取引に。
344	かずさ	Kazusa	「お願いだ… ずっと、ずっと、あたしの側に…っ」
345	春希	Haruki	「いいん、だな？」
346	かずさ	Kazusa	「愛してる」
347	春希	Haruki	「お前の手元にはもう、ピアノと俺しか残らない。 …それでも、いいんだな？」
348	かずさ	Kazusa	「別に、お前だけでもいいよ」
349			そして、その勝利の瞬間、 かずさは、すごく苦しげに、悲しげに…
350			幸せに満ち足りた表情を、した。
351	春希	Haruki	「かずさ…っ」
352	かずさ	Kazusa	「あ、んっ…」
353			瞬間… 抱き合い、この場で唇を重ねてもおかしくないほどの 誓いを交わした俺たちは…
354			けれど今はまだ、それ以上近づくことはなく、 指と、唇とを触れ合わせるだけだった。
355			まだ、何も終わっていないから。 …終わらせることの過酷さを知っているから。
356	かずさ	Kazusa	「ん、んぅ…んむっ」
357	春希	Haruki	「っ…」
358			けれどかずさの唇は、 控えめながらも、ほんの少しだけそれ以上を求める。
359			唇に当てられた俺の指をそのまま口に含み、 そして、強く歯を当てる。
360	かずさ	Kazusa	「ん…ちゅぷ…」
361	春希	Haruki	「あ…」
362			指先が、かずさの舌先に舐め取られ、 染みたような痛みが広がっていく。
363	かずさ	Kazusa	「んく…ん、んぅ…はぁぁ…は、あ…春希ぃ」
364			噛む力が徐々に強くなり、 やがて、指先から染み出した血が、 かずさの喉にこくりと飲み込まれ…
365	かずさ	Kazusa	「これでお前は………あたしのものだ」
366			俺たちは、血の契約を交わした。

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